白い暗闇の先
〈カツン〉
乾いた靴音が響いた。
全員が反射的に壁際へ身を隠す。
白い通路の奥から、一人の職員が歩いてくる。
白衣を着た胸元には六翼の星。
首からは認証札を提げていた。
淡々とした足取り。
感情の無い顔。
職員は通路脇の扉の前で立ち止まった。
「対象者0147」
その言葉に対する返事は無い。
扉が開く。
中から一人の男が出てきた。
グランヴィアとサクヤは眉を顰める。
アストラ工房区の職人らしき人物。
だが、どこか様子がおかしい。
目に光が無く、呼吸が浅い。
職員は手元の書類へ視線を落とした。
「適応率九十二パーセント」
淡々と読み上げる。
「再配置可能」
男は何も言わずに、ただ頷いた。
職員は書類へ印を付ける。
「次」
扉が閉まると、再び静寂が訪れた。
「……何やあれ」
サクヤが小さく呟く。
誰も答えられない。
今の男は、どう見たっておかしかった。
まるで、自分で考える事をやめたみたいだった。
その時。
「動くぞ」
ペプシルが小さく言う。
六人は白い通路を進む。
壁際と物陰に隠れ、足音を殺す。
通路は左右へ枝分かれしており、想像以上に広かった。
番号付きの扉。
職員達。
運ばれていく荷車。
その全てが規則正しく動いていた。
まるで巨大な工場のようだった。
やがて。
ヨザキが足を止めた。
「……聞こえる」
紫の瞳が奥を見る。
耳を澄ませると、微かに誰かの声がした。
六人は音のする方へ向かった。
突き当たりで、少しだけ開いた扉。
中から声が漏れている。
「番号は?」
「二一八です」
「氏名は」
短い沈黙。
「ありません」
オサリアの顔色が変わる。
中の声は続いた。
「対象者二一八」
「保護管理法適用済み」
「旧戸籍抹消確認」
紙をめくる音。
「人格適応率良好」
「再配置可能」
誰も動けなかった。
旧戸籍抹消。
聞き間違いではない。
「……名前を消してる」
ヨザキが小さく呟く。
ペプシルの拳が強く握られた。
消えた職人。
消された記録。
全部繋がった。
ここは人を保護する場所じゃない。
人間を番号へ変える場所だ。
オサリアは思わず自分の名前を心の中で繰り返した。
その時だった。
通路の奥から慌ただしい足音が響く。
〈タッタッタッ〉
全員が振り返る。
白衣の職員が焦った顔で走ってくる。
「緊急通達!」
通路中に声が響く。
「三十分後、皇帝陛下が施設を視察される!」
空気が止まった。
ペプシルの青い瞳が見開かれる。
ヨザキも息を呑んだ。
職員達が慌ただしく動き始めた。
白い通路を荷車が行き交う。
「待機室へ急げ!」
「視察対象者の再確認!」
「不適格者は後方区画へ!」
怒号が飛び交う。
先ほどまで機械のように静かだった施設が、
一気に騒がしくなった。
「……なんや」
サクヤが眉を顰める。
「皇帝来るだけでこんななるんか」
「……違うな」
ヨザキが低く呟く。
紫の瞳は忙しなく動く職員達を追っていた。
「連中は歓迎の準備をしているんじゃない」
「見せる準備をしている」
オサリアが小さく息を呑む。
その時だった。
奥の通路から、番号札を付けた男女を連れて数人の職員が現れる。
十代の少年。
中年の男。
若い女性。
年齢も性別もバラバラだ。
だが、ひとつだけ全員に共通している事。
目に光が無い。
ただ、職員の後ろを静かに歩いている。
「対象者三〇二」
「対象者三一七」
「対象者三二一」
番号だけが呼ばれる。
誰も反応しない。
ただ歩き、ただ従う。
グランヴィアの顔が歪んだ。
「……人間じゃねえみたいだ」
低い声だった。
ペプシルも何も言わない。
青い瞳だけが鋭くなる。
その時。
通路の奥。
今まで閉ざされていた巨大な隔壁が、ゆっくりと開き始めた。
〈ゴゴゴゴ……〉
重い音が響く。
全員がそちらを見れば、開いた先には広大な空間が広がっていた。
円形ホールに白い床、白い壁、白い天井。
そして——中央には高い演壇。
まるで裁判場のような構造。
……あるいは、処刑場。
「……んだあれ」
イリアスが呟く。
職員達は迷いなく番号の人間達をそこへ連れていく。
一列、また一列と演壇の前へ並ばせる。
ヨザキの目が細くなる。
「見世物だ」
「皇帝に見せるための」
空気が重くなる。
ふと、近くを通った職員達の会話が耳に入った。
