第6話 妹は鬼になっていた
かぐらが膝をついた音だけが、やけに大きく聞こえた。
「……アキラ?」
その名は、喉を裂くみたいにか細かった。
赤髪の少女――朱羅は、まるでその反応を待っていたかのように笑う。嬉しさは一切ない。長い時間かけて研がれた刃みたいな笑みだった。
「やっと思い出した」
「そんな……でも、あなたは……」
「死んだことになってる、でしょ」
朱羅は肩をすくめる。その仕草だけ妙に人間くさくて、灯真は逆にぞっとした。鬼と人の境界があいまいすぎる。
兵士たちは誰も動けなかった。姫の死んだ妹。敵として現れた鬼。情報量が多すぎて、思考が追いついていない。
追いついていないのは灯真も同じだ。だが、止まっている暇はない。朱羅の背後では停止した青鬼列車の内部で、まだ赤い火花が散っている。何かの自壊シーケンスが走っているのかもしれない。
「コハク、警戒」
「了解」
大盾が一段下がって、かぐらを庇う位置へ入る。朱羅の視線がそれを見て細まった。
「近衛機まで新調したんだ。お姉ちゃん、相変わらず守られてるね」
「違う……私は……」
「違わない」
ぴしゃりと切り捨てる声音。そこには、家族へ向ける甘さも未練もない。あるのは試すような敵意だけだ。
灯真は一歩前へ出た。
「質問が山ほどある。けど今は一つだけだ」
「へえ。桃勇者が口から先に来るタイプなんだ」
「お前は、鬼なのか。それとも鬼にされた人間なのか」
朱羅は少しだけ目を見開いた。
その反応だけで十分だった。図星だ。
「……その質問を最初にするんだ」
「鬼の中で泣いてた連中がいた。お前も同じなら、まとめて怪物扱いはしない」
言うと、朱羅の表情が一瞬だけ崩れた。怒りでも嘲りでもない、ごく短い動揺。
だがすぐに彼女は笑い直す。
「甘いね。だから使われる」
次の瞬間、彼女の指が軽く弾かれた。
線路脇に伏せていた青い整備蜘蛛が一斉に起動する。掌サイズの機械が十数体、ばらばらと飛び出し、兵士たちへ飛びかかった。
「うわ、まだいたのかよ!」
シグレが叫ぶ。
「分解屋!」と灯真。
「今それ私の役職名みたいに使った!?」
文句を言いながらも、シグレは工具を投げた。回転したレンチが整備蜘蛛を一体叩き落とす。コハクは盾で三体まとめて弾き飛ばすが、数が多い。小さい敵は守備特化の彼女と相性が悪い。
「灯真様!」
かぐらの悲鳴。
一体が彼女の喉元へ飛びかかる。灯真は反射で前へ出た。
剣では間に合わない。なら最短だ。
「《一寸界侵》!」
今度は生身ではなく、掌サイズの純機械へ潜る。世界がさらに細くなる。歯車一つが城壁みたいに大きい。整備蜘蛛の内部は簡素だったが、そのぶん処理が速い。制御核は中央ではなく、脚部の同期リングにある。
「なるほど、分散制御か!」
リングを切る。蜘蛛が空中で失速し、かぐらの目前へ落ちた。続けざまに二体、三体。機械相手の《一寸界侵》は、鬼より感情汚染が薄い。だがその代わり、処理速度が高くて判断が忙しい。違う種類のきつさだ。
現実へ戻った灯真は息を切らしながら、最後の一体を踏み砕いた。
「……人型だけじゃなく、機械にも通る。便利だけど、やっぱクソ忙しいな」
朱羅が感心したように片眉を上げる。
「本当に二人目なんだ」
「二人目?」
聞き返した瞬間、朱羅はしまったという顔をした。だがもう遅い。
「一人目がいたのか」
灯真が詰めると、朱羅は苦々しげに舌打ちした。
「……知らない方が幸せだよ、桃勇者」
「それ、説明する気ゼロのやつだろ」
「なら簡単に言う。あんたはこの国が二回目に起動した桃だ」
意味が分からない。
だが言葉の不気味さだけは十分だった。
