第5話 青鬼列車と赤い少女
結界柱は、城壁の外れにある古い転送線路の上に建っていた。
白桃王国の外周をぐるりと囲むように、かつて物資搬送用だった軌条が残っているらしい。今では半分以上が土に埋もれ、草に呑まれていたが、結界柱の周辺だけは今も保守されていた。そこへ向かう道すがら、灯真は妙な既視感を覚えていた。
レール。中継塔。保守点検用の隔壁。構造は違うのに、運用思想が前の世界のインフラとよく似ている。世界が違っても、人類は結局、動かし続けるために同じようなものを作るのかもしれない。
「勇者様、顔色が悪いです」
かぐらが横から覗き込む。
「徹夜明けに巨大怪獣の腹を二回も覗いた直後としては、むしろ元気な方だと思う」
「その例え、たぶんこの国の誰にも伝わりません」
「だろうな」
会話が続く程度には、頭痛は引いていた。コハクとの《黍団子認証》はまだ細く繋がったままだ。接続線が視覚化されているわけではないが、肩の痛みが急に軽くなったり、逆にコハクが何でもない段差で微かに顔をしかめたりするたび、分散が続いているのが分かる。
嫌な仕組みだ。
便利で、嫌だ。
「見えてきた」
先頭を歩くシグレが指をさす。
線路の中央に、桃色の結界柱が立っていた。高さは三メートルほど。透明な水晶の中で、桃の花びらみたいな光がゆっくり回っている。だが根元の石台座には深い亀裂が入り、その周囲に青黒い金属片が散らばっていた。
「機械でこじ開けられてる」
シグレがしゃがみ込み、破片をつまむ。
「鬼の爪じゃない。保守車両の部材だね」
「保守車両?」
灯真が聞き返した直後だった。
線路の先から、金属を引きずるような音が響いた。
ぎいん、ぎいん、と嫌な駆動音。霧の向こうから現れたのは、小型機関車に似た青い装甲車だった。前面には鬼面が取り付けられ、左右に異様に長い多脚アームが生えている。荷台部分には刃付きの整備腕が何本も折りたたまれ、まるで巨大なムカデが列車へ化けたみたいだった。
「……うわ、嫌なデザイン」
「趣味悪いよね」
シグレが同意する。
青鬼列車とでも呼ぶべき機械は、結界柱へ狙いを定めて加速した。兵士たちが前へ出るが、相手は明らかに対人戦闘より施設破壊へ最適化されている。
「コハク、正面を止められるか!」
「五秒」
「十分だ!」
コハクが駆ける。盾が線路へ叩き込まれ、轟音とともに青鬼列車の突進を受け止めた。だが弾ききれない。多脚アームが左右から展開し、盾の縁を絡め取ろうとする。
「うわ、機械相手でも素直に嫌だな!」
灯真が叫ぶ。
「嫌で済むなら幸せです!」とかぐら。
「祈ってろって言ったの誰だっけ!」
「今は口で祈っています!」
そんなやり取りの間にも、列車はじりじり押してくる。コハクが踏ん張る足元の石が砕け、線路が軋んだ。
灯真は息を吸う。
鬼だけじゃない。
機械にも《一寸界侵》は使えるのか。
いや、使えなければここで終わる。
「やるしかない……!」
世界が再び拡張する。
《一寸界侵》で飛び込んだ青鬼列車の内部は、これまでとまったく違っていた。血の臭いはない。代わりに熱い油と焦げた導線の匂いが鼻を打つ。歯車の谷間を、青い制御光が高速で走っている。完全機械系の敵。シグレの言う通り、狙う場所も変わる。
「人型より素直だな……!」
鬼の内部より情報が整理されている。だがそのぶん、防壁も理詰めだ。監視用の感応線が縦横に張り巡らされ、一本でも触れれば内部シャッターが閉じる構造になっている。
迷路だ。
けれど、迷路は解くものだ。
