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『歌が見えた ―弱い光魔法しか使えない私ですが、歌うと感情を隠せない天才歌姫と世界初の魔法ライブを作ります―』  作者: あらたかたかじろう


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第二幕「歌を返して」 第30話 紙の上の記憶

 百人試演まで、残り六日。


 王立音楽院から、審査官が来ることが決まった。


 歌手としてのセラが、星冠祭の公の舞台へ立てるかを判断する人物だった。


 アルドは、観客席の最後列へリラを呼んだ。


「百人試演の成功基準は」


「七割以上が、もう一度見たいと答えること」


「歌手の基準は」


「音程、声量、歌詞の明瞭さ。セラは技術的には十分です」


「お前の基準は」


「観客の感情が動くこと」


「どう測る」


「拍手、視線、表情、感想」


 アルドは杖へ両手を重ねた。


 倉庫では、セラが一人で発声をしている。


 低い声が、空の客席へ薄く広がっていた。


「では、歌手本人が何を感じたかは?」


 リラは手帳を開く。


 該当する項目がない。


「本人に聞きます」


「聞いたか」


「まだ」


「なぜ」


「通しが続いていたから」


「それだけか」


 リラは答えなかった。


 聞けば、演出を減らしてほしいと言われる。


 そう思っていることを、アルドは待っていた。


「聞いても、今は拒否するだけかもしれません」


「それも答えだ」


「その答えに従ったら、落ちるかもしれない」


「だから間違えてもいいのか」


「間違えないために数字を見てる」


「数字は、測ったものしか答えん」


「だから、できるだけ多く測ってます」


「測らなかったものは、最初から存在しなかった扱いになる」


 アルドの視線が、セラへ向く。


「お前の手帳に、歌いたくなくなった回数は書いてあるか」


「歌ってます」


「質問へ答えろ」


 リラは黙った。


 アルドは答えを教えなかった。


 成功させるなとも、数字を捨てろとも言わない。


 いつも、決めるところだけをこちらへ残す。


「曖昧な気持ちより、客の反応の方が確かです」


 リラが言う。


「確かなものへ逃げるのは楽だからな」


「逃げてません」


「なら、セラへ聞け」


「聞いたら、嫌だと言うかもしれない」


「それも答えだ」


「嫌だという答えだけで、全部を落とすんですか」


「全部とは何だ」


 リラの口が止まる。


 セラの舞台。


 仲間の仕事。


 アルドの裁量枠。


 自分が、ここまで作ってきたもの。


 どれを指して全部と言ったのか、自分でも分からなかった。


「通すために歌手を削れば、審査へ通るころには、誰の歌か分からなくなる」


「落ちたら、歌う場所そのものがなくなる」


「そうだ」


「なら、どうすればいいんですか」


「私にも、全部は分からん」


 アルドは杖を持ち上げた。


「だからこそ、分からないものを勝手に決めるな」


 それ以上は言わず、客席を離れた。


 リラは少し腹を立てた。


 分からないと言いながら、決めなければならない部分だけを残していく。


 誰かが決めなければ、何も進まない。


 時間は減っている。


 数字は裏切らない。


 少なくとも、同じ数字を見れば、全員が同じ場所から話せる。


 机の上で、光粒子がアンケート用紙をなぞった。


 七割を越えた項目は上へ。


 下回った項目は、赤い紙の上へ。


 歌の景色を作るために覚えた光が、人の反応を分類していく。


 一枚。


 二枚。


 三枚。


 光は正確に動いた。


 リラは、それを美しいと思った。


     ◇


 百人試演の前日。


 リラは、新しい構成案をセラへ渡した。


 表紙には、審査用試案と書かれている。


 セラは一枚目を開き、すぐに手を止めた。


「歌詞の順番、変えるの?」


「最初に窓の灯を置いた方が、誰を待っている歌なのか伝わりやすい」


「誰が決めたの」


「五十人の反応から作った案」


「五十人が、私の歌を書いた?」


「そういう意味じゃない。明日だけ試す案で――」


「戻して」


 紙の端が、セラの指の中で小さく鳴った。


 破りはしない。


 机へ置くこともしない。


 最後まで読み、どこを変えようとしているのか確かめている。


「審査官に伝わらなければ、終わるんだよ」


「分かってる」


「だったら」


「分かってるから、嫌だと言ってる」


 セラは演出表を机へ置いた。


 リラとの間に、紙一枚分の距離ができる。


「あなた、いつから私の歌を、合格させるために作ってるの」


「最初から、公演許可は必要だった」


「最初は、『歌を見えるようにしたい』って言った」


「今もそう思ってる」


「見えやすくするためなら、順番も変える?」


 リラは紙を見る。


 五十人の反応から作った構成。


 七割を越えた場面だけを、分かりやすい順番へ置き直したもの。


