第11話 鬼ヶ島は王都の下にある
観測駅の壁が、内側から膨らんだ。
次の瞬間、石壁を突き破って現れたのは、白猟犬の親玉みたいな巨大機だった。四脚ではなく八脚。頭部は犬というより白い祭具の面に近く、額には桃色の単眼が三つ並んでいる。背には拘束鎖ではなく、祈祷柱を思わせる長い槍状ユニット。
「何あれ」
灯真が呟く。
アヤメが珍しく顔をしかめた。
「祭祀追撃機〈白皇狼〉。起動条件が重すぎて、普段は倉庫の伝説扱いです」
「伝説が出てくるなよ」
「私もそう思います」
白皇狼は咆哮の代わりに、低い祈祷音を鳴らした。空気そのものが重くなり、かぐらの結界札が何もしていないのに震え始める。
「拘束ではなく、浄化設定です」
コハクの声が低くなる。
「捕らえるのではなく、存在ごと消すつもりです」
清嵐、やることが早い。
「灯真様、後ろ!」
かぐらの声に振り向くと、観測駅の側壁が半開きになっていた。赤い結晶鍵に反応して、隠し通路が起きたらしい。だがそこへ辿り着く前に白皇狼を止めなければ、全員まとめて吹き飛ばされる。
「時間を作る」とコハク。
「私が前へ出ます」
「一人でやるな」
「ですが――」
「一人で抱えるなって何回言わせるんだ」
灯真が前へ出る。シグレも舌打ちしながら工具束を握り直した。
「脚の第二関節、たぶん脆い。でかい機体ほど保守の都合で弱点が雑」
「その理屈好きだわ」
アヤメは滑空翼を広げ、上空へ跳んだ。
「単眼を散らします。三秒だけ見失わせるので、その間に」
「十分!」
またその言葉を使っている、と灯真は心のどこかで思った。前の世界でも、足りない時間と足りない人員の中で、よく言った言葉だ。十分じゃないと分かっていても、そう言うしか前へ進めない時がある。
戦闘が始まる。
白皇狼の槍ユニットが床へ突き立ち、桃色の衝撃波が円状に走った。石盤が割れ、観測駅の柱が二本まとめてへし折れる。コハクが盾を全開し、かぐらとシグレを庇う。灯真は衝撃の薄い角度を見切って懐へ転がり込んだ。
速い。大きいくせに速い。
しかも機体の表面に桃色の祈祷膜があり、普通の打撃では弾かれる。
「じゃあ中から行く!」
《一寸界侵》。世界がまた縮む。
白皇狼の内部は、もはや生き物でも機械でもなく、神殿の中を走っているみたいだった。白い柱、流れる祈祷文、中央に吊られた巨大な演算核。祈りを処理しながら敵を消す、王都らしい美しい暴力装置。
だが美しいからといって、壊しにくいわけじゃない。
灯真は脚部の第二関節へ飛ぶ。シグレの言った通り、外装は厚いが、保守用の応力逃がしが甘い。そこへ短剣を差し込み、同期を切る。
一脚目が崩れ、外側で白皇狼の体勢がわずかに傾く。
「効いてる!」
しかし次の瞬間、視界へ赤いノイズが走った。
知らない声がする。
『二号へ接続』
『汚染率上昇を確認』
『お前もまた、桃だ』
頭痛が跳ね上がる。これは鬼の怒りじゃない。もっと古い、削れた記録だ。
白皇狼の深部に、桃系列の残骸が混じっている。
まさか――一号勇者の痕跡?
