星空の下で
だが。
その平穏は、長くは続かなかった。
長老の後ろにいた老婆が、ふと目を見開く。
「……長老様」
震える声だった。
「そちらのお方達は……?」
その一言で。
ノクスの民達の視線が、一斉にオサリアの後ろへ向く。
オサリアの友達。
だが、彼らにとっては本来此処に訪れない光の街の者達だ。
空気が、少しだけ張り詰めた。
サクヤが小さく身構える。
グランヴィアも無意識に剣の柄へ手を置いた。
外の街では、闇の民は恐れられる。
ならば逆もまた然りだ。
ノクスの民もまた、外の人間を警戒していてもおかしくない。
だが。
長老は静かに六人を見渡した。
その視線が、ペプシルで止まる。
金髪。
青い瞳。
背中の歪な剣。
長老の目が、僅かに見開かれた。
「……なるほど」
小さく呟く。
その一言に、ヨザキの目が細められる。
おそらくこの老人は即座に見破った。
彼の存在を。
ペプシルも何かを察知したのか、無意識に身体を強張らせる。
勇者。
その肩書きを口にされた瞬間、何が起こるか。
今日、嫌というほど思い知ったばかりだった。
だが。
「我がノクスの娘を守ってくださり、感謝する」
長老はゆっくりと頭を下げた。
深く、とても深く。
その言葉に、今度はペプシル達の方が目を見開いた。
長老は顔を上げる。
夜空のような瞳が、穏やかに細められている。
「旅人よ。勇者よ」
静かな声だった。
「ノクスへようこそ」
歓迎の言葉だった。
何の打算もない。
何の期待もない。
ただ一人の旅人へ向けられた言葉。
ペプシルは息を呑む。
勇者だからではない。
兵器だからでもない。
国家の所有物だからでもない。
ただ。
“ペプシル・ツウィンズ”として迎えられた。
それが、どうしようもなく――眩しかった。
その時だった。
〈ぐぅぅぅぅぅ……〉
盛大な腹の音が響く。
全員の視線が集まる。
発生源。
――イリアスだった。
沈黙。
イリアスがゆっくり目を逸らす。
「……悪いか」
「お前もかい!!」
サクヤのツッコミが今日は一段とキレが良い。
張り詰めていた空気が、腹の虫と共に一瞬で弾けた。
ノクスの民達が笑う。
子供達が笑う。
長老までもが肩を震わせた。
そして。
オサリアも、涙の跡を残したまま笑った。
夜の街。
ようやく、本当の意味で旅人達は迎え入れられた。
その時だった。
〈ぐぅぅぅぅぅぅ……〉
今度は別の腹の音が鳴った。
――オサリアだった。
「あっ」
間の抜けた声が漏れる。
数秒の沈黙。
そして。
ノクスの民達から、どっと笑いが起きた。
「はははっ! オサリアらしいな!」
「旅先でも腹を空かせてたのか」
「昔から食いしん坊だったからのぉ」
口々に飛ぶ声。
まるで、本当に家族だった。
オサリアは顔を真っ赤にする。
「ち、違うもん! 今日は色々あっただけだもん!」
「今日は?」
カンナが首を傾げる。
「いつもなにかしでかしてるだろ?」
「なっ!?」
嘘偽りない、とでも言うようにあっけらかんと答えた。
サクヤが腹を抱えて笑う。
「オサリアも問題児やないか!」
「うぅぅ……」
オサリアは涙目になりながら蹲った。
そんな少女の頭を、長老がぽんぽんと優しく撫でる。
「まあよい」
穏やかな声だった。
「腹が減っては話もできぬ」
長老は振り返る。
その瞬間、後ろにいた民達が何故か一斉に動き始めた。
布袋を開く者。
籠を持ち上げる者。
鍋を抱えてくる者。
ペプシル達は目を瞬かせる。
「……何してんだ?」
イリアスが呟く。
答えたのはカンナだった。
「歓迎会だぞ?」
全員が固まる。
「歓迎会?」
グランヴィアが復唱する。
カンナはきょとんとした。
「帰ってきたんだから、やるに決まってるだろ?」
普通のことを言うように。言葉に淀みがなかった。
「しかも友達まで連れてきたんだぞ?」
「客人をもてなさない方が失礼じゃないか?」
