第18話 眠りの民の列
滑空翼が開く。白い縦坑を吹き抜ける風を読み、彼女は真っ先にかぐらの腕を掴んだ。コハクは落下の勢いのまま灯真の腰へ手を回し、盾を壁へ叩きつけて火花を散らす。シグレは咄嗟に導光管へ工具索を引っ掛け、朱羅はその索へ自分から掴まりにいった。
落ちる。
止まる。
また落ちる。
六方向へ割れた縦坑のうち、彼らが滑り込んだのは最も広い一本だった。真下ではなく、斜め下へ続く搬送路。壁面は白く、ところどころに透明槽が埋め込まれている。
着地の衝撃で灯真は膝をついた。肺の空気が一気に抜ける。
「っ……全員いるか!」
「います!」とかぐら。
「たぶん無事」とシグレ。
「無事寄りです」とアヤメ。
「生きてる」と朱羅。
「損傷軽微」とコハク。
最後だけ報告書みたいだったが、全員いるなら十分だ。
灯真は立ち上がり、周囲を見回す。
ここは通路というより、陳列室だった。
壁一面に、透明な保存槽が並んでいる。中には人がいた。男も女も、老人も子どもも。皆、静かに目を閉じ、液の中で眠っている。胸元や首筋に薄い桃色の結晶端子が埋め込まれ、槽の外の導光管と繋がっていた。
「……なんだよ、これ」
答えはほとんど見た瞬間に分かっていた。
分かっていたからこそ、口にしたくなかった。
かぐらが震える声で言う。
「慈悲の眠り……」
禁書庫で見た記録。
飢饉で眠らせた者たち。
苦しまないように、春まで生を繋ぐと説明された人々。
ここにいた。
しかも春を待たされたまま、王都の地下に並べられている。
シグレが槽の端子を覗き込み、顔をしかめた。
「維持じゃない。抜いてる」
「何を」
「生体活動を最小で保ちながら、感情反応だけ定期的に採ってる。夢でも見せてるんじゃない?」
灯真の背筋に寒気が走る。
眠らせることで苦しみを止める。そう見せかけて、その内側で感情だけ回収し続ける。効率のいい農場みたいなものだ。
「ひどい……」
かぐらの目に、涙が滲む。
だが朱羅は泣かなかった。
代わりに槽を睨み、低く言う。
「これが王都の“優しさ”」
声が反響する。
そしてまた、天照の声が降りてきた。
『誤解があります』
「うるさい」
灯真が即答する。
『彼らはここで安定しています。飢えも寒さも、痛みも恐怖もない。あなたたちが外へ戻せば、多くは適応できず死ぬでしょう』
その指摘が、最悪な形で正しい可能性はあった。
長期保存された身体が外へ戻って無事な保証などない。今この場で槽を壊せば、それは救出ではなく虐殺になるかもしれない。
だからこそ、言葉が凶悪だ。
今ここで手を出せない現実を利用して、“現状維持が最善”へ誘導してくる。
「灯真様……」
かぐらが不安げにこちらを見る。
彼女は助けたい。だが助け方がわからない。その迷いを、天照は狙っている。
灯真は保存槽の基部を見た。導光管、維持液、夢想波、感情採取線。全部が一体化している。今この場でできることは限られる。
「すぐ全部は助けられない」
自分で言っていて、唇が苦くなる。
「でも、ここを見なかったことにはしない。構造だけでも持って帰る」
シグレがすぐ頷いた。
「端子配置、採取周期、槽番号、全部抜く。あとでまとめて止めるための証拠にする」
かぐらは涙を拭い、保存槽の番号を一つずつ読み取っていく。巫女姫の手ではなく、記録者の手つきだった。今できる最善を掴もうとしている。
その時、通路の奥で白い小型機たちが起動した。
人の背丈ほどの細い人形機。顔はなく、胸にだけ柔らかな光が灯っている。手には武器ではなく、長い布のような何かを提げていた。
「今度は何だ」
コハクが前へ出る。
「慰撫機です。暴れる対象を鎮静し、安眠へ移行させます」
「敵に回ると?」
「かなり厄介です」
厄介の内容はすぐわかった。
慰撫機たちは一斉に布を広げた。布だと思ったものは薄膜だった。光る霧みたいな膜が空気へ溶け、通路一帯を満たしていく。
灯真の耳元で、懐かしくもないのに懐かしい声が囁いた。
