↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『歌が見えた ―弱い光魔法しか使えない私ですが、歌うと感情を隠せない天才歌姫と世界初の魔法ライブを作ります―』  作者: あらたかたかじろう


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
34/40

第二幕「歌を返して」 第34話 静止の演出

 倉庫の扉が開いた。


 祭典庁の制服を着た事務官と、王立音楽院の教師が入ってくる。


 その後ろに、灰色の学院制服を着たマリエがいた。


 淡い金髪を普段よりきつく結び、胸元には歌手科の徽章をつけている。いつも持っている伴奏用の譜面ではなく、歌唱用の新しい楽譜を抱えていた。


 マリエはすでに、このチームの一員だった。


 何度もセラの呼吸を待ち、戻るための低音を置き、四和音の間へ歌の自由を残してきた。


 今日だけ、音楽院は彼女を伴奏者ではなく、代わりの歌手として連れてきた。


「星冠祭の実験枠について、代替案をお持ちしました」


 事務官は、片づけ途中の倉庫を見回した。


「百人試演では、演出技術そのものが高い評価を得ています。歌手のみを、正式な学院推薦者へ変更すれば、枠を維持できます」


 ラウルの手から、砂袋が落ちた。


 布袋が床へ当たり、中の砂が少しだけ漏れる。


「歌手だけ?」


「問題の直接原因は、歌手の途中退場です」


「原因は私です」


 リラが言った。


「あなたの監督責任も、調査対象となります」


 事務官は表情を変えない。


「ただし、総監督アルド殿の指導下へ戻り、演目構成を固定するなら、続投を認める余地があります」


「歌手の意思を無視した幻影が原因でしょう」


 レティアが一歩前へ出た。


「途中退場だけを切り取るのは、事実の順序が逆です」


「責任の判断は評議会が行います」


「では、判断資料へ正確に記録してください」


 レティアの声は丁寧だった。


 怒っているときほど、言葉が整う。


 音楽院の教師が、話を引き取るようにマリエへ手を向けた。


「歌手科首席候補、マリエ・セルヴァです。演目の構成を熟知し、『帰れない灯』と近い音域を持つ。楽団の拍へ正確に合わせ、事前に定めた歌詞を変更しません」


 マリエが抱えている楽譜の端が、指の下で曲がった。


「『帰れない灯』は、作者の許可が得られなければ使用しません。その場合は、祭典用の新曲へ変更します」


 教師は続ける。


「演出の大部分は流用できます。試演結果を失わず、三日以内に再構成できる現実的な案です」


 歌わせれば、マリエは音を外さない。


 セラのように、その場で歌詞を変えない。


 リラが示した合図へ、決めた拍数で戻る。


 百人試演で得た数字も、さらに高くなるかもしれない。


 数日前のリラなら、必要な稽古時間と成功率を計算していた。


 今も、数字は頭へ浮かんだ。


 三日。


 既存の四和音。


 同じ音域。


 演出の七割以上を流用可能。


 考えた自分が怖くなり、即座に答えようとする。


「お断り――」


「待ってください」


 止めたのはマリエだった。


 リラの口が閉じる。


 マリエは教師の半歩後ろから、自分で前へ出た。


「先に、私へ話させてください」


「マリエ」


「候補は私です」


 教師は眉を寄せたが、止めなかった。


 マリエはリラたちへ向き直る。


「私は、この提案を今朝聞きました」


「断ってもいいんだよ」


 リラが言う。


「先に答えを決めないでください」


「……ごめん」


 マリエは楽譜を抱き直した。


「私は、この舞台へ立ちたいです」


 倉庫が静かになる。


 声は震えていなかった。


 楽譜を押さえる指だけに力が入っている。


「八年間、歌手として選ばれるために練習してきました。伴奏者として必要とされることは嬉しい。でも、歌う側へ行きたくないわけではありません」


 空になりかけた舞台を見る。


「決められた歌なら、私はセラさんより楽団を困らせません。毎回同じ音程、同じ拍、同じ言葉で歌えます」


「それは優れている点です」


 教師が言う。


「はい」


