失われた名前
白梟亭へ戻った頃には、
窓の外が薄く茜色へ染まり始めていた。
工房区から戻った三人は、宿の古びたソファーへ腰を下ろす。
古時計が静かに時を刻む。
「なんや疲れたなぁ……」
サクヤが机へ突っ伏した。尻尾は力なく垂れている。
「歩いただけだろ」
「精神的にや」
グランヴィアが呆れる。
イリアスは窓際へ立ち、外の街並みを見ていた。
工房区。
規格に則って作られた剣。
再教育施設。
名前を失った職人達。
思い出す度に妙な苛立ちが胸に残る。
その時だった。
ぎぃ、と扉が開く。
三人は音のする方を振り返れば、そこにはペプシル達がいた。
「お、帰ってきた」
グランヴィアが手を上げる。
オサリアは三人を見るなり、ぱっと顔を明るくした。
「聞いて!」
開口一番だった。
「なんかね、すごいの見つけた!」
「地図だろ」
ペプシルが即座に訂正する。
「うん!」
「話聞け」
ヨザキが小さくため息を吐いた。
「お前らも大概だな」
グランヴィアが苦笑する。
ペプシル達は向かいのソファーへ腰を下ろした。
しばらくの沈黙。
そして。
「で?」
イリアスが口を開く。
「何見つけたんだ」
その言葉を待っていたらしい。
オサリアは勢いよく身を乗り出した。
「消えた水路!」
「は?」
グランヴィアが眉をひそめる。
「皇城の下に昔の水路があったんだって!」
「でも途中から記録が消されててね!」
「正確には旧水路だ」
ペプシルが補足する。
「帝都建設初期の排水路兼運河」
「第三次都市再編以降、関連資料は皇帝府管理へ移管されている」
イリアスが腕を組む。
「つまり?」
「隠されてる」
短い返答だった。
食堂の空気が少しだけ静かになる。
ヨザキが続けた。
「地誌館の司書も閲覧できない記録だった」
「国家機密指定か、記録凍結対象」
グランヴィアが怪訝そうに言う。
「地図でそこまでか?」
「普通はそう思う」
ヨザキは頷く。
「だから不自然なんだ」
ペプシルは机の上へ紙を広げた。
地誌館で書き写してきた簡易地図だろう。
「皇城地下へ繋がっている可能性がある」
グランヴィアが目を見開く。
「潜入路?」
「まだ分からない」
ペプシルは首を振る。
「だが、何も無い場所をわざわざ隠したりはしない」
沈黙。
今度はサクヤが身を起こした。
「ほな、こっちも話そか」
緑の耳がぴくりと動く。
「工房区、なんか変やったで」
オサリアが首を傾げる。
「変?」
「職人さんがおらへん」
「いたじゃねぇか」
グランヴィアが突っ込む。
「そういう意味ちゃう」
サクヤは首を振った。
「おるんやけど、おらんねん」
「分かりづらいな」
ヨザキが小さく呟く。
イリアスが代わりに口を開いた。
「名前が無い」
全員の視線が集まる。
「武器にも」
「職人にも」
低い声だった。
「誰が作ったかじゃなくて、同じものが作れてるか」
「武器は規格品ばっかりだった」
グランヴィアも続ける。
「職人個人の技術より、同じ物を量産する方が大事らしい」
オサリアは少し驚いた顔をした。
「そんな考え方もあるんだね」
「ある」
イリアスは頷く。
「そういう武器だってもちろんある」
「でも気持ち悪かった」
「職人が職人じゃない。…アストラの部品みたいだった」
珍しく毒を吐く。
ノクスであれだけ少年のようにはしゃいでいた彼が、
こんな表情を浮かべるのか。
見慣れない表情に五人は押し黙る。
イリアスは少しだけ目を伏せた。
「あと」
短く息を吐く。
「人が消えるらしい」
空気が止まった。
オサリアが瞬きをする。
「消える?」
「工房の爺さんが言ってた」
グランヴィアが続ける。
「昨日までいた奴が、急にいなくなるんだと」
「工房の帳簿からも名前が消える」
ヨザキの表情が変わった。
紫の瞳が細くなる。
「帳簿から?」
「そうだ」