周囲の民達も、当然だと言わんばかりに頷く。
「えーっ友達!?」と小さく喜びの声をあげる者も居た。
ペプシルは目を見開く。
客人。
その言葉が、妙に胸へ残った。
勇者ではなく。
救世主でもなく。
兵器でもなく。
客人。
ただ、それだけだった。
「……変な街だな」
ぽつりと漏れた。
長老が穏やかに笑う。
「そうかもしれんのう」
夜風が吹く。
蒼い花々が静かに揺れる。
長老は夜空を見上げた。
「我らは昔から、行き場のない者達が寄り添って生きてきた」
静かな声だった。
「故に、帰る場所の尊さを知っておる」
その言葉に、ペプシルは息を呑む。
帰る場所。
それは、今の自分に最も縁遠い言葉だった。
聖剣祭の日から、自分の居場所はどこにもないと思っていた。
だからこそ、胸が少しだけ痛んだ。
その時。
オサリアが、そっと袖を引っ張った。
「……ペプシル」
見れば、少女は泣き腫らした目で笑っていた。
少し照れくさそうに。
少し誇らしそうに。
「うちの街、どう?」
その問いに。
ペプシルは少しだけ夜空を見上げる。
満天の星。
青く光る草原。
笑い合う人々。
そして。
帰ってきた娘を迎える温かな灯り。
ゆっくりと。
本当にゆっくりと。
ペプシルの口元が緩んだ。
「……悪くねぇな」
それは、勇者ではなく。
一人の旅人として漏れた、本音だった。
オサリアの顔が、ぱっと花のように明るくなる。
「ほんと!?」
「ああ」
短い返事。
けれど、それだけで十分だった。
オサリアは嬉しそうに笑う。
まるで、自分のことのように。
いや。
きっと、自分のこと以上に嬉しかったのだろう。
自分の大好きな街を。
大好きな仲間が好きになってくれた。
それだけで、胸がいっぱいになるくらいに。
その時だった。
イリアスがふと周囲を見回した。
さっきから気になっていた。
青い灯り。
穏やかな人々。
静かな夜。
――静かすぎる。
あれだけの大規模転移だ。
騎士団が追ってきていてもおかしくない。
「……なぁ、確認なんだが」
イリアスが低く口を開くと、周囲の視線が集まる。
「ここ、安全なのか?」
空気が少しだけ引き締まる。
グランヴィアも頷いた。
「…俺も気になってた」
騎士としての勘だった。
「アストラは区域封鎖までしてた。転移先の捜索くらいするんじゃねぇのか?」
サクヤも槍を抱え直す。
「勇者追っとるんやろ? オレら、まだ追われとる最中やしな」
ペプシルは黙った。
その拳は、無意識に固く握られていた。
逃げ切れた。
そう思いたい。
だが。
追手の気配が消えたわけではない。
あの「保護」という名の檻が、
今もどこかから伸びてくる気がしていた。
その時だった。
長老が、きょとんと首を傾げた。
「追手?」
不思議そうな顔だった。
「おるわけなかろう」
あまりにもあっさりした返答だった。
今度は、旅人達の方が目を瞬かせる。
「……いや」
イリアスが眉を寄せる。
「アストラ皇帝府だぞ?」
「勇者一人を追うために街ひとつ動かす連中だ」
「本気で探してくると思うが」
その言葉に、今度は周囲のノクスの民達が顔を見合わせた。
そして。
何人かが、きょとんとした顔になる。
「……来るのか?」
「わざわざ?」
「こんな所まで?」
まるで。
熊が家の中まで入ってくると言われた時のような反応だった。
ペプシル達は固まる。
長老が静かに夜空を見上げる。
「ノクスはのう」
穏やかな声だった。
「世界から隔離された街じゃ」
風が吹く。
蒼い花が揺れる。
「アストラも、他の街も、我らに干渉せぬ」
「我らもまた、外へ干渉せぬ」
「そうして、長い時を生きてきた」
ヨザキの目が細まる。
「……不可侵条約か」
「近いのう」
長老は頷いた。
ペプシルの脳裏に、幼い頃に学んだ法文が蘇る。
「第四条、闇属性保持者のノクス領域への隔離…」
「そうじゃ。法的にも定められとる」
