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第13話 桃殻保守区画

 縦穴へ降りる手段は、階段ではなかった。


 桃殻保守区画の壁面には、果実を摘むための枝の代わりに、整備用の螺旋軌条が走っている。細い足場と昇降機を兼ねた古い搬送線だ。普通の人間が使う前提の設備ではないらしく、手すりは低く、ところどころ途切れている。


「怖いんだけど」

 灯真が真顔で言う。

「まだ言ってるんですか」とアヤメ。

「高いところ苦手なら、もっと筋肉寄りの勇者をやればよかったのに」

 シグレが言う。

「選べる転生だったらそうしてたよ」


 軽口を叩きながらも、視線は下へ吸われる。

 底が遠い。桃色の灯りがいくつも明滅し、まるで夜の海に浮かぶ提灯みたいに見えた。


 先頭を行くのはアヤメだ。滑空翼を半開きにし、次の足場、次の固定具、次の死角を次々指示していく。伝令機という自己紹介は伊達じゃない。道の読み方が、完全に三次元だった。


「右下の足場、二人まで。左側の梁は見た目より脆いので踏まないでください」

「見た目より脆い梁、多くない?」

「この王都、上も下も飾りで強度を誤魔化す癖があります」


 嫌な国家だ、と灯真は心から思った。


 中腹まで降りたところで、最初の桃殻カプセルへ近づく。表面は陶器と金属の中間みたいな材質で、薄くひびの入ったものも多い。割れた殻の断面には、内部配線と繊維状の組織が絡みつき、まるで人工物と生体の無理やりな接合だった。


