第一幕「歌が見えた」 第14話 面倒な天才たち
四人の練習は、二人だった頃より三倍うるさくなった。
人数は二倍しか増えていないのに、意見の数だけはそれ以上だった。
「闇を開くのが遅い」
「火が早い」
「歌が毎回変わる」
「リラの合図が分かりにくい」
三方向から続けざまに言われ、リラは床へ広げていた進行表から顔を上げた。
ノアは客席後方の壁際から、ラウルは舞台袖から、セラは歌う位置から、それぞれ当然のようにリラを見ている。
「待って。今の反省会、私以外にも問題があったはずなのに、最後は全部私へ集まってない?」
「合図を出すのはリラ」
ノアが指摘する。
「全体を決めているのもお前だ」
ラウルも腕を組んだ。
セラは少し考え、最後に付け加えた。
「あと、説明が長い」
「そこまで言われると、みんなの意見がよくまとまってることに感動しそう。練習の成果が最初に出たのが、私への苦情なのは複雑だけど」
リラが進行表へ書き込みを始めると、ノアはもう次の試演位置へ移っていた。
ラウルは不満そうに鼻を鳴らし、セラは歌詞の紙へ視線を戻す。
誰も謝らなかった。
それでもリラは、少し楽しそうだった。
ばらばらだった三人が、少なくとも同じ失敗について言い争うようになった。それだけでも、昨日よりは一つの舞台に近づいている気がした。
セラは、そんなふうに笑うリラを見るたび、なぜか少しだけ腹が立った。
自分でも理由は分からなかった。
ラウルは炎へ名前をつけた。
試演の最中、両腕を大きく広げ、炎を立ち上げながら声を張る。
「終焉を告げる金獅子――」
「長い、長い。まだ名前を言ってる途中なのに、歌が次へ進んでる」
リラが両手を振って止めると、獅子の頭だけが中途半端に現れ、寂しそうに空中で揺れた。
「これは技の威厳を高めるために必要な名だ」
「でも私が合図するとき、その全部を叫んでたら間に合わないよ。『終焉を告げる』あたりで、セラが次の歌詞へ行っちゃう」
「なら、もっと早く呼べ」
「歌より先に終焉を告げないで。縁起が悪いから」
リラは進行表の端へ、迷わず「獅子」と書いた。
それを覗き込んだラウルの眉が上がる。
「俺が魂を削って考えた名前を、二文字にするな」
「じゃあ譲歩して『金獅子』。これ以上長くすると、本番では名前じゃなくて番号で呼ぶことになるよ」
「番号?」
「炎一号、炎二号、すごく大きい炎三号」
「金獅子でいい」
「最初からそう言ってくれれば、魂を削らずに済んだのに」
ラウルは反論の代わりに炎を消した。
最後まで形になれなかった獅子の耳だけが、火花となって床へ落ちる。
ノアは十二歳とは思えない精度で闇を操った。
歌声だけを残して舞台の境界を消し、次の瞬間には、セラの横顔だけを暗闇から浮かび上がらせる。
けれど休憩の鐘が鳴ると、作業台まで歩き、甘い牛乳を半分飲んだところで突っ伏した。
細い腕に顔を埋め、そのまま動かなくなる。
セラは眠ったノアをしばらく見ていた。
やがて何も言わず、自分の外套を脱いで、その小さな背中へ掛ける。
向かい側で古い留め具を整理していたリラが、手を止めた。
「何」
セラは外套の端を整えながら尋ねた。
「まだ何も言ってないよ」
「言いそうな顔をしてる」
「セラって、優しいんだなと思って。最初に会った頃は、人が道端で倒れてても『邪魔』って避けそうだったから」
「風邪を引かれたら練習が止まる」
「なるほど。徹底的に合理的な親切なんだ」
「そう」
セラはリラから顔を背けた。
その直後、外套の下から小さな声が聞こえる。
「セラの外套、あったかい」
セラの肩がわずかに固まった。
「起きてたの」
「今、起きた」
「じゃあ寝てて」
「リラ、うるさい」
「私、何も言ってないよ。今回ばかりは本当に」
「顔がうるさい」
ノアは外套の襟を鼻先まで引き上げた。
リラは口元を手で隠したが、笑っていることまでは隠せなかった。
ラウルは、いつの間にか誰より早く倉庫へ来るようになった。
本人へ理由を聞くと、決まって、
「最大火力を出すには準備がいる」
と答えた。
だが、彼が朝一番にしているのは、炎の練習ではなかった。
床へ耐火剤を塗り直し、壁際の砂袋を同じ向きへそろえ、倉庫の中央から避難口までを何度も歩いている。古い耐火板を一枚ずつ持ち上げ、縁のひびや焦げの深さを指で確かめていた。
「派手な人ほど、安全確認は細かいんだね」
リラが背後から声をかけると、ラウルは耐火板の留め具を確かめたまま振り向かなかった。