 マリエは否定しない。


「今まで、それを優れていると教わってきました」


 胸元の徽章へ一度視線を落とす。


「だから、候補になれたことを、少し嬉しいと思いました」


 誰も、その感情を責めなかった。


「でも」


 マリエは、抱えていた楽譜を開く。


 祭典用に準備された新曲。


 整った拍。


 変更箇所のない旋律。


「これは、私が選ばれた舞台ではありません。セラさんがいなくなった場所へ、ずれなく収まる歌手として選ばれただけです」


「機会であることに変わりはない」


 教師が静かに言う。


「分かっています」


「次がある保証はない」


「それも分かっています」


 マリエの指が、譜面の一行をなぞる。


「それでも、自分の歌を選ばれたい」


 楽譜を閉じた。


「誰かが拒んだ場所へ、扱いやすいから置かれるのは嫌です」


 リラは胸の奥が痛むのを感じた。


 セラの代わりを拒んでいる。


 同時に、自分がいつか歌手として立ちたい気持ちも、隠していない。


 どちらかをきれいな犠牲へ変えなかった。


「私は辞退します」


 マリエが教師へ頭を下げる。


「次は、私の歌で推薦してください」


 教師はしばらくマリエを見ていた。


「容易ではないぞ」


「八年、容易ではありませんでした」


 返事は短かった。


 教師はそれ以上、責めなかった。


 事務官が書類を閉じる。


「演出側の回答は」


 リラは仲間を見た。


 先ほどは一人で断ろうとした。


 それも、全員の判断を自分が代表してよいと思う癖だった。


「一人ずつ、答えてもらってもいいですか」


「今さらか」


 ラウルが腕を組む。


「ごめん」


「俺は断る」


「理由は」


「セラの歌を待つために、火の出し方を変えた。別の歌なら、同じ火にはならない」


 レティアが外した手袋を持ち上げる。


「私も辞退します。水面は歌手を交換しても同じ形を保つ設備ではありません」


 エヴレンは箱の上へ片手を置いた。


「私の街へ、欠けた人物と同じ輪郭の誰かを置くつもりはありません。代役にも、元の歌手にも失礼です」


 セインは記録板を閉じた。


「雷信術は、任務命令があれば提供できます」


 全員の視線が集まる。


「ただし、今回の私は、儀礼任務として参加したのではありません」


 白い手袋の指をそろえる。


「セラさんの歌に合わせる技術協力として、継続担当を希望しました。歌手が変更される場合、私が同じ申請へ残る理由はありません」


「セラじゃないなら寝る」


 ノアが言った。


「理由が雑」


 ラウルが見る。


「分かりやすいでしょう」


「一番分かりやすいな」


 ノアは肩の工具袋を持ち直した。


「私は、歌の最後にセラの顔を残すって決めた。別の顔を残す約束はしてない」


 最後に、全員の視線がリラへ戻る。


「私は」


 一度、息を吸う。


「代替案を断ります」


「一人の歌手のために、全員の機会を失うのですか」


 事務官が尋ねる。


「一人の歌手から始まった公演です」


「演出技術は、別の歌手へ転用できる」


「できます」


 リラは否定しなかった。


「でも、それは別の公演です」


 マリエを見る。


「あなたが悪いから断るんじゃない。歌手として足りないとも思ってない」


「分かっています」


「伴奏者として、この歌が戻る場所を作ってくれた。だからこそ、セラの代わりとして舞台へ置きたくない」


 マリエは小さくうなずいた。


「私も、置かれたくありません」


 事務官は全員の回答を記録する。


「本日中に再考がなければ、代替案は取り下げます。実験枠の保留期限は変わりません」


 事務官と教師が倉庫を出ていく。


 マリエも数歩ついていき、扉の前で振り返った。


「セラさんへ伝えてください」


 リラの肩がわずかに固くなる。


 マリエは気づき、言葉を変えた。


「伝える機会を、セラさんが許したら」


「うん」


「途中までではなく、いつか最後まで聞きたいと」


「分かった」


「舞台へ戻れという意味ではありません」


「うん」


「ただ、聞きたいだけです」


 扉が閉じる。


 楽譜を抱えた背中が見えなくなった。