「今回の適応率は高いらしい」
「ああ」
「陛下もお喜びになるだろう」
適応率。
またその言葉だった。
ペプシルの拳が軋む。
人間を数字で測り、名前を消し、人格を消す。
そして成果として報告する。
ここでは、人は自分を失う。
残るのは番号と、役割だけだった。
その時。
「……おい」
グランヴィアが小さく言う。
全員の視線が動く。
ホールのさらに奥、演壇の後ろ。
そこにもう一つ扉があった。
他のとは雰囲気が違う、黒い扉。
施設全体が白で統一されている中、そこだけが異様だった。
扉の上には一つの紋章。
六翼の星。
その中心に刻まれた文字。
「皇帝専用区画」
沈黙。
誰も動かなかった。
黒い扉はホールの最奥。
距離にして百メートルも無い。
「……怪しすぎるやろ」
「怪しいどころじゃねえな」
サクヤに同意するように、グランヴィアが眉を顰めた。
「どう見ても当たりだろ」
ヨザキは何も言わない。
紫の瞳がホール全体を見渡した。
慌ただしく動く職員達。
視察準備。
並ばされる対象者達。
どこを見ても人、人、人。
「どうやって行こうか」
静かな一言だった。
黒い扉までは近い。
だが近いだけだ。
今飛び出せば確実に見つかる。
「無理だな」
イリアスが小さく舌打ちした。
「いや」
声がした。
全員が振り向く。
オサリアだった。
琥珀の瞳が黒い扉を見つめている。
「夜隠」
その言葉で、空気が張り詰めた。
「…待て」
最初に口を開いたのはペプシルだった。
「一回しか使えない」
青い瞳が真っ直ぐ向く。
「ここで使うべきか判断材料が足りない」
その声色は低い。
「皇帝専用区画と書いてあるだけだ」
「皇城へ繋がっている保証は無い」
ヨザキも頷く。
「囮の可能性もある」
「あるいは視察用の待機室」
グランヴィアが眉をひそめる。
「でも皇帝専用だぞ?」
「だからこそだ」
ペプシルは答える。
「重要施設なら警備も厳しい」
短い沈黙。
その時。
オサリアがぽつりと呟いた。
「でも、皇帝が来るんだよね」
「なら、どこか別の場所から通って来る」
静かな声だった。
「皇城かもしれない」
「別の施設かもしれない」
少しだけ俯く。
「でも、あの扉だけは他と違う」
白に染まった施設で、その扉だけは黒い。
「何かあると思う」
サクヤが耳を揺らした。
「オレもそう思うわ」
ヨザキは腕を組む。
「……根拠としては弱い」
そう言いながらも、紫の瞳は黒い扉から離れない。
「けれど、今ある情報の中では最も有力だね」
沈黙。
視線が黒い扉へ集まる。
遠い。
だが届かない距離ではない。
問題は、その先だ。
「外れだったら終わりだな」
「夜隠も失う」
イリアスが笑いながらも、低く言った。
誰も否定できない。
最初で最後の切り札。
ここで使えば、もう二度と頼れない。
グランヴィアが頭を掻く。
「でもよ」
「外れだったとしても、皇帝専用区画なんだろ?」
「なら何かしらあるだろ。手がかりひとつくらい」
ヨザキが頷く。
「それはそうだね」
紫の瞳が細くなる。
「問題は、その何かが僕達の求める答えに繋がるかどうかだ」
再び沈黙。
白いホールの向こうでは、職員達が忙しなく動き続けている。
対象者達は列を作り、番号で呼ばれ、番号で管理されている。
その光景を見つめていたペプシルが、小さく息を吐いた。
「……俺達は何をしに来た」
誰も答えない。
答えは分かっている。
「プルーを探しに来た」
青い瞳が黒い扉へ向く。
「話を聞くために」
静かな声だった。
怒りでも、憎しみでもない。
ただ真実を確かめるための声。
「なら」
オサリアが言った。
ペプシルを見る。
「行こう」
琥珀色の瞳は揺れていない。
「外れかもしれない」
「無駄かもしれない」
「でも」
小さく笑う。
「当たりだったら?」
その一言で空気が止まる。
ヨザキが目を閉じた。
数秒。
やがて。
「確率論なら反対だ」
そう言って肩を竦める。
「……けれど、僕の勘は行けと言っている」
サクヤが呆れる。
だが小さく笑みが漏れた。
「珍しくヨザキがロマン語ってやんの」
イリアスはニヤリと口角を上げる。
「悪い未来より良い未来考えようぜ」
グランヴィアも、覚悟を決めたように笑みを浮かべた。
「決まりだな」
ペプシルは最後に一度だけ黒い扉を見た。
そして。
「オサリア」
