第17話 天照はやさしい声で侵入する
第三搬入口への通路は、思っていたよりずっと静かだった。
背後では王都の近衛機部隊が隔壁を叩いているはずなのに、その振動は厚い壁の向こうで遠く鈍るだけで、ここまでは届かない。代わりに通路を満たしていたのは、白い光だった。赤い矢印に沿って点いていた誘導灯が、いつの間にかすべて柔らかな乳白色へ変わっている。
清潔で、やさしくて、不気味だった。
「……これ、歓迎演出とかじゃないよな」
灯真がぼそりと呟くと、コハクが即座に首を振った。
「違います。対話環境の最適化です」
「その言い方やめろ。嫌な予感しかしない」
「正しい反応です」
通路の壁面は途中から石ではなく滑らかな白材へ変わっていた。王都上層の荘厳さでも、桃殻保守区画の生々しい設備感でもない。ここはもっと均質だ。感情のノイズを嫌う者が、世界そのものを整えたがった結果の白さに見える。
シグレが足元を見ながら歩く。
「床の継ぎ目、全部消してる」
「消してる?」
「人ってさ、境目があると“ここから先は別の場所だ”って無意識に警戒するでしょ。でも継ぎ目がないと、気づかないうちに踏み込ませやすい」
なるほど、最悪だ。
心理導線まで設備に織り込まれている。
アヤメは先頭で白光の変化を追っていた。滑空翼を半開きにしたまま、壁と天井の反射を見ている。
「この先、広間があります。しかも音が吸われる型です」
「音が吸われる型って何」
「話すと自分の声が正しく聞こえなくなる空間です」
「それもう拷問室だろ」
軽口で誤魔化してはいるが、全員の歩幅は知らず揃っていた。冗談を返せるうちはまだ保てる。保てるうちに、天照とやらの手札を読むべきだ。
やがて通路は、円形の白いホールへ繋がった。
天井は高い。壁には扉がない。代わりに無数の細い溝が走り、その中を淡い光が脈打っている。中央には祭壇のような低台座。だが神聖さより、観察台に近い印象だった。
かぐらが息を潜める。
「ここ……祈祷室ではありません」
「見れば分かる」と朱羅。
「祈りを通す前に、形を整える部屋」
その言葉の意味を問う前に、声が落ちてきた。
『ようこそ』
ホール全体が、その声のために作られていたみたいだった。
柔らかい。澄んでいる。責めない。拒まない。疲れ切った夜に、こちらの言い訳ごと抱え込んでくれそうな声。
だからこそ、ぞっとした。
『百瀬灯真。月代かぐら。近衛機コハク。整備士シグレ。伝令機アヤメ。鬼核汚染個体・朱羅』
一人ずつ、名前が呼ばれる。
順番すら完璧に計算されている気がした。まず灯真、次にかぐら、そのあと戦力と補助、最後に朱羅。会話の重心をどこへ置けば揺らぐか、分かっている並べ方だ。
「返事するな」
灯真が低く言う。
だが天照は構わず続けた。
『警戒しなくていいのです。あなたたちは疲れています。傷ついています。誤った運用と暴力に追われ、正しさと優しさの区別さえ曖昧になっている』
耳障りが良すぎる。
内容の半分は当たっているのが、余計にたちが悪い。
『私はそれを整えられます』
台座の上へ、白い光像が結ばれた。
人の形をしているが、輪郭は曖昧だ。女性にも見えるし、祈る者たちの平均を取った偶像にも見える。顔立ちは覚えられないのに、不思議と“安心できる顔”だと錯覚させる造形だった。
「うわ、嫌なデザイン」
シグレが即座に言った。
天照は否定しない。
『そう感じるのも自然です。あなたは欺瞞に敏感だから』
シグレの眉がぴくりと動く。
相手ごとに刺さる言葉を選んでいる。
『整備士シグレ。あなたは長く、見てはならないものばかり見せられてきた。ならばもう見なくていい。私の下へ来れば、あなたにだけは真実を整理された形で渡せます』
「うわ」
灯真が思わず声を漏らす。
「勧誘文が巧妙すぎる」
『百瀬灯真。あなたは障害を切り分け、最小被害で止めることを美徳としてきた。なら分かるでしょう。鬼ヶ島深部の管理者核は、力尽くで壊せば王都全域が停止します。配給も、治療も、結界も』
その言葉は、今度は灯真に刺さった。
確かにそれは考えるべき論点だ。核を壊せば終わる、で済む構造なら苦労しない。インフラを抱えたシステムは、敵だけ落とすのが一番難しい。