「……順番は戻す」


 セラの目が、初めて紙から上がった。


「本当に?」


「歌詞の順番は、セラが決める」


「歌詞だけ?」


 問いの意味を、リラはすぐには理解できなかった。


「演出は、私が考える。でも、歌を変えるなら聞く」


 セラは答えなかった。


 自分の歌詞を胸元へ抱える。


「明日は歌う」


「元の順番で?」


「私の歌を歌う」


 それだけ言い、倉庫を出た。


 今度は、明日も来るとは言わなかった。


 リラは追えなかった。


 机の上には、審査用試案が残っている。


 リラは最初の窓辺を消し、歌詞の順番を元へ戻した。


 約束は守った。


 少なくとも、そのときはそう思った。


     ◇


 リラは手帳を開いた。


 百人試演。


 失敗すれば、星冠祭の枠を外される可能性がある。


 セラの歌が自由すぎることを、音楽院はすでに問題にしている。


 題名は決まった。


 代表歌詞も出した。


 歌詞の順番も、セラが選んだものへ戻した。


 それでも明日、審査官が「何を歌っているのか分からない」と判断すれば、すべて終わる。


 歌を変えずに、分かる形へしなければならない。


 リラは、セラの古い歌詞を机へ並べた。


 窓辺の灯。


 帰れない道。


 名前を呼ばなくなった人。


 書かれている言葉だけでは、観客によって違う景色が見える。


 以前なら、それでよいと思っていた。


 今は、その違いが失敗の原因に見えた。


 窓がある。


 誰もいない道がある。


 帰れない家がある。


 そこまで見せれば、審査官にも伝わる。


 リラの指先に、豆明かりが一つ浮かんだ。


 その光を見た瞬間、王立植物園の白い花を思い出す。


 暗くなると、自分で光る花。


 窓の下。


 火事のあとも残っていた花。


 ――幻影にしないで。


 セラの声が、記憶の中で聞こえた。


 リラは光を消した。


「夜灯花そのものを出す必要はない」


 誰もいない倉庫で呟く。


 花は出さない。


 焼けた家も出さない。


 セラの故郷を再現するわけではない。


 歌詞にある窓と、道と、待つ人を見せるだけ。


 記憶ではなく、歌の象徴だ。


 明日の試演だけ。


 合格すれば、もっと余白のある形へ戻せる。


 一つずつ言い換えるたび、約束の内側にいるような気がした。


 リラは演出表の裏へ、幻影の指示を描いた。


 焼けた家は描かない。


 代わりに、壁のない窓だけを置く。


 道の端には、小さな白い光。


 窓辺には、誰かが最後まで待っていたような人影。


 歌詞には直接書かれていない。


 けれど、セラから聞いた記憶を知らなければ、描けなかった景色だった。


     ◇


 夜の王立劇場。


 公演を終えたエヴレンは、舞台袖で長手袋を外していた。


 リラが差し出した紙を受け取り、描かれた窓と道を順に見る。


「ずいぶん具体的ですね」


「明日の試演で使いたいんです」


「セラさんは見ましたか」


「まだです」


 答えた瞬間、劇場の奥で舞台装置を片づける音がした。


 木材が重なり、遠くで誰かが笑う。


「歌詞の順番を変える案は、戻しました」


「これは?」


「演出です」


「質問への答えではありません」


 エヴレンは紙から顔を上げた。


 舞台上の笑顔ではない。


 紫の目が、まっすぐリラを見ている。


「これは、歌だけから見た景色ですか」


 窓。


 道。


 小さな白い光。


 歌詞にもある。


 けれど、歌詞だけではない。


 セラが、自分から預けた記憶が混じっている。


「歌にあるものを、見える形にしたつもりです」


「歌にあるものと、あなたが知っているものは、同じですか」


 リラは答えなかった。


 エヴレンはもう一度、紙を見る。


「本人が見たとき、違うと言う可能性は?」


「あります」


「それでも準備する?」


「落ちたら、次がないんです」


「準備するかどうかを聞いています」


「してください」


 リラは言った。


 声にしたあと、胸の奥が小さく痛んだ。


 けれど、明日失敗したときの方が、もっと多くの人が痛む。


「出すかどうかは、明日決めます」


 エヴレンの指先が、紙の白い光へ触れる。


 長い沈黙のあと、紙を折らずにリラへ返した。


「幻影の準備はします」


 リラが顔を上げる。


「ただし、出すかどうかを決めるのは、明日のあなたです」


「私が?」


「ええ」


 エヴレンは長手袋を片方ずつはめ直した。


「私は、頼まれた景色を作れます。けれど、それが誰のものかまで、美しく変えることはできません」


 リラは紙を胸元へ抱えた。


「分かっています」


 そう答えた。


 この夜のリラには、本当に分かっているつもりだった。


 紙の上では、セラから預かった小さな光が、歌詞から生まれた記号のように描かれていた。

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