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『歌が見えた ―弱い光魔法しか使えない私ですが、歌うと感情を隠せない天才歌姫と世界初の魔法ライブを作ります―』  作者: あらたかたかじろう


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第一幕「歌が見えた」 第23話 一人ずつの歌

 白い雷が加わった翌日、旧兵站庫では、誰の魔法が最も重要かという、極めて生産性の低い議論が始まった。


「最後に一番客を沸かせるのは炎だ」


 ラウルが、まだ火も出していない手を大きく広げる。


「最後まで舞台の形を残しているのは水です」


 レティアは床の排水溝を確認したまま答えた。


「世界そのものを作っているのは幻影でしょう」


 エヴレンが長手袋の指を揺らすと、二人の間へ白い花びらが一枚だけ現れた。


「全部、闇がなければ見えない」


 客席後方からノアの眠そうな声が飛ぶ。


「開始時刻を一瞬で共有できるのは雷です」


 セインは誰かへ張り合っているというより、担当範囲を報告するように言った。


 五人の視線が、中央に集まった。


 マリエは小型鍵盤の前で、譜面へ鉛筆を走らせている。議論へ加わるつもりはないらしい。


 セラが歌詞の紙を二つに畳んだ。


 乾いた音が、やけに大きく倉庫へ響いた。


「歌がなければ、ただの魔法大会」


 全員が黙った。


 白い花びらだけが、床へ触れる前に消えた。


「それを言われると終わる」


 ラウルが広げていた腕を下ろす。


「最初から終わってた」


 ノアが顔を上げた。


「では、始め直しましょう」


 レティアは排水溝から立ち上がり、手袋についた埃を払った。


 右手と左手で留め具の形が違っている。今日も片方を見つけられなかったらしい。


「比較方法を決める必要があります」


 セインが言った。


 リラは五人の顔を順に見た。


「本当に比べてみようか」


「何を」


 今度は全員の声が、ほぼ重なった。


 マリエだけが鉛筆を止め、少し遅れて顔を上げる。


「同じ短い歌を使って、一人ずつ演出を作るの」


「誰の魔法が一番か決める?」


 ラウルの目が輝く。


「誰が一番大きいかじゃないよ。誰が一番、歌を見せられるか」


「同じことだろ」


「ラウルの中ではね」


 リラが笑うと、ラウルは不満そうに鼻を鳴らした。


 セラは畳んだ歌詞の紙を膝へ置いたまま、リラを見ている。


「私は?」


「全員へ同じ歌を歌ってもらう」


「演出に合わせて変えるの?」


「変えない方が比べやすいかなって」


「嫌」


 短い拒絶だった。


 リラの笑顔が止まる。


「同じ歌を歌うのが?」


「魔法に合わせて、私が歌を固定するのが」


 セラは畳んだ紙の角を指で押さえた。


「比べたいなら、旋律と歌詞は同じにする。でも、歌い方まで同じにはしない。そのとき見えたものが変わったら、声も変わる」


「演出ごとに歌唱が変わるなら、同一条件の比較にはなりません」


 セインが言った。


「歌は実験道具じゃない」


 セラはセインへ視線を向ける。


「同じ条件で何度も雷を落とすのとは違う」


 セインはすぐに反論しなかった。


 白い手袋の指をそろえ、セラ、リラ、マリエの順に見る。


「では、同一条件という項目を外します」


「受け入れるのか」


 ラウルが意外そうに見る。


「歌唱の決定権は、セラさんにあります」


 セインはリラへ視線を移した。


「旋律と歌詞を共通項目とし、演出によって変化した歌唱箇所も記録する。それなら比較できます」


「堅いな」


「あなたが柔らかすぎます」


 レティアが言った。


 ラウルは何か返そうとしたが、セラが歌詞の紙を開く音に遮られた。


「注文は聞かない」


 セラが全員へ告げる。


「もっと明るく。強く。寂しそうに。そういう指示には合わせない」


「演出家としては少し困るなあ」


「魔法が歌を聞いて」


 リラは一度、口を閉じた。


 それから、素直にうなずく。


「分かった。今回は、歌を魔法へ合わせない」


 マリエが譜面を開いた。


「伴奏は、始まりと終わりの四和音だけにします。私も演出ごとに変えません」


「マリエも参加する?」


「私は比較の基準です」


「一番責任が重い言い方だね」


「そう思うなら、途中で話しかけないでください」


 マリエは再び譜面へ目を落とした。


     ◇


 試演は、翌日の夕方に行われることになった。


 観客は南区の子ども二十人と、酒場の常連客十人。


 子どもを入れる以上、ラウルの炎は通常演出の四分の一以下。観客席と舞台の間には安全線を二重に引き、レティアが排水、ノアが避難路を担当する。


 全員が途中中止の権限を持つ。


 ノアは条件を書いた板を抱え、参加者を一人ずつ見た。


「勝負に夢中になって、規則を忘れた人から失格」


「俺を見ながら言うな」