ペプシルとヨザキの視線が交差する。
誰も言葉にしない。
だが、同じ事を考えていた。
――消された記録。
――消えた人間。
点と点が、静かに繋がる。
古時計の振り子が揺れた。
コツン。
コツン。
誰もすぐには口を開かなかった。
そして。
〈ゴーーン……〉
遠くで長い鐘が鳴る。
夕食を告げる鐘だった。
二階から足音が響く。
こつ、こつ、と一定の歩幅。
やがて階段を降りてきたのはカンナだった。
水色の瞳が全員を見渡す。
「集まったか」
短い声。
だが。
六人の表情を見て、何かあった事は察したらしい。
「……何か掴んだか」
誰も否定しない。
カンナは小さく息を吐いた。
「飯にしろ」
全員が目を瞬く。
「え?」
オサリアが間の抜けた声を出す。
「腹が減った状態で考えても」
「――碌な結論にならない、って言うんだろ」
ペプシルはカンナの声を遮るように言った。
「ははっ、ガルディアでもノクスでもそないな事聞いたわ」
サクヤは楽しげに尻尾を揺らしている。
「…そうか。調査の続きは食いながら聞こう」
そう言ってカンナは食堂の奥へ歩いていく。
六人も彼女に続いて食堂へ入る。
既に夕食の準備が整えられていた。
木の長机の上には、湯気の立つスープ。
焼いた白身魚と、香草を混ぜた芋料理。
豪華ではない。
だが、思ったよりずっとまともだった。
「うまそうやん…!」
「お魚だ…!!」
サクヤとオサリアが目を輝かせる。
「食おうぜ!!」
グランヴィアが椅子を引こうとした、その時。
「待て」
カンナが短く言う。
全員の動きが止まった。
「……なんだよ」
「手を洗え」
沈黙。
数秒後。
「そこかよ!」
グランヴィアの声が食堂へ響いた。
◇
やがて全員が席に着く。
食事が始まった。
温かいスープが胃へ落ちる。
張り詰めていた神経が少しだけ緩んだ。
「……おいしい!!!」
オサリアは満面の笑みでスープを飲んでいる。
「だろ?」
老人の宿主が初めて少しだけ笑った。
「アストラにも良いとこあるんやな」
「確かに悪くねぇ」
サクヤは魚を頬張る。
グランヴィアも頷いた。
「…塩が強いな」
ペプシルが言った。
「細かい」
オサリアが即座に返す。
「いや強い」
「そんな変わらないよ」
「変わる」
「変わらない」
「変わる」
「変わらない」
イリアスは面白そうにその様子を見ていた。
「夫婦漫才は他所でやれよ」
「ふう……っざけたこと言ってねえで食え」
ペプシルは誤魔化すようにスープを喉に流し込んだ。
少しだけ笑いが起きる。
その空気が落ち着いた頃。
カンナがコト、と木杯を置いた。
「それで」
水色の瞳が全員を見る。
「人が消える、だったか」
食堂の空気が再び静かになる。
グランヴィアは昼間の話を簡潔に説明した。
規格武器。
再教育施設。
評価制度。
そして老人の言葉。
『人間が消える』
カンナは黙って聞いている。
やがて。
「……あり得るな」
低い声だった。
全員が顔を上げる。
「知ってるのか?」
イリアスが尋ねると、カンナは少しだけ考える。
「確証はない。だが、アストラには一つ気になる法律がある」
前置きしてから続けた。
ヨザキの目が細くなる。
「法律?」
「ああ」
「第七条だ」
グランヴィアが頷く。
「……管理法か」
「通称だな」
カンナは首を振った。
「正式には『第七条保護管理法』という」
オサリアが首を傾げる。
「第七条保護管理法は、元々は救済制度だ」
カンナは静かに言った。
「戦災孤児、戸籍を失った者、流民、追放者」
木杯を指でなぞる。
「そういった人間を保護し、働き口と住居を与える」
オサリアは目を瞬かせた。
「じゃあ良い法律なんじゃ……?」
「表向きはな」
カンナは頷く。
「国の説明もそうだ」
少しだけ考える。
「確か、こんな文言だった」