二回目に起動した桃。
勇者は一人目じゃない。
かぐらが青ざめたまま首を振る。
「そんな記録、王家には……」
「残ってるわけないでしょ。都合が悪いんだから」
朱羅の視線が、今度は城の方角を向いた。
「お姉ちゃん。あんたが祈って守ってるその国、優しい顔して平気で人を鬼にするよ」
「違う……!」
「違わない!」
怒鳴り返したのは朱羅の方だった。線路の空気が震える。
「私は見た。白い部屋も、赤い核も、選別される子どもたちも。清嵐だけじゃない。王都も神殿も、みんな見ないふりをした!」
その叫びに、灯真の頭の奥で記憶残滓が反応した。白い部屋。閉じる扉。泣く子ども。
やはり同じだ。鬼は自然災害じゃない。作られている。
その時だった。
停止していた青鬼列車の腹が、赤く明滅を始める。
シグレが顔色を変えた。
「まずい、自爆モード!」
「は?」
「大神殿式の証拠隠滅。三十秒で全部吹っ飛ぶ!」
兵士たちが青ざめて散る。コハクがすぐにかぐらを抱えて後退した。
朱羅も舌打ちし、身を翻す。
「今日はここまで。続きが知りたければ、鬼ヶ島へ来な」
「待て!」
灯真が叫ぶ。だが朱羅は振り返らない。
去り際に、ただ一つだけ言葉を投げた。
「次に《一寸界侵》を深く使ったら、あんたは自分が誰の怒りで動いてるのか分からなくなる。汚染率四三でその顔なら、もう時間ないよ」
胸の奥が冷えた。
数字まで知っている。
つまり朱羅は、《一寸界侵》の仕組みも、勇者の末路も知っている。
線路の先で彼女の姿が闇へ溶ける。
同時に、青鬼列車の赤光が限界まで膨れ上がった。
「コハク!」
「防御展開!」
黒い大盾が開き、花びらのような多層障壁へ変形する。灯真は反射でその前へ滑り込み、接続中の《黍団子認証》へ意識を叩きつけた。
「負荷を寄越せ! 一人で抱えるな!」
「あなたは――」
「黙って分けろ!」
爆発。
白い閃光と衝撃波が線路を薙ぎ払う。熱、痛み、圧力。その一部が確かに灯真の側へ流れ込み、肋骨の内側を灼いた。苦しい。だがコハク一人で受けるよりはましだ。
やがて爆風が収まる。
結界柱は半壊で済み、かぐらも無事だった。兵士たちが次々と起き上がる。
コハクは片膝をつきながら、静かに灯真を見た。
「……今のは、標準運用外です」
「そっちこそ。痛みを独占すんな」
コハクの口元が、ほんのわずかに動いた。笑ったのか、ただ処理落ちしたのか分からない程度の変化だった。
だが次の報告が、その空気を切り裂いた。
遠くの城から、二重の警鐘が鳴る。
侍女の一人が泣きそうな顔で駆けてきた。
「巫女姫様! 大変です! 大神殿から勅令が!」
「……何の」
かぐらがかすれた声で問う。
「桃勇者・百瀬灯真に、即時の鬼ヶ島遠征命令を下す、と……! 発令者は、大神官・桃上院清嵐!」
しかも、と侍女は震えながら続けた。
「拒否した場合、勇者反逆として……姫殿下の身柄を預かる、と」
灯真は一瞬、言葉を失った。
鬼ヶ島遠征命令。拒否すれば、かぐらを人質として預かる。つまり清嵐は最初から勇者を使い捨ての駒として扱うつもりでいて、しかもその従わせ方まで隠そうともしない。前の世界で見飽きた最悪の運用が、今度はもっと露骨な顔で現れた。正義だの救済だのと綺麗に名札を貼って、中身は脅迫。
「……ほんと、どこの世界も同じだな」
灯真は低く吐き捨てる。
「それ、運用で誤魔化してるだけだろ」
かぐらが顔を上げた。コハクは無言で盾を握り直し、シグレは嫌そうな顔のまま線路の残骸を蹴った。誰一人として、もう王都の命令をそのまま信じてはいない。
敵は鬼だけじゃない。
王都の中枢が、もうこっちへ牙を剥いている。




