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覚悟の十秒

「……少し時間をくれ」


ヨザキは黒く焼けた侵食痕へ再び手を置いた。

紫色の魔力が、ゆっくりと石床へ溶け込んでいく。


「術式はまだ生きてる」


誰へ言うでもなく呟く。


「完全に閉じる前なら……解析できるかもしれない」


誰も口を開かない。


オサリアは壁へ身体を預けたまま、荒く息を繰り返していた。


鼻血は止まっていない。

袖口は赤く染まり、指先はまだ小さく震えている。

それでも、その瞳だけは床の侵食痕から離れなかった。


「……頼む」


ヨザキは目を閉じる。


「もう少しだけ、残っていてくれ」


紫の魔法陣が石床へ広がる。


残留魔力。

術式の流れ。

座標。


すべてを一つずつ拾い上げていく。


その時だった。


〈ガタンッ!!〉


重い扉が勢いよく開く。

続いて、慌ただしい足音が回廊へ響いた。


〈ダダダダダッ!!〉


「何事だ!」


先頭の騎士が回廊へ飛び込む。

その視線が、目の前の光景を捉えた。


砕けた床。

焼け焦げた石畳。

血痕。


そして。


「……陛下?」


騎士の顔から血の気が引く。

玉座へ続く回廊に、いるはずの皇帝の姿がない。


「陛下はどこだ!」


誰も答えない。

騎士の視線が、 五人へ向く。


床へ刻まれた異様な術式。

血を流す少女。

白亜の皇宮にはあまりにそぐわない、各々の街の旅装束を着た五人。


状況は最悪だった。


「まさか……」


騎士が剣を抜く。


「貴様ら……陛下に何をした!!」


次の瞬間。


「全員拘束しろッ!!」


白い鎧を纏った皇室兵が、次々と回廊へ雪崩れ込んでくる。


その数は十人。

いや、それ以上。


「チッ……!」


イリアスが銃を抜く。


グランヴィアは大剣を肩へ担ぎ直した。

サクヤはすぐにオサリアの前へ立つ。


「ヨザキ」


イリアスが短く呼ぶ。

ヨザキは侵食痕へ触れたまま、術式だけを見つめていた。


「……やれるね」


掠れた声。


その一言だけだった。

イリアスは小さく鼻で笑う。


「…あいよ」


銃を回し、前へ出る。


「時間稼げってことだろ」


カチリ、と撃鉄が起きる。


ヨザキは答えない。


イリアスは回廊の中央へ立つ。


「サクヤ」

「分かっとる」


槍が構えられる。


「グランヴィア」

「任せろ」


炎が大剣へ灯る。


イリアスは銃口を兵士達へ向けた。


「ヨザキ」


初めて振り返る。


「絶対、間に合わせろ」


ヨザキは目を閉じたまま、小さく笑った。


「善処する」

「はっ、信用ならねぇ返事だ」


一拍。

 

