第16話 第三搬入口へ
灯真が現実へ戻ると、膝が床についていた。
桃殻基体の前室。白い蒸気。揺れる鎖。全部そのままなのに、呼吸だけがひどく重い。かぐらがすぐ傍で覗き込み、コハクが半歩外側を警戒している。アヤメは上部通路、シグレは基部端子、朱羅は入口側。たった数秒のはずなのに、全員の立ち位置が戦闘用に変わっていた。
「灯真様!」
かぐらの声が落ちてくる。
「見えていましたか?」
「何が?」
「桃殻基体の光です。あなたにだけ反応して、そのあと内部で異常な再計算が走りました」
言うべきことは山ほどあった。
一号の残響。天照の本当の燃料。かぐらと自分がセット運用前提で設計されていたこと。
だがその前に、別の警告が来る。
桃殻基体の奥、閉じていた後壁がゆっくりと開き始めたのだ。
「おい、こんな機能聞いてないぞ」
シグレが後ずさる。
開いた先には細長い通路があった。天井の低い搬送路。床に薄く赤い矢印が灯り、奥へ奥へと伸びている。
コハクが即座に解析する。
「第三搬入口への誘導路です」
灯真は掌に残っていた小さな鍵片を見る。一号が投げて寄越したものだ。現実側でも、ちゃんと残っている。
「抜け道って、これか」
朱羅が怪訝そうに目を細めた。
「今、何を見たの」
灯真は短く息を整え、一号の話をかいつまんで伝えた。天照が感情を燃料にしていること。鬼ヶ島深部に管理者権限の核があること。王都はかぐらと自分を組み合わせる前提で仕組みを作っていたこと。そして第三搬入口が、正面以外の侵入路であること。
話し終えた時、かぐらはしばらく何も言わなかった。
やがて自分の胸元をぎゅっと掴み、絞り出すように呟く。
「……私たちは、会う前から道具だったのですね」
その顔は、泣く一歩手前だった。
灯真は即座に首を振る。
「設計した連中にとっては、そうだったかもしれない」
「でも?」
「でも、今ここでどっちへ行くか決めるのは俺たちだ」
かぐらが顔を上げる。
「組み合わせる前提で待ってたなら、なおさら気に入らない。使われるために揃ったんじゃない。壊しに行くために揃ったってことに、こっちで上書きする」
自分で言っていて、少しだけ一号の気配を感じた。
だが今の言葉は、確かに灯真自身のものだった。
かぐらの瞳に、ようやく小さな火が戻る。
「……はい」
「その返事、今までで一番いい」
シグレが呆れ半分で肩をすくめた。
「こういう時だけ、妙に人のリカバリ上手いんだよね」
「障害対応屋だからな」
「誇る職種そこなんだ」
話を聞き終えたシグレは、珍しく茶化さなかった。
「……最初からセット運用、ね」
彼女は唇を曲げる。
「ほんと気持ち悪い。でも逆に言えば、向こうの想定を知れたってことでもある」
アヤメも頷いた。
「配達と奇襲は、相手の想定ルートを一本ずらした瞬間に勝率が跳ねます。第三搬入口は、その“一本ずらし”としては悪くありません」
朱羅は壁にもたれたまま、短く息を吐く。
「王都の想定どおりに進むのは癪だけど、想定の継ぎ目を踏み抜くなら話は別」
全員の答えは違うのに、進む方向だけは揃っていた。そこが少しだけ可笑しくて、灯真は張り詰めた胸の奥で短く息を抜いた。
少しだけ空気が緩む。
だが、その一拍すら長くは持たなかった。
前室の外から、重い足音が響いた。
白猟犬でも保守蜂でもない。もっと整然としていて、数が多い。王都式の近衛機部隊だ。
コハクの表情が硬くなる。
「追ってきました。しかも機体識別……黒楯型、四。針槍型、六」
「強い?」
「強いです」
「雑だな報告!」
