表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『歌が見えた ―弱い光魔法しか使えない私ですが、歌うと感情を隠せない天才歌姫と世界初の魔法ライブを作ります―』  作者: あらたかたかじろう


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/17

第一幕「歌が見えた」 第5話 空腹の低音

 実験は、いつの間にか日課になった。


 約束をした覚えはない。


 リラは灯務局の仕事が終わると、白墨と演出表を鞄へ入れ、指先に残っている魔力を確かめてから、酒場裏の路地へ向かった。


 最初のころは、着くたびにセラを探した。


 樽を洗っている日もあれば、裏口の脇で空き瓶を仕分けている日もある。店主に呼び戻され、床を磨いている背中だけが見えることもあった。


 四日目からは、探す必要がなくなった。


 酒場裏へ回ると、リラが座るための古い布が、いつも同じ樽の上へ畳んで置かれていたからだ。


「これ、誰が置いてるんだろうね」


 リラが毎回尋ねても、セラは答えなかった。


「店の邪魔だっただけ」


「昨日も一昨日も、私が座る場所だけ都合よく邪魔じゃなくなってるんだけど」


「偶然」


「この路地、ずいぶん気の利く偶然が住んでるなあ」


「座らないなら片づける」


「座ります。大事に座ります」


 リラが布を広げるころには、セラも仕事用の前掛けを外していた。


 二人は歌い、光を動かし、失敗した。


 そして、失敗するたびに言い合った。


「今のところ、もう少しだけゆっくりできない?」


 リラは膝の上の紙へ短い線を引いた。


「歌詞が聞こえたと思ったら、もう次の言葉へ行ってる。セラには扉が見えてても、初めて聞く人は、扉を探してる間に置いていかれるよ」


「嫌」


「即答する前に、せめて私がお願いした長さくらいは考えて。ほんの半拍。息を吸って、壁に光が届いて、それから次へ行く。それだけで、未来の三千人が助かります」


「今いるのは、フィンだけ」


 少し離れた樽の上で、フィンが青い帽子を押さえながら二人を見ていた。


 今日は母親が酒場へ用事に入っており、それを待つ間だけという約束で座っている。


「今は一人でも、いつか三千人になるかもしれないでしょう」


 リラは紙を持ったまま、フィンへ視線を向けた。


「未来の三千人を大事にするのと、今いる一人を置いていかないのは、たぶん同じことだよ」


「勝手に増やさないで」


「じゃあ、二千九百九十九人」


「一人しか減ってない」


「大幅な譲歩です。これ以上は交渉担当を通してください」


「誰」


「私」


「本人と交渉してる」


「では、交渉は決裂ということで」


 リラは紙に何かを書き込んだ。


 セラが横から見る。


「何」


「本日の決定事項。歌い手は半拍待つことを拒否。演出家は三千人を二千九百九十九人まで減らしたものの、合意に至らず」


「書かなくていい」


「最後に、『ただしフィンは最後まで聞いていた』も入れておく」


 名前を呼ばれたフィンが、よく分からないまま背筋を伸ばした。


「聞いてた」


「えらい」


 リラが親指を立てると、フィンも真似をした。


 セラは二人を見比べ、諦めたように息を吐いた。


 それでも次に同じ歌詞へ来たとき、ほんの少しだけ間を置いた。


 リラは何も言わなかった。


 代わりに、壁へ置いた光を一粒だけゆっくり明るくした。


 セラも、リラが気づいたことを指摘しなかった。


 そうやって二人は、相手の言うことを半分だけ無視し、残りの半分を次の日まで覚えていた。


 リラの演出表には、セラが変えた箇所が増えていった。


 歌詞変更。


 呼吸変更。


 旋律変更。


 指示無視。


 その下へ、小さく書き加える。


 ――次回もたぶん無視。


 セラに見つかると、無言で線を引かれた。


 リラは、その横へさらに小さく書いた。


 ――本人に否定されたが、おそらく無視。


「紙がもったいない」


「必要な記録だよ。今日のセラが、昨日のセラとどこが違ったか忘れないための」


「忘れていい」


「私は嫌だな」


 軽く言ったつもりだった。


 けれどセラは、その返事にだけ何も返さなかった。


 うまく重なる日は少なかった。


 それでも、一度だけ、二人とも声を失うほどきれいに合う瞬間がある。


 セラが言葉を伸ばす。


 リラの光が、声に引かれたように壁を離れる。


 歌が先だったのか、光が行き先を作ったのか、終わってしまえば二人にも分からない。


 分からないことが、悔しかった。


 同時に、少しうれしかった。


 翌日も同じことが起きるかもしれないと思うと、灯務局の仕事を終える足が自然と速くなった。


 セラの方も、リラが遅い日は酒場裏へ何度か目を向けるようになった。


 もっとも、本人は認めなかった。


「待ってた?」


「仕事が終わっただけ」


「今日は私が来る前から布が敷いてある」


「風で落ちた」


「きれいに広がった状態で?」


「この路地の風は器用なの」


「偶然の次は、働き者の風か。ここは人材が豊富だね」


 セラは答えず、リラの指先を見た。


「今日は何粒」


「最初は三十。昨日より少なめ。増やすと一粒ずつ薄くなるから、歌の顔が見えなくならない数から始める」


「まだ出してないのに分かる?」


「指先にいる感じで。強すぎる心配はないけど、薄くしすぎると本人たちが迷子になるからね」


 リラがそう言うと、セラは一度だけ、その指先を見た。


 同情するような目ではなかった。


 ただ、使えるかどうかを確かめる目だった。


 その視線を、リラは嫌いではなかった。


 ある夜、セラの腹が、歌よりもよく通る音を立てた。


 声が途切れ、路地へ沈黙が落ちる。


 リラの光粒子も、一斉に動きを止めた。


 セラは何もなかったように続きを歌おうとした。


「待って」


「何」


「今の低音、思ったより響いた。壁の反射もきれいだったし、路地の奥まで届いてた」


「忘れて」


「雷術師を呼ばなくても、迫力のある低音が作れるかもしれない」


「使ったら二度と歌わない」


「惜しいなあ。毎回同じタイミングで出せるなら、演出表に――」


「出せない」


「では偶発的効果として」


「残さないで」


 リラは演出表を閉じた。


「分かった。記録には残しません」


「記憶からも消して」


「その術式はまだ習ってない」


「今すぐ覚えて」


「新魔法を発明するより、夕食の方が早そうだね」


「いらない」


 セラは即答した。


 その直後、腹がもう一度、小さく鳴った。


 リラは何も言わずに立ち上がった。


「帰るよ」


「私は酒場の二階」


「知ってる。でも今日は、そっちじゃない方」


「行かない」


「無理に歌わせるのは駄目だと学んだけど、空腹の人を夕食へ連れていくのは、まだ禁止されてない」


「されてる」


「誰に?」


「私に」


「本人の判断能力が空腹で低下している可能性があります。第三者の確認が必要です」


「誰」


「うちの兄」


「帰る」


 セラが酒場の裏口へ向かおうとする。


 リラは服をつかまなかった。


 ただ、先に路地の出口へ歩きながら言った。


「今日のスープ、一人では食べきれないんだよね。兄も帰りが遅いし、明日に残すと野菜が沈んで悲しそうになるし」


「野菜は悲しまない」


「セラの歌には扉も灯も気持ちがあるのに、私の野菜にはないの?」


「ない」


「ひどい差別だ」


 しばらくして、後ろから足音が聞こえた。


 振り返ると、セラが少し離れてついてきていた。


「野菜のためじゃないから」


「分かってる。私の料理が心配なんでしょう」


「もっと違う」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