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『歌が見えた ―弱い光魔法しか使えない私ですが、歌うと感情を隠せない天才歌姫と世界初の魔法ライブを作ります―』  作者: あらたかたかじろう


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第二幕「歌を返して」 第28話 帰れない灯

 夕方の光が、高い窓から斜めに入っていた。


 使われなかった火も、水も、幻影もない。


 舞台には、二人の影だけが長く伸びている。


「歌わない?」


 リラが尋ねる。


「今日は歌えない」


「じゃあ、話す?」


「何を」


「題名じゃなくて、歌の中にあるもの」


「それを聞いて、また全部見せるの」


 リラの指が止まった。


 セラに、夜灯花を使わないと約束した。


 今もセラは、話したものを演出へ奪われる可能性を先に見ている。


 決裂はしていない。


 けれど、信頼は一度答えを間違えれば崩れる場所へ近づいていた。


「今日は、演出を決めない」


「でも、聞く」


「うん」


「何のために?」


「セラが、自分で歌を見られるようにするため」


「私は見えてる」


「近すぎるんじゃないかな」


 セラの眉がわずかに寄る。


 リラはすぐに続けなかった。


 説得する代わりに、指先へ豆明かりを一つ灯す。


「これ、使っていい?」


「何をするの」


「セラが言ったものを、一つずつ床へ置く。形にはしない。動かすのも、消すのも、セラが決める」


「演出じゃない?」


「まだ違う」


「あとで使いたくなる」


「なると思う」


 リラは正直に答えた。


「でも、使うかどうかは別に聞く。今日は歌を外から見るためだけ」


 豆明かりが、二人の間に浮かんでいる。


 セラはすぐには答えなかった。


 光ではなく、リラの顔を見ている。


「夜灯花は置かないで」


「置かない」


「窓を出すなら、私が言ったときだけ」


「うん」


「勝手に意味を足さないで」


「分からないときは、分からないまま置く」


 セラが光へ視線を戻した。


「六つまで」


「細かい指定が出た」


「多いと、あなたが楽しくなるから」


「否定できないなあ」


 リラは豆明かりから、六つの粒をほどいた。


 床へ置かず、まず掌の上で待たせる。


「最初は?」


「窓」


「置いていい?」


「後ろ」


 リラは一粒を、セラの三歩後ろへ置いた。


 四角い形にはしない。


 窓だと知っているのは、二人だけだった。


「二つ目は?」


「道」


「どこへ続く?」


「分からない」


「じゃあ、分からないまま置く」


 窓の粒から、少し離れた床へ二粒目を置く。


 二つの間には、歩けるほどの空白が残った。


「三つ目」


「外」


「道の先?」


「道の途中かもしれない」


「動かしてもいい?」


「まだ」


 リラは三粒目を掌へ残した。


 セラは床へ置かれた二つの光を見る。


 歌詞の紙を開き、最初の一節へ目を落とした。


「窓から始まる。でも、窓の中にいる歌じゃない」


「外へ出る?」


「出たい」


「帰りたい?」


「帰りたい」


 二つの答えの間に、ほとんど時間はなかった。


 リラは三粒目を、道の途中へ置く。


「同時に?」


「人は、反対のことを同時に思う」


「演出表には書きにくいなあ」


「だから歌にした」


 セラが最初の一節を口ずさむ。


 楽団も、闇も、火もない。


 リラは窓を描かない。


 一粒をセラの後ろへ残し、道の粒だけを前へ動かす。


 進んで、止まる。


 わずかに戻る。


 セラの呼吸が変わると、粒の距離も変わった。


「今、帰ろうとした?」


 リラが尋ねる。


「違う」


「じゃあ、戻さない」


「でも、消さないで」


「ここに残す?」


「少し遠く」


 リラは光粒を一歩分だけ離した。


 セラの表情が、ほんの少し緩む。


 正しく理解されたからではない。


 間違えたあと、勝手に直さず聞いたからだった。


 歌が二番へ入る。


 セラが言葉を選ぶたび、リラは一粒ずつ置く。


 雨に濡れた靴。


