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『歌が見えた ―弱い光魔法しか使えない私ですが、歌うと感情を隠せない天才歌姫と世界初の魔法ライブを作ります―』  作者: あらたかたかじろう


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第三幕「星冠祭」 第42話 衣装は戦闘服

 旧兵站庫の臨時検査が終わった翌朝、アルドは三台の衣装掛けと、四人の職人を連れてきた。


 扉の幅いっぱいに、濃紺、赤、白、水色の布が揺れている。


「何」


 セラが歌詞の紙から顔を上げた。


「衣装合わせだ」


「聞いてない」


「今言った」


「予定表にない」


 セインが記録板を確認する。


「私の予定表にもありません」


「お前まで知らなかったのか」


「共有されていない予定は、存在しないものとして扱います」


「では今、存在した」


 アルドは銀の杖で、衣装掛けの車輪を押した。


「全員、午後の稽古までに一度は袖を通せ」


 セラは自分の作業着を見る。


「これで歌える」


「歌えることと、三千人から歌手に見えることは別だ」


「樽洗いには見える」


「実際、樽を洗ってるから」


 リラが言う。


 アルドは二人を順番に見た。


「舞台では、何を隠し、何を見せるかを選べ。作業着のまま立つことも選択だが、考える前に拒むな」


 先頭にいた衣装主任が、大きな裁ちばさみを鳴らした。


「衣装は飾りではありません」


 低い声だった。


「呼吸を邪魔せず、足を止めず、客席へ役割を伝え、火や水や雷から身体を守る。舞台衣装は戦闘服です」


 ラウルが腕を組む。


「気に入った」


「あなたは特に、勝手な改造をしないでください」


「まだ何もしてない」


「高い襟を見ている顔です」


 ラウルの視線が、赤い上着から外れた。


     ◇


 最初に試着室へ入れられたのは、セラだった。


 一着目は、銀色の刺繍が胸元を大きく囲む白い長衣。


「重い」


 幕の向こうから声がする。


「まだ着終わってないよ」


 リラが答えた。


「着る前から重い」


「布を持った感想?」


「肩が凝る未来が見える」


 衣装主任が幕を少し開き、セラの肩から布を外した。


「却下です」


「早い」


「歌手が衣装を気にした時点で、呼吸へ影響します」


 次は、袖の広い青い衣装だった。


 セラが両腕を上げる。


 柔らかい布が手首から遅れて揺れた。


「袖が長い」


「歌うだけなら問題ないよ」


「合図を出したとき、布があとから動く」


 セラは左手を一度開いた。


 歌の途中で予定を変えるときの合図だった。


 袖が指先を隠し、少し遅れて落ちる。


「見えにくいね」


 リラが言う。


「なら却下」


 衣装主任が即座に袖へ印をつけた。


「歌手の動作は、演出より先に伝わらなければなりません」


 三着目は、黒に近い濃紺だった。


 上半身は身体を締めつけず、息を深く吸える。


 長い裾は左右へ分かれ、歩幅を広げても脚へ絡まない。胸元から肩、腕へかけて、細い銀糸が流れている。


 派手な模様ではない。


 光を受けたときだけ、夜空に細い道が浮かぶように見えた。


 セラが鏡の前に立つ。


 左手を開く。


 銀の線が指先へ視線を導いた。


 息を吸う。


 胸元の布は動きを妨げない。


 身体を半歩ひねると、左右へ分かれた裾が少し遅れてついてくる。


「嫌?」


 リラが尋ねる。


「まだ分からない」


「鏡から目を離さないね」


「確認してる」


「何を?」


「知らない人に見えないか」


 リラは鏡の中のセラを見る。


 普段着よりも、歌手らしく見える。


 けれど、衣装に着られてはいない。


「セラに見えるよ」


「歌姫に?」


「セラに」


 少し間を置き、リラは続けた。


「歌うと、歌姫に見えると思う」


 セラはもう一度、左手を開いた。


 銀糸へ光が走る。


「これにする」


 衣装主任は鏡越しにうなずいた。


「背中の留め具を一つ減らします。歌唱中の呼吸が変わっても、布が引かれないように」


「銀の線は?」


「残します」


「光を当てすぎないで」


 セラはリラを見る。


