第7話 禁書庫へ走れ
王都へ戻る道は、奇妙なくらい静かだった。
東門の結界柱が半壊し、死んだはずの姫の妹が鬼として現れ、さらに大神殿からは鬼ヶ島遠征命令。普通なら城中が怒号と混乱でひっくり返っていてもおかしくない。なのに白桃城の回廊は、磨かれた床に靴音だけが乾いて響いていた。
静かすぎる。
そういう時は大抵、上の連中が先回りして口を塞いでいる。
「嫌な感じしかしないな」
灯真がぼそりと言うと、横を歩いていたシグレが鼻を鳴らした。
「嫌な感じじゃなくて、実際に嫌なんだよ。こういうのは“何も起きてません”って顔して、裏で一番まずい処理が進んでる時の空気」
「分かる」
「分かるんだ」
前の世界で何度見たか知れない。障害報告が来る直前ほど、会議室の空気は妙に澄ましていた。責任者ほど優雅にお茶を飲み、現場ほど顔色が死んでいく。
今の白桃城もそれに似ていた。
先導する兵士たちは口数少なく、こちらを客としてではなく、ほとんど監視対象として扱っている。灯真たちを囲む位置も露骨だった。かぐらは唇を引き結び、コハクは無言のまま、半歩だけ灯真の前を歩く。まだ《黍団子認証》の接続は続いているらしく、彼女が警戒を強めるたびに、こめかみの奥が薄く軋んだ。
「このまま謁見の間へ通されます」
兵士の一人が事務的に告げた。
「行ったらどうなる?」
灯真が尋ねる。
「大神殿の勅令が下ります。鬼ヶ島遠征の出立は、今夜にも」
早い。早すぎる。
灯真は足を止めた。
「行かない」
兵士たちが一斉に振り向く。
かぐらも目を見開いた。
「灯真様……!」
「情報が足りなすぎる。鬼が作られてる疑いがあって、王都側にも黒幕がいる。そんな状態で『はいそうですか』って出発したら、ただの使い潰しだろ」
兵士の顔が険しくなる。
「勇者殿。勅令への拒否は反逆――」
「それ、運用で誤魔化してるだけだろ」
低く言い返すと、相手の言葉が止まった。
「問題の切り分けもしないで本番投入とか、最悪の現場だ。しかも人質までセットとか、設計したやつの性格が終わってる」
兵士は意味の半分も分かっていない顔だったが、馬鹿にされたことだけは伝わったらしい。槍の柄を握る手に力が入る。
その時だった。
「なら、切り分けましょう」
かぐらが一歩前へ出た。声は震えていたが、逃げてはいなかった。
「灯真様のおっしゃる通りです。妹の件、結界柱襲撃、そして清嵐による即時遠征命令。全てが繋がっている可能性があります。ならばまず調べるべきは――」
「禁書庫だね」
シグレがあっさり言った。
「王家が見せたくない記録は、大体あそこ。表の書架にあるのは歴史の体裁、地下にあるのが実務の死体」
「言い方」
「事実」
コハクが視線だけで周囲を測った。
「禁書庫への正規入室には、王家の紋章鍵か、近衛機上位認証が必要です」
灯真は彼女を見た。
「お前、開けられるのか」
数秒の沈黙。
それからコハクは静かに頷く。
「開けられます」
「でも命令違反になる」
「はい」
「それでも?」
コハクの返答は少し遅れた。命令系と自分の意思のあいだで、見えない歯車が噛み合い直しているみたいだった。
「……現時点で、灯真の生存と真相解明は高い相関を持ちます」
「相変わらず言い回しが硬いな」
「翻訳すると、“行くべきだと思う”ってこと」
シグレが勝手に補足した。
コハクは否定しなかった。
なら十分だ。
灯真は兵士たちへ向き直る。
「悪いけど、謁見はあとでな」
次の瞬間、シグレが袖口から小さな閃光玉を弾いた。ぱん、と乾いた音。桃色の煙が廊下いっぱいに広がる。
「うおっ」
「シグレ!?」
「台所用の粉に細工しただけ!」
兵士たちが咳き込む隙に、四人は脇の回廊へ飛び込んだ。
*
禁書庫は城の地下三層、古い礼拝堂の真下にあった。
そこへ至る通路は、もはや城というより施設だった。石の壁に沿って配線管が走り、足元には保守用の細いレール。ところどころに埋め込まれた結晶灯が、病的な白さで道を照らしている。
