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『歌が見えた ―弱い光魔法しか使えない私ですが、歌うと感情を隠せない天才歌姫と世界初の魔法ライブを作ります―』  作者: あらたかたかじろう


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第一幕「歌が見えた」 第24話 二つの小さな空

 五番手はノアだった。


「始める前に、一つ確認」


 ノアは銀の瓶を壁際へ置き、客席後方に立った。舞台と客席、左右の避難口を見渡せる位置だった。


「怖くなった人は手を上げて。闇を薄くする」


「途中でも?」


 前列の少女が尋ねる。


「途中でも。歌より我慢を優先しないで」


 少女は真剣な顔でうなずいた。


 ノアが遮光眼鏡を下ろす。


 倉庫へ闇が広がった。


 すべてを消す闇ではない。


 床のところどころに、明るい四角だけが残る。


 水はない。


 空も映っていない。


 それでも、切り抜かれた光は、水たまりに見えた。


 セラが歌い始める。


 ノアは、歌の子どもが歩くはずの場所だけ、闇を少しずつ動かした。


 明るい四角を避けるように、暗い道が前へ伸びていく。


 姿はない。


 足音もない。


 それでも観客の中には、一人の子どもがいた。


 右へ避ける。


 少し迷う。


 次の水たまりの前で立ち止まる。


 誰も同じ姿を見ていない。


 だからこそ、それぞれが自分の中で子どもを歩かせていた。


 最後に、ノアが闇を開く。


 床には何もない。


「いなくなった」


 フィンが呟く。


「誰が?」


 セラが尋ねる。


「歩いてた子」


「どんな子?」


 フィンは答えようとして、口を閉じた。


 帽子のつばへ触れ、しばらく考える。


「分からない。でも、いた」


 ノアは得意そうな顔をしなかった。


 遮光眼鏡を額へ戻し、銀の瓶へ口をつける。


 普段より一口だけ長く飲んだ。


「顔は見えなかった」


 セラが言う。


「作ってないから」


「私の顔も、あまり見えなかった」


「邪魔だった?」


「少しだけ、見てほしかった」


 ノアの瓶が止まる。


「どこで?」


「最後。子どもがいなくなる前」


「次は、そこだけ残す」


 ノアは短く答えた。


 褒められるより、具体的な修正を渡されたときの方が、少しだけ嬉しそうだった。


     ◇


 最後はリラだった。


「光の総量は、いつもの豆明かり一つ分ですね」


 レティアが確認する。


「二十人へ均等に分けた場合、一粒あたりの明度は、通常の視認基準を下回ります」


 セインは光を渡す予定の距離を見ていた。


「変える?」


 セラが尋ねる。


 リラは舞台の前へ並んだ子どもたちを見た。


 二十人。


 全員へ分ければ、一粒ずつはほとんど消えかける明るさになる。


「変えない。それで作りたい」


「また正解を思いついた顔」


 セラが言う。


「今回は、思いついただけ。正解かどうかは、まだ分からない」


 リラは豆明かりの縁をほどいた。


 二十の光粒が浮かぶ。


 数が増えるほど、一粒ずつは淡くなった。倉庫の闇がなければ、見失ってしまうほど小さい。


 リラは一人の掌へ、一粒ずつ渡していく。


「この光は、私から十五歩より遠くへ行けません。強く光らないし、大きな形にもならない。でも、手を動かすと少しだけついてきます」


 フィンが掌を傾ける。


 光は遅れて滑り、小指の方へ寄った。


「歌の中で、水たまりがあると思った場所へ、自分で置いてみて」


「正解は?」


 少女が尋ねる。


「ありません」


「どこでもいいの?」


「セラの歌を聞いて、ここにあると思った場所」


 少女は不安そうに隣の子を見る。


 リラは答えを足さなかった。


 マリエが最初の和音を鳴らす。


 セラが歌い始めた。


 子どもたちは迷いながら、床へ光を置いた。


 丸い水たまり。


 細長い水たまり。


 道の端。


 真ん中。


 舞台の近くへ置く子もいれば、自分の足元から離せない子もいる。


