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星は回る

ペプシルが出ていった、数十分後。


客間には静かな寝息が満ちていた。


グランヴィアは相変わらず豪快に眠っている。

サクヤは毛布にくるまり、時折むにゃむにゃと寝言を漏らしていた。

イリアスもいつの間にか作業を終えたのか、壁に寄りかかるように目を閉じている。


蒼い魔法灯だけが、静かに部屋を照らしていた。


――ぱちり。


ヨザキの目が開く。


「……」


静かに身体を起こす。


窓の外には、変わらない星空。

終わらない夜。

なのに、不思議と時間だけは流れている。


ヨザキは小さく息を吐いた。


何となく、視線を巡らせる。


空いている寝台が二つあった。


一つはペプシル。


そして、もう一つ。


オサリアの姿もない。


ヨザキは目を細めた。


「……そういう夜か」


独り言のように呟く。


何となく。

理由は分からないが、二人で過ごしているんだろうと思った。


だからこそ、探しには行かなかった。

野暮というものだろう。

 

静かに上着を羽織る。

少しだけ、外の空気を吸いたくなった。


扉を開ければ、ひんやりとした夜風が頬を撫でた。

静かに眠る夜の街を、ヨザキはゆっくりと歩く。

夜は、考え事をするのに向いている。


黒い結晶。

世界の異変。

そして――サンクチュアリ。


点と点が、どこかで繋がりそうで繋がらない。


そんな感覚が続いていた。


歩いていると、広場の片隅で星空を見上げる老人の姿が見えた。


長老だった。


「眠れぬのかね」


穏やかな声だった。

ヨザキは軽く目を細める。


「少し、目が覚めてしまいまして」


長老はふっと笑う。


「夜が長い街じゃ」

「こういう夜もある」


二人は並んで星空を見上げた。


静かな夜だった。

遠くで水の流れる音が聞こえる。


やがて、ヨザキは口を開いた。


「長老。少し、お聞きしたいことがあります」

 

ヨザキは夜空から視線を外さない。

長老は小さく頷いた。

 

「旅の途中で、奇妙なものを見ましてね」

 

静かな声だった。

 

「黒い結晶です」

 

長老の目が、僅かに細められる。

 

ヨザキは続けた。

 

「魔物が異常に凶暴化していた地域もありました」

「各地で似たような話も聞いています」

「世界で、何かが起きている」

 

夜風が吹く。

白い髭が揺れる。


「何か、ご存知ありませんか」

 

長老はすぐには答えなかった。

 

ただ、静かに夜空を見上げる。

まるで、遠い昔を思い出すように。


長い沈黙の末に、小さく呟いた。

 

「……世界が騒がしくなってきたのう」

 

その声音は、どこか諦めにも似ていた。

 

「以前から、こういうことが?」


長老は頷く。


「何度もの」

「長く生きておれば、世界の流れにも癖があると分かる」


冷たい夜が吹く。

星々が静かに瞬いていた。


「穏やかな時代が続けば、やがて揺り戻しが来る」

「星が乱れれば、地が騒ぎ、人が争う」

「そうして世界は、何度も形を変えてきた」


ヨザキは黙って聞いている。

この人は、どれほどの年数を生きてきたのだろうか。


長老は夜空を見上げたまま続けた。


「黒い結晶も、その兆しの一つじゃろう」

「兆し?」

「うむ」


白い髭が靡いている。


「世界が悲鳴を上げ始めた時、時折ああしたものが現れる」

「古い記録にも残っておる」


ヨザキの目が僅かに細められる。


「……では、以前にも起きたことが?」


長老は少しだけ目を伏せた。


「数千年に一度あるかないか」

「じゃが、その度に世界は大きく変わった」


青い草を揺らす風は、僅かに強い。


「その先には、何があるのです?」


ヨザキは静かに問い掛ける。

 

長老はただ、満天の星を見上げていた。

まるで、その向こうにある何かを見るように。


「……全ての道は、いずれサンクチュアリへ向かう」


その言葉に、ヨザキの瞳が僅かに揺れる。

 

長老は目を閉じた。

その表情に浮かんだのは。


恐れか。


諦めか。


あるいは――後悔か。


「世界の始まりであり――終わりでもある場所じゃ」


 

「……サンクチュアリ、ですか」


ヨザキは穏やかな声音のまま続ける。


「実は、一つ気になっていたことがあります」


長老は何も言わない。

ただ続きを促すように目を向けた。


「オサリアさんの魔法です」


ヨザキは眼鏡を押し上げる。

 

「闇属性でありながら、治癒魔法を扱う」

「私も長く魔術を学んできましたが、あれほど特異な例は知りません」

「もっとも、治癒魔法なんて存在すらしないと思っていた」

 

「まるで――」


紫の瞳が鋭くなる。

 

「光と闇、双方の性質を持っているようだ」


長老の瞳が、僅かに揺れた。


ほんの一瞬。

だが、ヨザキは見逃さない。


「……気付いておったか」


静かな声だった。

ヨザキは否定も肯定もしない。

ただ、黙って待つ。

長老は星空に再び視線を移す。

随分と昔を見るような目だった。


「賢い子は苦手じゃのう」


苦い笑みを浮かべていた。

 