『もう休んでいい』
『あなたは十分頑張った』
『誰も責めない』
「っ……!」
膝が折れかける。
甘い。優しい。だから危ない。前の世界で徹夜続きだった夜、こんな声を誰かにかけられていたら、たぶん一瞬で泣いて座り込んでいた。
隣でかぐらもふらつく。シグレは舌打ちして耳を塞ぎ、アヤメは自分の頬を叩いた。朱羅だけが、逆に顔を歪めて一歩踏み出す。
「それが一番むかつく……!」
怒りが鎮静に勝ったのかもしれない。
灯真は歯を食いしばり、かぐらの手を掴んだ。
「寝るな!」
かぐらの瞳が少し戻る。
「で、でも……楽になってしまいたいって……」
「なるなとは言わない」
灯真は荒い息で言った。
「でもそれを、こいつらに決めさせるな」
その言葉で、かぐらの指に力が戻った。
コハクが盾を床へ叩きつける。衝撃波で薄膜が一瞬だけ乱れる。
「灯真、慰撫機の胸部光核を」
「了解!」
《一寸界侵》を使う。今度は深く潜らない。細い人形機の胸部だけを狙い、光核の同期を断つ。慰撫機は一体、また一体と膝をつく。だが数が多い。
シグレが保存槽の支柱へ工具を打ち込み、導光管を逆流させた。
「慰撫機の電源、ここの夢想波と共有してる!」
「つまり?」
「槽列ごと一時停止すれば、あいつらも鈍る!」
かぐらが顔を上げる。
「できます。けれど停止時間は短いです」
「短くていい、十分だ!」
かぐらは槽列の管理符を読み、桃色の札を三枚同時に切った。光が保存槽のあいだを走る。次の瞬間、慰撫機の胸光が揺らぎ、動きが目に見えて鈍くなる。
その隙にコハクと朱羅が前へ出た。盾で押し潰し、短剣で関節を断ち、アヤメの羽根刃が後列を止める。初動の迷いが嘘みたいに、今度は噛み合った。
最後の一体を止めた時、通路の奥の隔壁が静かに開いた。
白光の向こうに、新たな扉が見える。
その上へ刻まれていたのは、こうだ。
《祈祷分配樹 管理層》
そしてその扉の前で、一人の男の光像が待っていた。
白衣。整った微笑。大神殿の紋章。
桃上院清嵐が、拍手しながらこちらを見ていた。
拍手の音は実際には鳴っていないのかもしれない。
だが清嵐の光像は、こちらを称賛しているように見えた。よくここまで辿り着きました、とでも言いたげな笑みだった。
「お前を殴れるなら、光像でも十分なんだけど」
シグレが吐き捨てる。
清嵐は穏やかに首を傾げた。
『誤解しないでほしい。私は諸君を歓迎している。王都にとって必要な真実は、痛みを伴うがゆえに地下へ置かれた。だがそれでも、誰かが管理しなければならない』
「管理のために眠らせるの?」とかぐら。
『生かすためです』
即答だった。
けれど、その言葉に含まれているのは“どう生きるか”ではなく“止めずに残すか”だけだ。
灯真は保存槽の列を振り返る。ここで眠る人々は、呼吸している。確かに死んではいない。だが生きているとも言い切れない。
「その言い方、便利だな」
灯真は言う。
「死んでないなら救ったことにできる。喋れないなら同意もいらない。泣かないなら苦しんでないって扱える」
清嵐の微笑が、わずかに薄くなった。
『君はやはり、記録より現場を見るタイプだ』
褒め言葉の顔をした評価。だが本質は分類だ。
敵はもう、灯真たちを“説得可能な駒”として棚分けし始めている。
「灯真様、急ぎましょう」
コハクが短く促す。
「ここは足止めの場所です。彼は時間を稼いでいます」
その通りだった。
清嵐本人がここにいるはずがない。光像を置く理由は、一つ。こちらの足を鈍らせ、その間に前方の層を再編成するためだ。
灯真は頷き、扉へ向き直る。
「証拠は取った。人も見た。次は止める側へ行く」
かぐらも涙の痕を残したまま、はっきり頷いた。
「はい。起こせないままでも、見捨てたことにはしません」
その返答に、朱羅が少しだけ目を細めた。
それは姉を見る顔というより、同じ場所へ立とうとする者を見る顔だった。




