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第22話 家族会議は棺の前で

 桃色の海が、ざぶりと鳴った。


 波というより、脈だった。巨大柱の内部で眠る無数の人影と同期して、足元の液光が心臓みたいに膨らみ、縮む。そのたびに空洞の空気まで一拍遅れて震える。王都ひとつ分の寝息を、地下でまとめて聞かされているみたいで、ひどく気持ちが悪い。


『これが都市の重さです』


 天照の声は相変わらず穏やかだった。

 慰める調子のまま、脅しだけを正確に通してくる。


『あなたたちは一人を救いたい。だがここには、何万もの眠りが接続されている。月代春臣を外せば均衡が崩れる。王都は泣きます』


「泣くから続けろって?」

 灯真は吐き捨てた。

「便利だな、その理屈。誰かが人質になってれば、永久に改善しなくて済む」


 清嵐が薄く笑う。

「改善はしてきた。だから王都はここまで保った」


「人を柱に刺したままな」


 返すと、清嵐は初めて無言になった。

 図星を突かれた時の沈黙じゃない。もう説得だけで止められないと判断した顔だ。


 巨大柱の中で、眠っていた人影たちが一斉にこちらを向く。

 いや、向いたように見えた。瞳は全員同じ桃色。表情もない。けれどその無数の視線が、まとめて灯真たちへ固定される。


「来る」

 コハクが低く告げた。


 次の瞬間、桃色の海から人型が立ち上がる。

 半透明の輪郭。王都の市井で見かけそうな服、老人、女、子ども、兵士、商人。みんな眠ったままの顔で、ただ手だけをこちらへ伸ばしてきた。


「うわ、最悪」

 シグレが顔をしかめる。

「殴りづらさに全振りしてる」


 まったく同感だった。

 敵兵ならまだ躊躇の置き場がある。だがこれは違う。王都の“守られている側”そのものを盾にしている。


 朱羅が短剣を構えたまま舌打ちする。

「中身は幻でも、嫌がらせとしては満点」


 かぐらは棺の前で膝をついた。

 父、春臣の眠る桃色の棺。その表面へ両手を置き、震える息を整える。


「……お父様」


 返事はない。

 けれど棺内の光脈が、ほんの一瞬だけ強く明滅した。


 灯真はそちらを見る。見間違いかもしれない。でも、かぐらも同じものを見た顔をしていた。


「反応した」


 清嵐が淡々と告げる。

「春臣殿の祭祀応答は残してある。完全停止ではない。むしろ今も都市維持の補助演算を継続中だ」


「だったら聞こえてるんだな」

 灯真は一歩踏み出した。

「なら、本人に聞けばいい」


「無意味だ」

 清嵐の返答は速い。

「今の彼は負荷分散の核に近い。個別意思を表層化させれば、全層へ遅延が走る」


「要するに、喋らせたくないってことか」


 そう言った瞬間、桃色の人型たちが一斉に踏み込んできた。


 コハクが前へ出る。盾を振るうのではなく、面で押す。人型を傷つけず、進路だけを逸らすやり方だ。


「実体強度、低。衝撃で散りますが、再形成が速いです」


「散らすだけだときりがない!」

 アヤメが上空から叫ぶ。

「海そのものが供給源です!」


 シグレが床の光海を睨む。

「供給源っていうか、請求元だねこれ。溜め込んだ“痛み”とか“不安”とか、そういう未処理分が人型の皮を着て出てきてる」


 その言葉に、灯真の頭の中で何かが繋がる。


 眠りの民。祈祷分配樹。都市維持。つまり天照は、救済の副作用をどこかへ寄せ続けてきたのだ。すぐ消せない苦痛、処理しきれない恐怖、行き場のない絶望。そういう“重さ”を、後ろへ後ろへ回して、この地下へ積み上げた。


