第12話 桃を割れ
遺言の残響が消えたあともしばらく、誰も動けなかった。
王都の真下に鬼ヶ島がある。
一号勇者はそこから二号へ言葉を投げている。
そして残された手掛かりは、たった一つ――桃を割れ。
比喩とは思えなかった。
ここまで来てこの物語は、象徴だけで優雅に進むような世界じゃない。王都は祈りを設備にし、人間を部品にし、勇者すら再起動資産として扱ってきた。なら“桃”もきっと、実在する装置だ。
「心当たりは?」
灯真が訊くと、朱羅より先にかぐらが反応した。
「あります」
皆の視線が集まる。かぐらは一度だけ目を伏せ、それから観測室の片隅にある古い壁画を指さした。桃から光が溢れ、その中から剣を持つ少年が立ち上がる王家伝承の図。その下段、普段は装飾としか見えない部分に、半割れの桃と歯車が刻まれている。
「月代家の古い伝承では、桃は“恵みの実”であると同時に“封殻”でもあると教わります。神意を宿したものを、人の世に馴染ませるための殻だと」
「言い換えると?」
「開封手順つきの容器です」
シグレが即座に言い換えた。
「王家って、ほんと神話を比喩で包むの好きだよね」
「今それ助かる」
朱羅は壁にもたれたまま腕を組む。
「観測駅の下にある封殻保守区画。昔は王家と近衛機しか入れなかった。今は半分以上埋まってるけど、赤い鍵があるなら開く」
「どうしてそんな場所に一号の遺言が残ってる」
「逃げ道だったから」
淡々とした返答だった。
だがその言葉の裏にある重さは、皆わかった。一号勇者もたぶんここへ辿り着いたのだ。逃げ道として。あるいは最後の突破口として。
「行くしかないな」
灯真が言う。
コハクがすぐ周囲を警戒した。
「ただし、白皇狼の崩落で上層路は不安定です。封殻保守区画へ繋がる副通路が生きている保証はありません」
「保証のある道なんて最初から歩いてないだろ」
「それはそうです」
即答だった。最近ちょっとだけ返しが早い。灯真はこんな状況なのに少しだけ笑いそうになる。
朱羅がその様子を見て、ほんの一瞬だけ眉を動かした。
「……変な連中」
「お前もこっち側に片足突っ込んでるぞ」
「突っ込んでない。必要だから情報を渡してるだけ」
そう言いながらも、彼女は先に立って通路へ向かった。案内する気満々だった。
*
封殻保守区画へ続く副通路は、観測室の祭壇の裏にあった。
赤い結晶鍵を壁の刻印へ差し込むと、音もなく石板が左右へ開く。中から流れてきた空気は冷たく、妙に甘い匂いがした。薬液と花の中間みたいな、設備なのに生き物じみた匂いだ。
「嫌な匂いだな」
「保存槽の匂いです」とコハク。
「長期保全区画では一般的です」
「一般的であってほしくないな」
通路は緩やかな下り坂になっていた。壁面には桃色の導光管が走り、ときおり内部で液体みたいな光が脈打つ。足元の床材も石ではなく、どこか半透明な樹脂に近い。王都の上層が“城”だとすれば、ここはもう完全に“施設”だった。
途中、シグレがしゃがみ込んで床の継ぎ目を撫でる。
「これ、最近も保守入ってる」
「最近?」
「数年単位じゃなく、数か月単位。埃の切れ方が新しい」
つまり王都側は、この地下を今も現役で使っている。
遺跡じゃない。現在進行形の隠し設備だ。
かぐらの顔が強張る。
「王家の記録には、こんな区画……」
「載せるわけないでしょ」
朱羅が冷たく言う。
「お姉ちゃんたちが祈ってたの、だいたいこの下の電源だから」
その一言は、残酷なほど率直だった。
やがて通路は大きな円形扉に突き当たる。扉の中央に刻まれていたのは、王家の桃紋ではなく、三重の殻に包まれた巨大な桃の意匠だった。外殻、中殻、内殻。そのどれにも細かい番号が振られている。
「これが封殻……」
かぐらが呟く。
灯真は赤い鍵を中央スロットへ差し込んだ。だが扉は開かない。代わりに表面へ淡い文字列が浮かぶ。
《月代系認証 確認》
《桃系列認証 確認》
《開封補助権限 不足》
「足りないって出てるぞ」
「そりゃそうです」
アヤメが扉の側面を覗き込む。
