第25話 痛みを返す手順
扉が半分開いた時点で、追手が雪崩れ込んできた。
先頭は白兵端末。その後ろに桃色人型、さらに黒ずんだ未処理負荷の影が混じる。天照の管理系、王都の救済残滓、都市の借金。嫌なものが全部まとめて来た感じだった。
「盛り合わせにも程がある!」
シグレが叫ぶ。
コハクが正面を受ける。盾が端末の長柄を受け止め、横からアヤメが視界孔を削る。朱羅は扉の前から動けない。だからいつもより苛立ちが露骨だった。
「早く!」
「頑張ってる!」
かぐらも珍しく声を荒げる。
扉の内側には、巨大な炉心があった。
炎はない。代わりに何十本もの透明管が集まり、その中央で、桃色でも黒でもない灰銀の光がゆっくり回っている。熱で焼く炉じゃない。受け取り先を失った痛みを、一度中立化して持ち主側へ返すための変換炉。そんな印象だった。
その炉心の周囲を、三つの環が取り巻いている。
返還量、返還速度、拡散域。そう読める文字列が浮かんでいた。
「こんなの、完全に設計図じゃん」
シグレの目が光る。
「春臣さん、ほんとに“戻す気”で作ってる」
「戻せるのか」
灯真が問う。
「戻せる。でも雑にやると終わる」
シグレは即答した。
「一気に全量返せば王都は阿鼻叫喚。眠りが剥がれて、鎮痛が切れて、不安が溢れて、暴動も自壊もありえる」
清嵐の声が返還炉内に割り込む。
『それが現実だ。君たちは優しい支配を嫌う。なら支配なき痛みを受け入れろ。都市はそれに耐えられない』
「耐えられないようにしたのはそっちだろ」
灯真は返す。
「返す手順を消して、依存だけ育てた」
『依存ではない。運用だ』
「言い換え飽きた」
扉はさらに開く。
かぐらと朱羅の手元から血に似た光が三環へ流れ込み、灯真の鍵片が中央で回転を始める。
すると炉心の底から、追加文が浮かんだ。
《段階返還 選択可》
《全量返還 最終権限》
全員が息を呑む。
「段階返還」
かぐらが読む。
「少しずつ、持ち主側へ返す」
「全量返還は?」と朱羅。
シグレが嫌そうに答えた。
「今まで積んだ全部を、一気に世界へ戻す。革命か崩壊か、ってレベル」
「選ばせる気ある?」
灯真が顔をしかめる。
「あるから残したんでしょう」
かぐらは炉心を見つめたまま言う。
「お父様は、消すんじゃなく、選べるようにしたかったんだと思います」
その時、白兵端末の一体がコハクの脇を抜けた。
長柄器がかぐらへ迫る。だが朱羅が扉前から半歩だけ外れ、短剣で柄を叩き折った。
「触んな」
その一言が、妙に重かった。
姉妹の距離はまだ遠い。でももう、守るための一歩は出る。
灯真は炉心の三環を見る。
段階返還。これしかないように見える。でも甘いかもしれない。ちびちび返すほど、清嵐や天照に修正の余地を与える。逆に全量返還は、王都ごと吹き飛ばしかねない。
つまり必要なのは第三の答えだ。
「段階返還を、強制的に始める」
シグレが振り向く。
「は?」
「でも速度制御権はこっちが握り続ける」
灯真は言う。
「返し始めた事実だけを先に都市へ通す。完全停止も完全先送りもできない状態にする。そうすれば清嵐も天照も“なかったこと”に戻せない」
シグレの目が見開かれ、それからにやっと歪む。
「最低限の地獄で済ませつつ、後戻り不能にするってこと?」
「そう」
「性格悪くて好き」
かぐらが小さく息を吸う。
「それなら……泣く人は出ます。でも、ずっと一人に背負わせ続ける未来よりは、正しい気がします」
朱羅も短く言った。
「賛成。今さら綺麗に終わると思ってない」
コハクが追手を押し返しながら告げる。
「実行するなら三十秒以内を推奨。敵増援継続中です」
「十分!」