苦笑混じりだった。
「闇を恐れる者は多い」
「故に、外の者は来ない」
「我らも、呼ばぬ」
静かな事実だった。
そこに怒りはない。
ただ、長い歴史の積み重ねがあった。
カンナが肩を竦める。
「街の結界もあるしな」
「よっぽどじゃないと辿り着けないぞ」
「そもそも場所を知ってる人がほとんど居ないし」
イリアスが目を見開く。
「……秘境かよ」
「秘境だぞ?」
カンナは当然のように言った。
「外の人が来たのなんて、私、生まれて初めて見たしな」
今度は全員が固まる。
サクヤがぽつりと漏らした。
「……オレら、レア客やったんか」
「超レアだな」
カンナが頷く。
「百年ぶりくらいじゃないか?」
「重っ!!」
サクヤのツッコミが夜に響く。
だが。
ペプシルだけは動かなかった。
百年。
外の世界が届かない場所。
勇者も、皇帝も、国家も。
手を伸ばせない場所。
そんな場所が、本当に存在したのか。
知らず。
固く握っていた拳から力が抜ける。
生まれて初めてだった。
追手の気配がない夜は。
誰かに見つかる恐怖を抱えなくていい夜は。
胸の奥に張り付いていた何かが、少しだけ剥がれ落ちる。
その時、長老がにっこりと笑う。
皺だらけの優しい笑みだった。
「安心せい」
「ここはノクスじゃ」
満天の星が彼らを照らす。
「帰る場所を失った者を、追い出したりはせんよ」
その言葉に。
ペプシルは、何も答えられなかった。
ただ。
どうしようもなく。
胸の奥が熱かった。
言葉にできない感情だった。
嬉しいのか。
安心したのか。
それとも――ただ、疲れていたのか。
自分でも分からない。
だから。
ペプシルは、いつものようにぶっきらぼうに目を逸らした。
「……別に、住むとは言ってねぇ」
小さく漏らした言葉。
だが。
長老は穏やかに笑った。
「うむ」
あっさりと頷く。
「住まぬなら、旅人としておればよい」
「旅人でなくなったら?」
気付けば、口が動いていた。
自分でも驚くほど自然に。
長老は少しだけ目を細める。
「その時は、その時に考えればよい」
あまりにも簡単な答えだった。
世界はそんなに急いで答えを出さなくて良いのだと、
言われた気がした。
ペプシルは黙る。
その横顔を見て、オサリアは、そっと微笑んだ。
その時だった。
〈ぐぅぅぅぅ……〉
今度は、さらに盛大な腹の音が響いた。
――ペプシルだった。
沈黙。
「…………」
「…………」
「…………」
ペプシルが、すっと顔を逸らす。
耳だけが少し赤い。
最初に吹き出したのはグランヴィアだった。
「ぶっ――!!」
肩を震わせる。
「勇者様も腹減るんだな!!」
「当たり前だろ」
即答だった。
だが、少しだけ拗ねた声だった。
サクヤが堪えきれず笑う。
「ははっ! お前、さっき格好つけてたやんか!」
「つけてねぇ」
「つけてたぞ」
イリアスが真顔で追撃する。
「かなり雰囲気出してた」
「出してねぇ」
「出てたね」
ヨザキまで頷いた。
完全包囲だった。
ペプシルの眉がぴくりと動く。
その時。
長老が、からからと笑った。
「よし」
杖を軽く鳴らす。
コン、と乾いた音が夜へ響く。
次の瞬間。
ノクスの民達が、一斉に歓声を上げた。
「宴だー!!」
「オサリアが帰ってきたぞー!!」
「客人もいるぞー!!」
「席を増やせー!!」
わっと人々が動き出す。
青い灯りが夜を彩る。
香ばしい匂いが漂い始める。
子供達が駆け回り、大人達が笑い合う。
まるで祭りだった。
夜の街に、灯りがともる。
永久の夜を抱く幽世、ノクス。
そこは闇の街ではなく。
帰る場所を知る者達の、暖かい街だった。
「お前ら腹空かせすぎやろ」
「さっきまで追われてたからな……」
「ああ」
「安心したらお腹すいちゃうもんね!」
「オサリアちゃんはいつもでしょ」
「ガッハッハッ!!健康な証だ!!」