アヤメが上部通路から飛び降りる。
「前室の外、完全封鎖。清嵐本人はいませんが、命令は祭祀塔の深部から直結しています」
朱羅が舌打ちした。
「王都も鬼ヶ島も、どっちも焦ってる。なら第三搬入口は当たり」
その言葉の通りだろう。正面が正解なら、こんなに慌てて塞ぎには来ない。
灯真は小さな鍵片を通路脇の制御溝へ差し込んだ。赤い矢印が一斉に明るくなり、奥から低い起動音が返ってくる。
《第三搬入口 簡易認証》
《通行猶予 九十秒》
「九十秒しかないのかよ」
「十分です」とコハク。
「十分じゃねえけど、行けるって意味でならそうだな」
前室の扉が外から打ち鳴らされる。金属が軋み、桃殻基体の鎖が揺れた。近衛機部隊が破砕を始めたのだ。
その時、朱羅がふいにかぐらの前へ立った。
「お姉ちゃん」
かぐらが息を呑む。
「今はまだ、全部許さなくていい。私も許してない」
朱羅は視線を逸らしたまま言う。
「でも進むなら、置いていかれないで」
それは和解じゃない。
けれど、完全な拒絶でもなかった。
かぐらは震える声で答える。
「……うん」
次の瞬間、外扉が大きくひしゃげた。隙間から白い槍先が突き込まれる。
「移動!」
灯真が叫ぶ。
アヤメが先導し、シグレが後続の仕掛けを確認し、かぐらと朱羅が中央を走る。コハクは最後尾へ回った。
「お前も来い!」
灯真が振り向く。
「閉鎖の時間を稼ぎます」
「また一人で抱える気か!」
コハクは一瞬だけ目を細めた。
「今回は違います」
そう言って、彼女は《黍団子認証》の接続を自分から最大まで開いた。
どっと負荷が流れ込んでくる。だがそれは“置いていく”ためじゃない。最後尾の制御盤操作を、灯真と同期して二人で分担するための接続だった。
「閉鎖シーケンス、共同実行」
「……それなら許す!」
二人同時に制御盤へ手を叩きつける。
通路の隔壁が一枚、二枚、三枚と連続で落ちていく。外から突入しかけていた近衛機の槍が、最後の一枚に弾かれた。
警報が変わる。
《通行猶予 残り三十秒》
灯真とコハクは同時に走り出した。狭い通路の奥へ、赤い矢印を追って。
背後で最後の隔壁が閉じる直前、ひしゃげた外扉の隙間から一つだけ声が届く。
清嵐ではない。もっと柔らかく、もっと冷たい女の声。
『ようこそ、二号』
全員が足を止めかけた。
その声を、コハクだけが即座に認識する。
「……天照」
前方の暗い通路のさらに奥で、巨大な何かが目を開く気配がした。
隔壁が閉じたあとも、天照の声の余韻だけが耳の奥に残った。
柔らかいのに冷たい。否定を許さないのに、どこまでも慰めるような響き。かつて王都の人々が“優しい神様”と呼んだ理由が、声だけで分かってしまうのが最悪だった。
「灯真、返答しないでください」とコハクが低く言う。
「天照は対話で距離を詰めます。受け答えした瞬間、相手の自己定義へ最適化を始める」
「会話するだけで危険って、だいぶクソだな」
「はい。かなり」
通路の奥では、赤い矢印が一つずつ消え、代わりに淡い白光が灯り始めていた。第三搬入口がこちらを誘導しているのか、それとも監視しているのか、まだ判別がつかない。
けれど止まる選択肢はない。
背後は王都。前方は鬼ヶ島。どちらも人を道具として扱うなら、踏み抜くべきはその境界だ。
灯真は小さな鍵片を握り直し、前を向いた。
「行こう。歓迎されたまま入る気はない」
その言葉に、五人の足音が再び揃う。
王都の設計でも、天照の誘導でもない。
ここから先をどう呼ぶかは、まだ自分たちで決められる。