 何度叩いても開かない扉。


 名前を呼ばなくなった人。


 六つ目まで使い切ると、リラは豆明かりの核へ指をかけた。


「もう少し増やしていい?」


「駄目」


「即答」


「六つまでって言った」


「そうでした」


 リラは指を離した。


 六つの粒だけでも、セラの周囲には奥行きが生まれていた。


 一粒は髪の横。


 二粒は肩の後ろ。


 一粒は足元。


 残りは、窓と道の間にある、名前のない場所へ浮いている。


 豆明かり一つ分の魔力しかない。


 遠くへは届かない。


 好きな景色を何でも作れるわけでもない。


 それでも、セラ一人の周囲なら足りた。


「これだけでも、公演になるね」


 リラが呟く。


「二人」


「歌う人と、豆を出す人」


「豆じゃなくて光粒子」


「核は豆」


「そこは否定しにくい」


 セラの口元が、ほんの少しだけ上がった。


 そのまま、次の旋律へ進む。


 六つの光は、セラから十五歩以上離れない。


 広い街も、大きな空も作れない。


 だからこそ、観客の目は歌い手の周囲から外れなかった。


 最後の部分へ入る。


 声が、また止まった。


 今度はマリエも、楽団も待っていない。


 静かな倉庫に、自分で止めた息だけが残る。


「何が足りない?」


 リラが尋ねる。


「分からない」


「題名じゃなくていい」


「分からないって言った」


「うん」


 リラはそれ以上、答えを求めなかった。


 六つの粒を、その場所に浮かせたまま待つ。


 窓。


 道。


 外。


 知らない街。


 失った声。


 呼ばれなかった名前。


 セラは、その間をゆっくり歩いた。


 一粒目の前で止まる。


「窓は壊れる」


 二粒目を見る。


「道はなくなる」


 三粒目へ近づく。


「街も変わる」


 最後の粒まで行き、振り返った。


「歌も、歌わなければ消える」


「うん」


「全部消える」


「全部は嫌?」


「嫌」


 声が、子どものように短かった。


 リラは答えを出さない。


「何が残ればいい?」


 質問だけを置いた。


 セラは六つの光を見る。


 窓ではない。


 家でもない。


 歌そのものでもない。


「聞いた人」


「その人が、何を持つ?」


「私が決めたくない」


「じゃあ、持つものは決めなくていい」


「でも、何かは残ってほしい」


 セラの指が、胸元へ触れた。


 リラは豆明かりの核を持ち上げる。


「ここに置いていい?」


「触れないで」


「触れない距離で」


 光を、セラの胸元から手のひら一つ分離して止める。


「最初は、セラが一つ持つ」


「それから?」


「聞いた人へ分ける」


「全部なくなる」


「また歌えばいい」


「簡単に言う」


「難しいことを簡単に言うの、得意だから」


「知ってる」


 セラは核へ手を伸ばした。


 触れない。


 指先で、その輪郭を確かめるように止める。


「誰かが持ってるなら、消えたとは限らない?」


「セラには見えなくても」


「その人が忘れたら?」


「もう一度、別の人へ歌う」


「ずっと?」


「歌いたい間は」


 リラは、それ以上先を決めなかった。


 セラが歌わなくなる日まで、勝手に約束することはできない。


 セラは歌詞の紙を床へ置き、最後の空白へ鉛筆を走らせた。


 急いでいない。


 一行書き、止まる。


 声に出して確かめ、違う言葉を消す。


 四行を書き終えるまで、リラは光を動かさなかった。


 ――帰れない道の向こうで。

 ――消えない灯を探してる。

 ――誰も私を待たないなら。

 ――私が誰かの灯になる。


 セラが、声にして歌う。


 最初の一行で、窓の粒が消える。


 二行目で、道の粒が遠ざかる。


 三行目で、セラの胸元にあった核が一度だけ暗くなる。


 最後の一行。


 セラが自分で、核へ指を差し入れた。


 リラはその動きを待ってから、三つの粒へ分ける。


 一つは、窓があった場所へ。


 一つは、道の先へ。


 もう一つは、客席のない暗がりへ飛ばした。


 光は小さい。


 歌が終われば、二つはすぐに消えた。


 三つ目だけが、少し遅れて暗くなる。


