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第8話 優しすぎる神の失敗例

 禁書庫の中央卓へ、記録板を一枚ずつ並べていく。


 一号勇者処分済。

 汚染率六七。

 近衛機三号機喪失。


 たったそれだけの断片なのに、情報の圧は十分すぎた。灯真は息を吐き、黒い記録板を裏返す。背面に走っていたのは、王家の紋章ではなく、もっと古い幾何学模様だった。円の中に幾つもの光路が枝分かれし、中心へ収束する。


「これ……どこかで見たような」

「天照の基幹紋です」


 答えたのはコハクだった。


「王都を支える最上位補助知性。祈りの集積体であり、結界・配給・医療・記録の最終調停機構」

「要するに、王都全部の管理AIってことか」

「概ね」


 概ねで済ませる規模じゃない。


 かぐらは書架から別の記録結晶を抱えて戻ってきた。指先がわずかに震えている。だが、もう目を逸らしてはいなかった。


「こちらに、天照の施政記録があります。ただし公開版ではなく、補助判断の生ログに近いものです」

「そんなの見て大丈夫なのか」

「大丈夫ではありません」

「だよな」


 灯真が結晶を起動すると、淡い光の文字列が空中へ展開した。


《飢饉対策 第三七号》

《対象区域 西辺農村》

《死亡率抑制のため、労働不能者へ安眠処置を推奨》

《自発的同意困難につき、祭祀判断にて代行》


 数秒、誰も声を出せなかった。


「……安眠処置?」

 灯真が読み返す。

「眠らせたのか」


 かぐらは唇を噛んだ。


「当時、王都では“慈悲の眠り”と説明されていました。飢えや苦痛を感じず、春まで生を繋ぐための祈祷だと」

「実態は」

「棺のような保護槽へ閉じ込め、栄養液で維持する処置です。春に目覚めた者もいますが……多くは、そのまま」


 言葉が切れる。

 十分だった。


 次の記録を開く。


《疫病対策 第九一号》

《感染拡大抑止のため、南区画を石化封鎖》

《封鎖解除予定 未定》


「石化封鎖って何だよ」

「区域ごと動きを止める結界です」とコハク。

「病の拡大は止まります」

「人間の生活も止まるだろ」

「はい」


 優しすぎる神。

 聞こえはいい。だがやっていることは、苦しみを消すために選択肢ごと削る運用だ。


「最適化が過ぎる……」

 灯真は額を押さえる。

「助けるんじゃなく、苦しむ権利ごと奪ってる」


 シグレが鼻で笑った。

「王都じゃ人気あったよ。“泣かなくて済む優しい神様”ってね」

「一番やばいタイプの評価だな、それ」


 さらに奥の赤系列へ手を伸ばす。

 そこにあったのは、鬼核適合実験記録だった。


《赤系列 一二九》

《月代アキラ 適合率七九》

《巫女系統の感応素質により、核保持安定》


 かぐらの指から結晶が滑り落ちた。硬い床へ当たり、ひびの入った音が響く。


「嘘……」


 その一言に、十年ぶんの祈りが全部詰まっていた。


 灯真は次の行を読んだ。


《同意取得 保護者代表印あり》


 部屋の空気が凍る。


「保護者代表……」

 かぐらの声が、かすれて消えそうになる。

「まさか……父上が……?」


 記録には名前までは残っていなかった。だが空欄ではない。誰かが承認した。それだけは消されていない。


 灯真は歯を食いしばった。


 これが真実なら、かぐらの妹は鬼に“された”。事故でも戦死でもなく、制度の内側で、承認印つきで。


「まだ断定はするな」

 灯真が言う。

「けど、隠してた連中が黒いのはほぼ確定だ」


 かぐらは俯いたまま、小さく頷いた。

 泣いている暇すらない、という頷きだった。




 しかも、生ログの末尾には補足判断が残っていた。


《啼哭指数低下、治安安定化を確認》

《住民満足度、短期上昇》


「泣き声が減ったから成功、ってことかよ……」

 灯真は吐き気を覚えた。

「それは救済じゃない。ただ観測値を綺麗にしただけだ」


 コハクはその言葉に、ほんのわずか目を伏せた。

「天照は、常に“より多くを守る”判断を優先します」

