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七の行方

帝都アストラの夜は静かだった。


昼間はあれほど人で溢れていた通りも、今はまばらだ。

白い街灯が石畳を照らしている。


冷たい風が吹く。


「昼と全然ちゃうな」


サクヤが辺りを見回した。


「門限でもあるのか?」


グランヴィアが呟く。


「いや」

「昔はもっと賑やかだった」


カンナは首を振る。

短い返答の後は、誰も続けない。

七人は黙って夜道を進む。


やがて。


住宅街の外れへ辿り着いた。

中央区から少し離れた古い区画。

白壁には所々ひびが入り、街灯の数も減っている。


「ここか」


ペプシルが紙を確認する。


住所は一致していた。

目の前には二階建ての古い建物。

現役で住んでいる人間がいるのか怪しいほど年季が入っている。


カンナが扉を叩いた。


コン。


コン。


返事はない。


もう一度。


コン、コン。


沈黙。


「留守か?」


グランヴィアが眉をひそめる。


その時だった。


〈――ガチャ〉


小さな音と共に、扉が僅かに開く。

暗闇の奥。

一人の老人が立っていた。


白髪に痩せた身体。深い皺が刻まれている。

だが目だけは鋭い。

老人は七人を順番に見た。


そして。


「帰れ」


即答だった。

扉が閉まろうとする。


「待て」


カンナがドアノブに手をかけるのを見て、老人の目が細くなる。


「何の用だ」


掠れた声。


カンナは一拍だけ置いた。


「レーネ様の件で聞きたい」


空気が変わった。

老人の手が止まる。


数秒の沈黙。

やがて。


「……誰に聞いた」

「白梟亭の主人だ」


老人は目を閉じた。

 

「余計な事を」


深く息を吐く。

だが今度は扉を閉めなかった。


「入れ」


短い言葉だった。



部屋の中は薄暗かった。

古い書棚に、積み上げられた資料。

机の上には大量の図面。


まるで時間が止まったみたいだった。

老人は椅子へ腰を下ろす。


「何が知りたい」


「旧水路だ」


ヨザキの答えに老人の目が動く。


「皇城地下の」


「……何故それを知っている」


今度は確実だった。

老人の表情が変わる。

 

「記録が消されていた」

「だから調べている」


ペプシルの言葉を聞くと、老人はしばらく黙っていた。


やがて。


机の引き出しを開ける。

古びた筒を取り出し、結ばれていた革紐を解く。

そして机いっぱいに広げられたのは、何かの図面。


全員が息を呑む。


帝都地下図。

複雑な線が幾重にも走っている。


「これが旧水路だ」


老人の指が地図をなぞる。


「帝都建設初期の排水路」


指先は中央へ向かう。

そのまま皇城の、その真下まで。


「やっぱり繋がってる……」


オサリアが呟く。

 