「……あの子は、ノクスで生まれた子ではない」


夜風が止む。


「もっとも、本人は知らぬ」

「我らも、伝えておらん」


一呼吸置いた後に。


「オサリアは――サンクチュアリから流れ着いた子じゃ」


ヨザキは思わず息をのむ。


「赤子の頃じゃ」

「夜境の森の入口に、一人置かれておった」


長老の声は静かだった。

あまりにも静かで。だからこそ、重かった。


「最初は捨て子かと思った」

「じゃが――抱いた瞬間に分かった」

「この子は、普通の子ではないと」


長老は僅かに眉を顰める。

 

「まるで、夜空そのものを抱いておるようじゃった」

 

ヨザキは手に持っているペンを動かせない。

その声は、あまりにも悲しげだったから。


「恐ろしいほど静かで、眩しいほど、綺麗な子じゃった」


「生まれたばかりの赤子がな」

「泣きもせずただ、震えておった」


ヨザキは何も言わない。

何も、言えない。


長老は目を閉じた。


「あの小さな手が、儂の指を握った時」

「……この子を見捨ててはならぬと思った」

「理由など、それだけで十分じゃった」


夜風が再び吹きはじめる。


老人は小さく笑った。


穏やかで。

けれど、どこか誇らしげな笑みだった。


「だから育てた」

「誰が捨てた子かなど関係ない」

「オサリアは、儂らが選んだ家族じゃ」


一拍。


「……我らの宝物じゃよ」


ヨザキは目を伏せる。


昼間。


長老が口にした言葉を思い出す。


我らの夜明け。

我らの宝物。


その意味が、ようやく分かった気がした。



 

翌日。


変わらない夜空の下で、ノクスの一日は始まった。


蒼い魔法灯が街を照らし、

黒曜石の家々は、静かに星明かりを受けている。


夜は終わらない。


けれど、人は目を覚ます。

客間に差し込む柔らかな蒼い光。


最初に目を覚ましたのは、グランヴィアだった。


「……んぁ」


大きく伸びをする。


視界いっぱいに広がるのは、見慣れない黒い天井。


数秒の沈黙。


そして。


「……夜だな」


当然の結論だった。


「夜だねぇ」

隣から、のんびりした声が返ってくる。


オサリアだった。


いつの間に起きていたのか、窓辺に腰掛け、ぼんやりと星空を眺めている。


昨夜と変わらない景色。


終わらない夜。


グランヴィアは数度瞬きをして。


「……朝なのか?」

「朝だよ?」


オサリアが即答する。


「いや、どう見ても夜だろ」

「寝たから朝なの」

「空は夜だぞ」

「でも朝なの」

「どっちなんだよ」

真剣に悩み始める。


そのやり取りで、サクヤが毛布の中でもぞりと動いた。


「うぅ……」

寝ぼけ眼のまま身体を起こす。

視界に飛び込んできたのは、満天の星空。


数秒固まる。


「……まだ夜やん」


そう言って布団をかぶり直す。


「朝だよー」


オサリアが困ったように笑う。


「嘘や。外見ぃや。完全に夜やん……」


もぞもぞと毛布の中から顔だけ出すサクヤ。


「でも、みんな起きる時間だよ?」

「……理屈では分かる。感情が納得せぇへん」


真顔だった。

その様子を見て、グランヴィアが腕を組む。


「つまりあれか? ノクスでは夜に起きて夜に飯食って夜に寝るのか?」

「うん!」

オサリアは元気よく頷いた。


「全部夜だよ!」

「何も分からねぇ」


グランヴィアは敗北した。


その時。

寝台の端で、小さく本が落ちる音がした。


ぱたん。


ヨザキがゆっくりと目を開く。


「……朝から騒がしいね」


穏やかな声音だった。


けれど、その目の下には僅かな疲労が見える。

昨夜は結局、あまり眠らなかったのだろう。


「ヨザキ、夜やで」

「正確には夜なのに朝だな」


グランヴィアが訂正する。


ヨザキは少し考えて。


「……どうでもいい」


興味がなかった。

実にヨザキらしい結論だった。


「スカすな!!」

サクヤが思わず叫ぶ。


「時間の定義は文化によって異なるだろう」

 

学者の理屈だった。


サクヤは頭を抱える。


「うわぁ…これやからレヴァリアのヤツは…」


その時だった。


壁際で眠っていたイリアスが、薄く目を開く。


「賑やかだな……」


少し掠れた声。

寝起きらしく珍しくぼんやりしている。


オサリアが嬉しそうに手を振った。


「イリアス、おはよう!」

「……おう、おはよう」


自然に返してから。


イリアスは窓の外を見る。


「……やっぱ何回見ても違和感あるな」


ノクス二日目にして、既に順応を諦め始めていた。


一番奥の寝台では、毛布を頭まで被って眠るペプシルの姿があった。


琥珀の瞳が、眠るペプシルへ向く。


穏やかな寝息。

昨夜まで張り詰めていた眉間の皺も、今は少しだけ浅い。


オサリアは小さく笑う。

 

ヨザキは静かにその様子を見ていた。

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