第3話 痛みを分ける契約
白桃城の医務棟は、外から見ればただの白い石造りだった。
だが中に入った瞬間、灯真は違和感に足を止めた。
壁際に並ぶ寝台。薬草の匂い。布で仕切られた診察区画。そこまでは中世めいた光景なのに、天井の骨組みだけが妙に精密だ。継ぎ目が均一で、金具にほとんど誤差がない。さらに奥では、白い筐体に埋め込まれた淡青色の結晶が、規則的に明滅していた。
「なんだこれ……病院と工場を無理やり重ねたみたいだな」
つい漏らすと、先導していたコハクが振り向く。
「白桃王国の回復区画です。古層機関と現行医術が混在しています」
「混在って、そんな雑な……」
「効率優先です」
きっぱり言われ、灯真は少しだけ苦笑した。
効率優先。ずいぶん聞き覚えのある言葉だった。前の世界でも、その一言で人も手順も何もかも削られていった。だが同時に、ここでその言葉を使うのが感情の薄い女騎士だというのが、妙に皮肉だった。
寝台へ座らされる。医務官らしい老人が何か質問を飛ばしてきたが、灯真は半分も聞き取れなかった。頭の中にまだ、鬼の内側で触れた泣き声が残っている。耳鳴りみたいに薄く、けれど確かに。
怖かった。
巨大鬼と戦ったことじゃない。
あの中で流れ込んできたものが、人の人生そのものだったことが怖い。
「気分は」
短く問うたのはコハクだった。
「最悪。頭痛、吐き気、耳鳴り。あと……」
「あと?」
言葉が詰まる。
子どもの泣き声が消えない、なんて説明しても、信じてもらえる気がしない。
「……自分のじゃない記憶が混ざったみたいで、気持ち悪い」
だがコハクは笑わなかった。
むしろ即座に、医務官へ向き直る。
「界侵反応の可能性。精神汚染率の初期測定を要求します」
「おい、今なんて?」
灯真が聞き返すと、老人は慌てて計測器らしきものを持ち出した。水晶板と金属輪を組み合わせた奇妙な器具だ。輪を手首へ嵌められ、水晶に指を触れると、中央へ桃色の数字が浮かぶ。
四三。
「……高いな」
老人が眉をひそめる。
「高いのか、これ」
「初回界侵で四三は、かなり」
コハクが静かに補足した。
「《一寸界侵》は対象内部へ極小侵入し、中枢へ干渉する勇者技能です。同時に、対象の記憶残滓や感情ノイズを使用者へ逆流させます。汚染率が上昇し続けた場合、自己と他者の境界が崩れます」
「……要するに」
「使いすぎると、あなたは鬼に引かれます」
冗談めいた口調ではなかった。
ただ事実だけを並べる声だったからこそ、余計にぞっとした。
「便利な能力ほどクソ仕様ってわけか」
灯真が吐き捨てると、コハクの視線がほんの少しだけ揺れた。
「その表現は、理解しやすいです」
笑ったのかと思った。
だが表情は相変わらず薄い。たぶん今のは、彼女なりの会話参加なのだろう。
そこへ、医務棟の扉が勢いよく開いた。
桃色の巫女装束をまとった少女が、数人の侍女を置き去りにして駆け込んでくる。
「勇者様は!? ご無事ですか!?」
年は灯真とそう変わらない。長い黒髪に桃の簪。大きな瞳は不安と責任感で忙しく揺れていた。姫というより、真面目すぎる委員長がいきなり国家を背負わされた、そんな印象だ。
「巫女姫、走らないでください」
「走ります! 門が壊されて、勇者様まで倒れたって聞いたんですよ!?」
言い返してから、少女はぴたりと止まる。灯真と目が合ったからだ。
一瞬だけ、空気が静まる。
彼女は深く一礼した。
「白桃王国巫女姫、月代かぐらです。百瀬灯真様、このたびは我が国を救っていただき……」
「いや、救ったっていうか、たまたま止まっただけで」
「たまたまで巨大鬼は沈みません!」
食い気味に返され、灯真は少し目を丸くした。
かぐらははっとして頬を赤らめる。
「も、申し訳ありません。ですが、あの場にいた全員が見ています。あなたは現れたその日に鬼を止めました。これは紛れもなく前代未聞の偉業です」