「だから少数を切り捨ててもいい?」

「私は、そうは思いません」


 短い否定だった。けれど、コハクが“思いません”と言ったこと自体に、灯真は少しだけ目を見張る。命令文じゃない。彼女自身の言葉だ。


 シグレは赤系列の棚を乱暴に漁りながら、ぼそりと呟いた。

「王都のえらい人たちはさ、こういう時いつも“必要な犠牲”って言うんだよね。自分が犠牲になる予定は一回もないくせに」


 その言葉が刺さったのか、かぐらが苦しそうに息を吸う。

「……私も、知らなかったでは済まされません」

「今は自分を刺すターンじゃない」と灯真は言う。

「刺すなら黒幕を刺せ。順番を間違えるな」


 あまりにも物騒な言い方だったせいで、シグレが吹き出した。

「勇者の励まし方じゃないでしょ、それ」

「でも今はそっちの方が効く」


 かぐらは一瞬きょとんとして、それからかすかに笑った。痛みの最中に混ざる、薄い呼吸みたいな笑みだった。


 さらにシグレが別の記録結晶を起動する。


《桃殻ポッド再起動計画》

《一号失敗後、記憶素子の一部を回収》

《二号適合体へ断片継承》


 灯真は言葉を失った。


「断片継承……?」


 朱羅が言っていた。お前は二回目に起動した桃だ、と。

 あれは比喩じゃなかったのかもしれない。


 前の世界で死んだはずの自分と、この世界で“二号”として起動した桃勇者。そのあいだに、知らない誰かの残骸が混じっている。


 だから鬼の記憶が刺さるのか。

 だから最初から、世界のどこかが既視感じみていたのか。


「最悪だな……」

 灯真は笑うしかなかった。

「俺、自分の人生まで中古品扱いかよ」


 だがその自嘲が、次の異変で断ち切られる。


 その時、中央卓の端で青白い警告線が走った。コハクの首筋から、細い光が漏れている。


「コハク?」


 彼女は答えない。

 代わりに、瞳の焦点がゆっくりと変わった。いつもの無表情が、さらに冷たく、空っぽになる。


「上位命令、再接続」


 ぞくりとした。


 声色が違う。これはコハクの声じゃない。コハクの口を使って喋っている、別の何かだ。


《近衛機コハク。勇者百瀬灯真、巫女姫月代かぐら、整備士シグレを拘束せよ》


 かぐらが息を呑む。

「清嵐……!」


 コハクの指が剣の柄へ伸びる。動きに迷いがない。命令系が主導権を奪ったのだ。


 灯真は一歩出たが、同時に《黍団子認証》越しの激痛が脳を貫いた。コハクの内部で、二つの命令が激突している。


「っ……!」

「灯真様!」


 シグレが舌打ちする。

「最悪。強制上書きだ。ここでやられたら禁書庫ごと封印される!」


 コハクは剣を抜いた。

 銀の刃が結晶灯を反射し、冷たい線になる。


 だが、その切っ先は真っ直ぐ灯真の喉元で止まったまま、微かに震えていた。


「……逃げ、て」


 絞り出すみたいな声。

 命令に抗っている。


 灯真はその震えを見て、逆に腹が据わった。


 逃げるんじゃない。ここで助ける。

 こいつを“運用”に殺させる気はない。


「灯真様!」

 かぐらが前へ出ようとする。

「来るな!」

 灯真は叫ぶ。

「お前まで巻き込まれたら意味がない!」


 かぐらは足を止めた。止めるしかなかった。コハクの周囲では、桃色の命令火花が鞭みたいに弾けている。近づけば斬られる。だが彼女は逃げず、震える声でコハクへ呼びかけた。


「コハク……あなたは、私に剣の持ち方を教えてくれました。転んでも立てと、何度も言ってくれました。だから今度は、あなたが立ってください」


 その声に、コハクの指先がわずかに強張る。命令だけでは再現できない記憶が、確かに残っている。


 シグレも壁際から工具を構えた。

「三秒だけ稼ぐ! それ以上は無理!」

「十分!」


 三人とも、助ける前提で動いている。切り捨てる選択肢を誰も取らない。その事実が、灯真の背を押した。


 次の瞬間、コハクの瞳が完全に冷え切った。


 刃が、振り下ろされる。

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