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第9話 命令より先に名前を呼べ

 刃が振り下ろされる。


 コハクの剣は速かった。ためらいを殺した動きだ。まともに受ければ、灯真の肩から胸まで一直線に断たれていた。


 だが灯真は逃げなかった。

 半歩だけ踏み込み、斬撃の内側へ潜る。


「灯真様!?」

 かぐらの叫びが響く。


 ぎいん、と火花が散った。刃の軌道を逸らしたのは、灯真がとっさに差し込んだ短剣だった。骨まで痺れる衝撃。手首が千切れそうになる。


「くっ……!」


 重い。真っ向勝負で勝てる相手じゃない。コハクは近衛機だ。出力も反応も、人間の枠から半歩外にいる。


 それでも灯真は目を逸らさなかった。


 目の前のコハクは、ただの敵じゃない。痛みを分けて、勝手に壊れようとして、でも最後にはちゃんと抗っていた相手だ。ここで斬られる側に回していい相手じゃない。


「シグレ! この部屋、命令波の発信源わかるか!」

「中央卓の上! 天井の中継環から降りてる!」


 見上げると、禁書庫の天蓋に桃色の輪が浮かんでいた。小さな結晶片が回転し、コハクの首筋と同じ波形を打っている。遠隔上書きのアンテナだ。


「壊せばいいのか!」

「壊すだけじゃ多分だめ! 一回食らった命令は機体側に焼き付いてる!」


 つまり外から線を切っても、内部の命令文が残る。

 なら、やることは一つだ。


 最短で中へ入って、バグった命令を止める。


「またやる気!?」

 シグレが目を剥く。

「お前、さっき記録見ただろ! 一号勇者は六七で終わってる!」

「見たからやるんだよ!」


 灯真はコハクの次撃を身体を捻って避ける。頬をかすめた銀刃が、後ろの書架を半ばまで裂いた。紙片が雪みたいに舞う。


「ここでこいつを切り捨てたら、次も同じことされる! 仕様がクソなら直すしかない!」


 コハクの剣先が再び迫る。その一瞬、灯真は彼女の名を呼んだ。


「コハク!」


 ほんの、紙一枚ぶんだけ、剣速が落ちた。


 名前は効く。

 機体番号じゃない、命令文でもない、“お前”を指す呼び方は、まだ内側に届く。


「《黍団子認証》、負荷同期を最大へ!」


 灯真は自分で接続線へ意識を叩きつけた。次の瞬間、頭蓋の奥へ焼けるような痛みが流れ込む。コハクが受けていた上書きの苦痛が、そのまま半分こちらへ移ってきたのだ。


「がっ……!」


 視界が揺れる。

 鼻の奥に鉄の匂いが広がる。足元へ赤い滴が落ちた。鼻血だ。


「灯真様、やめてください!」

 かぐらの声が遠い。


 でも、やめない。

 苦痛を独占させない。壊れるなら片方だけじゃなく、二人で踏みとどまる。


「コハク、お前さ……」

 灯真は歯を食いしばりながら言う。

「優先順位の言い換えで、自分を消すな」


 コハクの瞳が揺れた。

 命令波の奥で、わずかに黒が戻る。


《拘束せよ》

《排除せよ》

《勇者を――》


 命令文の残響が、接続越しに灯真へ流れ込む。ならその逆も通る。


「聞け。お前は近衛機かもしれない。でもそれだけじゃない」


 コハクの剣を短剣で受け、肩で押し返しながら、灯真は叫ぶ。


「お前はコハクだ。俺がそう呼んだ。だから命令文より先に、そっちを選べ!」


 次の瞬間、灯真は《一寸界侵》を発動した。


 飛び込んだ先は鬼の内部でも機械蜘蛛の中でもない。コハクの首筋から背骨へ流れる、細く鋭い制御路の世界だった。


 白と黒の線が交差する迷路。そこで桃色の命令文が蛇みたいにのたうち、各節点へ噛みついている。


《勇者拘束》

《巫女姫隔離》

《整備士排除》


「ほんと、性格悪いコード書くな……!」


 灯真は走る。命令線は防御のため何重にも偽装されていたが、パターン自体は同じだ。優先順位を最上位に固定し、例外処理を殺している。現場を知らないやつが、机上で作った最悪の運用命令。