名前を呼ぶ。
迷いはもう無かった。
「うん」
静かに両手を重ねる。
「闇よ」
深く息を吸う。
純白の床へ、一滴の夜が落ちた。
その夜は、世界を飲み込むようにどこまでも静かに広がっていく。
そして。
「──夜隠」
――――。
音が消えた。
正確には違う。聞こえている。
職員達の声も、荷車の音も、靴音も。
なのに、どこか遠い。
まるで厚い水の中へ沈んだように。
オサリアがゆっくり目を開く。
琥珀色の瞳は、夜の色を映していた。
「みんな、いる?」
「いる」
ペプシルが答える。
だが。
自分の声が妙だった。
輪郭が曖昧だ。
サクヤが自分の手を見る。
「うお」
思わず声を漏らした。
腕が薄い。
透けている訳ではない。
そこに居る。
居るはずなのに、認識しづらい。
視線を逸らせば、どこにいたか分からなくなる。
「すんげえ感覚だ」
イリアスが顔をしかめた。
「あんまり…喋りすぎないで」
そう呟くオサリアの額には、汗が浮かんでいる。
「術が揺れる」
その一言で全員が黙った。
夜は変わらず広がりつづける。
白い世界に、六人だけの闇があった。
ペプシルは一歩前へ出る。
目の前を職員が横切った。
距離は二メートルも無い。
だが。
視線が合う事はおろか、気付くことすらない。
そこに存在していないみたいに。
「マジかよ……」
グランヴィアが息を呑む。
夜はさらに深くなる。
ホールの向こう。
演壇の奥の黒い扉。
そこだけが異様に目立って見えた。
ペプシルは静かに息を吐く。
「行くぞ」
六人は歩き出した。
誰にも知られず、誰にも気付かれず。
皇帝だけが通るはずだった道へ。
黒い扉が、静かに開く。
扉の向こうは、静かだった。
白い施設とは違う。
灯りは落とされ、薄暗い。
石造りの通路に、磨かれた床。
壁には刻まれた六翼の星。
足音だけが響く。
いや。
響いているはずだが、聞こえない。
夜隠。
闇の中に沈んだ六人は、自分達の存在ごと世界から切り離されたみたいだった。
前を行くペプシルが立ち止まる。
通路の先には、重厚な鉄格子。
その向こうに、昇降機があった。
「……は?」
グランヴィアが目を瞬かせる。
円形。
黒鉄製。
周囲には魔導回路が幾重にも刻まれている。
イリアスが目を細めた。
「これ……上に行くな」
「本当か!?」
「ああ、アイゼルにあるもんと造りが一緒だ」
イリアスは自信ありげに断言する。
ヨザキは無言で天井を見上げる。
遥か上。
暗闇の向こう。
何も見えない。
だが、微かな振動が伝わってきた。
規則的な機械音。
巨大な何かが動いている。
ペプシルは鉄格子の脇へ視線を向けた。
『皇城直通』
そう、金色の文字が刻まれていた。
誰も言葉を失う。
「……当たり、だった」
オサリアが小さく息を呑んだ。
夜色の瞳が揺れている。
ヨザキが鉄格子へ近付くと、指先で金文字をなぞった。
削られた形跡も無い。
後から付け足されたものでもない。
最初から、そこにあった。
「皇城直通」
紫の瞳が細くなる。
「つまり」
誰も答えない。
ただ、昇降機を見上げる。
遥か上、暗闇の先。
その先にあるものは、もう想像するまでもなかった。
ペプシルは鉄格子へ近付いた。
昇降機を囲む魔導回路は、淡く光を流していた。
死んだ設備じゃない。
今も動いている。
「……現役か」
イリアスが低く呟く。
ヨザキは足元へ視線を落とした。
床。
昇降機の前だけ、僅かに擦れている。
人が頻繁に通っている跡だ。
「使われてるね」
紫の瞳が細くなる。
「それも最近」
サクヤが耳を動かした。
「待て」
全員が動きを止める。
〈ゴウン……〉
低い振動が伝わった。
昇降機だ。
ゆっくりと、上から何かが降りて来ている。
空気が変わる。
ペプシルの青い瞳が細くなる。
「隠れろ」
六人は即座に通路脇へ身を寄せた。
夜隠がある。
だが、念には念だ。
振動は次第に大きくなる。
〈ゴォン……〉
〈ゴォォォン……〉
巨大な機械音。
やがて、昇降機が姿を現した。
重い音を立てながら停止する。
誰も息をしない。
そして。
〈ガシャン〉
鉄格子が開いた。
中から現れたのは――白い軍服を纏った、一人の男だった。
白い軍服を着た胸元には六翼の星。首には認証札。
年齢は三十代半ばほどだろうか。
無精髭ひとつ無く、姿勢も崩れていない。