「これ、三者承認式です。王家、桃系列、それから近衛機上位認証」
全員の視線がコハクへ向く。
コハクは黙って前へ出た。黒い手甲を扉へ当てる。だが接続した途端、肩が強く震えた。
「また干渉か?」
「はい。ですが前回より深い」
首筋に桃色の警告線が走る。清嵐か、あるいはもっと下の設備側か。どちらにせよ、この扉を開けられると困る連中がいるということだ。
灯真は迷わずコハクの手首を掴み、《黍団子認証》の接続をさらに強めた。ざり、と頭の中へノイズが流れ込む。痛い。だが前より慣れている自分が嫌だった。
「灯真、負荷が」
「分けろって言ってるだろ」
かぐらも扉へ手を重ねる。
「月代家当代として開封を要請します」
朱羅は数歩離れたまま、その光景を見ていた。けれど次の瞬間、舌打ち混じりに祭壇から奪ってきた短剣を扉の脇へ突き立てる。
「鬼核干渉を切る。三秒だけ」
桃色の火花が弾けた。
扉全体が深く唸る。
シグレが叫ぶ。
「今! そのまま押し切って!」
灯真は全身の力で接続を維持した。頭の奥へ別人の怒りや恐怖が流れ込みかける。汚染の気配だ。だが引かない。ここで止まったら、一号が残した道も、アキラが繋いだ手掛かりも全部無駄になる。
やがて、重い解錠音が三度鳴った。
解錠の直前、灯真の頭の奥へ一瞬だけ強いノイズが走る。怒りでも悲鳴でもない、もっと古い“起動音”に近い感覚だった。どこかで聞いたことがある。いや、聞いたのではなく、身体が覚えている。桃殻ポッドから出た直後の、あの世界が開く感覚に似ていた。
「今の……」
「灯真?」とコハク。
「大丈夫だ。けど、この扉、俺の中の何かに反応した」
かぐらが不安そうに眉を寄せる。
「桃系列認証だけでは説明できませんか」
「できます」とコハクは答える。
「むしろその可能性が高いです。灯真の内部には、単なる起動資格以上の継承素子があると考えるべきです」
継承素子。言い換えれば、他人の残りかすだ。
便利に名付ければ、だいたいの残酷さは薄まって見える。王都はそういう言い換えが得意らしい。
「ほんと、嫌な言語設計してるな」
灯真が吐き捨てると、シグレが頷く。
「王都語ってだいたいそう。閉じ込めるのを保護、使い潰すのを運用、失敗を再調整。言い方が綺麗なほど、中身は腐ってる」
朱羅は短剣を引き抜きながら鼻で笑った。
「だから“桃を割れ”なんでしょ。言い換えの殻ごと壊せ、って意味も込みで」
その一言に、灯真は少しだけ救われる。
敵か味方か分からない立場のくせに、朱羅はこういう時だけ核心へ触れる。
円形扉が、外殻から順に割れるように開いていく。
その先にあったのは巨大な縦穴だった。
壁面いっぱいに、桃の形をしたカプセルが並んでいる。大小無数。未起動のもの、割れているもの、中身が空のもの。まるで果樹園の代わりに、人工の桃を地下へ吊るしたみたいな光景だった。
「……うそだろ」
灯真の喉から、乾いた声が漏れる。
王都の勇者伝説は、一つじゃなかった。
少なくとも、桃は一つじゃない。
その時、最下層のカプセル群の向こうで、ひとつだけ内側から赤く点灯した。
まるで、誰かがこっちへ気づいたみたいに。
しかも縦穴の縁には、旧い手書きの数字が幾つも残っていた。整った王都式の刻印じゃない。焦って書いたような走り書きだ。
《23 開かず》
《31 途中覚醒》
《44 回収》
それを見た瞬間、かぐらが口元を押さえる。
「まさか……これ、全部」
「桃殻の管理番号だろうね」とシグレ。
「たぶん現場の誰かが残したメモ。正式記録じゃ拾いきれない失敗の数え方」
失敗。
その雑な二文字で、一人ずつ人生が丸められていったのだと分かる。
灯真は無意識に、自分の胸元を押さえた。自分もこの列のどこかに置かれていたかもしれない。たまたま外へ出られただけで、少し条件が違えば、壁の一つとして吊るされていたかもしれない。
「行こう」
灯真は低く言った。
「見なかったことにしたら、一番だめなやつだ」
誰も反対しなかった。