 見つけた。


 中枢節点に食い込んだ、赤い楔のような命令核。

 その周囲で、別の細い光が何本も抵抗していた。コハク本人の判断系だ。


「一人で耐えるなって言ったろ」


 灯真は命令核へ短剣を突き立てる。反発が凄まじい。桃色の火花が全身を焼き、今度はコハク側の痛みだけじゃない、命令を書いた誰かの冷たさまで流れ込んできた。


 効率。秩序。従順。

 その三語だけで人を並べ替える思考。


 吐き気がした。


「それ、運用で誤魔化してるだけだろ!」


 叫ぶと同時に、楔へ亀裂が走る。

 さらにもう一撃。

 命令核が砕けた。


     *


 現実へ戻った灯真は、その場で膝をついた。喉が焼ける。視界が赤い。


 だが目の前で、コハクの剣先が止まっていた。


 かちり、と小さな音がする。

 彼女の指から力が抜け、剣が床へ落ちた。


「……こ、はく?」

 かぐらが恐る恐る呼ぶ。


 コハクは数秒、何も言わなかった。

 やがてゆっくり顔を上げ、灯真を見る。


「……標準運用外の解決を確認」


 声が戻っていた。

 平板なのに、確かに彼女自身の声だった。


 灯真はその場で笑いそうになった。笑う体力も残っていなかったが。


「お前な……まず礼を言え」

「了解しました」

 コハクは一礼する。

「助けていただき、ありがとうございます」

「律儀か」


 シグレが肩を落として壁にもたれた。

「寿命縮んだ……」

「台所の桃饅頭、今日は二個食っていいぞ」

「安い報酬で済まそうとしてない?」


 ほんの一瞬だけ、禁書庫の空気が緩む。

 だがすぐに、かぐらが中央卓の赤系列記録を強く握り締めた。


「もう戻れませんね」


 その言葉に、誰も否定しなかった。


 王都は真実を隠し、清嵐はコハクを上書きし、そしてアキラは鬼にされた。

 ここまで知って、何も知らない顔で謁見へ行けるわけがない。


「なら決まりだ」と灯真は言う。

「逃げるんじゃない。こっちから調べに行く。鬼ヶ島でも王都の底でも、黒い根っこまで」


 かぐらは一度だけ目を閉じ、それから静かに顔を上げた。


「巫女姫としてではなく、月代かぐらとして同行します」


 宣言だった。

 国ではなく、真実を選ぶ宣言。


 その瞬間、禁書庫の外から重い鐘が三度鳴った。尋常ではない速さで、連続して。


 コハクの表情が強張る。

「城門封鎖音です」

「まじかよ」


 シグレが顔をしかめた。

「もうバレた。しかもただの捜索じゃない。反逆者扱いの手順だ」


 かぐらは数秒だけ黙り込み、それから赤系列の記録を胸へ抱えた。指先の震えはまだ消えていない。けれど目だけは、さっきまでよりずっと強かった。


「私、ずっと巫女姫として“正しくあること”ばかり考えてきました」

 かぐらが言う。

「でも正しさの名札を付けたまま、妹を見捨てていたのなら……そんなもの、守る価値はありません」


 灯真は頷いた。

「なら今からやるのは、綺麗な言い訳探しじゃない。取り返しだ」

「はい」


 コハクは落とした剣を拾い直し、静かに鞘へ納める。

「灯真。私は依然として王都規格の近衛機です。再上書きの可能性があります」

「それでも連れてく」

「合理性に欠けます」

「合理性だけで切るなら、最初から助けてない」


 わずかな沈黙のあと、コハクは小さく息を吐いた。

「……了解しました」


 天井の通気窓から、赤い光が差し込んでくる。外壁へ投影された告知光だ。


《桃勇者百瀬灯真、巫女姫月代かぐら、整備士シグレを拘束対象に指定》


 そして最後の一行が、全員の背筋を凍らせた。


《王都追撃機〈白猟犬〉、起動》

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