「ほな」


サクヤは穂先を皇室兵へ向ける。


「時間稼ぎといこか」


皇室兵の怒号と共に、白銀の刃が月明かりを弾いた。


皇室兵が一斉に踏み込む。


「捕らえろ!!」


イリアスは静かに引き金へ指を掛けた。


「悪ぃな」


〈パンッ!!〉


銃声が、静まり返った皇城へ響き渡る。

先頭を走っていた皇室兵の足元へ弾丸が突き刺さり、

白い石床が砕け散った。


「止まれ」


イリアスは銃口を下げない。


「これ以上近付くな」


返答の代わりに、皇室兵達は剣を構えた。


「逆賊共が!」

「陛下をどこへやった!」


怒号と共に、一斉に駆け出す。


「来るでッ!」


サクヤが床を蹴る。

槍が半月を描き、先頭の兵士を大きく弾き飛ばした。


〈ガギィンッ!!〉


金属同士が激しくぶつかり合う。

だが、すぐさま左右から別の兵士が斬り込んでくる。


「数が多い!」


グランヴィアが前へ踏み込み、大剣を横薙ぎに振るう。


轟音。


炎を纏った一撃が回廊を薙ぎ払い、

兵士達をまとめて吹き飛ばした。


「怯むな!」

「包囲しろ!」


次々と白い鎧が押し寄せてくる。


「……チッ」


イリアスは後退しながら引き金を引く。


〈パンッ! パンッ!〉


弾丸が兵士の剣を弾き、その隙へサクヤの槍が滑り込む。


「邪魔やァ!!」


石畳を蹴り上げ、二人まとめて壁へ叩き付けた。


「後ろ!」


グランヴィアの声。


イリアスは振り返る事なく身を沈める。


頭上を剣閃が掠めた。

流れるようにそのまま兵士の懐へ銃口を押し当てる。


〈パンッ!!〉


至近距離の衝撃で兵士が吹き飛び、床を転がった。


「キリがねぇな……!」


額へ汗が滲む。


ヨザキは、なおも床へ手を当て続けていた。

周囲の戦闘音は、もう耳へ入っていない。

紫色の魔力だけが、静かに侵食痕へ溶け込んでいく。


(違う)


目を閉じる。


(普通の転移術式じゃない)


流れてくる魔力。

複雑に折り重なった神聖術式。


その奥に、もう一つ。


別の魔力が見えた。


(認証……?)


ヨザキの眉が僅かに動く。

転移術式は、途中で終わっていた。


いや。


終わっているのではない。


「……繋がってる」


掠れた声が漏れる。


「転移先で、もう一度術式が続いてる」


指先へさらに魔力を込める。

紫色の魔法陣が広がる。


次の瞬間。


景色が流れ込んできた。


白い門。

幾重にも重なる神聖文字。

巨大な魔法陣。


その中心へ流れ込む、一筋の黄金色の魔力。


「……勇者」


思わず呟く。

その黄金の魔力へ、神聖術式が反応している。


認証。


鍵。


勇者だけを受け入れる門。


「そういう事か……!」


ヨザキが目を見開く。


「まだかヨザキ!」


イリアスの声が飛ぶ。

返事はない。


ヨザキは侵食痕だけを見つめていた。


「違う……」


誰へ向けるでもなく呟く。


「プルーはサンクチュアリ内部へ直接飛んだんじゃない」


紫の瞳が静かに揺れる。


「入口だ」


その一言に、戦っていた三人の動きが僅かに止まった。


「入口……?」


サクヤが振り返る。


「転移術式は入口までしか繋がっていない」


侵食痕へ視線を落とす。


「そこから先は、勇者の資質を鍵として認証を受け、中へ入る構造だ」


グランヴィアが兵士を大剣で押し返しながら叫ぶ。


「じゃあ俺らは!?」

「入口までなら……行ける!」


ヨザキは即座に答えた。


「けれど――」


その言葉が重く落ちる。


「門は開かない」


視線が、静かにオサリアへ向く。


「……そこで君の闇魔法が必要になる」


グランヴィアは再び大剣を振るう。


「なんだっていい!とにかく早くしろッ!!」


グランヴィアはそう叫びながら、大剣を振り抜く。


〈ゴォンッ!!〉


炎を纏った一撃が兵士達をまとめて吹き飛ばす。

赤い絨毯へ炎が燃え移り、火の筋が回廊を駆け抜けた。


「怯むな!」

「包囲しろ!」


倒れた兵士の向こうから、さらに新たな皇室兵が雪崩れ込んでくる。


「……ッ!」


サクヤが槍で剣を受け止めた。


〈ギィンッ!!〉


右。


左。


さらに正面。


三方向から振り下ろされる刃を、紙一重でいなし続ける。


「多すぎるやろ……ッ!」


その横では。


「邪魔だ」


イリアスが銃床で一人の顎を打ち抜き、続けざまに膝蹴りを叩き込む。


〈ドゴッ!!〉


兵士が吹き飛ぶ。


だが。


〈カチッ〉


「……ッ」


弾切れ。

イリアスは舌打ちしながら素早く弾倉を入れ替える。

 

その僅かな隙を。


「今だ!」


一人の兵士が見逃さなかった。


「イリアス!」

 

サクヤの声と共に、剣が一直線にイリアスへ迫る。

間に合わない。


〈ガギィィンッ!!〉


その時、巨大な大剣が割って入った。


「余所見すんな……よッ!!」


グランヴィアが兵士の剣を弾き飛ばす。


「やるじゃねえか」

「これでも騎士だったからな!」


いつものように軽口を叩く、短いやり取り。

しかし。


「ぐっ……!」


サクヤの肩へ剣先が浅く掠めた。

赤い線が走る。


「サクヤ!」

「平気や!」


そう叫び返す声とは裏腹に、呼吸は荒い。

三人とも、少しずつ押され始めていた。


その光景を。

壁際にもたれたまま、オサリアは見つめていた。


拳を、ぎゅっと握る。


(早く……)


(早く……!)


