第10話 白猟犬と雉の羽音
禁書庫から地上へ戻る最短経路は、もう使えなかった。
外では追撃機〈白猟犬〉が起動し、城門は封鎖。正面階段へ出た瞬間に囲まれる。だからシグレが案内したのは、人間が通るための道ではなく、古い搬送軌条の保守路だった。
「本当にこっちで合ってるのか」
灯真が暗い通路を覗き込む。
「合ってる。たぶん」
「たぶん言うな」
「正確には“前に桃饅頭を隠したことがあるから途中までは確実”」
「情報の信頼度が終わってる」
それでも他に選択肢はない。
四人は細い整備梯子を下り、地下搬送路へ降りた。通路の両脇には錆びたレールが走り、天井では古い送風羽根が低く唸っている。ところどころに結晶灯が埋まっているが、半分は死んでいて、薄闇がまだらに残っていた。
コハクが先頭、灯真とかぐらが中央、シグレが最後尾。さっき命令上書きを受けたばかりのコハクに先頭を任せるのは普通なら危険だ。だが灯真はあえてそうした。
信じたからだ。
疑いながら頼るのは、一番中途半端で失礼だ。
「左前方、金属反応」
コハクが囁く。
「速いです。四、いえ六」
直後、通路の奥で白い光点がいくつも灯った。
犬だ。
ただし生き物じゃない。白磁みたいに滑らかな装甲をまとった四脚機。細い脚でレール脇の壁を蹴り、無音に近い速さで迫ってくる。頭部には紅い単眼、口元には拘束用の鎖爪。美しくて、ひどく性格の悪い設計だった。
「白猟犬……!」
かぐらが息を呑む。
「名前のまんま犬じゃねえか!」
「噛まれたら笑えませんよ!」
笑っている暇はなかった。一番手前の一体が、矢みたいに突っ込んでくる。コハクが盾を開き、横から受けた。衝撃で石粉が舞う。だが二体目、三体目が壁を蹴って頭上から回り込む。
「シグレ!」
「上の二体、関節浅い!」
灯真は短剣を投げた。片方の脚関節へ刺さり、白猟犬が回転しながら落ちる。もう片方にはシグレの投げレンチが当たり、火花を散らした。
しかし数が多い。しかもこいつら、真正面から倒すより拘束に特化している。爪が腕や足へ絡みつく角度を、あまりにも正確に選んでくる。
「やっぱ王都側の機械って、やり口がいやらしいな!」
灯真は飛びかかった一体の懐へ潜り込む。
鬼相手とは違う。白猟犬は完全な機械だ。なら読むべきは感情じゃなく制御の癖。
「《一寸界侵》!」
世界が縮む。
白猟犬の内部は、青鬼列車よりさらに小型で密だった。関節ごとに局所判断核があり、中央の捕縛優先コアが全体を束ねている。厄介だが、見えれば対処はできる。
「こっちは脚から潰す!」
同期リングへ短剣を差し込み、隣の関節へ飛ぶ。一体を落とす。すぐ次の一体へ潜る。純機械相手だから汚染は薄い。だが連続使用で脳が熱を持ち、視界の端が白く明滅した。
外へ戻ると、かぐらが息を切らしながら結界札を投げていた。桃色の小障壁が白猟犬の進路を半拍だけずらす。その半拍が、コハクの盾打ちへ繋がる。
「かぐら、いい!」
灯真が叫ぶ。
「今のずらし、完璧!」
その称賛に、かぐらは驚いた顔をした。けれどすぐ、悔しさじゃなく戦う顔へ切り替わる。
「もう一枚いけます!」
序盤で足を引っ張るだけの姫じゃない。ちゃんと場を支えられる。その実感が彼女自身の背筋を伸ばした。
だが、通路のさらに奥から羽音がした。
びゅん、と空気を裂く音。次の瞬間、白い羽根刃が一体の白猟犬の首関節へ突き刺さり、そのまま機体を壁へ縫い止めた。
「は?」
全員が上を見る。
天井近くの補助梁に、細身の少女が降り立っていた。青緑の羽織。背中には折り畳み式の滑空翼。長い髪の端が鳥の尾羽みたいに分かれ、目元は涼しいのに口調だけ妙に軽い。
