第14話 鬼ヶ島側の回収機
黒い回収蜂が降りてくる。
保守蜂の群れより遅いくせに、圧だけは段違いだった。白い設備機たちが“仕事”の延長線にある暴力なら、こいつは最初から“奪う”ために作られている。鉤でも刃でもない、多関節の把持具がきしりと開き、まるで人の胸骨を直接つかみに来るみたいに広がった。
しかも近づくほど、縦穴の気圧そのものが変わる。羽ばたきで風を作っているんじゃない。周囲の空気を吸って、選別のための場を作っている。灯真は思わず歯を食いしばった。
「空気が重い……」
「査定場です」とコハク。
「回収対象を機能別に仕分ける前処理空間。王都式より旧く、鬼ヶ島側の方式に近い」
「そんなのまであるのかよ」
「あるから、今こうして最悪です」
淡々とした返答なのに、一ミリも安心できなかった。
「固定具を切れ!」
シグレが叫ぶ。
「上の群れは落とせる! でもあの黒いのは別枠!」
灯真は中央裏の継ぎ目へ短剣を差し込みながら、歯を食いしばる。縮小視界の中で、黒い接合コードが脈打っている。鬼ヶ島直通。回収便優先。王都の地下設備と、鬼ヶ島側の運搬路が最初から繋がっている証拠だ。
「やっぱ全部一本の物流かよ……!」
怒鳴りながらコードを断つ。ひびが走る。だが同時に、頭の奥へ別のノイズが混じった。
『二号確保』
『記憶素子損傷は許容』
『本体回収を優先』
ぞっとする。
身体ではなく“本体”と言った。つまり連中にとって灯真は、人間ですらなく回収資産なのだ。
現実側へ戻ると、黒い蜂の把持具がすでに目前まで迫っていた。コハクの盾がその一撃を受け止める。だが重い。盾の表面が軋み、黒い爪が防壁の隙間へ食い込む。
「っ……出力が高い!」
コハクが珍しく声を荒げる。
アヤメが上方から羽根刃を二枚飛ばす。黒い蜂の複眼に当たるが、片方がかすっただけだ。硬い。しかも被弾した瞬間、蜂の腹部から細い黒針が散弾みたいに放たれた。
「アヤメ!」
彼女は咄嗟に滑空翼を畳み、身を捻って避ける。だが一針が肩口をかすめ、青緑の羽織が裂けた。
「大丈夫か!」
「軽いです。見た目ほど可憐ではないので」
「そこ聞いてない!」
軽口は返る。ならまだ戦える。
その間にも、白い保守蜂の群れが一斉に下降してくる。かぐらの札が空気の流れをねじ曲げ、十数体の軌道をまとめてずらした。そこへシグレが工具束を投げ込み、保守路の固定具を一本断つ。アヤメの羽根刃が二本目を切り、コハクの盾打ちが三本目へ衝撃を通す。
ごん、と鈍い音。
次の瞬間、左側一帯の保守路がまとめて崩れた。白い保守蜂の群れごと、桃殻の破片と古い梁が縦穴の下へ雪崩れ落ちる。
「よし!」
灯真が叫ぶ。
だが黒い蜂は落ちない。脚部の黒コードが、王都式のレールを無視して独自の軌道へ食い込んでいる。
「設備ごと切っても止まらない!」
「だから言ったでしょ」と朱羅。
「あれは鬼ヶ島側の回収機」
彼女は短剣を逆手に構え、真正面から黒い蜂へ踏み込んだ。赤い残光が走る。普段の朱羅は感情を凍らせているくせに、こういう時だけ、怒りを隠さない。
「再利用だの回収だの、勝手に決めるな!」
連撃が装甲を削る。黒い蜂は一歩退いたが、腹部が開き、内部から細い糸が噴き出した。糸ではない。回収索だ。朱羅の腕と脚へ絡みつき、そのまま縦穴の外側へ引き剥がそうとする。
「アキラ!」
かぐらが叫ぶ。
朱羅は空中で体勢を崩しながらも、姉の方を見なかった。
「来ないで!」
その一喝は、敵意ではなく反射だった。巻き込みたくない時の声だ。灯真はそこに気づく。
気づいた瞬間、黒い蜂の複眼がまた鈍く光った。
《鬼核汚染個体 回収開始》
鬼核汚染個体。
連中は朱羅を資材として見ている。
灯真の中で何かが切れた。
「《一寸界侵》!」
今度は黒い蜂本体へ潜る。
内部は最悪だった。王都式の整った配線でも、鬼の生々しい核室でもない。硬い黒殻の中を、肉みたいな管と乾いたコードが無秩序に這っている。回収した何かをそのまま継ぎ足して肥大した、欲張りなゴミ溜めだ。