ヨザキの額から汗が滴る。

回廊に燃え盛る炎のせいか、それとも——。

 

「もう少しだ……」


その”もう少し”は、あまりにも長く感じられた。


「……見つけた」


ヨザキがゆっくりと目を開く。

紫色の魔法陣が、静かに収束していく。


「入口までの座標を固定した!」


全員が振り返る。

ヨザキは侵食痕へ手をかざす。


「残留術式を無理やり再起動させる!」


イリアスが兵士の剣を受け流しながら叫ぶ。


「つまり!?」

「入口まで強制転移する!!」


ヨザキは立ち上がる。

長時間の解析で足元がわずかによろめいた。


「術式はもう限界だ…!」


黒い侵食痕へ目を落とす。

焼け跡は、先程よりも更に薄れていた。


「次に消えたら、二度と追えない」

「じゃあ急ぐぞ!」


グランヴィアが蹴撃で兵士を吹き飛ばす。


だが。


「逃がすな!」


皇室兵がさらに押し寄せる。

回廊を埋め尽くすほどの白い鎧。


「……まだ足りねぇか」


イリアスが苦く笑う。


「ヨザキ!」

「転移まで何秒だ!」


ヨザキは即座に答える。


「十秒」


その一言で空気が変わる。


「……任せとき」


サクヤが槍を握り直す。

イリアスが銃を構え、にやりと笑った。


「耐えりゃ勝ちだ」


ヨザキはゆっくりと息を吸うと、両手を侵食痕へ重ねた。


「……始める」


紫色の魔法陣が、一気に広がる。


黒く焼けた侵食痕が淡く明滅し、消えかけていた術式が僅かに脈打った。


ヨザキの黒髪がふわりと靡き、魔法陣で紫色に照らされた。

 

〈ゴォォォ……〉


石床全体が低く唸る。


「十……」


ヨザキの額へ汗が滲む。

皇室兵は術式の光で一瞬動きを止めた。


「九……!」


床へ刻まれた紫色の紋様が、回廊いっぱいへ走る。


「ッ、止めろッ!!」

「転移だ!行かせるなァ!!」


皇室兵が雪崩れ込む。


「来るでッ!」


サクヤが真正面から踏み込んだ。


〈ガギィィンッ!!〉


槍が一閃。

先頭の兵士ごと後続を薙ぎ払い、吹き飛ばす。

 

一瞬、苦痛の表情を浮かべ、サクヤの槍の戻りが遅れる。

 

「八!」


その隙間を縫うように別の兵士が駆ける。


「どけェ!!」

「させるかよ」


〈パンッ!!〉


イリアスの銃弾が兵士の剣を撃ち抜く。

刃が弾け飛び、兵士が体勢を崩した。

その腹へ容赦なく蹴りを叩き込む。


〈ドゴッ!!〉


「七!」


ヨザキの足元で紫の光が激しく脈動する。

だが、侵食痕は端から崩れ始めていた。


「保ってくれ……!」


歯を食いしばる。


「あと少しだ……!」


「六!」


「退けェェ!!」


皇室兵の一人が足を止めた。


剣を収め、腰の後ろから一本の短槍を抜き放つ。

鋭い切っ先が、混乱の中でヨザキを捉える。


〈ヒュンッ!!〉


白銀の短槍が風を裂いて飛ぶ。


「ヨザキ!」


サクヤが叫ぶ。

だが、ヨザキは振り返らない。


「……ッ!」


〈ザシュッ〉


短槍が肩口を掠め、鮮血が散った。


「五……ッ!」


ヨザキの身体が僅かによろめく。

その隙を埋めるように──

 