 フィンは歌詞に水たまりが出た直後、すぐに光を置いた。


 隣の少女は、まだ掌へ残していた。


「そこじゃないよ」


 フィンが小声で言う。


「まだ決めてない」


「もう歌に出た」


「私には、まだない」


 二人の声が、セラの歌へ重なった。


 リラは止めようとして一歩動く。


 セラがこちらを見た。


 止めないで。


 そう言っているように見えた。


 リラは足を戻す。


 少女は次の一節まで待ってから、フィンの光より少し先へ自分の光を置いた。


「ここ」


「遠いよ」


「この子、ゆっくり歩いてるから」


 フィンは反論しかけ、自分の粒を少しだけ後ろへ下げた。


 二つの水たまりの間に、細い道ができる。


 別の子が光を高く浮かせ、鳥のように飛ばし始めた。


 それを見た三人が真似をする。


 歌ではなく、光を動かす遊びになりかける。


 笑い声が起きた。


 リラの指が動く。


 飛んでいる光を地面へ戻せばいい。


 正解へ直せる。


 だが、光を戻す前に、セラの歌が変わった。


 旋律は同じだった。


 言葉だけが、一つ変わる。


 ――踏めば消える空を、あの子と避けて歩く。


 歌詞の中で一人だった子どもが、二人になった。


 飛ばしていた光が、一つずつ止まる。


 子どもたちはセラを見た。


 セラは客席ではなく、光を譲り合っている二人を見て歌っていた。


 フィンが自分の光を少し動かす。


 少女の光へぶつからない場所へ置き直す。


 ほかの子どもたちも、隣の光を避けながら、自分の水たまりを作り始めた。


 道が増える。


 同じ場所に置かれた二つの光が、互いに譲るように左右へ分かれる。


 歌の中の子どもは、二十人になった。


 最後に、リラは豆明かりの核を天井へ上げた。


 子どもたちも、掌を持ち上げる。


 二十の光は一つへ集まらなかった。


 位置も、高さも、上げる速さも違う。


 それでも、小さな空が倉庫の中にいくつも浮かんだ。


 誰かの空を消さないように、少しずつ距離を空けながら。


 歌が終わる。


 拍手より先に、子どもたちが互いの光を見せ合った。


「私の、細長かった」


「僕のは端にあった」


「フィンが動かしたから、道ができた」


 嬉しそうな声が重なる。


 リラは笑いかけ、途中で止めた。


 観客は自分たちの光を見ている。


 歌が終わったセラを見ている者は、半分ほどしかいない。


「終演時、セラさんを見ていた子どもは九人でした」


 セインが言った。


「残り十一人は、自分か、隣の子の光を見ています」


 リラは客席をもう一度見た。


「それは、失敗ってこと?」


「記録です。評価はしていません」


「そうだった。セインは、数字だけ渡してくる人だった」


「必要であれば、成人観客の視線も集計します」


「今は大丈夫」


 リラは小さく息を吐く。


「でも、歌より遊びに夢中になった子がいたのは、本当だね」


「観客に作らせた分、歌から離れる自由まで渡した」


「失敗?」


 フィンが心配そうに見上げる。


「まだ分からない」


 リラはしゃがみ、フィンと目線を合わせた。


「フィンは、歌を聞いてた?」


「聞いてた。途中で子どもが増えた」


「光を動かす方が楽しくなかった?」


「楽しかった」


 即答だった。


「でも、歌が変わったから動かした」


 リラは少しだけ目を見開く。


「両方だった?」


「両方」


「難しい答えだなあ」


「駄目?」


「ううん。簡単にまとめられなくて、すごくいい答え」


 フィンは意味が分からないまま、満足そうにうなずいた。


     ◇


 片づけの前に、子どもたちへ一枚ずつ木札が渡された。


 一番好きだった演出の箱へ入れるための票だった。


 子どもの票は、ラウルとリラに多く集まった。


 酒場の客は、レティアとセインへ分かれた。


 幻影を最も完成された演出だと言う者もいた。


 ノアの闇が一番忘れられないと書いた者もいた。


 一つには決まらなかった。


「アルドは?」


 ラウルが最後列を見る。


 アルドは杖へ両手を重ね、空になった舞台を見ていた。