     ◇


「ありがとう」


 リラが言うと、ラウルは露骨に顔をしかめた。


「礼を言うな。お前のために断ったんじゃない」


「分かってる」


「なら言うな」


「みんなが自分で選んだことに、ありがとうって思った」


 ラウルは返事をしなかった。


 床へ落ちた砂袋を拾い、漏れた砂を手で集める。


「それでも、お前を許したわけじゃない」


「うん」


「次に勝手なことをしたら、今度は先に殴る」


「殴るのは安全規則に反するよ」


「規則を作る前に殴る」


「抜け道を探さないでください」


 レティアが言った。


 いつものやり取りだった。


 けれど、誰も笑わなかった。


 公演は、歌手を替えれば技術的には残せた。


 全員が、それを自分の意思で捨てた。


 リラは初めて、失いかけているものの大きさを、観客数でも評価点でもなく、一人ずつの選択として見た。


     ◇


 昼を過ぎたころ、アルドが現れた。


 倉庫へ入るなり、壁際の外されかけた停止札と、外されかけた導管を見回す。


「片づけは中止だ」


 全員が振り返った。


「終わったんじゃないのか」


 ラウルが尋ねる。


「星冠祭の実験枠は、三日だけ保留にした」


「セラは出ません」


 リラが言う。


「本人から聞いたか」


「聞きました」


「今後、一切歌わないと言ったか」


「星冠祭には出ないって」


「なら、決まったのはそこまでだ」


「三日で気持ちが変わると思ってるんですか」


「思っていない」


 アルドは銀の杖で、床に残った白線をなぞる。


「三日は、セラを説得する時間ではない。祭典庁が設備を撤去するまでの猶予だ」


「では、どうして片づけを止めるのですか」


 レティアが尋ねる。


「今日すべて外せば、戻るという選択肢までこちらから消す」


「戻ると思ってる」


「思っていない」


 アルドの声は変わらない。


「戻らない可能性も、戻る可能性も、今は他人が閉じるなと言っている」


 ノアが外した留め具を見る。


「じゃあ、三日間このまま?」


「危険なものだけ外せ。戻せるものは残せ」


 セインが記録板を開く。


「保留期間中の管理責任者は?」


「私だ」


「設備へ触れる権限は?」


「安全維持に必要な者だけ。演出変更は禁止」


「観客を入れることは」


「ない」


「稽古は」


「しない」


 セインは項目を順に書き込む。


「明確です」


 リラは舞台中央に立ったまま、アルドを見た。


「私には、何をしろと?」


「何も作るな」


「三日間?」


「少なくとも、セラのためだと言いながら新しい演出を作るな」


「話を聞けってことですか」


「会ってもらえればな」


「会わせる方法を考えるのは?」


「お前の得意分野だろうが、今回は使うな」


「じゃあ、どうすれば」


「会ってよいか尋ねろ。断られたら待て」


「それだけ?」


「それだけができなかった結果だ」


 リラの喉に、熱いものが上がる。


 昨日から抱えていた怒りが、言葉になる前に胸を押した。


「分かっていたなら、止めてくれればよかった」


 倉庫が静かになる。


 ラウルの手から砂の音が消える。


「私が集計に執着してたとき。セラの言葉を聞かなくなってたとき。幻影を頼もうとしてたとき」


 リラはアルドへ一歩近づく。


「止められたでしょう」


「止めようとはした」


「質問しただけです」


「そうだ」


「数字に逃げてるって分かってたんでしょう」


「分かっていた」


「だったら、演出表を取り上げることも、エヴレンへ確認することもできた」


「できた」


「どうしてしなかったの」


 アルドはすぐに答えなかった。


 銀の杖を握る手へ力が入る。


「お前が、自分で判断を変えなければならないと思った」


「セラが傷ついても?」


 声が大きくなる。


 高い天井から、自分の言葉が返ってきた。


 アルドの顔から、いつもの飄々とした表情が消える。


「違う」


 老人はゆっくり首を横へ振った。


「傷つくまで待つつもりはなかった」


「でも、傷ついた」


「私が見誤った」


 短い言葉だった。