「線が光る程度」


「了解」


「衣装に合わせて光を増やさないで」


「先に言われた」


「やりそうだから」


「否定しにくいなあ」


 セラの口元が、鏡の中でほんの少し動いた。


     ◇


 ノアに用意された衣装は、普段の黒い作業ローブをもとにしていた。

 裾を短くし、客席後方を移動するときに柵や留め具へ引っかからない長さへ調整してある。袖も工具へ絡まないよう手首で留まり、内側には淡い銀糸で小さな星が縫われていた。

「子どもっぽい」

 ノアが袖の内側を見る。

「星、かわいいよ」

 リラが言う。

「だから嫌」

「燃やす?」

「火担当はラウル」

「俺に渡すな。防火処理済みだ」

 ラウルが布の端を指で挟む。

「燃えにくい。いい仕事だ」

「燃やす前提で評価しないでください」

 衣装主任は、ノアの前へしゃがんだ。

「星を外しますか」

 ノアはすぐには答えなかった。

 腕を下ろすと、刺繍は外から見えない。

 袖を上げ、闇を広げる動作をしたときだけ、銀の点が現れる。

「客から見える?」

「その動作をしたときだけです」

「かわいいって言われる?」

「言われる可能性はあります」

 ノアは眉を寄せた。

「嫌」

「では、星ではなく、闇の広がる順を示す術路の点という扱いにしましょう」

 ノアはもう一度、袖の内側を見る。

 星の形は変わらない。

 けれど、誰かに飾られた印ではなく、自分の仕事のために置かれた印なら、少しだけ違って見えた。

「……そのままでいい」

「星のままで?」

「術路の点」

「分かりました」

 衣装主任は訂正しなかった。

 ノアの黒藍色の髪が、袖の上へ落ちる。動くたび、内側の淡い紫と銀の点が一瞬だけのぞいた。

「裾は、あと少し短く」

 ノアが言う。

「短くしすぎると、背が伸びたとき困るよ」

 リラが横から口を挟む。

「いつ伸びるの」

「明日かもしれない。魔法の世界だし」

「前にも聞いた」


「成長してないね」


「リラも」


「どこが?」


「中身」


 ラウルが吹き出し、すぐに咳で誤魔化した。


     ◇


 ラウルは赤と金の上着を、袖を通した瞬間に気に入った。


「襟を、あと指二本分高くしよう」


「上げません」


「なぜだ」


「顔の近くで炎を扱う際、熱がこもります」


「防火布だろう」


「布が燃えなくても、あなたは蒸れます」


「英雄は蒸れない」


「人間は蒸れます」


 衣装主任の返事に、ラウルが黙る。


 代わりに、肩へ金色の線を一本増やすことで妥協した。


 レティアは、水色から深い青へ色が変わる長衣を着た。


 立っているだけなら完璧だった。


 両手を上げ、水を操作する姿勢を取っても、皺一つ乱れない。


「問題ありません」


 レティアが腕を下ろす。


 衣装主任は返事をせず、左右の袖を順に持ち上げた。


「右の袖だけ、少し重いですね」


「誤差でしょう」


「誤差ではありません」


 衣装主任が右の内ポケットへ指を入れる。


「印章が三つ入っています」


 レティアの動きが止まった。


 袖から印章が一つ。


 内側のポケットから、もう一つ。


 さらに腰の裏側から、探していたはずの水務研究所の印章が出てきた。


「保管場所を確認していただけです」


「三か所へ分けて?」


「紛失時の予備です」


「三つとも本物ですね」


「……見なかったことにしてください」


 衣装には、印章用の留め具と、左右の手袋を別々に入れないための一つながりのポケットが追加された。


 マリエの衣装は、淡い灰青色だった。


 鍵盤へ座っても袖が鍵へ触れず、立って歌う場合にも胸を開ける形になっている。


 衣装主任が歌手用の銀飾りを胸元へ当てると、マリエは首を横へ振った。


「今回は、伴奏者です」


「歌手として舞台へ出る可能性も考えた形です」


「可能性は残します」


 マリエは銀飾りを手に取り、衣装主任へ戻した。


「ですが、誰かの代わりに見える印はつけません」


「では、飾りは外します」


「自分の歌で立つときに、改めて選びます」


 マリエは鏡の前で袖口を確認し、小型鍵盤を弾く動作を一度だけ試した。


 エヴレンは、用意された衣装を一目見て言った。


「私の衣装の方が美しい」


「安全検査を通れば、自前でも構いません」


「美しさにも検査が?」


