第24話 お父様はまだ返事をしている
返還炉前の扉は、白くなかった。
今まで見てきた管理層の設備は、どれも清潔で、整っていて、無機質だった。だがここだけは違う。金属とも木ともつかない古い質感の扉に、手書きみたいな祭祀文字が何重にも上書きされている。最初から機械として作られたんじゃない。誰かが現場で何度も直し、足し、消し、残した痕跡だ。
「……お父様の字」
かぐらが小さく言った。
朱羅が眉を動かす。
「分かるの?」
「はい。止める時の払いが少し強いんです」
その答えに、朱羅は何も言わなかった。
でも扉を見る目つきが、さっきより少しだけ変わった。単なる敵設備じゃない。家の中にあった筆跡の延長として見え始めたのかもしれない。
扉中央には、承継片と同じ形の差し込み口が三つあった。
一つは今、かぐらが持っている。残り二つは空だ。
「嫌な予感しかしない」
シグレが言う。
「三つ必要ってことは、春臣さん一人じゃ開けきれない構造にしたんだろうね」
「独断で全部使われないため、でしょうか」
アヤメが上空から扉を見回す。
「権限分散型」
灯真は頷いた。
「ありえる。返還手順を残したい。でも一人で暴走させたくもない。だから複数承認にした」
「お父様らしいです」
かぐらが呟く。
「誰かを信じる形でしか、最後の手順を作らなかったんだと思います」
その言葉が終わる前に、扉の奥から声がした。
『かぐら』
全員が凍る。
低く、少し掠れていて、でもやわらかい。録音でも天照の模倣でもない。家族にだけ分かる温度があった。
「お父様……?」
承継片が明滅する。扉表面へ、短い文が浮かんだ。
《第三承継手順。直接会話は不可。短文応答のみ》
「会話できる!」
灯真が前のめりになる。
「いや短文だけど!」
かぐらは震える指で扉に触れた。
「お父様、聞こえますか」
《聞こえる》
朱羅の喉が、ごく小さく鳴った。
それだけで十分だった。生きている。意思がある。清嵐の“価値”だの“維持”だのじゃなく、ちゃんと父親としてここにいる。
「どうして……こんな所に」
かぐらが問う。
返答は少し間を置いて現れた。
《返還路を残すため》
シグレが息を吐く。
「やっぱり」
灯真はすぐ次を問う。
「返還炉って何だ」
《保留した痛みを 持ち主側へ戻す手順》
「戻したらどうなる」
《都市は揺れる 泣く 怒る 眠れなくなる》
分かっていた答えだ。
でも本人の言葉で突きつけられると、重さが違った。
「それでも残したんですね」
かぐらの声は細い。
「皆が苦しむ可能性があるのに」
《苦しまないために 誰か一人を固定する方が もっと駄目だ》
短い。
けれど芯だけは、まったくぶれていなかった。
朱羅が初めて前へ出た。
「……私のことも、見てた?」
扉の光が一拍遅れて揺れる。
《遅れた すまない》
それだけだった。
言い訳もなければ、美化もない。遅れた、とだけ認める。
朱羅はしばらく何も言わず、扉を睨んでいた。怒鳴るかと思った。泣くかと思った。でも彼女は、どっちもしなかった。
「じゃあ、今からちゃんと間に合って」
吐き出されたのは、それだった。
ぶっきらぼうで、痛くて、それでも完全には切っていない言葉。
《努力する》
その返事に、朱羅はほんの少しだけ顔を背けた。
照れたわけじゃない。たぶん、崩れそうなのを耐えたのだ。
扉の表面に新しい文が浮かぶ。
《開くには 三鍵必要》
《かぐら 朱羅 異邦鍵》
「私も入ってるんだけど」
灯真が言う。
「異邦鍵って雑な呼ばれ方だな」
「でも分かりやすいです」とアヤメ。
かぐらが承継片を見つめる。
「三つ目が……灯真様」
シグレが肩をすくめた。
「春臣さん、だいぶ思い切ったね。血筋二つに異邦人一人。つまり身内だけでも王都だけでも開けさせない」
「妥当だな」
灯真は答える。