外へ戻ると、灯真は一瞬だけよろめいた。コハクがすぐ支える。
「どうしました」
「この中、勇者系の記録が混じってる……!」
かぐらの顔が強張る。
「それはつまり、王都の追撃機に、一号勇者の……」
「使い回しだ。最悪の」
言いながら、灯真は赤い結晶鍵を握り締めた。これもきっと同じ文脈にある。隠し通路、鬼の爪痕、王都の下。全部、一号が残した脱出口かもしれない。
アヤメが上空から叫ぶ。
「単眼、一つ潰しました! あと二つ!」
シグレが床を滑り、第二関節へ爆裂工具を仕掛ける。かぐらは震える手で札を重ね、白皇狼の祈祷膜へ干渉した。桃色の膜が一瞬だけ薄くなる。
「今です!」
灯真は三度目の《一寸界侵》を使った。
深くは潜らない。潜りすぎれば、朱羅の忠告通り、自分が誰の怒りで動いているのか分からなくなる。だから最短距離だけ。中央演算核へ触れず、脚部同期と槍ユニットの中継だけを断つ。
白皇狼が大きく傾き、最後の咆哮を上げた。
そのまま観測駅の床を砕きながら崩れ落ちる。
「走れ!」
五人は半開きの隠し通路へ飛び込んだ。直後、背後で白皇狼が爆ぜ、観測駅ごと崩落する。熱風が背を叩き、細い石段を転げるように下りる。
通路の先は、驚くほど静かだった。
地下深くの小部屋。中央に古い観測盤、壁には手描きの地図。そして奥の祭壇に、赤い外套の少女が腰掛けていた。
「遅い」
朱羅だった。
かぐらが息を呑む。コハクが半歩前へ出る。だが朱羅は戦う気配を見せない。むしろ疲れたように肩を落とし、灯真の手にある結晶鍵を見る。
「ちゃんと辿り着いたんだ」
「お前が置いたのか、あの箱」
「そう。お姉ちゃん一人だと来られないと思ったから」
かぐらの表情が揺れる。
怒りも悲しみもある。それでも目は逸らさなかった。
「アキラ……あなたは何を知っているの」
朱羅は少し黙り、壁の地図を指した。
王都の断面図だった。
城、祭祀塔、搬送路、結界柱。そして、そのさらに下に、黒く塗り潰された巨大な円環構造が描かれている。
「鬼ヶ島は海にない」
朱羅が言う。
「王都の真下にある。祈りと鬼核と、失敗した勇者を全部沈めた場所」
灯真の喉が乾いた。
「一号勇者も、そこに?」
「処分された、って書いてあったでしょ」
朱羅は笑わない。
「半分正解。半分は今も使われてる。王都を支える部品として」
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
王都の守りも、天照の優しさも、追撃機の駆動も、その底に失敗した勇者と鬼核が沈んでいる。綺麗な祈りの街の下に、全部の汚泥が溜められていた。
かぐらは地図の黒い円環へそっと指を触れた。
「……私はずっと、祈れば届くと思っていました」
その声はかすれていた。
「でも本当は、祈りの行き先そのものが歪められていたんですね」
朱羅は肩をすくめる。
「祈りって便利だよ。誰かを救いたいって願いほど、上から操作しやすい」
「だから、お前は鬼側についたのか」
灯真が問う。
朱羅は少しだけ目を細めた。
「違う。鬼側なんて綺麗なものじゃない。私は“こぼれた側”に落ちただけ」
その答えが、妙に胸へ残った。敵か味方かで切れるほど、単純な配置じゃない。王都の下に沈んでいるのは、きっとそういう人間ばかりなのだ。
アヤメが壁際の古い観測盤を叩く。
「この下層、長くは保ちません。白皇狼の崩落で追跡路も半分死んでる。移動するなら早い方がいいです」
コハクも頷いた。
「加えて、灯真の汚染率上昇が懸念されます。直近の連続界侵は安全域を超えつつあります」
灯真は舌打ちしたいのをこらえる。自分でも分かっていた。頭の奥に、知らない怒りと冷たさが薄く残っている。今はまだ区別できる。だが使うたびに、境界は確かに削れていた。
朱羅は最後に、祭壇の小さな記録筒を灯真へ放った。
「一号からの遺言。開ければ、もう戻れない」
灯真はそれを受け取り、筒の封を切る。
淡い声が流れた。掠れているのに、不思議と耳に刺さる声だった。
『二号へ。もしこれを聞いてるなら、鬼ヶ島はもう島じゃない。桃を割れ。王都の底で待ってる』
部屋の空気が止まる。
その“待ってる”が、生者の言葉なのか、遺骸の残響なのか、誰にも分からなかった。
ただ一つだけ確かなのは、次に掘り進むべき場所が海ではなく王都の真下だということだった。
敵の本丸は、最初からずっと足元にあった。