「裾丈、発火性、幻影術式との干渉を確認します」


「美は自由であるべきです」


「非常口を塞がない範囲で自由です」


 エヴレンは不満そうに自前の紫の衣装を提出した。


 検査の結果、長すぎる飾り布を指二本分だけ短くされた。


 本人は、その二本分について長く抗議した。


 セインは普段の白、金、紺の制服を基礎に、星冠祭用の識別帯だけを加えた。


「儀礼任務用の制服を、そのまま使うの?」


 リラが尋ねる。


「防衛隊の許可済みです。ただし、任務上の指揮権を示す徽章は外します」


「人気雷術師の制服が見られなくなる?」


「制服は変わりません」


「じゃあ、人気は残るね」


「人気は装備品ではありません」


「外せない?」


「外し方が分かりません」


 セインは真顔で答えた。


     ◇


 全員の試着が終わりかけたころ、セラが衣装掛けの横に立つリラを見た。


「リラは?」


「私はいつもの服」


「衣装は」


「裏方だから、いらないよ」


 衣装主任がリラを見る。


「舞台上へは出ませんか」


「袖か、舞台の端です。歌と客席を見ながら、全員へ演出合図を出します」


「だめ」


 セラが言った。


「どうして?」


「リラが見えない」


「合図の光は見えるよ」


「誰が動かしているか、客には分からない」


「演出が届けば、演出家まで見える必要はないでしょう」


 セラの表情が硬くなる。


「また、それ」


「何が?」


「自分は見られなくていいって言う」


「演出家は普通、舞台袖にいるものだよ」


「前の広場で、端に立ってって言った」


「本番は規模が違う」


「だから、もっと見えなくなる」


「歌と演出が見えれば、公演は成立する。演出家の顔まで見せる必要はないよ」


「私一人で作ったように見える」


 衣装工房の奥で、針を置く音がした。


 リラは笑って流そうとした。


「私まで前に出たら、セラより人気が出るかも」


「出ない」


「即答!」


「今の冗談、断るためでしょう」


 リラの笑顔が、そのまま止まった。


 セラは衣装係へ注文しない。


 リラの腕を引くこともしなかった。


「嫌なら、着なくていい」


 平らな声で言う。


「でも、『裏方だから』じゃなくて、本当に嫌かを答えて」


「同じじゃない?」


「違う」


「どう違うの」


「役割を理由にしたら、リラが嫌なのか、怖いのか分からない」


 セラは鏡の前から一歩離れた。


 衣装を着た自分を見せつけるのではなく、リラが鏡の前へ来られる場所を空ける。


「私は舞台の端にいてほしい」


「どうして?」


「誰が光を動かしているか、隠したくないから」


「観客に?」


「私に」


 リラは答えられなかった。


 衣装工房に並ぶ鏡へ、自分の姿がいくつも映っている。


 灯務局の制服。


 擦れた袖。


 魔法使いとしては弱い光しか出せない手。


 その姿で、三千人へ向かって、この公演を作った一人だと名乗る。


 大魔法を使う仲間たちの隣で。


 失敗した演出家として。


 セラを傷つけた人間として。


「似合わないと思う」


 ようやく言った。


「着てないから分からない」


「着ても変わらないよ」


「それは、誰の判断?」


「私の」


「なら、本当に着たくない?」


 セラは急かさなかった。


 リラの答えを代わりに決めない。


 沈黙が長くなっても、鏡から目を逸らさず待っている。


「怖い」


 リラの口から、冗談ではない声が出た。


「何が?」


「私が作りましたって、見える場所へ立つのが」


「どうして」


「大した魔法も使えないのにって思われるかもしれない」


「思う人はいる」


「そこは否定してほしかったなあ」


「嘘になる」


 セラの返事は短かった。


「でも、私が歌ったら、光を動かすのはリラ」


「うん」


「見えないところへ隠れたら、その事実も消える?」


「消えない」


「なら、隠れる理由にはならない」


 リラは鏡の中の自分を見る。


「自分で先に『似合わない』って言えば、誰かに言われても傷つかないと思ってた」


「傷つかない?」


「少しは」


「今まで、効いた?」


 兄に光を見せたとき。


 灯務局で失敗したとき。


 百人試演のあと。


