闇に染まる
荷車は城壁へ続く街道を進む。
近付けば近付くほど、その巨大さが分かった。
遠くで鐘の音が響いた。
カン、カン、と。
規則正しい音。
その音に合わせるように、人々が歩き、
荷馬車が進み、飛空艇が発着している。
街全体が、一つの巨大な時計のようだった。
グランヴィアが目を丸くする。
「すっげぇな……」
「空飛ぶ船だらけやん……」
サクヤも空を見上げる。
大小様々な飛空艇。
白い船体には六翼の星が描かれていた。
イリアスが目を細める。
「……アイゼル製か」
その呟きに、オサリアが首を傾げる。
「分かるの?」
「ああ」
イリアスは空を見上げたまま答える。
「船体の形が違う」
「推進炉の配置も、翼の角度もな」
故郷を語る時の顔だった。
「アイゼルの機械技術は世界に通用する」
「軍用も民間用も、大体どっかにアイゼル製の部品が入ってる」
グランヴィアが感心したように口を開く。
「へぇ……すげぇんだな」
「職人馬鹿が多いだけだよ」
そう言いながら。
イリアスの声はどこか誇らしげだった。
カンナが苦笑する。
「実際、アストラの飛空艇技術もアイゼル抜きじゃ成り立たん」
イリアスは小さく鼻を鳴らした。
空高く、白い飛空艇が雲を横切っていく。
平和そうな景色だった。
なのに。
その船は、人を運ぶためだけじゃない。
もしもの時には、人を殺すためにも飛ぶ。
オサリアは空を見上げた。
美しいものと、怖いものは。
同じ姿をしているのかもしれない。
白い旗がパタパタと音を立てた。
巨大な城壁を見上げながら、オサリアは無意識に息を呑む。
近くで見ると、その威圧感は街というより要塞だった。
「……あん中に、皇帝がおるんやな」
ぽつりと漏らした言葉に、
誰もすぐには答えなかった。
皇帝プルー。
世界最強の国家を率いる男。
そして。
勇者を追う側の人間。
オサリアは無意識にペプシルを見る。
ペプシルは何も言わない。
ただ静かに城壁を見上げていた。
カンナが荷台から小箱を取り出す。
中には小瓶や染料のようなものが並んでいた。
「帝都へ入る前に、お前達の顔を変える」
グランヴィアが目を瞬かせる。
「顔を?」
「ああ」
カンナは当然のように頷いた。
「検問を抜けただけだ」
「勇者の手配書が出回ってる以上、
そのまま歩けばいずれ見つかる」
水色の瞳がペプシルを見る。
「特にお前はな」
ペプシルは無言だった。
自分が一番分かっているのだろう。
金色の紙に、塗料を垂らしたような青い瞳。
聖剣の勇者。
今のアストラでは最も有名な顔の一つだ。
カンナは黒い染液の瓶を掲げる。
「まず髪を染める」
「……は?」
ペプシルは素っ頓狂な声を漏らす。
カンナは平然としている。
「何か問題でも?」
「問題しかねぇだろ」
即答だった。
ペプシルは眉間へ深い皺を寄せる。
「髪を染めるって……」
言いかけて、言葉を切る。
金色の髪。
聖剣に選ばれた勇者の象徴。
望んで手に入れたものではない。
けれど、それでも。
ずっと自分と共にあった色だった。
カンナは淡々と告げる。
「死ぬよりマシだ」
反論の余地もない正論だった。
ペプシルが押し黙る。
イリアスが肩を竦めた。
「実際、目立つんだよな」
緑の瞳がペプシルを見た。
「金髪青眼なんて、手配書なくても覚えられる」
「せやなぁ」
サクヤが腕を組む。
「めっちゃ勇者っぽい」
「勇者だぞ」
グランヴィアが真顔で頷いた。
「やめろ」
ペプシルが即座に遮る。
「何色になるの?」
オサリアはきょとんと首を傾げる。
「黒だ」
カンナは黒い瓶を軽く揺らした。
短い返答。
その瞬間。
何故だろう。
オサリアの胸が、締め付けられた。
金色の髪。
眩しくて太陽みたいな色。
初めて会った時から、ずっと見てきた色だったから。
カンナは視線を巡らせる。
そして。
ぴたり、とサクヤで止まった。
「……お前も染めろ」
「げっ」
サクヤが露骨に嫌そうな顔をした。
「耳も尻尾もあるのに、今更髪だけ変えて意味あるん?」
「ある」
カンナは即答した。
「獣人は珍しくない」
「だが、緑髪は目立つ」
サクヤが言葉に詰まる。
「特徴は一つでも減らせ」