「元々はな」


老人は頷いた。

その一言にヨザキが反応した。


「元々?」


老人の指が止まる。


一箇所、地図上に不自然な線が増えていた。

比較的新しい筆跡で、後から書き加えられたものだと分かる。


「二年前」


老人は言った。


「ここが増築された」


全員が身を乗り出す。


老人の指先が示したのは、皇城地下のさらに奥。

旧水路の本流から外れた場所だった。


「……何だ、これ」


グランヴィアが眉をひそめる。


図面には不自然な空間が描かれている。

巨大な円形区画。

その周囲を取り囲むように、複数の通路が伸びていた。

まるで、何かを中心に据えるために作られたみたいな構造。


「正式名称は知らん」


老人は静かに言う。


「ワシが監査しとった頃には存在せんかった施設じゃ」


ヨザキが目を細める。


「建設時期は?」

「レーネ様が亡くなった後だ」


短い返答。


部屋が静まり返る。

老人は図面の端を指で叩いた。


「工事開始は二年前」

「皇帝即位から三ヶ月後じゃ」


ペプシルの青い瞳が細くなる。


「プルーか」


老人は答えない。

代わりに古い紙束を取り出した。

工事監査記録。


だが途中からページが抜け落ちている。


「完成報告書が無い」


ヨザキが呟く。


「ああ」


老人は頷いた。


「設計図はある」

「工事記録もある」


少しだけ間を置く。


「だが完成図が存在せん」


オサリアが首を傾げる。


「そんなことあるの?」

「普通は無い」


老人は即答した。


「公共工事なら必ず残る」


指先が紙の端をなぞる。


「だから調べた」


その声は低かった。


「調べた結果、分かった事がある」


全員が息を呑む。

老人は窓の外を見た。

まるで誰かに聞かれていないか確認するように。


そして。


「工事に関わった連中が消えた」


沈黙。


誰も動けない。


「設計局員」

「土木技師」

「監査官」


老人は一人ずつ数えるように言う。


「最初は異動じゃと思った」


掠れた声。


「じゃが違った」


机の上の帳簿を開く。

そこには何人もの名前が並んでいた。


「数年後に確認した」

「……誰も残っとらんかった」


沈黙。


「異動記録も無い」

「退職記録も無い」


老人は目を伏せる。


「まるで最初から存在せんかったみたいにな」


オサリアの背筋に冷たいものが走る。


「……地誌館と同じ」


ヨザキが小さく呟く。

老人は頷いた。


「最初は数人だった」

「次は十人」

「その次は二十人」


静かな声だった。


「気付けば、工事に関わった人間の大半がそうなっとった」


グランヴィアが思わず口を開く。


「何作ったんだよ……」


老人は首を横に振る。


「分からん」

「急ピッチで作られた、くらいしか」


本当に分からないのだろう。

その顔には諦めがあった。


「じゃが」


老人の目が七人を見る。


「ただの倉庫や保管庫なら、人を消す必要は無い」


誰も反論できない。

外で吹く風が、窓を揺らしている。

 

老人は地図の一点を指差した。


旧水路の先。

増築された地下施設。


「ワシが知っとるのはここまでじゃ」


掠れた声。


「だが」


少しだけ間を置く。


「レーネ派が消え始めた時期」

「この施設の建設時期」

「記録抹消が始まった時期」


老人の指先が震える。


「全部、同じじゃ」


部屋の空気が凍り付く。

 

ペプシルは図面を見つめた。


地下施設。

消えた記録。

消えた人間。


どれも同じ場所へ収束している。


「……もう回り道はない」


青い瞳が静かに細くなる。

 

「行くしかないな」


〈ゴーン……〉


遠くで鐘が鳴る。

その音だけが、やけに大きく聞こえた。



監査官の家を出た頃には、帝都の夜も深まっていた。


冷たい風が石畳を撫でる。

誰もしばらく口を開かなかった。


得られた情報を整理しようとしても、答えは増えない。

ただ、疑問だけが増えていく。


「……どうする?」


グランヴィアがぽつりと呟いた。


白い街灯の光が石畳へ長い影を落とす。

 

「決まってる」


答えたのはペプシルだった。

青い瞳が真っ直ぐ前を向く。


「旧水路へ行く」


誰も反論しない。

ここまで来て引き返す理由は無かった。

ペプシルは監査官から受け取った図面を開く。


「入口は三つ」


青い瞳が地図を追う。


「一つは封鎖済み」

「一つは皇城警備区画の中」


指先が地図の南側で止まる。


「残るのはここだ」


古い排水管理施設。

ヨザキが目を細める。


「距離は?」

「歩いて十五分くらいだ」


ペプシルが答える。


「放棄施設なら巡回は少ないはずだ」


静かな沈黙。


「……なら、私はここまでだな」


カンナがぽつりと呟いた。


全員の視線が向く。

水色の瞳が皆を見渡した。


「案内役は果たした」

 

肩を竦める。


「帝都へ入るまでが仕事」

「皇室内部や地下施設の中までは知らない」


誰も口を挟まない。

カンナは少しだけ真面目な顔になった。


「地下へ入れば、いつ戻れるか分からない」


「一日か」

「三日か」

「もっとか」


静かな声だった。


「だが、お前達が戻る場所は必要だろう」


ペプシルの眉が僅かに動く。

カンナは笑った。


「荷車もある」

「隠れ家もある」


「追手が出たら時間くらいは稼げる」

「そうならない事が一番だがな」

 