「遅いです。追われる側にしては足音が大きすぎます」
彼女はもう一枚、羽根刃を弾いた。二体目の白猟犬が崩れる。
「誰だ!」と灯真。
「王都伝令機・アヤメ。今は臨時で、命令無視中です」
命令無視中、という自己紹介は初めて聞いた。
アヤメはひらりと地面へ降り、かぐらへ一礼する。
「巫女姫。正式な救援ではありませんが、清嵐の追跡経路だけは上から盗み見ました。五分後にこの搬送路は封鎖されます」
「なぜ助けるのです?」
かぐらが問う。
アヤメは肩をすくめた。
「配達係は、届け先の中身を見ないのが美徳です。でも今回は見えてしまいました。王都の命令文が、あまりにも醜かったので」
その理由で十分だった。
「出口は?」
灯真が問う。
「あります。ただし途中に旧観測駅を抜けます。そこへ行けば、外周線へ出られる」
「ただし?」
「そこ、鬼からの置き土産があるそうです」
不穏しかない。
だが白猟犬の増援が来る前に動くしかなかった。五人はアヤメを先頭に走る。通路は途中で大きな縦穴へ繋がり、その壁面を螺旋状の保守路が取り巻いていた。下には真っ黒な空洞。落ちたらたぶん無事じゃ済まない。
「高所苦手なんだけど!」
「今知りました」とシグレ。
「もっと早く言ってください」とアヤメ。
軽口を叩く間にも、後方で白猟犬の遠吠えみたいな駆動音が増える。
しかも足元の古いレールが、時おり桃色に脈打っていた。王都のどこかからまだ命令波が流れ続けている証拠だ。見えない手が都市全体を使ってこちらを追ってきている――そう思うと、ただ逃げているだけなのに背骨が冷えた。
旧観測駅へ飛び込むと、そこは円形の広間だった。壊れた星見盤、止まった時刻輪、そして中央には赤い封印箱が一つ置かれている。
「これ……」
かぐらが息を呑む。
箱の蓋には、月代家の古い紋章と、鬼の爪痕みたいな裂け目が並んでいた。誰かが王都側の封印へ無理やり介入した痕跡だ。
アヤメが短く言う。
「追手、来ます」
灯真は迷わず箱へ手を伸ばした。
その瞬間、箱の内側から薄い映像が立ち上がる。ひどく乱れた記録投影だ。輪郭の崩れた男が映っていた。顔はよく見えない。だが桃色の外套と、疲れ切った声だけが妙に生々しい。
『もし月代の血を引く者か、桃の二号がここへ来たなら――時間がない。上を信じるな。祈りはもう、街を守るためだけのものじゃない』
記録はそこで途切れる。
「二号……」と灯真。
「やっぱり一号は、次が来る前提でこれを残したのか」
かぐらは映像の消えた空間を見つめたまま、小さく呟く。
「月代の血を引く者、と言いました。ならこの箱は……」
「王家に向けた警告でもあったんでしょうね」とアヤメ。
「届かなかったか、握り潰されたかは知りませんが」
シグレが鼻を鳴らす。
「たぶん後者。王都の都合が悪い警告って、昔からだいたい床下行きだし」
灯真は箱の底を探り、赤い結晶鍵を取り上げた。掌へ触れた瞬間、鍵の内部で微かな熱が脈打つ。まるで生体認証みたいに、こちらを確かめている。
「これ、ただの鍵じゃないな」
「月代家の封印と桃系列の認証が二重で刻まれています」
コハクが即座に分析する。
「巫女姫とか、桃勇者とか、そういう面倒な条件を同時に満たした時だけ開くタイプです」
「嫌な設計だけど、今の俺たち向きだ」
札には、乱れた筆致でこう刻まれていた。
《鬼ヶ島は海にない。王都の祈りの下を掘れ》
直後、観測駅の奥の壁が内側から鳴動した。
白猟犬より重い、もっと大きな何かが近づいてくる音だった。