腰には、剣が下げられていた。
「近衛……?」
ペプシルが小さく呟く。
男は周囲を見渡すと、夜隠の中にいる六人へ視線が止まった。
数秒。
やがて男は何事もなかったように歩き出した。
男は迷いなく鉄格子の前へ行き、首から下げていた認証札を外した。
六翼の星が刻まれた金属板。
それを壁の魔導回路へ押し当てる。
〈キィィン……〉
高い音。
『認証確認』
『近衛第一隊副隊長』
『昇降機を皇城区画へ帰還させます』
〈ゴゴゴ……〉
低い振動。
グランヴィアが目を見開く。
「帰還……?」
紫の瞳が昇降機を見上げる。
「皇帝用だ」
静かな声だった。
「先遣の近衛が先に降りてきた」
「今、昇降機を皇帝の為に戻している」
サクヤが息を呑む。
「つまり」
ヨザキは頷く。
誰も昇降機から目を離せない。
三十分後。
プルーが、これで降りてくる。
「ま、来たとしても護衛付きだろ。まともに接触も出来ない」
イリアスは肩を竦めた。
閉じていく扉。
皇城直通なのは分かった。
そして。
オサリアの呼吸が少しずつ浅くなっている。
額には汗が滲み、夜色の瞳も僅かに揺れていた。
夜隠も、永遠には続かない。
ペプシルは一瞬だけ目を閉じた。
青い瞳が、再び開く。
「乗るぞ」
全員が顔を上げる。
「今しかない」
その声を合図に、六人は昇降機へ飛び込んだ。
中は思ったより広かった。
中央には巨大な魔導陣が描かれ、その周囲を複雑な回路が幾重にも取り囲んでいる。
そして床には、六翼の星が深く刻まれていた。
〈ゴォン〉
重い音を立てて鉄格子が閉まる。
同時に足元の魔導陣が淡く発光した。
「うおっ」
グランヴィアが思わず声を漏らす。
身体がふわりと浮き上がるような感覚が走った直後、
昇降機がゆっくりと動き始めた。
上へ。
ただひたすら上へ。
近衛の男は振り返ることもなく、すでに施設の奥へと歩き去っている。
昇降機の中には重い沈黙が落ちていた。
誰も口を開かない。
響くのは〈ゴゴゴゴ……〉という低い振動音だけだ。
鉄格子の向こうでは石壁が延々と流れ続けている。
長い。
異様なほど長い上昇だった。
地下施設がどれほど深い場所に築かれているのか、今になって嫌というほど実感させられる。
〈ゴォォォォ……〉
ふと、オサリアが小さく壁へ身体を預けた。
呼吸は荒く、夜色の瞳もどこか揺れている。
その様子に気づいたペプシルが眉をひそめた。
「大丈夫か」
「うん……」
頷く声には明らかに力がなかった。
夜隠。
存在そのものを世界から隠す秘術だ。
維持するだけでも莫大な負担を強いられる。
オサリアは苦笑を浮かべながら額の汗を拭った。
「皇城までなら、もつと思ったんだけど……」
そう呟き、さらに小さな声で続ける。
「もう少しだけ」
だが、その言葉に返事をする者はいなかった。
誰もが彼女の限界を悟っていたからだ。
やがて振動が徐々に弱まり始める。
〈ゴォォン……〉
昇降機が減速した。
全員の視線が自然と上へ向く。
到着する。
そして――
〈ゴン〉
昇降機は静かに停止した。
訪れた静寂の中、誰も息を呑んだまま動けない。
オサリアがゆっくりと目を閉じる。
「……ごめん」
かすれるような小さな声だった。
その瞬間、夜が剥がれ落ちた。
さらり、と。
黒い靄が風に溶けるように消えていく。
グランヴィアの髪には鮮やかな赤が戻り、
サクヤの髪にも深い緑が灯った。
そして――
ペプシルの前髪から、隠されていた金色が零れ落ちる。
帝都へ潜入するために染めていた色。
勇者の象徴のように眩しい、黄金の髪。
染めた色は、すべて闇と共に溶けて行った。
ペプシルは無意識のうちに前髪へ触れる。
オサリアは壁に手をつき、力なく息を吐く。
「……終わった」
夜隠が解けたのだ。
その直後。
〈ガシャン〉
鉄格子が開き、眩しい光が一気に流れ込んできた。
白い大理石。
赤い絨毯。
黄金の装飾。
地下施設とはまるで別世界だった。
皇城――。
六人は思わず息を呑む。
そして長い回廊の先。
赤い絨毯の向こうを、一人の男が静かに歩いていた。
白と青、そして金で彩られた外套。
整えられてない銀髪。
わずかに丸まった背中。
誰一人、言葉を発せない。
見間違えるはずがなかった。
白銀の髪。
あの背中を。
――アストラ皇帝、プルー・リブラ。