オサリアは少しだけ俯く。


「カンナ……」


その声に。

カンナは昔と変わらない笑顔を向けた。


「心配するな」


ぽん、と頭へ手を置く。

優しい手だった。


「帰る道は残しておく」

「だから、ちゃんと帰ってこい」

「お前たちもな」

 

温かさを感じる言葉。

オサリアはそれだけで十分だった。

 

「……うん」


カンナは満足そうに笑う。

それから、ペプシルへ視線を向けた。


「頼む」


たったそれだけ。

だが、理解したように青い瞳が静かに返す。


「ああ」


白い街灯の光が揺れる。

カンナは一歩後ろへ下がった。


「行ってこい」

「私は待っている」


その言葉を背に、六人は旧水路の入口へ向かう。


誰も振り返らない。

もう、彼らは戻れない場所まで踏み入れてしまったのだから。


ペプシルはゆっくりと息を吐いた。


「……行くぞ」


白い街は、何も知らないように静かだった。

六人は、その白さの下に眠る闇へ向かって歩き出す。

 


街は静かだった。


昼間の鐘は鳴らない。

飛空艇の音も遠い。


聞こえるのは風の音と靴音だけ。


白い建物の隙間を抜け、人目を避けるように裏路地を進む。


しばらく進むと、石造りの水路管理棟が見えてきた。


古びた建物だった。

窓は板で塞がれ、扉には使用停止を示す金属札が掛けられている。

周囲に人影は無い。


「ここか」


サクヤが声を潜める。

ペプシルは頷いた。


「地下へ続く管理施設」


グランヴィアが扉へ手を掛ける。


「……鍵かかってるな」


それを聞いたイリアスが、前へ出た。

腰の工具入れから細い金具を取り出す。


「任せろ」


カチャリ。


カチャ。


数秒。


〈カチリ〉


小気味良い音が響いた。

サクヤが目を丸くする。


「お前そんなこと出来たん?」

「鍵も機械だ」


イリアスは当然のように答えた。


「壊れたら直す」

「直せるなら開けられる」

 

イリアスはどこか誇らしげだ。

 

「泥棒…」

「職人だ」

 

オサリアの小さな反論も丸め込まれる。


ぎぃ、と重い音を立てて扉が開く。


中は暗く、冷たい空気が流れ出してくる。

湿った土の匂い。

長い間、人が出入りしていない匂いだった。


「……寒い」


オサリアは思わず身を震わせる。

ペプシルが手にした小型灯を点けた。

淡い光が闇を照らすと、石造りの階段が地下へ続いていた。


一段。


また一段。


靴音が静かに反響する。


湿った空気。

苔の匂い。

どこか冷たい水の気配。


「思ったより広いな」


グランヴィアが周囲を見回した。


「元々は運河だからな」


ペプシルが図面を確認する。


「物資輸送にも使われていたらしい」


階段を降りきる。

その先には巨大な地下水路が広がっていた。

幅は十メートル近い。

今は水も無く、乾いた石床だけが闇の奥へ続いている。


「……ほんまに船通ってたんやな」


サクヤが感心したように呟く。


その時だった。


「待て」

 