「この手の最終手順、内輪だけで握ると腐るし」
その時、背後の昇降路から激しい衝撃音が響いた。
追手だ。桃色人型だけじゃない。もっと硬い、もっと機械的な足音が混じっている。
「白兵端末の増援です!」
アヤメが告げる。
「数、十以上!」
清嵐の声が遠くから落ちる。
『家族の再会は美しい。だが都市運営は感傷で回らない』
「会話ぶち壊すタイミングまで完璧に嫌なやつだな」
シグレが吐く。
灯真は扉中央を見る。三つの差し込み口。その両脇に、手のひらを置く浅い窪みがある。
「かぐら、朱羅。鍵になるのはたぶん血と応答だ。コハクたちが時間を作る間に、お前らは接続しろ」
「灯真様は?」
「異邦鍵やる」
そう答えると、かぐらが一瞬だけ笑った。
こんな場所で笑う余裕があるのは、たぶん少しだけ救いだ。
コハクが盾を構え直す。
「時間を確保します」
「私も行く」と朱羅。
「いや、お前はここだ」
灯真は即座に止めた。
「たぶんお父さん、今この場で一番必要としてるのはお前の応答だ」
朱羅が睨む。
けれど数秒後、舌打ちして扉の前に立った。
「借りだから」
「十分」
かぐらが右、朱羅が左の窪みへ手を置く。灯真は中央へ鍵片をかざした。
扉の祭祀文字が一斉に脈打ち、春臣の短文が最後に浮かぶ。
《次で 全部は隠せなくなる》
「望むところだ」
灯真は言った。
「もう十分、隠されてきた」
背後で昇降路の封が破れた。
扉が開く直前、かぐらはもう一つだけ問いを投げた。
「お父様。私たちは……間に合いますか」
短い沈黙。
その数秒がやけに長い。
そして浮かんだ文は、あまりにも春臣らしかった。
《間に合わせる ために 来てもらった》
かぐらの目元が震える。
救われた、というより、託されたのだと分かってしまった顔だった。
朱羅がぼそりと呟く。
「ずるい返し方」
「うん」
灯真も同意する。
「親ってそういうとこある」
「知ったように言うな」
「知らないけど、今のは分かる」
そのやり取りの最中、コハクの盾へ白兵端末の長柄が連続で叩き込まれる。金属音じゃない。もっと乾いた、嫌な破砕音だった。
「時間確保、残り僅少です」
アヤメも上空から報告する。
「昇降路からの増援、なお継続! 管理者上書きも再接近しています!」
シグレが工具を回しながら吐く。
「会話イベントの最中に雑魚戦ぶっ込んでくるタイプのボス、本当に嫌い」
灯真は扉の三鍵表示を見る。血筋二つ、異邦鍵一つ。
これ、ただ開くだけじゃない。たぶん役割分担そのものを刻む仕掛けだ。かぐらは継承、朱羅は欠落からの応答、灯真は外部からの切断。似た者だけでは絶対に成立しない。
「春臣さん、かなり本気で王都を信用してなかったんだな」
すると扉へ新しい文字が一行だけ浮かぶ。
《信用ではない 偏らせない》
「聞いてたんですか今の」
灯真が思わず言うと、少し遅れてまた文字が出る。
《聞こえる》
「会話のテンポ悪いのに、返しは強いですね」とアヤメ。
朱羅が、ほんの少しだけ笑った。
本当に少しだけだ。でもそれだけで空気が変わる。
「じゃあ、偏らせないために私も使えってことでしょ」
《そうだ》
今度の返事は早かった。
朱羅は一度だけ目を閉じる。許したわけじゃない。許せるほど簡単でもない。でも“切り捨てられなかった側”として、ここで応える理由は受け取ったのだろう。
「分かった。あとでちゃんと文句言うから」
《待つ》
その一文に、かぐらが小さく笑って、それから泣きそうな顔になった。
灯真は二人を見る。
今この場で必要なのは、綺麗な和解じゃない。応答が途切れていないことの確認だ。それだけあれば、次へ進める。
「よし、開けるぞ」
三つの鍵が同時に脈打つ。
扉の継ぎ目から、灰銀の光が細く漏れた。返還炉の心臓が、向こう側で起き上がろうとしている。