しかも中枢には、小さな赤い結晶が幾つも埋まっていた。鬼核の欠片。それを搬送制御へ混ぜて無理やり駆動している。
「ほんと、やることが雑で下品だな……!」
灯真は中央把持系へ走る。そこには“朱羅回収”と刻まれた優先命令核があった。名前で資産タグを切っている。吐き気がした。
短剣を突き立てる。だが反発が強い。核の奥から、誰かの泣き声が漏れる。
『つれていかないで』
『まだ、いや』
汚染が来る。
知らない子どもの恐怖が、喉の奥に張りついた。
「灯真!」
外からコハクの声が遠く届く。接続越しの呼びかけだ。そこでやっと、自分が深く潜り過ぎかけていると気づく。朱羅の忠告。深く使えば、自分が誰の怒りで動いているか分からなくなる。
だから最短に戻す。
感情へ沈むんじゃない。構造だけを見る。
命令核の基部。鬼核片への供給線。把持具の同期束。三点同時に切れば、回収優先だけを落とせる。
「そこだ……!」
三連撃。
命令核が割れ、黒い蜂の把持具が外で一斉に弛緩した。朱羅が解放され、落ちかけた身体をアヤメが上空から抱えるように受け止める。
「今です!」
アヤメが叫ぶ。
シグレが残った固定具へ爆裂工具を叩き込んだ。コハクの盾打ちが衝撃を伝え、かぐらの札が崩落方向をずらす。
轟音。
黒い蜂の足場ごと、中央保守路が大きく崩れた。白い保守蜂の残存群も巻き込まれ、破片と一緒に下層へ墜ちていく。
現実へ戻った灯真は、その場で膝をついた。咳き込む。喉が焼ける。視界の端に赤い残像が滲む。
「灯真!」
コハクが駆け寄る。
「だいじょ……ぶ、とは言えないけど、死んではない」
「その報告は雑です」
「今さらだろ」
朱羅もアヤメに降ろされ、少し離れた足場へ着地する。腕に索の痕が赤く残っていた。かぐらが思わず一歩近づくが、朱羅はそれを拒まなかった。ただ気まずそうに視線を逸らす。
「助けられるつもりなかったんだけど」
朱羅が小さく言う。
「こっちも見捨てるつもりなかった」
灯真が返す。
数秒の沈黙。
そのあと、朱羅は舌打ちしてそっぽを向いた。だがその耳だけが少し赤い。
直後、縦穴のさらに下から、長い警報音が鳴り響いた。王都式の高い鐘じゃない。もっと低く、腹に沈むような音だ。
コハクが顔を上げる。
「下層ゲート、強制開放音です」
「何が開く?」
朱羅が暗い縦穴の底を睨む。
「鬼ヶ島への搬入口」
そして崩れた保守路の下、暗闇の中で巨大な扉がゆっくり開き始めた。
その向こうから吹き上がってきたのは、海風ではなく、熱い薬液と血の匂いだった。
崩落の直前、黒い蜂の腹部がもう一度だけ開いた。
そこには赤い結晶の檻みたいなものが見えた。小さな光点がいくつも浮かび、まるで“回収済みの何か”を一時保管しているようだった。
「見たか」
朱羅が低く言う。
「あれ、中身はだいたい記憶片か感情の剥がし滓。肉だけじゃなく、そっちも回収する」
かぐらが息を止める。
「人の心まで……」
「だから鬼ヶ島は、ただの処分場じゃない」
朱羅は縦穴の下を睨んだ。
「使えるものだけきれいに剥いで、残りを怪物にする場所」
その説明だけで十分だった。
王都の“優しい失敗”で集めた感情が、地下で再加工され、鬼と装置の両方へ流し込まれる。上と下が役割分担しているだけで、やっていることは同じだ。
灯真は膝をついたまま、それでも黒い縦穴の底を見返した。怖い。正直、かなり怖い。だがこの構造を知ってしまった以上、ここで引き返したら全部また見えない場所に押し込まれる。
「次、行くぞ」
灯真が立ち上がる。
「怖いけど行く。怖いのは正常だから、そのまま持ってく」
シグレが少しだけ目を丸くした。
「今の、意外といい台詞」
「意外とは余計だ」
「でも大事」とかぐらが小さく続ける。
「怖さを消すために、王都はここまで歪んだのですから」
誰も否定しなかった。