イリアスが足を止め、その場にしゃがみ込んだ。

灯りを床へ向ける。


石床の上に残された跡。


「車輪跡だ」


静かな声。

ヨザキも隣へしゃがむ。


指先で触れると、まだ乾いていない泥が付いた。


「新しい」


紫の瞳が細くなる。


「少なくとも数日以内だ」


沈黙。


グランヴィアが眉をひそめた。


「使われてねぇんじゃなかったのか」


誰も答えない。

答えは目の前にあった。


閉鎖されたはずの地下水路。

なのに、誰かが出入りしている。


ペプシルは灯りを前へ向けた。


車輪跡は奥へ続いている。

まるで何かを運んでいるみたいに。


「進むぞ」


六人は足音を殺しながら先へ進んでいく。


数百メートルほど進んだ頃だった。

サクヤの耳がぴくりと動く。


「おい」


サクヤの声に、全員が足を止める。


「どうした」


ペプシルが振り返る。


サクヤは獣の耳を澄ませていた。

赤色の瞳が鋭くなっていく。


「……音がする」


空気が変わる。


遠く。

ずっと奥で微かに。


〈ガラ……〉


金属が擦れる音。


〈ゴロ……ゴロ……〉


車輪が転がる音。


誰かがいる。

それも一人ではない。


ヨザキとペプシルの視線が交差した。


この地下水路は死んでいない。

今も使われている。


その先にあるのは――監査官が示した、あの地下施設だった。


誰も喋らない。

サクヤは耳を伏せたまま、音の方向を指差す。


「向こうや」


小声だった。

ペプシルは灯りを絞る。

六人は壁際へ身を寄せながら進んだ。


足音を殺し、呼吸すら慎重になる。


進めば、前方に微かな光が見えた。

地下に似つかわしくない光。

誰かが灯りを使っている。


ペプシルは拳を上げる。


全員が停止し、そのまま物陰へ身を隠す。

そして、ゆっくりと先を覗き込んだ。


「――っ」


オサリアが息を呑む。


広い分岐空間だった。

地下水路が交差する場所。

そこに数台の荷車が並んでいる。


作業服を着た男達。

武装した兵士。


そして。


荷車の上に座らされている人影が、十数人。

皆、俯いている。

誰も喋らないし、手枷こそ無い。

だが様子がおかしい。


まるで感情が抜け落ちているみたいだった。


「……何やあれ」


サクヤが呟く。

ヨザキは目を細めた。


その時。

 

「第七条保護管理法、評価改善指導対象者」


兵士の一人が書類を読み上げる。


静かな声。


「再配置区画へ移送」


空気が止まった。

ペプシルとヨザキの視線が交差する。


グランヴィアが舌打ちした。


「……ビンゴかよ」


ペプシルは即座に決断した。


「追うぞ」

「今なら案内付きだ」


誰も反論しない。

六人は荷車の後を追った。


一定の距離を保ちながら進む。

地下水路はやがて緩やかに下り始めた。


空気が変わっていく。

湿った土の匂いに混じり、どこか薬品のような臭いが漂っていた。


「……嫌な匂いやな」


サクヤが顔をしかめる。


しばらくすると、前方に巨大な鉄扉が現れた。

地下とは思えない規模だ。


白い石壁に、鋼鉄の補強材。

扉の上には見慣れない紋章。

六翼の星。

 

そして、その中央に刻まれた文字。


『Ⅶ』


全員の表情が変わる。


「第七条……」


ヨザキが低く呟く。

 

荷車はそのまま鉄扉の前で停止すると、

兵士達が書類を確認し始めた。


「対象者十四名」


「番号確認」


「搬入開始」


重い音が響く。


〈ゴゴゴゴ……〉


鉄扉が開くと、眩しい光が漏れ出した。

オサリアが思わず目を細める。


そこは、地下施設の印象とはかけ離れた白が広がっていた。


石壁。


通路。


天井。


全てが白で統一されている。


まるで病院。

あるいは――牢獄。


荷車はその中へ吸い込まれていく。


そして、最後の一台が通り過ぎた時だった。

 

「今だ」


ペプシルの言葉に全員が動く。

鉄扉が閉じる前に、壁際を滑るように駆け抜ける。


六人は闇から光の中へ飛び込んだ。


〈ゴォン――!!〉


背後で鉄扉が閉まる。

重い振動が地下を揺らし、逃げ道が消えた。


沈黙。


そして。


正面を向いた瞬間、全員の足が止まった。


白い通路の先には、壁一面に並ぶ大量の扉。

その全てに番号が振られていた。


001


002


003


004


005


――


――


――


延々と続く数字。

まるで何かを管理するための棚みたいに。


その光景を見た瞬間、ペプシルは確信した。

ここはただの地下施設じゃない。

何かを保護する場所でもない。


何かを消す場所だ。

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