「一番忘れそうだから」


「火を出す前に全部確認してる」


「火を出したあとも覚えてて」


「覚えてる」


「前に自分の技名を叫んで、消火合図を聞き逃した」


「一回だけだ」


「一回あった」


 ラウルの声が少し大きくなる。


 レティアが横から安全規則の板を取り、ラウルの目の高さへ掲げた。


「読み上げましょうか」


「読める」


「では、二行目は?」


「子どもを安全線の内側へ入れない」


「三行目」


「連続燃焼は十秒以内」


「覚えているではありませんか」


「最初からそう言ってる」


 ラウルは板を受け取り、最後まで自分で読み直した。


 ノアはそれを確認してから、甘い牛乳の入った銀の瓶へ口をつける。


 審査役として呼ばれたアルドは、最後列の椅子へ腰を下ろした。


「私は順位を決めるとは言っていないぞ」


「始める前から逃げないでください」


 リラが言う。


「講評はする。お前たちが勝手に競うのは止めん」


「つまり、審査員」


「都合のいいところだけ聞くな」


 アルドは杖を両膝の間へ置いた。


 その隣では、フィンが青い帽子を押さえながら、舞台へ期待の目を向けていた。


 課題曲は、セラが練習用に書いた短い歌になった。


 雨上がりの朝。


 道に残った水たまりへ、青い空が映っている。


 踏めば壊れてしまう小さな空を、一人の子どもが避けながら歩いていく歌だった。


 明るくも歌える。


 寂しくも歌える。


 なぜ子どもが一人なのかは、歌詞に書かれていなかった。


     ◇


 一番手は、ラウルだった。


「三分もいらない。一分で勝つ」


「歌は一分半あります」


 マリエが譜面から顔を上げる。


「最後まで聞いて」


 セラも言った。


「聞く。炎を出すのが一分で足りるって話だ」


 ラウルは安全線の外へ立ち、両手の指を開いた。


 床へ青い炎が一つずつ灯る。


 丸い炎。


 細長い炎。


 重なった二つの炎。


 熱は客席まで届かない。炎の上端だけが、水面のように細かく揺れていた。


 セラが歌い始める。


 子どもが歌の中で一歩進むたび、足元の青い炎が鳥へ変わった。


 踏まれる寸前に羽を広げ、逃げる。


 一羽。


 二羽。


 空へ逃げた火の鳥が、最後に一つへ集まる。


 巨大な朝日が倉庫の奥へ昇った。


 子どもたちの歓声が上がる。


「鳥、もう一回!」


「最後、すごかった!」


 ラウルは胸を張った。


 炎を消したあとも、客席の顔を満足そうに見回している。


 その中で、フィンだけが首を傾げていた。


「どうした」


 ラウルが自分から尋ねる。


「水たまりに、空がなかった」


 ラウルの笑顔が止まる。


 フィンは責めるつもりもなく、舞台の床を見ていた。


「鳥が逃げるのはすごかった。でも、踏んだら消える空は、どこにあったの?」


 倉庫に残っていた熱が、少しずつ天井へ昇っていく。


 ラウルは消えた炎の跡へ視線を落とした。


「俺が、全部燃やした」


「火だった」


「そうだな」


 ラウルは膝へ手をつき、フィンと目の高さを合わせる。


「次は、空が消えるまで待ってみる」


「鳥も出す?」


「それは出す」


 返事だけは早かった。


     ◇


 二番手はレティアだった。


 舞台の床へ、薄い水が広がる。


 水は溝を避け、石の凹凸へ逆らわず、自然にできた水たまりの形へ収まっていく。


 レティアが指を一度動かすと、天井の青い幻灯が水面へ映った。


 一滴の揺れもない。


 倉庫の天井よりも深い空が、足元にあるように見えた。


 セラの歌が進む。


 前列の子どもたちは、客席に座っているにもかかわらず、足を引いて水たまりを避けた。


「本当に空が下にある」


 フィンの隣にいた少女が、小さく呟く。


 最後の一節で、レティアは水を一滴も散らさず持ち上げた。


 水たまりは薄い膜となり、映していた空ごと天井へ昇っていく。


 床には濡れた跡さえ残らなかった。


 酒場の男が感心したように息を吐く。


「きれいだった」


 レティアが小さく顎を引いた。


「ただ、きれいすぎたな」


 続いた言葉に、顔を上げる。


「踏んでも壊れそうに見えなかった。あれなら、子どもが避けなくても平気そうだ」


 レティアは何も答えなかった。


 水の消えた床へ近づき、しゃがむ。


 手袋をした指を石畳へ触れさせると、残っていた一滴だけが小さく震えた。


「壊れないように制御しました」


「安全だから?」


 リラが尋ねる。


「それもあります」


 レティアの声は、いつもより少し遅かった。


「ですが、私自身が形を崩したくなかったのでしょう」


 水滴が指先へ上がる。


 完璧な球になりかけたところで、レティアは制御を緩めた。


 水は形を失い、手袋の甲へ広がった。


 白い布へ小さな染みが残る。


 レティアはすぐに拭かなかった。


     ◇


 三番手はエヴレンだった。


