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それでも、選んだ理由

「……で?」

イリアスが椅子に腰掛けながら言う。

「これからどうすんだ、勇者くん達は。国から逃げ続けるにしても、作戦くらいはあるんだろ?」

「……ねぇよ」

イリアスは片眉を上げる。

「はい?」

「勢いでここまで来ただけだ。次の目的地も、これからどうすればいいかも何も決めてねぇ」

「行き当たりばったり過ぎるだろお前ら……」

呆れたように笑う。

「勇者くんはどうしたいのさ。大人しく捕まってアストラの飼い犬となるのか、逃亡生活を死ぬまで続けるのか」

「…どっちも嫌だわ」

「ははっ、勝手なもんだ。アストラの支配から逃れ、かと言って逃亡者にもならない。そんなの、皇帝の御首でもへし折って、セレスティアそのものを変えるぐらいしか無いだろうよ」

「……」

ペプシルは何も答えなかった。

工房には炉の火が燃える音だけが響いている。


皇帝を倒す。


国を変える。


そんな途方もない話、少し前までの自分なら鼻で笑っていただろう。

ただの、自身の街を守る守衛だった。

平穏に生きて、平穏に死ぬ。

それだけの人生のはずだったのだ。


だが今は違う。


眼前には、神話の中の存在でしかなかった聖剣がある。

 

国から追われている。

街には嘘が流され、人々は疑い合わされている。

そしてアストラから派遣された、新星騎士団の武力による実質的な支配。

全部、あの皇帝の手のひらの上だ。

 

「……分かんねぇよ」

ぽつりと漏れた言葉に、イリアスが視線を向ける。

「何がだ?」

「俺が何したいのか」

ペプシルは頭を掻いた。

「逃げたいわけじゃねぇ。捕まりたいわけでもねぇ」

そう言いながら、自分でも上手く言葉にできない。

「ただ――」

そこで言葉が止まる。

脳裏に浮かぶのは、ルミナスの街並みだった。

笑っていた人達。

賑わう市場。

「……あいつの好き勝手で、俺やみんなの生き方まで決められるのは気に食わねぇ」

工房に沈黙が落ちる。

イリアスは少しだけ目を細めた。

すると、先程まで眠っていたはずのオサリアがぽつりと口を開いた。

「じゃ、変えちゃえば?」

その場に似つかわしくないほどあっけらかんとした声に、ペプシルとイリアスは同時に視線を動かした。

「オサリア……お前、いつから起きて……」

「んー、皇帝の首?をへし折るあたりから?」

オサリアはふにゃりと笑い、寝癖のついた頭を振りながら作業台へと寄りかかる。

「なんかさ」

ぽつり、と続ける。

「変だよね」

「変?」

「うん」

オサリアは目を細めた。

「みんな一生懸命生きてるだけなのにさ」

炉の火が揺れる。

「偉い人ひとりで決めちゃうの。

 嘘ついたり、喧嘩させたりしてさ。

……それ、気に食わないなら」

 

オサリアはペプシルを見る。

その目は眠そうなのに、妙にまっすぐだった。


「気に食うように変えちゃえばいいんじゃない?」


イリアスは、短く息を吐いた。


「……簡単に言うな」

それだけ言って、少しだけ笑う。

だがその笑いは、さっきまでの軽さとは違っていた。

「国ってのはな、気に食わないから変えられるもんじゃない。仕組みがあって、金があって、武力があって……その上に、長い時間が乗っかってできてる」

カン、と工具を置く音が響く。

「お前らが言ってるのは、“それら全部ぶっ壊して作り直す”って話だ」

イリアスは肩をすくめた。

「できるかできねぇかで言えば、普通は“できねぇ”だ」


イリアスは視線を上げた。

翡翠の目が、炉の火を反射して鋭く光る。

 

「だが、それを“やる奴”が一人でも出たら、その瞬間から世界は揺れ始める」

「何も変わらないままじゃいられねえ」

 