灯真は制御線の点滅を読む。周期は一定。なら穴はある。流量の薄い瞬間を縫い、針のような身体で配線束の間を滑る。
そこで不意に、ノイズが混ざった。
機械相手なのに、声がする。
『妹を返せ』
『返せ』
『返せ』
「またか……!」
これは記録媒体だ。誰かがこの車両へ執着を焼き付けた。鬼だけが感情を抱えているわけじゃない。機械もまた、人間の未練を保存してしまう。
中央制御核はすぐ見つかった。だがその前に、赤い封印札が貼られている。白桃王国式じゃない。大神殿の刻印だ。
「清嵐、あの野郎……」
切り札は刺すことじゃない。まず偽装命令を剥がす必要がある。灯真は短剣の先で札の回路を断ち切り、次に中継歯車へ刃を差し込んだ。
がちん、と乾いた音。
列車全体が痙攣する。
*
現実側で、青鬼列車はコハクの盾を押したまま停止した。兵士たちが歓声を上げる。しかしその直後、荷台の天板が内側から弾け飛ぶ。
赤い影が飛び出した。
長い赤髪。片角。鬼の紋様を刻んだ外套。少女だった。
年はかぐらと同じくらい。けれどその瞳は氷みたいに冷たく、王都そのものを憎んでいる色をしている。
「……遅い」
少女は止まった列車を見下ろし、次いで灯真を見る。たったそれだけで空気が張り詰めた。
コハクが即座に前へ出る。だが少女は剣を抜かない。ただかぐらの方を見て、唇だけを歪めた。
「まだそんな顔で祈ってるんだ、お姉ちゃん」
かぐらの呼吸が止まる。
「……え?」
周囲が一瞬で静まり返った。
兵士も侍女も、誰も動けない。風だけが草を鳴らす。
赤髪の少女は一歩、線路の上を進んだ。
「忘れたの? それとも忘れたふり?」
その声には憎しみだけじゃない。傷ついた子どもが、裏返ったまま大人になれなかったみたいな痛みが混じっていた。
かぐらは立ち上がろうとして、うまく足に力が入らなかった。侍女が支えようとするのを振りほどき、震える手で胸元の守り札を握り締める。王都を守る巫女姫としてではなく、ただ妹の名を聞かされた姉として、どうしていいか分からない顔だった。
「そんなはず……だって私は、あなたを弔った……」
「弔った?」朱羅は薄く笑う。
「便利な言葉だね。見つからない死体にも、閉ざした記録にも、全部それで蓋ができる」
兵士たちが息を呑む。誰かが「不敬だ」と言いかけたが、最後まで言えなかった。朱羅の声音には、それを押し返すだけの現実味があったからだ。
灯真の脳裏で、第4話の内部映像が弾ける。白い部屋。泣く少女。『お姉ちゃん』。
やっぱり、こいつだ。
「お前……誰だ」
灯真が問うと、少女は笑った。綺麗で、ひどく不吉な笑みだった。
「名乗るなら二つある」
右手で自分の胸を叩く。
「鬼側の名は、朱羅」
そして、かぐらを真っ直ぐ見た。
「でも、あんたの知ってる名前で呼ぶなら――月代アキラ」
かぐらがその場で崩れ落ちた。
その顔を見た瞬間、灯真は確信する。朱羅の名乗りは、ただ動揺を誘うための嘘ではない。かぐらの瞳に浮かんだのは恐怖だけじゃなかった。泣きたいのを必死で堪える子どもの、あまりにも個人的な痛みだった。
「……アキラ」
かぐらの唇が、もう一度だけ震える。
朱羅はその呼びかけに一瞬だけ目を細めた。憎しみの奥に、ほんのわずかなためらいが差す。だが次の瞬間には、それすら叩き潰すように顎を上げた。
「その名前で呼ぶ資格、まだ自分にあると思ってるんだ」
線路の空気が、ひりつく。兵士たちの誰も、この姉妹のあいだへ口を挟めない。王国が隠してきた十年分の何かが、今まさに裂け目から噴き出している。
死んだはずの妹が、鬼として線路の上に立っていた。




