第15話 一号勇者の残響
下層ゲートへ降りる頃には、誰も余計なことを喋らなくなっていた。
崩落を免れた補助足場を伝い、縦穴の最下層へ降りる。そこはもう保守区画ではなかった。広い。静かすぎる。壁も床も白く磨かれているのに、ところどころへ古い赤が染み込んでいる。洗い流したのに消えなかった痕みたいだった。
開いた扉の先には、円形の前室がある。
中央には巨大な半割れの桃殻。天井から吊られ、無数の管と鎖で固定されていた。外側はひびだらけなのに、中身だけはまだ生きているみたいに淡く脈打っている。
「……これが“桃を割れ”の桃か」
灯真が呟く。
かぐらはゆっくり近づき、殻の表面に刻まれた文字を読む。
《桃殻基体 一号予備封殻》
《緊急時継承槽》
「一号の、予備……」
つまり一号勇者は、ここへ何かを残せる設計だった。死んだ後に、記憶だけでも、機能だけでも、次へ渡すための殻。
「王都、ほんとに人の終わりを終わりにしないな」
シグレが吐き捨てる。
「後始末の悪い天才ばっかり」
コハクが桃殻基体の基部端子を調べた。
「赤い結晶鍵に反応します。ただし、開封と同時に内部情報が外へ解放される可能性があります」
「可能性じゃなく、たぶんそうする前提だろ」
灯真は鍵を握る。
ここで逃げても、もう答えは出ない。
なら割るしかない。
「開ける」
かぐらが隣へ立った。
「私も」
コハクも一歩進む。
「補助します」
アヤメは周囲の見張りへ、シグレは外部端子の安全解除へ回る。朱羅だけが少し離れた位置で腕を組み、半分睨むような顔でこちらを見ていた。
「今さら怖い?」と灯真。
「別に」
朱羅は目を逸らす。
「ただ、一号の残り方が気持ち悪いのは事実」
それには全員、心の中で同意した。
赤い結晶鍵を基部へ差し込む。
桃殻基体が深く鳴動する。天井の鎖が揺れ、ひびの隙間から白い蒸気が漏れた。
《月代系認証 承認》
《桃系列二号 接続》
《継承槽 開封》
殻がゆっくり開く。
中にあったのは、人間の体ではなかった。
透明な液に沈む、桃色の記憶結晶群。脳に似せた形の演算塊。その周囲を、細い骨格フレームが守るように囲んでいる。人をそのまま保存したのではない。人だったものを、情報と機能へ分けて延命した残骸だ。
「……ひどい」
かぐらの声が震える。
灯真は返事ができなかった。
同情だけでは追いつかない。これは墓じゃない。再利用のための倉庫だ。
しかも部屋の隅には、記録ではなく現物らしいものが残っていた。
古びた作業机。欠けたマグ。折れた筆記具。壁に走り書きされた計算式と、何度も書き直された脱出経路。継承槽は巨大な設備なのに、その周囲だけ妙に人間の生活臭が残っている。
「一号、ここで考えてたんだな」
灯真が呟く。
「逃げ方も、止め方も、たぶん一人で」
シグレが壁のメモを指でなぞる。
「この人、計算の癖がアンタにちょっと似てる」
「やめろ。妙に実感出る」
けれど本当に似ていた。追い詰められた時ほど、感情で暴れず、紙と手順へ逃がす書き方。壊れそうな頭を、工程表で無理やり立たせる人間の痕跡だ。灯真はそれを知っている。前の世界で、自分も何度もそうしてきたからだ。
その時、結晶群の一つが強く発光した。
視界が真っ白になる。
*
気づくと灯真は、見知らぬ白い部屋に立っていた。
現実ではない。感覚で分かる。これは記憶投影だ。
部屋の中央に、一人の少年が座っている。年は灯真より少し下。ぼさついた髪に、疲れた目。見た瞬間、灯真は妙な既視感を覚えた。顔が似ているわけじゃない。だが、徹夜明けのまま椅子から立てなくなった人間の空気が、あまりにも身に覚えがあった。