「派手だからだ」
「逆じゃなくて?」
「小さな火なら、消せば終わる。俺の火が一度事故を起こせば、工房も客も、次から炎を舞台へ上げたがらなくなる」
耐火板を裏返し、裏側まで亀裂が通っていないことを確かめる。
「最後まで見せるために、事故になるものは最初に潰す。それだけだ」
リラは少し黙ってから、進行表の裏へ今の言葉を書き始めた。
筆先が紙を走る音に、ラウルが眉を寄せる。
「何を書いている」
「今の台詞。格好よかったから、宣伝文に使えるかなって」
「使うな。地味だ」
「そこがいいんだよ。炎はあんなに派手なのに、本人は朝から砂袋を整えてる。意外な一面として人気が出そう」
「勝手に売り出すな」
「『燃える男ラウル、誰より冷静に安全を守る』とか」
「燃やすぞ」
「避難路は右だね。ラウルが毎朝測ってくれてるから、目を閉じても逃げられそう」
ラウルは声を上げかけ、結局、足元の砂袋を蹴る代わりに、少しだけ曲がっていた向きを手で直した。
仲間が増れるにつれ、リラの仕事は、自分の魔法を出すことから、三人の望みを一つの舞台へ収めることへ変わっていった。
ラウルは、炎が最も大きく見える場所を欲しがる。
ノアは、その直前に深い闇を置かなければ炎が浮かばないと譲らない。
セラは、二人の演出へ合わせるために歌を固定するつもりはなかった。
「この言葉の前で、炎を出したい」
ラウルが歌詞の一行を指す。
「そこは昨日と同じ言葉でも、同じ歌い方になるとは限らない」
セラが紙を引き戻す。
「じゃあ、いつ出せばいい」
「聞けば分かる」
「分からないから聞いている!」
声が倉庫へ響く。
少し離れた場所で、ノアが床へ白墨の線を引きながら呟いた。
「二人とも、声が大きい」
「ノアも何か言ってあげて。私一人で間へ入ると、両側から焼かれそう」
「闇で消す?」
「喧嘩してる人を暗闇へ入れるのは、解決じゃなくて事件になりそうだからやめよう」
リラは三人の言葉を聞き、床へ線を引き、試しては消した。
成功したところには印を残す。
失敗したところには、その理由を書く。
分からないところには、無理に答えを置かず、空白のまま囲みをつけた。
何度やり直しても、リラは笑っていた。
「疲れないの」
夜になってから、セラが尋ねた。
ラウルとノアが帰ったあとの倉庫で、リラは一人、消えかけた床の印を塗り直していた。
膝をついたまま白墨を動かし、昨日の線の横へ、新しい線を足していく。
「疲れてるよ。肩も痛いし、今日は三回くらいラウルに怒鳴られたし、ノアには合図が遅いって七回言われた」
「見えない」
「見せ方が上手だから」
「自分にも演出するんだ」
白墨の先が、床の上で止まった。
倉庫の奥から、水滴の落ちる音が一度だけ響く。
リラは止まった手をそのままにして、少しだけ顔を上げた。
「セラ、最近ずいぶん鋭くなったね。最初は私が何を言っても、面倒そうな顔しかしてなかったのに」
「あなたが人を見るから」
セラは壁から離れ、リラの隣まで歩いた。
「見られた分くらいは、見返してる」
「どう? 私を観察するの、面白い?」
「疲れる」
「それはお互いさまだね」
セラは隣へしゃがみ、箱から白墨を一本取った。
リラの線と床を見比べる。
「どこを引くの」
「セラが歌う場所。昨日の位置だと、声の返りが少し遅かったでしょう」
「半歩前」
「やっぱり?」
「昨日、そこで歌ったときだけ、自分の声が後ろから追いかけてきた」
セラは白墨の先を床へつける。
リラが少し横へずれ、場所を空けた。
「音楽は分からないって言ってなかった?」
「音符は分からないよ。でも、声が返ってきたとき、セラがすごく嫌そうな顔をしたから」
「顔には出してない」
「歌ってないときは隠せてるつもりなんだ」
セラは返事をせず、床へ線を引いた。
白い線は途中から少し右へ曲がった。
リラが首を傾ける。
「下手だね」
「歌手だから」
「歌が上手いと、線が曲がる決まりでもあるの?」
「何でも歌のせいにすると便利」
「それ、今度から私も使おうかな。合図が遅れたのは演出家だから。朝寝坊したのは演出家だから」
「便利に使いすぎ」
二人で床へ線を引いた。
リラの線はまっすぐで、セラの線は少しずつ曲がる。
何度も交差し、離れ、また同じ場所へ戻ってきた。
「ねえ、セラ」
「何」
「星冠祭が終わったあと、何をしたい?」
白墨が、セラの指の中で折れた。