称賛の言葉が、まっすぐだった。
おべっかでも、政治用の飾りでもない。心からそう思って言っている声音だったから、灯真は逆に返しに困る。
前の世界では、徹夜で都市機能を救っても返ってくるのは『朝会で説明よろしく』だった。こんなふうに、真正面から「すごい」と言われた記憶がない。
「……ありがと」
それだけ絞り出すと、かぐらはぱっと表情を明るくした。
「はい!」
単純だな、と灯真は思った。
同時に、その単純さに救われてもいた。
だが、和んだ空気は長く続かなかった。
医務官が検査器具を片づけようとしたその時、灯真のこめかみに針を刺すような痛みが走る。視界の端が赤く滲む。息が詰まる。
泣き声。さっきより近い。
違う。今度は怒鳴り声も混ざっている。
『閉じ込めろ!』
『適合しないなら廃棄だ!』
『鬼核が足りない!』
「っ……!」
寝台から転げ落ちかけた灯真を、コハクが支えた。驚くほど強い腕だった。
「再侵蝕。汚染ノイズ増幅を確認」
「な、なにが起きて……」
かぐらの声が震える。
「勇者技能の反動です」
コハクはそう言うと、自分の手首に巻かれた黒い輪を外した。輪は細いが、内側に複雑な回路紋が刻まれている。
「本来、私は近衛機です。勇者個体と戦闘支援接続を行う権限を持ちます」
「接続?」
「《黍団子認証》」
その言葉に、かぐらが息を呑んだ。
「まさか、今ここで?」
「現状、最適です」
コハクは灯真の正面へ膝をつき、黒い輪を彼の手首へ重ねた。ひやりとした感触。次の瞬間、輪から桃色の光が走り、二人の腕を細い線で繋ぐ。
「今から痛覚と負荷を一部バッファリングします」
「いや待て、簡単に言うな。お前が肩代わりするってことか?」
「正確には分散です。あなた一人で受けるより安全です」
「お前は安全なのかよ」
わずかな沈黙。
それからコハクは、実に機械的な声で言った。
「私は近衛機です。勇者の生存が優先されます」
その答えが、ひどく気に入らなかった。
「それ、運用で誤魔化してるだけだろ」
灯真は睨む。
「優先順位の言い換えで納得させるな。お前が壊れていい理由にはなってない」
コハクの瞳が初めて、はっきり揺れた。
想定外の返答を食らった機械みたいに、一拍遅れる。
「……命令系に、その質問への標準応答はありません」
「じゃあ自分で考えろ」
言った直後、光が強く脈打った。
頭痛が、すっと半分ほど軽くなる。代わりにコハクが小さく肩を震わせた。
灯真は目を見開く。
「今の、やっぱりお前が受けたのか」
「分散です」
「言い換えんなって」
かぐらが困ったようにおろおろしているのが視界の端に映り、こんな状況なのに少しだけ可笑しかった。勇者も近衛機も真顔で言い争い、姫が一番落ち着いていない。
だが、軽くなった頭で考える余裕は戻った。
鬼の内側で見た記憶。
王国の紋章。
《一寸界侵》の汚染率。
そして、コハクが当然のように持っていた《黍団子認証》。
桃太郎伝説の国にしては、あまりにも仕組みが出来すぎている。
「コハク」
「はい」
「俺が桃から来た勇者って話、あれ、どこまで本当だ?」
かぐらが息を呑む。
コハクは灯真を見返したまま、答えなかった。
沈黙が数秒続く。
その重さだけで、灯真には十分だった。
全部じゃない。
何かを隠している。
その時、医務棟の外で鐘が鳴った。低く、長い警報音だ。城内がざわめく。
侍女の一人が青ざめて飛び込んできた。
「巫女姫様! 東門残骸の調査隊から急報です!」
「何があったのです!」
侍女は震える声で告げた。
「巨大鬼の残骸の中から……もう一体、まだ動いているものが……!」
灯真の背中を、冷たい汗が伝った。
もう一体いる。
しかも“残骸の中から”だ。
壊れたと思っていたシステムが、まだ停止していないみたいに。