灯真は中央環へ手を突っ込んだ。
《一寸界侵》を、今度は破壊ではなく噛み合わせに使う。段階返還環の始動爪をずらし、速度制御環へ異邦鍵の優先権を噛ませる。正常手順ではない。だが通る。
炉心が灰銀から白へ変わった。
返還路が一斉に開き、王都側へ向けて細い流れが何百本も走る。
『やめろ』
初めて、天照の声から温度が消えた。
『まだ市民は選ぶ準備ができていない』
「準備させろよ」
灯真は返す。
「永遠に“まだ早い”って言いながら奪ってきただろ」
清嵐の声も重なる。
『百瀬灯真。それは統治ではない。扇動だ』
「じゃあいいよ」
灯真は歯を食いしばった。
「今この都市に足りないの、たぶん少しの扇動だ」
返還炉が起動する。
遠く、王都全体のどこかで、見えない悲鳴が連鎖した気がした。
そして同時に、炉心の最奥からもう一枚、封じられていた板がせり上がる。
《最終停止権限者 第一勇者》
灯真の背筋が冷えた。
「一号勇者……まだ終わってないのかよ」
返還路が開いた瞬間、炉心の周囲に数字とも祈祷文ともつかない列が滝みたいに走った。
王都各区、病棟、結界塔、貧民区、北城門、南市場。戻り先の候補が、まるで都市の傷跡一覧みたいに浮かんでいる。
「全部、行き先か」
灯真が呻く。
「そう」
シグレは歯を食いしばったまま頷く。
「つまりこれ、“誰へ返すか”だけじゃなく、“どの場所が今まで何を肩代わりさせてきたか”の地図でもある」
かぐらの顔色がさらに変わる。
「北城門……兵の恐怖が集中しています。南市場は飢えと不安。貧民区は、慢性的な諦めが多すぎる」
数値じゃないのに、意味だけは嫌というほど伝わる。
天照は都市を救ってきた。だが同時に、都市のどこがどれだけ苦しみを外注していたかまで、全部記録していたのだ。
「請求書っていうより、監査報告書だな」
灯真は言った。
「最悪の形の」
清嵐の声が割り込む。
『だから言ったはずだ。見せるべきではない真実がある』
「都合が悪い真実、の間違いだろ」
『違う。耐えられない真実だ』
その一言にだけは、少し本音が混じっていた。
清嵐もまた、この地獄を知ったうえで王都を回してきたのだろう。だからこそ、開示を恐れる。
でも恐れているから隠す、を許したら、また同じ仕組みが育つ。
灯真は三環のうち速度制御環へ意識を集中させた。
「かぐら、負荷の薄い区画から返せるか」
「できます。完全な公平にはなりませんが……暴発しにくい順なら」
「それでいい。完璧さで止まるのが一番駄目だ」
かぐらが頷き、祭祀文字の流れを書き換える。北城門は微量、南市場は断続、病棟は鎮痛維持を残したまま段階返還。乱暴だが、何も考えず一律に戻すよりずっとましだ。
朱羅が端末を蹴り飛ばしながら笑う。
「へえ。神様気取りより、よっぽど現場してるじゃん」
「現場だからな」
灯真も返す。
「壊れたあと困るやつの顔が見えると、雑に全部押せなくなる」
返還炉の白光が脈打つ。
王都側へ流れた細線のうち、何本かが安定色へ変わった。まだ始まっただけ。でも“戻る”手順が現実になった証拠だ。
その時、炉心中央から低い唸りが上がる。
最終停止板の奥で、さらに古い封印線がゆっくり割れた。
《第一勇者 応答待機》
ただの記録ではない。
返還を始めたことで、次段の権限者が目を覚ます。その構造ごと春臣は残していたのだ。
「本当に全部ひと繋がりかよ」
灯真は乾いた笑いを漏らす。
「終わりかけるたびに、次の管理者層が出てくる」
「レガシーシステムですね」とアヤメ。
「嫌な意味で層が厚いです」
「褒めてないのは分かる」
だが悪くない。次の扉が見えたなら、進める。見えないままよりずっといい。