「歌の中にあるものを、正確に見せましょう」


 エヴレンが長手袋の指を鳴らす。


 旧兵站庫の壁が消えた。


 雨上がりの街。


 石造りの家。


 濡れた屋根。


 雲の切れ間から差す朝の光。


 道の中央には、歌と同じ年頃の子どもが一人立っていた。


 幻影の子どもは水たまりへ近づき、そこに映る空を見下ろす。踏まないよう右へ避け、次の水たまりでは左へ曲がる。


 何を見ているか。


 どこへ行こうとしているか。


 その顔に浮かぶ寂しさまで、すべて見えた。


「分かりやすい!」


「子ども、かわいい」


 観客から声が上がる。


 エヴレンは微笑みを崩さず、セラへ視線を向けた。


 セラは歌い終えたあとも、幻影の子どもを見ていた。


「どうでしたか」


「歌を聞かなくても、全部見える」


「幻影の完成度への称賛ですね」


「歌の対決」


 エヴレンの微笑みが、ほんの少しだけ薄くなる。


 幻影の街はまだ残っている。


 子どもも、決められた道の上へ立っている。


「あなたには、この子が見えたのですか」


「違う」


「では、何が」


「顔は見えなかった」


 セラは幻影の子どもへ近づいた。


「寂しいかどうかも、私は決めてない。ただ、踏みたくなかっただけ」


 エヴレンは、作り上げた顔を見た。


 整った目。


 わずかに下がった口元。


 誰が見ても、意味を間違えない表情だった。


「私は、観客が迷わないようにした」


「歌の子は、迷ってたかもしれない」


 エヴレンはしばらく答えなかった。


 やがて指を動かす。


 幻影の子どもの顔だけが、朝の光へ溶けた。


 身体の輪郭は残っている。


 どんな表情で歩いているかは、もう分からない。


「次は、ここから始めましょう」


 独り言に近い声だった。


     ◇


 四番手はセインだった。


 舞台上空には、放電経路を限定する細い導電柱が立てられている。


 セインは舞台中央へ立つと、懐中時計を開いた。


「説明時間は、持ち時間に含まれますか」


「含めないよ」


 リラが答える。


「では、二十秒ください」


「二十秒で足りるの?」


「必要事項は四点です」


 セインは観客席へ向き直った。


「雷の出力は、本番想定の十分の一以下。大きな雷鳴はありません。怖くなった場合は手を上げてください。私が停止します」


 そこで懐中時計を見る。


「十三秒です」


「残り七秒は?」


 フィンが尋ねる。


「質問時間です」


「今ので一個使った?」


「質問数ではなく、時間です」


 前列の子どもたちが顔を見合わせた。


 怖がっていた何人かも、少しだけ母親の袖から手を離している。


「始めます」


 セインは時計を閉じた。


 マリエが最初の和音を置く。


 セラが歌い始めた。


 床へ白い光が一つ灯る。


 線ではない。


 歌の中の子どもが足を下ろす、その半拍前だけ、次の一歩を置ける場所が短く光った。


 一歩。


 消える。


 次の一歩。


 また消える。


 白い信号は、子どもの前を進みすぎない。歌が続く間だけ、同じ間隔で床へ現れた。


 セラが水たまりの前で、言葉を少し長く伸ばす。


 次の光は予定していた時刻に出なかった。


 セインの指が止まっている。


 歌が進むまで、待っていた。


 セラが次の言葉を選ぶ。


 白い光が、半拍先へ灯る。


 その後も、歌が速くなれば間隔を縮め、声が迷えば同じ場所に留まった。


 子どもを決められた時刻へ進ませる信号ではない。


 どの歩幅を選んでも、次の一歩を置くまで先へ行かない光になっていた。


 最後に、点々と続いていた白い光が一つの円へ集まる。


 天井へ、小さな空の輪郭が描かれた。


 歓声は起きなかった。


 子どもたちは、光が消えた道を黙って見ている。


「この光、歩いてる子を置いていかなかった」


 フィンが言った。


 セインの青い目が、わずかに動く。


「歩行の時刻を示す信号です」


「でも、子どもが止まったら、光も止まった」


「歌唱の進行に合わせ、信号間隔を変更しました」


「待ってたんでしょう?」


 フィンは、何が違うのか分からない顔で尋ねた。


 セインは答えず、先ほど光が止まった場所を見る。


「雷信隊では、人を合図へ合わせます」


 やがて、ゆっくりと言った。


「決められた時刻に避難させ、決められた時刻に救助班を進める」


「今日は?」


 セラが尋ねる。


「合図の方を、歌へ合わせました」


「それを待ったって言う」


 セラの声は淡々としていた。


 セインは白い手袋の指先を見る。


「通常とは、順序が逆です」


「歌だから」


 セインの口元に、教わった三種類のどれでもない小さな笑みが浮かんだ。


「その説明で処理してよいのか、まだ判断できません」


「慣れて」

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