「覚えられなければ、生き残れる」
「ぐっ……正論や……」
反論できなかった。
グランヴィアが苦笑する。
「俺も他人のこと言えねぇな……」
赤いメッシュを指先で摘まむ。
カンナは静かに頷いた。
「お前は隠せ」
「はい」
即答だった。
どうやら自覚はあるらしい。
ヨザキは小さく息を吐く。
「……僕も外套を深く被るか」
「それがいい」
カンナは頷く。
「俺は?」
「お前は……別にそのままでもいい。茶髪なんざ帝都じゃ珍しくもない。髪型でも変えておけ」
「えぇ…」
イリアスはどこか残念そうだ。
「この街では、目立たないことが生き残る条件だ」
風が吹いた。
白い旗が揺れる。
オサリアは皆を見回す。
誰もが少しずつ、自分を隠そうとしている。
本当の顔を。
本当の色を。
生きるために。
その時だった。
カンナの手が、そっとオサリアの髪へ伸びる。
「オサリア」
「花飾りを外そう」
優しい声だった。
オサリアは目を瞬かせる。
夜花の髪飾り。
故郷の夜を閉じ込めた、小さな宝物。
少しだけ寂しかった。けれど、小さく頷く。
そっと花飾りへ手を伸ばし、ぱちり、と小さな音がした。
結い上げられていた長い茶髪が、ふわりと解ける。
柔らかな髪が風を受けて揺れた。
陽の光を受けた毛先が、どこか金色にも見える。
サクヤが目を丸くする。
「おお……」
グランヴィアも思わず声を漏らした。
「雰囲気変わるな」
オサリアは慣れない様子で髪へ触れる。
いつもより軽い。
その時。
隣から、小さく息を呑む音が聞こえた。
ペプシルだった。
青い瞳が、ほんの一瞬だけ見開かれる。
結い上げていた髪を下ろしたオサリアは、
どこかいつもより大人びて見えた。
そして。
何事もなかったように目を逸らす。
オサリアは気付かない。
けれど。
「おっ?」
サクヤはにやりと口元を吊り上げた。
「……何だよ」
「いやぁ? 別にぃ?」
ペプシルが眉をひそめる。
サクヤはにやにやと笑っている。
分かりやすかった。
あまりにも分かりやすかった。
「雰囲気変わるな」
グランヴィアも何かを察したように頷く。
「へへ……変かな?」
オサリアは少し照れくさそうに尋ねる。
その瞬間だった。
「悪くない」
短い声。
反射みたいな即答だった。
全員の視線が、一斉にペプシルへ向く。
本人だけが気付いていない。
ペプシルは数拍遅れて固まった。
「……あ」
ペプシルの表情が固まる。
遅れて、自分の言葉の意味に気付いた。
沈黙。
数秒。
サクヤの口元が限界まで吊り上がる。
グランヴィアもうんうんと頷いている。
イリアスは肩を震わせていた。
ヨザキだけが静かに目を閉じる。
オサリアはぱちぱちと目を瞬かせる。
それから。
ふわりと嬉しそうに笑った。
「えへへ」
花が咲くみたいな笑顔だった。
「ありがとう、ペプシル」
まっすぐな感謝だった。
だからこそ。
ペプシルは目を逸らす。
耳だけが、少し赤い。
「……別に」
いつもの返事。
けれど。
いつもより少しだけ、弱かった。
カンナはその様子を見て、小さく笑う。
故郷の少女は、いつの間にか旅人になっていた。
そして。
その隣には、ちゃんと仲間がいた。
――それだけで、十分だった。
「さて」
水色の瞳が、今度はペプシルへ向く。
「次はお前だ」
ぴたり、と空気が止まった。
ペプシルの眉がぴくりと動く。
「……面倒だな」
カンナは容赦しない。
「座れ」
「……」
「座れ」
数秒の沈黙。
そして。
ペプシルは観念したように深く息を吐き、
荷台へ腰を下ろす。
カンナは手際よく黒い染液を指先へ取る。
さらり。
金色の髪へ指が通る。
陽光を受けて輝いていた色が、
少しずつ黒へ染まっていく。
オサリアは黙って見つめていた。
金色の髪。
初めて会った時から変わらない色。
ペプシルの色。
それが少しずつ失われていく。
不思議だった。
髪の色が変わるだけなのに。
何か大切なものまで、遠くへ行ってしまう気がした。
風が吹く。
染液が乾くのを待つ間、誰も口を開かなかった。
やがて。
「よし」
カンナが小さく頷く。
桶の水で、黒い染料が洗い流されていく。