「まるでサーバールームの裏動線だな……」
「さばーるーむは分かりませんが、王都の心臓部ではあります」
かぐらが息を整えながら答える。
逃走の最中だというのに、彼女はまだ巫女姫としての姿勢を崩していなかった。だが灯真には分かる。足取りが微妙に乱れている。妹が生きていた、しかも鬼にされた。その事実を受け止め切れていないのに、気丈に立っているだけだ。
「無理すんな」
灯真が言う。
「今は無理します」
即答だった。
その返しに、灯真は少しだけ笑った。
「そういうとこ、真面目すぎるだろ」
「灯真様にだけは言われたくありません」
軽口が返ってきた。それだけで少し救われる。
階段を下りきると、最後の扉が現れた。黒鉄製。表面には桃と犬・猿・雉を組み合わせた古い紋章。その下に、見慣れない細い刻印がいくつも走っている。
「これ、王家の封印だけじゃないな」
「近衛機認証と勇者管理規格が重ねられています」
コハクが答えた。
「勇者、管理?」
「本来、口外を避けるべき情報です」
その言い回し自体が答えみたいなものだった。
コハクは扉へ手を当てる。黒い手甲の内部から淡い光が流れ、刻印が一つずつ起動した。だが途中で、彼女の肩がびくりと震える。
「どうした」
「上位命令干渉……いえ、解除可能です」
歯を食いしばるみたいに、彼女は珍しく苦しげな声を漏らした。灯真は反射で彼女の手首を掴む。《黍団子認証》越しに、ざらついたノイズが流れ込んでくる。誰かが遠隔でコハクを縛ろうとしている。
「清嵐か」
「高確率で」
数秒後、封印が解けた。
重い音を立てて扉が開く。
中は予想以上に広かった。円形書架が何層にも並び、中心には古い制御卓が沈んでいる。紙の本だけじゃない。記録結晶、金属板、封印筒。歴史そのものを、媒体ごと埋め込んだみたいな部屋だった。
「うわ……」
かぐらが息を呑む。
「ここまで来て『蔵書が多いですね』とか言うなよ」
「言いません!」
シグレは早々に中央卓へ駆け寄った。
「王都の整理番号なら、勇者関連は桃系列。鬼核実験は赤系列。失踪記録は多分、祈祷事故に偽装されてる」
「お前、なんでそんな詳しいんだ」
「城の下働き、舐めないで。見ちゃいけないものほど、床の下を通るから」
灯真は頷き、桃系列の棚を探る。古い記録結晶に触れた瞬間、結晶面へ文字が走った。
桃殻起動記録。
勇者適合試験。
近衛機同調率。
嫌な単語しかない。
そして、一番奥の引き出しに入っていた黒い記録板を引き抜いた時だった。
表面に、赤い警告文字が浮かぶ。
《桃殻ポッド一号 運用終了》
《一号勇者 処分済》
灯真の背筋を、氷の棒みたいな寒気が貫いた。
処分済。
道具みたいな言い方で、人間一人の終わりが書かれていた。
しかも処分理由の欄は、途中からごっそり削られていた。刃物で紙を抉ったような物理的な削除じゃない。記録結晶の層そのものが焼かれ、読む側の視界から原因だけを落とすように細工されている。
「削除の仕方が雑じゃない。悪質だ」
灯真は低く呟く。
「見られたくないから消すんじゃなく、見た側に“最初からなかった”と思わせるための消し方だ」
シグレが中央卓から顔を上げた。
「つまり?」
「隠蔽に慣れてるやつがやってる」
かぐらの表情が暗く沈む。王家の地下にある禁書庫で、勇者の末路が“処分済”の三文字で片づけられている。その事実だけで十分すぎた。
だが記録板の下には、まだもう一枚、薄い補助板が重なっていた。灯真が引き抜くと、今度は消しかけの桃色文字が浮かび上がる。
《一号勇者最終報告――汚染率六七到達。近衛機三号機喪失。管理継続不能》
六七。
朱羅の言っていた数字が、急に現実の重みを持つ。
灯真は無意識に自分の手首を見た。四三。まだ半分以上、先がある。だが記録の書き方からして、それは“余裕”じゃない。“残り時間”だ。