 笑って自分を軽く扱っても、傷がなくなったことはない。


「たぶん、あまり」


「じゃあ、どうする?」


 セラは選ばなかった。


 衣装主任も、採寸用の紐を手にしたまま待っている。


 リラは一度、深く息を吸った。


「試着だけする」


「うん」


「着るかは、そのあと決める」


「それでいい」


     ◇


 用意されたのは、黒に近い藍色の短い外套だった。


 袖口から肘へ、背中から肩へ、細い金糸が走っている。


 舞台照明を受けても派手には光らない。


 ただ、指を動かしたときだけ、腕の線が遠くから追える。


 裾は腰より少し下。


 走っても脚へ絡まない。


 内側には、演出表、停止札、灯務局の工具を分けて入れられるポケットがある。


「工具も持つの?」


 セラが尋ねる。


「舞台の灯具が壊れたら困るでしょう」


「本番中に直すの」


「安全なら」


「休みの日の灯具は直さなかったのに」


「本番は勤務時間です」


「そう」


 衣装主任が袖口を留める。


「手を開いてください」


 リラが右手を開く。


 金糸が指先の動きを拾う。


 豆明かりを一つ灯すと、光が外套の線を伝い、肩の位置まで薄く浮かび上がった。


 大魔法使いの衣装には見えない。


 歌姫の隣へ並ぶ衣装でもない。


 舞台の端に立ち、全員へ合図を送る者の服だった。


「どう?」


 リラは鏡の前で落ち着かず、袖を何度も整えた。


「似合う」


 セラが言う。


「今、何秒見て決めた?」


「見た瞬間」


「根拠は?」


「私が見たいと思ったから」


 リラの手が止まった。


 衣装主任は何も言わず、ほかの職人を連れて別の衣装掛けへ移った。


 鏡の前に、二人だけが残る。


「セラって、急にそういうこと言うよね」


「何を」


「逃げられない言葉」


「逃げなくていいときに、逃げるから」


「ずるいなあ」


「あなたに言われたくない」


 鏡の中には、濃紺と銀の衣装を着たセラがいる。


 その少し後ろに、藍色と金の外套を着たリラが立っている。


 中央と端。


 歌姫と演出家。


 同じ場所に立っても、役割は違う。


 けれど、片方だけが舞台を作ったようには見えなかった。


「着る」


 リラが言った。


「本番で?」


「舞台の端に立つ」


「十五歩以上、離れないで」


「分かってる」


「怖くなったら?」


「笑って誤魔化すかも」


「そのときは?」


「今、怖いって言う」


 セラは短くうなずいた。


 信じると約束したわけではない。


 それでも、リラが自分で選んだ衣装の袖を、一度だけ指で整えた。


     ◇


 工房を出るころには、陽が傾いていた。


 ノアは短くしてもらったローブの裾を両手で持ち、石畳の段差を越えている。


「まだ大きい」


「成長すれば、ちょうどよくなるよ」


「明日?」


「可能性はある。魔法の世界だし」


「前にも聞いた」


「ノアの成長が遅いんじゃない?」


「リラの学習より速い」


「最近、手厳しいなあ」


 ノアは眠そうな金灰色の目で、藍色の外套を見上げた。


「うれしい?」


「衣装が?」


「セラに、見たいって言われたこと」


「十二歳は気づかなくていいこともあるんだよ」


「子ども扱い」


「今だけはしていい?」


「蜂蜜牛乳一本」


「安い」


「許可だけ」


「触るのは?」


「別料金」


 リラは伸ばしかけた手を止めた。


「頭、撫でていい?」


 ノアは少し考える。


「一秒」


「短い」


「嫌なら、なし」


「お願いします」


 リラが黒藍色の髪へ、そっと手を置く。


 一秒後、薄い闇が指先だけを包み、手を押し戻した。


「時間」


「正確だね」


「契約だから」


 ノアは裾を持ち直し、先を歩く。


 袖が揺れた瞬間、内側の星が一つだけ見えた。


 衣装は、彼らを別の人間に変えるものではなかった。


 歌う者。


 光を動かす者。


 闇を残す者。


 火、水、幻影、音、雷を選ぶ者。


 誰がその舞台に立ち、何を引き受けているのかを、遠い客席まで隠さないための戦闘服だった。

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