雫が陽光を弾いた。
そして――オサリアは息を呑む。
そこにいたのは、見慣れない誰か。
黒髪。
夜みたいに静かな髪色。
けれど、澄んだ青い瞳だけは変わらない。
だから分かった。
同じ人なのだと。
なのに、知らない人みたいだった。
ペプシルが前髪を払う。
「……変だ」
ぽつりと漏らした声。
勇者じゃない。
ただの、一人の青年の声だった。
オサリアは目を瞬かせる。
「かっこいいよ」
空気が止まった。
ペプシルが固まる。
サクヤの目が見開く。
グランヴィアが口を半開きにする。
イリアスが吹き出しかける。
ヨザキは再び静かに目を閉じた。
またか。
そんな顔だった。
オサリアだけが気付いていない。
「夜みたい」
琥珀色の瞳が細められる。
「うち、好きだよ」
悪意も照れも、何もない。
ただ、そう思ったから。
ペプシルの耳が、見る見るうちに赤くなる。
「……そうかよ」
変わらない、ぶっきらぼうな返事。
グランヴィアは満面の笑みで空を見上げていた。
見なかったことにする気らしい。
イリアスとサクヤは、
うんうん、となにかに納得したように頷いている。
ヨザキは、そっと手帳を閉じた。
これ以上は記録しない。
たぶん優しさだった。
その時だった。
〈――ゴォォォン〉
低い鐘の音が響く。
今まで聞いていた鐘とは違う。
重く、大地を震わせるような音。
全員の顔が上がる。
遠くで白亜の城壁の正門が、ゆっくりと開き始めていた。
巨大な門。
整列する兵士達。
空を巡回する飛空艇。
そして。
城壁の向こうに広がる、
白い都市。
カンナの表情が引き締まる。
水色の瞳が真っ直ぐ前を向いた。
「帝都の門が開いた」
その声に、旅人達の空気が変わる。
風が吹いている。
白い旗が、一斉に翻る。
その中心では、六つの翼を広げた星だけが
静かに空を見下ろしていた。
荷車が、ゆっくりと列へ加わる。
帝都へ入る者達の列だった。
商人。
旅人。
職人。
兵士。
誰もが静かだった。
騒いでいる者はいない。
喧嘩をする者もいない。
列は整然と進み、誰も順番を乱さない。
それは文明的で、不気味なくらいに美しく見えた。
オサリアはきょろきょろと辺りを見回す。
白い石畳。
等間隔に並ぶ街路樹。
統一された建物の高さ。
掲げられた白い旗。
何もかもが整い過ぎていた。
「……綺麗」
思わず漏れた声。
カンナは前を向いたまま答える。
「綺麗だろう」
その声に感情はなかった。
「アストラは国で一番豊かな街だからな」
城門が近付く。
巨大な白い門。
その上には六翼の星が刻まれていた。
兵士達が人々を誘導している。
怒鳴り声はない。
威圧もない。
ただ、規則正しい機械のように。
その時だった。
幼い子供が列から飛び出した。
母親が慌てて駆け寄る。
「こらっ!」
子供は笑っていた。
どこにでもある日常。
次の瞬間。
〈カチリ〉
兵士の一人が腰の端末へ手を添える。
母親はどこか怯えたように子供を抱き寄せる。
兵士は何事もなかったように手を下ろした。
オサリアは目を瞬かせる。
今のは、何だったのだろう。
「……見たかい」
隣でヨザキが小さく呟く。
「規律を乱す行動に即座に反応した」
紫の瞳は細められていた。
「訓練じゃない」
「習慣だ」
帝都の門は、もう目の前だった。
列が、ゆっくりと前へ進む。
石畳を車輪が転がる音。
遠くで鳴る鐘の音。
飛空艇の推進炉が唸る低い振動。
全てが規則正しかった。
オサリアは無意識に服の裾を握る。
白い壁。
白い旗。
白銀の鎧。
まるで汚れを許さない世界だった。
「次」
兵士の声が響く。
前の荷車が通され、何事もなく通過する。
「オレらの番やな」
サクヤが小さく呟く。
いつもの軽い声だったが、
尻尾の先だけがどこか忙しなく揺れていた。
カンナは頷く。
「落ち着け」
短い言葉。
それだけだった。
だが、不思議と安心する声だった。
荷車がゆっくり停止すると、兵士が近付いてくる。
若い男だった。
表情は硬い。
けれど、威圧する様子はない。
ただ職務を果たす人間の顔だった。
兵士の視線が荷台を見渡す。
「同行者は六名か」
書類へ目を落とす。