「審査員でしょう」


「講評はすると言った」


「一位は?」


「評価基準を一つに決めていない」


「逃げた」


 リラが言う。


「演出に一つの正解を持ち込んだお前が言うな」


「今日は持ち込んでません」


「最後に自分で出すつもりだっただろう」


「途中までは少しだけ」


「少しではない」


 アルドは杖の先で、舞台を一度叩いた。


 全員の声が止まる。


「自分の演出で、歌へ何を足した」


 アルドの視線が、ラウルへ向く。


「朝の勢い」


「何を奪った」


 ラウルは答えようとして、フィンが座っていた椅子を見る。


「水たまりの空」


「正確には?」


「壊れそうなものを、最初から火に変えた」


 アルドは次にレティアを見る。


「空を映しました」


「奪ったものは」


 レティアは、濡れたままの手袋を見た。


「壊れる可能性です。守りすぎました」


「エヴレン」


「街と、歩く子どもを与えました」


「奪った」


「観客が子どもの顔を考える時間を」


 エヴレンは穏やかに答えたが、いつもの完璧な微笑みはなかった。


「セイン」


「歌の中の子どもへ、次の一歩を出す時刻を示しました」


「奪った」


 セインは、光が止まった場所を見る。


「自分で止まる時間です」


 白い手袋の指が、一度だけそろえ直された。


「歌へ合わせて信号を待たせたつもりでした。それでも、次に進む時刻は私が決めていた」


「ノア」


「見えない子どもを作った」


「奪ったものは」


「セラの顔」


 ノアは銀の瓶を両手で持ったまま、セラを見る。


「最後は残す」


「そうして」


 セラが答えた。


 アルドの視線が、リラへ移る。


「私は、観客へ歌の中の場所を作ってもらいました」


「奪った」


「歌い手を見る時間」


 リラは、まだ掌へ光を残している子どもたちを見た。


「観客へ任せれば、歌の受け取り方が広がる。でも、光を動かすこと自体が楽しくなったら、セラを置いていくかもしれない」


「前にもあった失敗だな」


「はい。形が違うだけで」


 以前なら、指摘された痛みをごまかすために笑っていたかもしれない。


 今は笑わなかった。


「ただ」


 セラが口を挟む。


 歌詞の紙を開き、変えた一行へ指を置いている。


「私は、歌を変えたくなった」


「それは、リラの成功か」


 アルドが尋ねる。


「違う」


 セラは迷わなかった。


「私が変えた」


 リラもすぐにうなずく。


「うん。セラが選んだ」


 二人の間に、短い沈黙が落ちる。


 アルドは最後に、マリエを見た。


「お前は演出していない顔をしているが」


「同じ四和音を、全員へ置きました」


「何を奪った」


 マリエの指が、譜面の端へ触れる。


「違う魔法へ、同じ帰り道を押しつけました」


「途中で変えなかった」


「比較のためだと思っていました」


「歌手と同じだな」


 マリエがセラを見る。


 セラも、歌詞の紙を見ていた。


「私も、途中まで同じように歌おうとした」


 セラが言う。


「自分で決めた条件だったから」


「でも変えた」


「変えない方が、嘘になったから」


 セラは書き換えた一行を指でなぞる。


「次は、同じ歌でも同じには歌わない」


「比較条件が変わります」


 セインが言う。


「それでも記録はできます」


 マリエが答える。


「何が変わったかを含めて」


 セインはマリエの譜面へ視線を落とした。


「では、同一歌唱の比較ではなく、演出前後の変化として記録します」


「できますか」


「共通の歌詞と旋律を起点にする。声量、間、言葉の変更、視線の向きを演出ごとに併記すれば、差分は残せます」


「項目が増えます」


「必要な項目なら増やします」


 セインは淡々と答えた。


 前日までなら、条件をそろえるために歌を固定しようとしていた。


 今は、歌が変わることを前提に、記録の方を変えようとしている。


「歌だから」


 セラが言った。


「はい」


 セインは短く答えた。


「ようやく、その言葉を運用条件へ含められそうです」