乾いた音が床へ落ちる。
セラは折れた先端を拾わず、しばらく指に残った白い粉を見ていた。
「別に」
「今の『別に』、今までで一番大きかったね」
「大きさを測らないで」
「音楽院へ戻りたい?」
「戻らない」
「じゃあ、歌手になりたい?」
セラは折れた白墨を拾い、二つとも箱へ戻した。
きれいに並べようとして、片方だけ少しずれる。
「公演許可が取れれば、酒場以外でも歌える」
「うん」
「それだけ」
セラは箱の蓋を閉めようとした。
けれど、リラの白墨がまだ残っていることに気づき、手を止める。
「一回、ちゃんと歌えれば十分」
「嘘」
リラは軽い調子のまま言った。
けれど、手元の線からは目を離していた。
セラがゆっくり振り向く。
「何が分かるの」
「分からないよ。音楽院に戻りたいのか、もっと大きな舞台へ立ちたいのか、それとも全然違うことを考えてるのか」
リラは白墨についた粉を親指で払った。
「でも、歌ってるときは感情を隠せないのに、話すとすぐごまかすよね」
「ごまかしてない」
「その返事も、ちょっと怪しい」
セラの眉が寄る。
リラはそれ以上追い詰める代わりに、床へ視線を戻した。
「だから、今答えてくれなくていい。分からないなら、歌を聞く。セラが自分で言えるようになるまで、勝手に答えを決めないで待つよ」
白墨が床を擦る。
今度の線は、セラが引いた曲線の隣を通り、離れないまま奥へ伸びた。
セラは何も返せなかった。
帰り道、リラの豆明かりが二人の足元を照らした。
「暗くない」
セラは言った。
「知ってる。でも、石が出っ張ってるから。歌姫が本番前に転んだら、ラウルが私を燃やすでしょう」
「消しても歩ける」
「うん」
リラは豆明かりを消さなかった。
セラも、消してとは言わなかった。
その翌日、アルドが練習を見に来た。
倉庫の入口近くで腕を組み、試演が始まってから終わるまで、一度も口を開かなかった。
リラが合図を出す。
ノアの闇が舞台を閉じ、セラの歌がその中から立ち上がる。
最後にラウルの金獅子が闇を食い破り、天井近くで炎の鬣を広げた。
火が消える。
余韻の中で、誰もすぐには動かなかった。
最初に沈黙を破ったのはラウルだった。
「どうだ。最後の炎なら、王城前でも通用する」
額には汗が浮かんでいたが、胸は大きく張られている。
アルドは炎の消えた天井ではなく、セラが立っている場所を見ていた。
「歌手を食っている」
「火が歌手を食うわけないだろう」
「客の記憶の中でだ」
ラウルの胸が、わずかに下がった。
何か言い返そうとしたが、先ほどの炎を思い返したのか、口を閉ざす。
アルドは次に、客席側面後方のノアへ目を向けた。
「闇が深すぎる。後方の客や老人は、不安の方が先に立つ」
「老人は、あなたで試した」
「私は仕事柄、暗闇に慣れている」
「じゃあ、老人役が足りない」
ノアは真顔で記録帳へ書き込んだ。
その筆先を見て、アルドの口元がわずかに動く。
「勝手に私を基準から外すな」
「特殊な老人」
「もういい」
アルドは二人のいる舞台から離れ、客席として使っている倉庫の中央へ歩いた。
床へ残った白墨の線をまたぎ、ラウルの炎が照らしていた壁と、ノアの闇が落ちていた天井を順に見る。
「今の演出は、すべて舞台の上で終わっている」
アルドは客席の後方から、セラの立つ場所を見た。
「後ろの客には、歌手も豆明かりも遠い。だからといって、炎を頭上へ増やせば、また歌手から目を奪う」
「じゃあ、水は何に使うんですか」
「光を映すためではない。光を空気へ残すためだ」
「空気へ?」
「細かな水滴なら、お前の粒子を受け止められる。歌手の周囲で生まれた小さな光を、形を変えずに客席の近くまで運べる」
リラは指先に豆明かりを灯した。
「舞台を大きくするんじゃなくて、舞台と客席の間をなくす」
「そうだ。客へ別の見世物を与えるな。歌手を見たまま、歌の内側にいると思わせろ」
「水術師に、心当たりはありますか」
「ある」
アルドは入口へ戻りながら答えた。
「ただし、紹介はしない」
「住所だけ?」
アルドが足を止める。
振り返った顔には、呆れと、ほんのわずかな満足が混じっていた。
「学んだな」
「断られた理由を、自分で聞いてきます」
「今回は、断る理由の方が多い女だ」
「先に聞くと怖くなるので、住所だけください」
アルドは外套の内側から紙片を取り出した。
どうやら、最初から渡すつもりだったらしい。