――すべての民に、生きる機会を。
――居場所を失った者へ、新たな未来を。
――セレスティアは誰一人見捨てない。
食堂が静かになる。
どれも立派な言葉だった。
反対する理由など無い。
「……でも」
ペプシルが口を開く。
「実際に何をしてるか分からない」
「そうだ」
カンナは頷いた。
「保護された者の名簿は公開されない」
「配属先も公開されない」
「管理期間も公開されない」
ヨザキが目を細める。
「法律としては異常だな」
「私もそう思う」
カンナは短く答えた。
「だがアストラでは違う」
窓の外へ視線を向ける。
「保護だと言われれば保護になる」
「管理だと言われれば管理になる」
その声はどこか苦かった。
「そして誰も、その先を確かめようとしない」
「だから誰も知らないんだ」
カンナは木杯を置いた。
食堂の空気が僅かに重くなる。
オサリアは持っていたスプーンを静かに置いた。
「知らないって……そんなことあるの?」
「普通はない」
ヨザキが答えた。
「法律で運用される制度なら、行き先も管理機関も公開される」
「少なくともレヴァリアではそうだ」
カンナも頷いた。
「だから妙なんだ」
木杯を持ち上げる。
「再教育施設までは誰でも知っている」
「だが、その先を知っている人間がいない」
グランヴィアが腕を組んだ。
「施設送りになって、そのまま別の街で働いてるとかじゃねぇのか?」
「可能性はある」
カンナは頷いた。
水色の瞳が全員を見る。
「だがアストラは記録の国だ」
「働いた記録」
「住んだ記録」
「移動した記録」
「その全てが残る」
「なら、人間が別の場所へ移されたなら、その記録も残るはずだ」
ペプシルが静かに目を伏せる。
「……なのに残っていない」
ヨザキが小さく息を吐いた。
芋料理を一口、小さく口に運んだ。
その時。
「でもさ」
オサリアが口を開く。
「本当に人が消えてるなら、誰か騒がないのかな」
素朴な疑問だった。
家族でも。
友人でも。
恋人でも。
昨日まで隣にいた誰かが消えたなら、探さないはずがない。
「……騒げないんだろうな」
カンナの声は低かった。
「評価制度か」
「多分な」
イリアスの言葉に、カンナは頷いた。
「余計な事に首を突っ込むな」
「国を疑うな」
「秩序を乱すな」
「そう教育され続けてきた結果だ」
イリアスは工房区の老人が見せた、
あの疲れた笑顔を思い出す。
『知ろうとした奴もいた』
『そいつも消えた』
胸の奥がざわつく。
「……工房の爺さんも言ってた」
ぽつりと呟く。
「ソレを知ろうとした奴がいたらしい」
「そいつも消えたってな」
オサリアの肩が僅かに揺れた。
「怖いこと言わないでよ……」
「俺だって言いたかねぇよ」
食堂の空気が重くなる。
サクヤの尻尾も止まっていた。
「嫌やなぁ……」
ぽつりと漏れる。
カンナは否定しなかった。
ただ、木杯の中の水を見つめる。
「レーネ様の頃は違った」
誰にも向けない声だった。
「間違いを指摘できた」
「疑問を口にできた」
「互いの手を取り合えた」
短い沈黙。
「だから国は前に進めた」
誰も言葉を返せない。
その名前を聞くだけで。
今のアストラが、どれだけ変わってしまったのか分かるからだ。
「……たった二年で、これか」
ヨザキはどこか悲しげに呟いた。
カンナは少しだけ目を伏せる。
「二年前」
短い沈黙。
「レーネ様が殺された」
誰かがカトラリーを置く音が響く。
その事実は誰でも知っていた。
セレスティア全土を揺るがせた事件だ。
「第四条撤廃の直前だった」
オサリアの指先が僅かに止まる。
「ノクスのために動いてた人だよね」
「ああ」
カンナは頷いた。
「隔離を終わらせようとしていた」
そして。
「殺された」
短い言葉だった。
「犯人は過激派だったと聞いている」
ヨザキが静かに言う。