工房の奥で、蒸気が小さく噴き上がる。

シューッ……という音だけが、妙に長く響いた。

 

出来上がった大剣は、ただの護身用の荷物なんかじゃない。

もうとっくに、そういう段階は過ぎている。


オサリアが小さくあくびをした。

「んー……でもさ」

「ん?」

「難しいことはよくわかんないけど」

眠そうな目のまま、まっすぐ言う。

「誰かが決めたルールで、誰かが泣くのって、やっぱ変だよ」

沈黙。

イリアスは一瞬だけ目を伏せて、それからふっと笑った。

「……ガキの理屈だな」

「だめ?」

「いや。――嫌いじゃない」

否定するほど無粋でもない、とでも言うように、短く返した。その声音は淡々としている。

 

「……で、だ」

イリアスは背もたれに預けていた身体を起こし、眼鏡の位置を指先で直した。その目はいつの間にか、さっきまでの死んだ魚のような光に戻っている。

「お気楽なガキの理屈を並べるのは大いに結構だが、現実は一秒ごとに進んでる。お前ら、アイゼルを出た後の行き先は?」

「……だから、ねぇって言っただろ」

ペプシルがバツが悪そうに視線を外す。

イリアスはわざとらしく深い溜息をつくと、作業台の引き出しから、頑丈な革製の大型バックパックを引きずり出した。さらに、棚から各種の精密工具や、魔力測定用の触媒、真鍮製の予備パーツをこれでもかと放り込んでいく。

ガシャガシャと騒がしい金属音が工房に響く。

ペプシルは眉をひそめた。

「……おい。何してんだよ」

「何って、旅支度。見れば分かるだろ」

「は?」

「勘違いするなよ、勇者くん」

イリアスはバックパックのベルトを乱暴に締め上げると、それをひょいと片肩に担ぎ直した。眼鏡の奥の翡翠の目が、薄暗い工房の光の中で冷徹に、だがどこか愉快そうにペプシルを射抜く。

「俺は世界を変える旅なんて高尚なものには一ミリも興味がない。だがな、その『最高峰に迷惑な大剣』の外装を組んだのはこの俺だ。神聖魔力を蒸気と電気でハッキングするなんていうイカれた真似、手順書もなければ前例もねぇ」

イリアスは一歩、ペプシルの前に歩み出た。

「三日に一度、俺が直接出力をメンテナンスしなきゃ、次の一振りで外装ごと暴発して君の右腕は木っ端微塵だ。俺の作った『最高傑作』が、持ち主の不手際で自壊してアストラの手に渡るなんて事態、寝覚めが悪すぎて死んでもお断りなんだよ」