「吹っ飛べェッ!!」


グランヴィアは炎の中で咆哮した。


〈ゴォォォンッ!!〉


灼熱の衝撃が回廊を駆け抜け、白い鎧が宙へ舞う。

爆風で、未だ燃え続ける旗が大きくはためいた。


ヨザキの魔法陣が大きく震える。


〈ピシッ〉


魔力を流し込み続けた術式が、ついに悲鳴を上げた。

紫色の術式へ細い亀裂が走った。


「……ッ!」


「四!」

 

「ヨザキ!」


イリアスが叫ぶ。


「まだ持つか!」

「持たせる!」


返事と同時に、ヨザキはさらに魔力を流し込んだ。

紫色の光が眩く弾ける。


「三!」


その瞬間。

回廊の奥から、一際重い足音が響いた。


〈ドンッ……ドンッ……〉


兵士達が左右へ道を開ける。


「隊長!」

「増援です!」


白銀の大盾を構えた巨躯の騎士が、一歩前へ出た。

その大盾を構えたまま、一直線にヨザキ目掛けて駆け出す。


「術者を狙ってる!」


サクヤが目を見開く。


「ヨザキィッ!!」

「二ッ!」


ヨザキは両手は侵食痕へ重ねたまま。

今ここで術式を離せば、すべてが終わる。


「……頼んだ」


小さく漏れたその一言。


「言われるまでもねぇ!」


イリアスが床を蹴った。

盾を構え突進してくる騎士へ、一直線に自ら飛び込む。


〈パンッ!!〉


放った銃弾は大盾へ弾かれた。


「無駄だァッ!」


騎士は止まらない。

大盾を構えたまま、そのまま押し潰そうと突っ込んでくる。


「だろうな」


イリアスは笑った。


次の瞬間、ホルダーへ銃をしまう。


「なっ……?」


騎士の目が僅かに揺れる。

イリアスは勢いそのまま、大盾へ片足を掛けた。


「借りるぜ」


〈ダンッ!!〉


盾を踏み台に、高く跳ぶ。

騎士の頭上を飛び越え――そのまま後方へ着地。


「何ッ!?」


振り向こうとした騎士の背中へ。


〈ドゴォッ!!〉


イリアスの渾身の回し蹴りが叩き込まれた。

巨体が大きく前のめりになる。


「今だ!」

「おうッ!!」


グランヴィアが咆哮した。

炎を纏った大剣を、腰を落として振り抜く。


〈ゴォォォンッ!!〉


大盾ごと騎士を吹き飛ばす。

後方の兵士達を悲鳴ごと巻き込み、白い鎧が次々と床へ転がった。


「一!」


ヨザキの足元で、紫の魔法陣が激しく明滅する。


〈ビキ……ッ〉


侵食痕が崩れ始める。


「くそ……!」


もう限界だ。

これ以上は保てない。


「オサリアちゃん!」


ヨザキが叫ぶ。


「今だ!!」


オサリアが壁から身体を起こす。


ふらつく足で、一歩。


袖口には乾ききらない血が滲んでいる。

それでも彼女は、迷いなく侵食痕の前へ立った。


黒く焼けた痕へ静かに手を伸ばす。


「……お願い」


かすれた声。


「ペプシルのところまで」


闇色の魔力が、指先から滲んだ。


黒い靄ではない。

細い糸のような闇が、紫色の術式へ絡み付いていく。


〈ジュゥゥゥ……〉


紫色の術式へ闇が絡み付き、崩れようとする光を押さえ込む。神聖術式は拒絶するように明滅しながらも、辛うじて形を保ち続けた。

 

絶対に離さない。

 

オサリアの意思に応えるように、闇は術式へ更に深く食い込んでいく。

  

「よし……そのまま頼む……!」


ヨザキが歯を食いしばる。

闇はなおも術式へ食い込み、無理やりその形を保ち続ける。


「今なら飛べる!」


ヨザキが右手を掲げた。

紫色の魔法陣が更に輝きを増し、一気に膨れ上がる。


「全員、魔法陣の中へ!」


その声を合図に。

 

イリアスが真っ先に飛び込み、

サクヤがオサリアの腕を掴んで引き寄せる。

グランヴィアも後退しながら大剣を振るい、迫る兵士達を牽制した。


「逃がすなァァァ!!」


兵士達が一斉に飛び込む。


その刹那。


ヨザキが右手を振り下ろした。


「――転移!!」


白い閃光が、回廊を飲み込んだ。

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