「これ全部、勇者候補か?」


 問いに答えたのはコハクだった。


「候補、もしくは適合試験体です。桃殻ポッドは外界環境に適応させるための保護殻であり、起動時に内部個体へ記憶補助と身体補正を行います」

「つまり量産前提」

「はい」


 神話の一粒感が消し飛ぶ説明だった。

 桃から生まれた勇者どころじゃない。桃から“出荷”された勇者だ。


 かぐらは青ざめた顔で、一つの空殻へ触れた。


「王家は、ここまで知っていたのでしょうか」

「上がどこまで知ってたかは分からない」

 灯真は言う。

「でも少なくとも、知らずに回る設備じゃない」


 朱羅は少し先の足場から振り返る。


「知ってる人間と、知らないふりしてる人間と、最初から考えるのをやめた人間。王都はだいたいその三種類」

「お前の分類、容赦ないな」

「優しく言い換える意味ある?」


 ない。残念ながら、ない。


 さらに降りると、赤く点灯していたカプセルの近くへ辿り着いた。他の桃殻より一回り大きい。表面には王家紋でも番号だけでもない、黒く焼けた手形が幾つも残っている。


「これ……中から叩いた跡?」

 かぐらが呟く。


 誰もすぐには返事をしなかった。


 シグレが外部端子を覗き込み、顔をしかめる。

「起動失敗じゃない。起動中断だ。しかも内側で意識が上がったあとに閉じ直されてる」


 灯真の胃が冷えた。


 起きた。出ようとした。閉じられた。


「ふざけてる……」


 思わず漏れた声に、コハクが静かに視線を寄せた。灯真は気づく。自分の声色が少しだけ、知らない誰かの怒りと混ざっている。これが汚染の手触りか。


「灯真、深呼吸を」

「わかってる」


 言いながら、わかっている自分に腹が立つ。怒りを制御しなければならない側に回るのは、いつだって被害を見た人間だ。


 その時、赤いカプセルの下部パネルが勝手に開いた。


 中から滑り落ちてきたのは、小さな記録ユニットだった。掌に乗る程度の桃色結晶。灯真が触れると、空中へ断片映像が浮かぶ。


 白い実験室。まだ幼い少年。何人もの整備者。天井越しに見下ろす誰かの影。


『適合率不足。情動過多』

『しかし界侵反応は良好です』

『なら記憶素子だけ回収しろ』


 映像は数秒で途切れた。


 だが十分だった。


「記憶素子だけ回収……」

 灯真は拳を握る。

「一号の前から、切り出して継ぎ足してたのか」


 朱羅が無表情で頷いた。

「桃勇者は奇跡じゃない。王都が失敗を食わせて育てた機能だよ」


 その時、アヤメが上方を振り返った。

「追跡波形、接近」


 見上げると、縦穴の上層で白い灯りがいくつも動いていた。白猟犬ではない。もっと小さく、もっと数が多い。


「何だあれ」

「保守蜂です」とコハク。

「通常は修復用ですが、敵性指定対象へは分解処理を実行します」

「この国、何でも物騒だな!」


 保守蜂の群れは、桃殻保守区画そのものを利用して降りてくる。レール、導光管、補助梁。ありとあらゆる足場が敵の通路になる。


 正面から迎えれば囲まれる。


 シグレが歯を剥いた。

「ならこっちも設備を壊す。下に落とすよ!」

「できるのか!」

「保守路の固定具三つ切れば、一帯まとめて崩れる!」


 アヤメが即座に経路を示す。

「左上、右下、中央裏。三点同時です」


 灯真は頷いた。

「役割分担!」


 コハクが中央へ、アヤメが上空の右下、シグレが左上の固定具へ走る。灯真は中央裏へ向かいながら、背後のかぐらへ振り返った。


「札で群れの流れを一瞬でいい、曲げられるか」

「やります」

「頼んだ」


 かぐらは一瞬だけ目を見開いた。だが次には真っ直ぐ頷き、桃色の札を三枚指の間へ挟み込む。


 称賛され、役割を託される。それだけで人は変わる。

 彼女の所作はもう、守られるだけの姫のものじゃなかった。


 保守蜂の群れが迫る。

 金属羽音が、縦穴全体を震わせた。


 黒い蜂は、他の保守蜂と違って羽音が鈍かった。

 軽さで飛ぶというより、重い何かを無理やり浮かせているような音だ。腹部には回収用の鉤ではなく、人の指にも見える多関節の把持具がぶら下がっている。


「趣味が悪いな」

 灯真が言う。

「回収機って、いつもこうなのか」

「王都のはまだ“片づける機械”って顔してる」

 朱羅が答える。

「でも鬼ヶ島側のは違う。あれは“中身を選んで持っていく”ためのやつ」


 ぞっとする説明だった。


 かぐらが札を構えたまま、小さく息を呑む。

「アキラ、あれに連れていかれた人は……」

「戻らない」


 短い言葉だった。

 それ以上言わせる必要はなかった。


 そしてその中心に、ひときわ大きな黒い蜂が混じっていた。王都の白ではない。鬼核の赤でもない。油じみた黒。


 朱羅が初めて顔色を変える。


「下がって。あれは設備側じゃない――鬼ヶ島側の回収機だ」


 同時に、黒い蜂の複眼が桃色ではなく鈍い金で瞬く。

 灯真はその光を見た瞬間、頭の奥に嫌な既視感を覚えた。鬼の核を覗いた時のような感情逆流ではない。もっと乾いた、選別する側の視線だ。値札を付けるみたいに、こちらの体と役割を測ってくる。


「灯真、見ないでください」

 コハクが前へ出る。

「視線同期型の査定波です。長く合わせると、機能優先で自己認識を切られます」

「なんでそんな仕様ばっかり詳しいんだよ!」

「嫌でも知っています」


 その返答に、ほんの少しだけ怒りより先に痛みが来た。

 コハクもまた、王都の嫌な仕様を身体の内側から知っている側なのだ。


 黒い蜂が、ゆっくり口を開いた。


《回収対象確認》

《桃系列二号 優先回収》

《月代系感応個体 確保》

《鬼核汚染個体 再利用》


 再利用、という単語が落ちた瞬間、朱羅の空気が変わる。

 彼女は床を蹴り、ほとんど反射で黒い蜂へ斬りかかった。


「その言い方やめろ!」


 赤い火花が散る。黒い蜂は後退しながら、周囲の保守蜂へ収束信号を飛ばした。群れが一斉に降下してくる。


「やるしかない!」

 灯真は叫んだ。


 次の瞬間、かぐらの札が弧を描く。桃色の薄膜が縦穴の空気を撫で、保守蜂の軌道を半拍だけ左へ流した。

 そのずれへシグレの工具が刺さり、アヤメの羽根刃が続き、コハクの盾が正面を断つ。


 初めてだった。

 この五人が、同じ拍で噛み合った。まだ綺麗じゃない。けれど確かに、戦い方として形になり始めている。


 灯真は中央裏の固定具へ飛びついた。黒い蜂はその動きを読んだように下方から突き上がってくる。だが灯真は視線を外さず、短剣を構えた。


「《一寸界侵》――!」


 狙うのは黒い蜂本体じゃない。固定具と、それを支える回収路の継ぎ目だ。


 世界が縮み、金属の谷間へ潜る。そこには王都式でも鬼核式でもない、見慣れない黒い接合コードが走っていた。


《地下環状路 回収便優先》

《鬼ヶ島直通》


 直通。


 こいつらは上から追ってきたんじゃない。下――鬼ヶ島側から迎えに来ている。

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