「…全員の身分証の提示を」
カンナは動揺する事なく、革袋から自分と偽造された六人分の身分証を渡し、書類を差し出す。
兵士は素早く目を通し、ペプシル達と身分証を見比べた。
(…いつの間にそんな準備を)
オサリアはカンナの背中を見つめている。
「ノクスの行商人、カンナ・ルクス、護衛六名」
「積荷は薬草、夜鉱石、保存食」
カンナは淡々と言葉を並べる。
兵士は眉を顰めた。
「……商隊にしては多いな」
空気が少しだけ張り詰めた。
オサリアの指先が強張る。
「人手不足なんだよ」
カンナが口を開くより先に、低い声が響いた。
ペプシルだった。
全員が一瞬だけ目を見開く。
黒い外套の下。
黒髪の青年は気怠そうに肩を竦める。
「今年は夜鉱石の相場が良い」
「護衛兼荷運びだ」
兵士が目を細める。
「どこから来た?」
一瞬の間。
だが。
「ノクス北部、ルーメン村」
淀みない返答だった。
オサリアは思わず目を瞬かせる。
ルーメン村。
実在する村だ。
しかもノクス北部の寒村。
旅人が少なく、薬草の産地として知られている。
だが、旅人でもなければ名前すら知らない村だった。
兵士は頷く。
「……遠いな」
「ああ」
ペプシルは平然としていた。
「街道整備が進んでからは三日だ」
「前は五日かかったが」
兵士の眉が僅かに動く。
土地勘のある人間しか知らない距離感。
疑う余地がない。
「帝都は初めてか?」
「俺は二回目だ」
さらりと答える。
嘘か、本当か。
オサリアには分からなかった。
だが、声に迷いは一切ない。
兵士は数秒黙り、やがて書類を返す。
「通行を許可する」
荷車が動き出す。
オサリアは隣のペプシルを見上げた。
「……ペプシル、ルーメン村って」
「ノクス北部」
「薬草と燻製魚が有名」
ペプシルへまるで本を読むみたいにすらすらと答えた。
そうだ。
レヴァリアの本屋でも、彼は地誌を夢中で読んでいた。
数少ない、普通の青年の顔を見せた時。
そんなに時は経っていないはずなのに、
どこか遠くの日のように思えた。
荷車はゆっくりと門を潜る。
白亜の城壁の影が頭上を覆った。
一瞬の夜。
そして――
影を抜けた瞬間、オサリアは息を呑んだ。
「……わぁ」
白かった。
目に映るもの全てが。
石畳。
建物。
街路樹。
看板。
空を飛ぶ飛空艇。
全てが統一されている。
広い大通りは真っ直ぐ皇城へ伸び、
白い塔が空へ突き刺さるように並んでいた。
まるで街そのものが、誰かの描いた設計図みたいだった。
遠くで鐘が鳴る。
カン、カン、と。
その瞬間だった。
通りの店員達が一斉に看板を裏返す。
露店が開き、
飛空艇が着陸し、
兵士達が交代する。
全てが鐘に合わせて動いていた。
オサリアは目を丸くする。
「すごい……」
「綺麗に整備され過ぎてて、逆につまんねえなあ」
イリアスは深くため息をついた。
カンナは何も言わない。
水色の瞳だけが、静かに街を見つめていた。
その時だった。
大通りの端で、一人の老人が書類を落とす。
紙が風に舞ったのを見て、近くの青年が拾い上げる。
どこにでもある光景だった。
老人は何度も頭を下げる。
必要以上に。
怯えるみたいに。
青年も笑わない。
ただ決められた動作みたいに頷くだけだった。
「……変な街やな」
ぽつりとサクヤが呟く。
その声に、カンナが小さく息を吐いた。
「豊かだよ」
静かな声だった。
「飢える者は少ない、盗賊も少ない」
「道も整備されてる」
「……だが、秩序には代償がある」
その声にはどこか重苦しさがあった。
やがて荷車は大通りを外れ、
少し人気の少ない裏通りへ入る。
表通りほど華やかではない。
だが、それでも他の街より遥かに整っていた。
カンナが手綱を引く。
荷車が止まる。
そこにあったのは、
目立たない石造りの宿だった。
看板には小さく文字が刻まれている。
『白梟亭』
カンナは荷台から降りる。
「今日はここを拠点にする」
全員の視線が集まる。
水色の瞳が真っ直ぐ仲間達を見た。
「皇城へ行くのは夜だ」
その一言で、空気が変わった。
今はもう、仲間と笑い合う旅ではない。
世界の手がかりを掴むための、潜入だ。