それが、彼の掲げた堂々たる『建前』だった。

「……つまり、ついてくるってこと?」

オサリアが目を輝かせて尋ねる。

「監理だよ、嬢ちゃん」

イリアスは工房の天井を見上げた。何重にも巡らされた複雑な配管、そこから漏れる白い蒸気。

「この剣はな、聖剣を隠すために蒸気機関と魔導回路で神聖魔力を誤魔化してるだけだ。言ってしまえば巨大な嘘の塊だよ」

「……」

「もしお前が死ぬか、外装が壊れるかしたらどうなると思う?」

ペプシルは眉をひそめた。

「聖剣が露出する?」

「ご名答」

イリアスは乾いた笑みを浮かべる。

「その瞬間、俺が国宝級の神具を無断で改造した証拠も一緒に世界へお披露目だ」

眼鏡を押し上げながら続ける。

「国家反逆罪。よくて終身監禁。悪けりゃ処刑」

イリアスはそこで一度口を閉じた。

工房を見回す。

積み上げた工具。

煤けた壁。

何年もかけて作り上げた自分の城。

そして――黒鉄に覆われた機械大剣。

「はぁ……俺も馬鹿だな」

「俺が改造しちまった剣。その剣を勇者くんが持った瞬間から、既に俺は共犯者。…だろ?勇者くんも言ってたじゃないか」

「それに――」

イリアスは機械大剣へ視線を向ける。

「こんなイカれた代物を作っといて、結末だけ他人から聞くなんて御免だ」

隠しきれない反骨心と、最高傑作を最後まで見届けたいという狂気が、その立ち姿に収まりのいい毒を与えている。

「そろそろ行くぞ。ここに長居すりゃ、それこそ店ごと国家権力に消されるからな」

イリアスは躊躇なく作業台の『機械大剣』の柄を掴み、ペプシルへと放り投げた。

衣服の擦れる音とともに、ペプシルがそれを片手でガチリと受け止める。白銀の輝きは完全に消え失せ、今や黒鉄の装甲と真鍮の歯車に覆われた、重厚でうるさい鉄塊。

「……随分と、癖のある監理職を雇っちまったみたいだな」

ペプシルはそう毒づきながらも、どこか吹っ切れたような笑みを浮かべ、大剣を背中のホルダーへと深く差し込んだ。ガシャリ、と重い金属音が、彼らの新しい足音のように響く。

「光栄に思いな。うちの技術は世界一だぜ?」

「どうだか」

イリアスが鍵を開け、工房の重い鉄扉を押し開ける。

差し込んできたのは、アイゼルの白い蒸気を黄金色に染め上げる、鮮烈な朝焼けの光だった。

「行先は」

イリアスが朝焼けの空を見上げながら言う。

「水都レヴァリアだな」

「レヴァリア?どうして?」

オサリアが首を傾げる。

「あそこなら、他の街よりアストラの息がかかってない」

ペプシルは背中の無骨な大剣の位置を微調整しながら、朝焼けの街を見据えた。

「中立を掲げる広大な水上都市だ。新星騎士団といえど、あそこで好き勝手に武力を振るうのは難しい。…まあかと言って自由でもないが」

「へえ」

「街の構造も入り組んでる。身を隠すには向いてるし、今後を考える時間も稼げる」

そして少しだけ表情を緩める。

「それに、俺の友人がいる」

イリアスは酷く懐かしむような目をした。

「そいつの名前はヨザキ。水都で魔術の塾講師をやってる、クソ真面目な魔導士だ」

「…とびきりのお人好しでもある。あいつの家に転がり込めば、とりあえず数日は飯にありつけるだろ」

イリアスが歩き出す。真鍮のバックルがチリ、と硬い音を立てた。

「というわけで、これより本件は『機械大剣の長期出張メンテナンス任務』とする。旅費と材料費はしっかり稼いでもらうからな、勇者くん?」

「……勝手に言ってろ」

ペプシルは呆れたように吐き捨てながらも、背中に馴染む重厚な鉄塊の重みを確かめ、その後に続いた。

「わー、水都だって! 美味しいお魚食べられるかなぁ」

オサリアが二人の間で天真爛漫に跳ねる。その足取りには、先ほどまでの疲弊を微塵も感じさせない、不思議な力強さが戻っていた。

「……捕まるなよ、お二人さん。アストラの巡回が薄いルートで、まずは下層の回廊へ向かうぞ」

そう言うとイリアスは腰のポーチから掌サイズの真鍮製の小箱を取り出した。

〈カチ、カチカチ、カチ――〉

何度か蓋を叩くような乾いた音が鳴る。

「何してんだ?」

ペプシルが眉をひそめる。

「ん? ただの保険だよ」

イリアスはそれだけ答えると、小箱を再びポーチへ放り込んだ。

「保険?」

「世の中、準備の良い奴ほど長生きするんだ」

「意味分かんねえ」


 黄金色の朝焼けが、三人の影を長く、強く、前方の道へと引き延ばしていく。

空中列車の汽笛が、遠くで長く、朝の始まりを告げるように鳴り響いていた。

「空中列車、乗ってみたかったなあ」

「全て終わった後に遊びに来ればいいさ」

「生きて帰れたらな」

「ペプシル!」

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