「……やっと来たか、二号」
少年が顔を上げる。
その声は、遺言筒の中に残っていたものと同じだった。
「お前が一号?」
「正式には、一号の残響。本人の全部じゃない。都合よく切り出されて、都合よく残された、失敗作の抜け殻だよ」
あっさりした口調だった。冗談みたいに言うから余計に痛い。
「なんで俺に声が届く」
「記憶素子が混ざってるから。お前の起動時に、俺の界侵補助と障害対処パターンの一部が二号側へ継承された」
「最悪だな」
「だろ。俺もそう思う」
一号は少しだけ笑った。
その笑い方が妙に普通で、灯真は逆に言葉を失う。もっと怨霊みたいなものを想像していた。だがここにいるのは、壊された後でもなお、説明と引き継ぎをしようとする“前任者”だった。
「鬼ヶ島は王都の下にある。知ってるな?」
「ああ」
「じゃあ次。王都が鬼を作ったのは、外敵を倒すためだけじゃない。天照の計算資源にするためでもある」
灯真は眉をひそめる。
「計算資源?」
「感情だよ。恐怖、祈り、怒り、献身。人間が強く発した感情は、鬼核を通すと異常に効率よく蓄積できる。天照は“優しい失敗”を繰り返すたび、人の感情を大量に集められる」
優しすぎる神の失敗例。
飢饉で眠らせる。疫病で石化する。泣かなくて済むようにする。
その全部が、結果として巨大な感情の収穫装置になっていた。
「……ふざけてる」
「だから止めようとした」
一号の声が少しだけ低くなる。
「でも俺は途中で回収された。鬼ヶ島の深部に、管理者権限の核がある。あれを落とさない限り、桃も鬼も近衛機も、全部“運用で誤魔化される”」
自分の口癖を他人に使われて、灯真は少しだけ息を呑んだ。
「それ、俺の……」
「半分はお前、半分は俺だろうな」
一号が肩をすくめる。
「嫌なら上書きしろ。二号の言葉に変えろ」
その言い方に、初めて少しだけ笑いそうになる。
けれど次の言葉が、それを凍らせた。
「ただし、気をつけろ。鬼ヶ島の管理者権限は、月代系の祈りと桃系列の界侵が揃わないと扉を開かない。つまりお前とかぐらは、最初からセットで使う前提で設計されてる」
灯真は言葉を失う。
かぐらとの出会いすら、偶然じゃないのか。
一号は、苦い顔で頷いた。
「王都はずっと、お前たちの組み合わせを待ってる」
その瞬間、白い部屋の天井に亀裂が走った。外部干渉だ。現実側で何かが起きている。
一号が急いで何かを放る。桃色の小さな鍵片だった。
「管理者権限の抜け道だ。正面から行くな。鬼ヶ島の第三搬入口を使え」
受け取ると同時に、視界が崩れる。
最後に一号の声だけが残った。
「二号。俺みたいに、途中で“処分済”になるなよ」
崩れゆく白い部屋の中で、灯真は思わず叫ぶ。
「お前は、まだ生きてるのか」
一号は一瞬だけ目を伏せた。
「定義次第だな」
苦笑に近い声だった。
「身体はたぶん、もう鬼ヶ島のどこかで部品だ。ここに残ってるのは、切り取られた判断と未練と、少しの執念だけ。でもそれで十分だった。二号に渡すまでは」
その言葉が、妙に静かに刺さる。
死んでいないとも言えない。生きているとも言えない。それでも“渡すまでは保つ”と決めて、残骸の形でここにいた。
灯真は短く息を吸う。
「……引き継ぎ、受けた」
一号の目が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
「ならよかった」
それは上司でも英雄でもない、ようやく次の当番にバトンを渡せた現場担当の顔だった。だからこそ、灯真は余計に腹が立つ。こんなまともな顔の人間まで、王都は“処分済”の三文字へ圧縮したのだ。