「海はゴミ捨て場か」

 灯真は低く言う。

「王都の痛みの最終処分場」


 天照は否定しない。


『処分ではありません。保留です』


「その言い換え、ほんと好きだな」


 朱羅が笑いもせずに吐く。

「で、保留したツケを人型で殴りに来るんだ」


 かぐらが棺に触れたまま、目を閉じた。

「お父様の式が……まだ下に何か隠しています」


「隠してる?」


「違う。残してる、です。誰かがここまで来た時のための、別の手順」


 清嵐の目が細くなる。

「かぐら姫、その先を読むのはやめた方がいい」


「嫌です」


 即答だった。

 しかも静かだ。前みたいな祈る声じゃない。選んだあとに出る声だ。


「お父様が残したなら、私は読みます」


 棺の表面へ、かぐらの指先が新しい光を走らせる。古い祭祀文字が浮かび、春臣の系統符が何層にも重なって開いていく。


 すると棺の内側で、眠ったままの春臣の指が、かすかに動いた。


 ほんの数ミリ。

 けれど家族が見間違える距離じゃない。


「……動いた」

 朱羅の声が、珍しく揺れた。


 次の瞬間、棺の側面から細い光片が一つ弾き出される。札でも鍵でもない、薄い桃殻板。かぐらがとっさに受け止めた。


「承継片……?」


 清嵐の顔から、ついに余裕が消えた。


「それを渡したのか、春臣」


 その一言で確定した。

 今のは偶然じゃない。父はまだ返事をしている。


 灯真は人型を押し返しながら叫ぶ。

「かぐら! それ、何に使う!」


「まだ全部は読めません! でも中枢の奥へ進む正式手順の一部です!」


「じゃあ十分だ!」


 桃色の海がさらに膨れ上がる。時間をかければかけるほど不利になる。

 だが手に入った。清嵐が隠したかった“家族の返事”が、確かにここにある。


 灯真は鍵片を握り直し、巨大柱の先を睨んだ。


「家族会議ってんなら、本人が喋る席まで行くぞ」


 その宣言に、コハクが無言で一歩前へ出る。

 朱羅は短剣を返し持ち、シグレは工具を噛み直し、アヤメは上空の退路を測る。

 かぐらは承継片を胸元で握りしめた。


 清嵐が、冷えた声で言う。


「なら次は、“返事を聞いたら戻れなくなる層”だ」


 巨大柱の根元で、隠されていた昇降路が桃色に開いた。


 昇降路の縁へ立つ直前、灯真は一度だけ振り返った。

 桃色の海の向こうで、巨大柱に眠る人影たちがまだこちらを見ている。助けを求めているのか、止めようとしているのか、それすら分からない。ただ確かなのは、今までこの王都の誰かが泣かずに済んだ裏で、彼らのぶんまで地下へ沈められてきたという事実だった。


「灯真様」

 かぐらが承継片を握ったまま言う。

「もしこの先で、お父様が本当に都市側へ残ると言ったら……どうしますか」


 簡単には答えられない問いだった。

 娘として救いたい気持ちと、設計者として残る判断。その両方がありえる。


 でもだからこそ、先に決めつけるのが一番駄目だ。


「本人に喋らせる」

 灯真は答えた。

「今のこの都市、そこを飛ばしすぎた。善意だろうが運用だろうが、結局“本人はこう思うはずだ”で押し切ってきたろ。だったらまず聞く」


 かぐらは数秒だけ黙り、それから小さく頷いた。

「……はい。聞きます。怖くても」


 朱羅が鼻を鳴らす。

「今さら家族会議とか、だいぶ遅いけどね」


「遅いよ」

 灯真もあっさり言う。

「でもゼロよりはましだ」


 その返しに、朱羅は一瞬だけ口元を歪めた。笑ったのか、呆れたのかは分からない。でも少なくとも、拒絶だけの顔ではなかった。


 背後では、再形成した桃色人型がまた数を増やし始めている。海そのものが脈打ち、人型の輪郭へ次々と誰かの眠りを与えていた。


「この場に長居は無理です」とコハク。

「昇降路侵食率、上昇中」


「じゃあ行くぞ」


 灯真が踏み込むと、昇降路の内壁に細い文が流れた。


《承継者候補へ告ぐ》

《聞いた後で 戻す覚悟がないなら 進むな》


 かぐらが息を呑む。


「お父様……」


 それは優しい警告だった。

 けれど甘さはない。真相を知るだけでは足りない。そのあと世界へ返す覚悟まで問う文だ。


 灯真はその文を見上げ、低く笑った。


「脅し方、親子で似てるな」


「私、こんなに怖く言ってません!」


「いや最近ちょっと似てきた」


 軽口の直後、昇降路が深く脈打ち、一気に下降を始めた。

 もう戻れない。そう機械的に告げるみたいな速さだった。

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