 セラの口元が、ほんの少しだけ上がった。


 ラウルが両手を腰へ当てる。


「つまり、勝者はなし?」


「まだ勝ち負けの話をしていたのですか」


 レティアが呆れたように見る。


「お前も最初は水が重要だって言ってただろ」


「重要であることと、一位であることは別です」


「便利な言い換えだな」


「正確な区別です」


 二人の声が少しずつ大きくなる。


 ノアが空になった木札の箱を持ち上げ、二人の間へ置いた。


「喧嘩するなら片づけながら」


「子どもに働かせるな」


 ラウルが箱を取る。


「私は管理」


「じゃあ、俺が運ぶ」


「そっちは水で濡れてる」


「早く言え」


「見れば分かる」


 ラウルは足元を確かめ、乾いた方へ回った。


 セインは票の入った箱を、演出者別と年齢別に分けようとしていた。


「そこまで分けなくていいよ」


 リラが言う。


「票の傾向を確認するなら、子どもと成人は分けるべきです」


「今日は片づけの日です」


 ノアが箱を一つ取り上げる。


「集計は明日」


「保管位置は?」


「壁際」


「どの壁ですか」


「乾いてる壁」


 セインが周囲を見る。


 レティアの水が残った床。


 ラウルの耐火板。


 エヴレンの花びら。


 どの壁際を指しているのか、誰も説明しない。


「舞台下手の、窓から二番目でいいですか」


「そこ」


「最初から指定してください」


「聞けば教える」


 ノアは眠そうな顔のまま答えた。


 セインは箱を抱え、指定された場所へ運んでいく。


 その横で、エヴレンが幻影の花びらを一枚だけ出し、床に残った水滴の位置へ浮かべた。


「花びらは、未回収箇所の標識ですね」


 セインが言う。


「美しさを伴う清掃補助です」


「用途としては標識です」


「情緒を削らないでください」


「記録欄には、標識と書きます」


 エヴレンは一瞬だけセインを見た。


 それから、いつもより少しだけ本物に近い笑みを浮かべた。


「あなたとは長い付き合いになりそうですね」


「継続期間は、まだ決まっていません」


「そういうところです」


 リラは舞台の中央に残っていた。


 火には、空を朝へ変える力がある。


 水には、壊れそうなものを映す力がある。


 幻影には、誰かの目にしかなかった街を形にする力がある。


 雷には、違う歩幅の人たちが、同じ瞬間を選べるように待つ力がある。


 闇には、見せないことで観客の中へ人を作る力がある。


 光には、歌の中へ観客を参加させる力がある。


 どれも歌へ何かを足せる。


 同時に、何かを奪うこともできる。


 セラがリラの隣へ来た。


「何を考えてるの」


「次に魔法を足すときは、何を見せられるかだけじゃなくて、何を消すかも考えないといけないなって」


「長い」


「じゃあ短くする」


 リラは、セラが持っている歌詞の紙を見る。


「先に歌へ聞く」


「歌は答えない」


「歌ってる人に聞きます」


「最初からそうして」


「努力しています」


「遅い」


「でも、前よりは少し早くなったでしょう?」


 セラは答えず、歌詞の紙を開いた。


 一人だった子どもを、二人に変えた一行。


 その下へ、別の言葉を書き足していく。


 リラは横からのぞき込まなかった。


 紙を預けてもらえるまで、少し離れた位置で待った。


「次は別の歌?」


 書き終えてから尋ねる。


「同じ歌」


「同じには歌わない?」


「そう」


 セラは紙を半分だけリラへ向けた。


 新しく加えられた一行が見える。


 ――誰かの空を消さないように、二人で遠回りをした。


「光、置ける?」


「置ける」


 リラはすぐに指を上げかけ、途中で止めた。


「どこへ置く?」


 セラは少し考え、床へ残った二つの水滴を指した。


「まず、ここから」


 リラは豆明かりを灯した。


 一粒を右の水滴へ。


 もう一粒を左の水滴へ。


 二つの光は重ならず、互いの小さな空を残したまま、同じ方向へゆっくり動き始めた。

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