 誰もいない場所で、誰かが持ち帰ったように見えた。


「今の、使っていい」


 セラが言った。


「演出に?」


「うん」


「夜灯花じゃない?」


「違う。今、私が選んだ灯」


 リラはうなずいた。


 同じ窓と灯でも、預かった記憶を勝手に使うことと、セラが今ここで選んだものでは違う。


「題名」


 セラが紙を見る。


「決まった?」


「『帰れない灯』」


 リラはすぐに褒めなかった。


 言葉を口の中で一度転がす。


「帰れないのは、人?」


「灯かもしれない」


「どこへ帰れない?」


「決めない」


「うん」


「聞いた人が、違う場所を考えていい」


「いい題名だね」


「軽い」


「今、かなり考えてから言ったよ」


「顔が先に言ってた」


「顔は止められないなあ」


 セラは題名を、歌詞の一番上へ書いた。


 書いたあとも、紙を閉じなかった。


 題名の下にある歌詞を、最初から最後まで目で追う。


「閉じ込められた?」


 リラが尋ねる。


「まだ分からない」


「消す?」


「消さない」


 セラは紙を半分に畳む。


 今度の折り目は、まっすぐだった。


「戻ってこられる気はする」


     ◇


 翌朝、申請書の題名欄には、セラ自身の字で『帰れない灯』と記された。


 演目概要は、マリエが構成を百字以内へまとめ、リラとセラが一文ずつ直した。


 最後に、代表歌詞の欄だけが残る。


「一行を選ぶと、ほかの行が弱くなる気がする」


 セラが鉛筆を持ったまま言う。


「代表は、順位ではありません」


 セインが申請書の注意事項を確認する。


「広報物から演目へ入るための入口です」


「入口」


「入ったあとに、別の行を読むことは禁止されていません」


 セラがセインを見る。


「役所の説明みたい」


「役所へ出す書類なので」


「でも、昨日より分かりやすい」


「改善点として記録します」


 セインは本当に記録板へ書こうとした。


 ノアがその手を止める。


「今のは書かなくていい」


「なぜ?」


「会話だから」


「記録対象との境界が曖昧です」


 黒藍色の髪の少女と、白い制服の青年が、しばらく無言で見つめ合う。


 セラはその横で、代表歌詞の欄へ鉛筆を下ろした。


 ――私が誰かの灯になる。


 文字を書き終え、鉛筆を置く。


「決めた」


「規定内です」


 セインが数える。


「十四文字。句点を含めても問題ありません」


「最後に炎が必要な題名だな」


 ラウルが申請書をのぞき込む。


「歌詞にも灯って書いてある」


「灯は炎とは限りません」


 レティアが言った。


「水面に映した方が、遠くからも二つに見えます」


「増やすな。歌詞では一つだ」


「映っているだけで、増えてはいません」


 二人の声が少しずつ大きくなる。


 エヴレンはその横から、題名の周囲へ細い飾り線を描き足そうとした。


「申請書へ装飾は不要です」


 セインが止める。


「題名にふさわしい品格を」


「複製時に文字として誤認されます」


「あなたは余白を愛せないのですか」


「余白は記入欄です」


 ノアは申請書を一度読み、紙の端へ小さな黒い窓を描いた。


「それも装飾では?」


 セインが尋ねる。


「確認印」


「印の様式が違います」


「私の様式」


 セインが何か言い返す前に、アルドが申請書を取り上げた。


「これ以上触るな。提出できなくなる」


 全員の手が引いた。


 アルドは題名、概要、代表歌詞を順に確認する。


「これでいいか」


 セラへ尋ねた。


 全員ではなく、セラ一人に。


 セラは少し離れた場所から、自分の字を見た。


「うん」


「あとで変えたくなったら?」


「歌は変える」


「題名は」


 セラは考える。


「変えたくなったら、そのとき決める」


「ならいい」


 アルドは申請書を外套へ入れた。


 歌に名前がついた。


 完成したわけではない。


 意味が一つに決まったわけでもない。


 ただ、遠くへ行ってしまったとき、もう一度呼び戻せる場所ができた。

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