 言い訳を続けず、アルドは杖を身体の横へ置いた。


「お前へ警告すれば止まると思った。セラが拒めば、お前は最後には聞くと思った。私が権限を取り上げれば、若い演出家の判断を奪うことになると考えた」


「それが間違いだった?」


「そうだ」


 アルドはリラへ頭を下げた。


 銀髪が額から落ちる。


 誰も動かなかった。


「私は、演出家の自立と、歌手の安全を同じ秤へ載せた。載せてはならなかった」


 頭を上げる。


「本人の同意が疑われる演出は、総監督として止めるべきだった。セラ本人へ確認すべきだった。私は、その責任を果たさなかった」


 リラの怒りは消えない。


 謝罪されたからといって、セラの傷がなくなるわけではない。


「どうして、そんな判断をしたんですか」


 アルドは杖へ視線を落とした。


 握っている右手の甲に、古い火傷の跡がある。


「昔、歌手を一人、壊した」


 倉庫の空気が重くなる。


「客を泣かせる声を持つ娘だった。苦しい記憶を歌わせるほど、評判が上がった」


 祭典庁の部屋で裏返されていた公演画。


 赤い衣装の若い歌手。


 リラは、その顔を思い出した。


「娘が嫌がるたび、私は客へ届いている証拠だと言った。舞台を降りたいと言えば、今逃げれば努力が無駄になると言った」


「セラへ言ったのと、同じ」


 リラの声が掠れる。


「そうだ」


 アルドは否定しない。


「最後の公演で、娘は歌えなくなった。声が出ないのではない。舞台へ立つと、自分の悲しみが客へ売られているように感じると言った」


「その人は」


「二度と、公の場では歌わなかった」


 杖の先が、床へ静かに触れる。


「私は、お前が私と同じ道へ近づいていると気づいた」


「それなのに」


「過去と同じ形で止めればよいのか、分からなくなった」


 アルドはリラを見る。


「今度は若い者の判断を奪うまいと考えた。それが、介入しないための言い訳になった」


「過去を繰り返したくなかったのに」


「別のやり方で、繰り返した」


 倉庫には、誰の軽口もなかった。


 完璧な師匠ではない。


 答えを隠している賢者でもない。


 失敗を恐れた結果、別の失敗をした老人が立っている。


 リラは、それでも腹が立っていた。


「許せません」


「許さなくていい」


「私は、自分のしたことも許せない」


「今は、それで楽になろうとするな」


 リラが顔を上げる。


「自分を罰すれば、償った気になれる」


 アルドの言葉は静かだった。


「大切なのは、お前が苦しむことではない。次に、相手の拒絶を聞けるかだ」


「次がなかったら?」


「それでもだ」


 リラは床に残った白線を見る。


 かつて安全な場所を示すために引いた線だった。


 いつの間にか、自分がセラの歩く方向まで決める線になっていた。


「何をすればいいですか」


 尋ねたあとで、また答えを他人へ求めたことに気づく。


 アルドは、すぐには返さなかった。


「セラを戻す方法は、私に聞くな」


「うん」


「ただし、演出家として間違えた場所なら言える」


 銀の杖が白線を一度叩く。


「演出家は、客の感情を作る者ではない」


 乾いた音が倉庫へ広がった。


「演者が渡したいものと、観客が受け取ろうとするもの。その間に、届く道を作る者だ」


「歩く方向は?」


「演者が決める」


「受け取るものは?」


「観客が決める」


「演出家は?」


「道を照らす」


 アルドは杖を白線から離した。


「引きずって歩かせるな」


 リラは、自分の両手を見る。


 光を出せる手。


 人の視線を動かせる手。


 セラの歌を、自分が正しいと思う場所へ運ぼうとした手。


「まず、会っていいか聞きます」


「そうしろ」


「断られたら」


「待て」


「戻らなかったら」


 アルドは答えなかった。


 戻ると約束することは、誰にもできない。


 リラは指先へ光を灯さなかった。


 笑いもしなかった。


 そのまま、舞台の中央に立っていた。


 演出家として初めて、何も動かさずに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。