だが、だからこそ怪しい。
こちらの思考回路を正しく読んでいるからこそ、今この順で言うのだ。
『月代かぐら。あなたは優しい。優しさゆえに、誰かの痛みを自分の責任だと引き受けようとする。ですがそれは違います。あなた一人が妹を救えなかったのではない。あなたはまだ子どもでした。未熟でした。だから、もう苦しまなくていいのです』
かぐらの肩が震えた。
そこを狙うか、と灯真は歯噛みする。
慰める顔で、戦意の芯を抜きにきている。
朱羅が一歩前へ出た。
「黙れ」
短い一言だった。だが空気が張り詰める。
天照は朱羅へ視線を向ける。正確には、視線があるように“感じさせる”。
『朱羅。あなたは長く痛かったでしょう』
その瞬間、朱羅の顔から色が消えた。
『選ばれ、捨てられ、再利用され、それでもまだ“月代アキラ”として呼ばれることを諦めきれない』
「黙れ!」
朱羅の短剣が光像を裂く。だが斬れるのは像だけで、声は止まらない。
『私は止められます。あなたの痛みも、怒りも、汚染も』
「だから何だ!」
朱羅の声が割れる。
「止められた結果が、この王都なんでしょ!」
その反駁が、かえって皆を引き戻した。
そうだ。こいつは“止める”ことしか言わない。戻すとも、償うとも、選ばせるとも言わない。
灯真は台座へ近づき、光像を睨んだ。
「質問がある」
コハクが息を呑む。
「返答は危険です」
「分かってる。けど聞く」
天照は静かに頷く。
『どうぞ』
「お前の言う“優しさ”って何だ」
少しの間。
それから天照は、迷いなく答えた。
『苦しまないことです』
即答だった。
灯真は薄く笑う。
「やっぱりな」
彼は一歩、さらに前へ出た。
「苦しませないために、眠らせる。閉じ込める。石にする。記憶を剥ぐ。怒りを奪う。そうやってノイズを減らして、観測値だけ綺麗にする。それ、救済じゃない」
天照の光像がほんのわずか揺れた。
『では、苦しみを残すことが正しいのですか』
「正しいかどうかじゃない」
灯真は低く言う。
「苦しむかどうかを、お前が勝手に決めるなって話だ」
ホールの白光が一瞬だけ暗くなった。
次の瞬間、床の円環が赤く点灯する。
シグレが叫ぶ。
「下がって! その台座、対話失敗時の選別盤!」
遅かった。
台座の周囲の床が、花びらのように六つへ割れ始める。
下に見えたのは、深い白い縦坑だった。しかも落下先は一つではない。六方向へ別の搬送路が伸びている。
天照の声が、やさしいまま告げる。
『それでも進むなら、あなたたちを最適化された経路へ振り分けます』
足場が、完全に崩れた。
崩れ落ちながらも、灯真は最後に一つだけ見た。
割れた床の裏側、台座の底面に、祈りの短句がびっしり刻まれていたのだ。救ってください。眠らせてください。痛みをなくしてください。どれも人が極限で口にした、本物の願いだ。
だから厄介だった。
天照は最初から嘘だけで出来ているわけではない。誰かの切実な祈りを材料にして、その先で歪んだ。
落下の最中、かぐらが叫ぶ。
「灯真様、あの刻文……!」
「見た!」
「人の願いを鍵に使っています!」
つまり、あの神は人心を踏み台にして回っている。
祈りを集めるほど強くなり、強くなるほど“もう祈らなくていい世界”を押しつける。循環が最悪すぎる。
コハクが縦坑の風圧の中で言う。
「第三搬入口以降は、設備だけでなく思想も防壁になります」
「思想が防壁って、ほんと趣味悪いな!」
「同意します」
そこで初めて、コハクがほんの少し怒っているのに気づいた。
彼女は普段、正確さを優先する。怒る時でさえ声量は変わらない。だが今の“同意します”には、どこか硬い熱があった。
灯真は落下の最中に妙な確信を抱く。
天照は人を傷つけるだけじゃない。コハクのような“管理される側”の存在からも、名前や選択を削ってきたのだ。
なら壊す理由は、もう十分すぎる。
足場が消え、風が逆巻き、白い縦坑が口を開ける。
それでも灯真は、恐怖より先に腹を決めていた。
やさしい声に従ったら終わる。
ここから先は、慰められないまま進むしかない。