「闇属性を恐れた者達だ」
「そうだ」
カンナは木杯を握る。
「そしてプルーが即位した」
誰も口を挟まない。
その後を知っているからだ。
「私は今でも覚えている」
カンナは窓の外を見る。
「演説の日をな」
遠くを見る目だった。
「皆、泣いていた」
「レーネ様を失った事が信じられなかった」
静かな声。
「だから皆、プルーの言葉を信じた」
その一言だけで十分だった。
しばらく誰も口を開かなかった。
古時計の振り子が揺れる。
コツン。
コツン。
やがて。
「で」
グランヴィアが魚の骨を皿へ置いた。
「結局どうすんだ?」
全員の視線が集まる。
「人が消えてるかもしれません」
「記録も消されてます」
「怪しい法律もあります」
肩を竦める。
「でも俺らの目的ってプルーだろ?」
静かな声だった。
誰もすぐには反論しない。
正論だった。
グランヴィアは続ける。
「気になるのは分かる」
「工房の爺さんの話もな」
短く息を吐く。
「だが――こっちも追われてる身だ。猶予はない」
「最優先はプルーだと思ってる」
食堂が静かになる。
ペプシルは少し考えた後、小さく頷いた。
「……そうだな」
青い瞳が机の地図へ落ちる。
「なら旧水路を調べるだけでいい」
指先が皇城の下をなぞる。
「皇城へ繋がっている可能性がある」
「目的にも合致している」
グランヴィアも頷いた。
「だろ?」
その時だった。
「でも」
オサリアが口を開く。
「もし繋がってたら?」
小さな声だった。
「人が消える理由も、その先にあるかもしれないよね」
食堂が静かになる。
サクヤも言葉を紡いだ。
「地図も消されてた」
「人の記録も消されてる」
青い瞳が少し揺れる。
「何か全部、同じ場所向いとる気がするわ」
ヨザキが小さく目を細めた。
「……僕もそう思う」
紫の瞳が地図へ向く。
「少なくとも偶然ではない」
短い沈黙。
ペプシルは腕を組んだ。
「可能性はある」
それ以上は言わない。
肯定はしない。
だが、否定もできない事だけは伝わった。
やがて。
カンナが木杯を置く。
コトリ、と小さな音が鳴った。
「なら方針はこうしよう」
全員が顔を上げる。
水色の瞳が一人ずつを見渡した。
「旧水路を調べる」
短い言葉。
「それがプルーへ繋がるなら良し」
僅かに間を置く。
「人が消える理由へ繋がるなら、それも良しだ」
グランヴィアが眉を上げる。
「両方追うのか」
「ああ」
カンナは頷いた。
「どうせ根は同じだ」
静かな断言だった。
食堂に沈黙が落ちる。
誰も反対しなかった。
その時だった。
「……旧水路、か」
不意に声がした。
全員が振り返る。
食堂の奥。
皿を片付けていた宿主が立っていた。
今まで一度も会話へ入ってこなかった老人だ。
「知ってるのか?」
グランヴィアが思わず尋ねる。
老人は少しだけ考えた後、小さく頷いた。
「いや」
掠れた声。
「ワシじゃない」
皿を置く。
「知っとる奴がおる」
空気が変わった。
ヨザキの目が細くなる。
「誰だ」
老人は静かに答えた。
「元、皇帝府土木局監査官」
短い沈黙。
「レーネ様に仕えとった男じゃ」
全員の表情が変わる。
老人は窓の外を見る。
夜の帳が帝都を覆い始めていた。
「まだ生きとるなら、この街におる」
カンナが静かに立ち上がる。
「居場所は分かるか」
老人は頷いた。
「案内はせん」
そう言って一枚の紙を差し出す。
古びた紙切れ。
そこには住所が書かれていた。
「だが、会うなら急げ」
遠くで鐘が鳴る。
〈ゴーン……〉
夜の鐘だった。
老人は小さく目を伏せる。
「レーネ派は、長生きできん」
食堂が静まり返る。
誰も言葉を返せない。
カンナは紙を受け取った。
そして。
「出るぞ」
その一言で十分だった。
帝都アストラの夜が、静かに動き出す。




