永久の夜を抱く幽世、ノクス
静寂が、痛いほどだった。
風が吹く。
見上げれば、空には満天の星。
昼だったはずなのに、どう見たって今居る場所は夜だった。
夜だけを切り取ったような空が、どこまでも延々と広がっている。
誰も言葉を発さない。ただ、世界を見ていた。
足元には淡く青く光る草花。
少し先には、黒曜石のような建造物。
遠くで瞬く蒼い灯火。
どこにも太陽がない。
なのに、暗すぎることもない。
まるで星明かりだけで成立している世界だった。
「……なんや、ここ……」
サクヤが呆然と呟く。
いつもの軽口はなかった。
イリアスも周囲へ視線を巡らせる。
銃を握る手に、僅かに力が入っていた。
「本当にここは、セレスティアにある場所なのか……?」
グランヴィアは空を見上げる。
騎士として各地を巡った。
だが、こんな景色は見たことがない。
ペプシルは黙ったままだった。
その視線だけが、隣の少女へ向いている。
オサリア。
彼女だけが、酷く不安そうな顔をしていた。
小さな肩が震えている。
今にも消えてしまいそうだった。
「……オサリア」
ペプシルが呼ぶ。
少女の身体がびくりと震えた。
返事はなく、俯いたまま。
ただ、自分の服の裾をぎゅっと握っている。
怖いのだ。
闇属性だからじゃない。
秘密を知られたからでもない。
きっと、拒絶される、その瞬間が。
誰より怖い。
夜風が六人のそばを通り抜けた。
「……ごめんね」
消え入りそうな声で、オサリアは呟く。
「ずっと、黙ってて」
誰も答えない。
だからこそ、少女の顔が少しずつ青ざめていく。
その時だった。
〈ぐうぅぅぅ……〉
場違いな音が響いた。
全員の動きが止まる。
オサリアの顔が真っ赤になった。
「あっ」
腹の音だった。
数秒の沈黙。
そして。
「……まず飯にするか?」
ペプシルが、いつもの調子で言った。
あまりにも自然に。
あまりにも当たり前みたいに。
オサリアが目を見開く。
「……え?」
「腹減ってんだろ」
短い言葉だった。
それだけだった。
まるで何も変わっていないみたいに。
勇者も。
闇属性も。
秘密も。
全部飛び越えて、仲間として接する声だった。
その瞬間、張り詰めていたものが少しだけ緩んだ。
「……うん」
オサリアの瞳から、ぽろりと涙が落ちる。
その時だった。
カツン。
背後で、小さな足音が鳴った。
音のした方へ自然と目が行く。
淡い蒼光を放つ草原の向こうに、
黒いローブを纏った人影が、一つ。
月明かりを背にして立っていた。
顔は深く被ったフードに隠れている。
だが。
その影を見た瞬間――オサリアの瞳が、大きく見開かれた。
「……え」
震える声だった。
声に反応して、影が立ち止まる。
そして。
ゆっくりと、フードを下ろした。
長い翡翠色の髪が夜風に揺れる。
水晶のように透き通った、水色の瞳。
片目には眼帯。手には黒い手袋をはめている。
幼さの残る顔立ち。
だが、オサリアより少し年上にも見える。
少女は目を丸くした。
数秒。
互いに固まる。
やがて。
少女の瞳から、みるみる涙が溢れた。
「――オサリア!?」
弾かれたように駆け出す。
オサリアも目を見開いた。
「……カンナ!?」
次の瞬間。
二人は勢いよく抱きついていた。
「本当にオサリアだ!!」
「うわぁぁぁぁぁん!! カンナぁぁぁっ!!」
泣き声が夜へ響く。
子供みたいに。
何年もの空白を埋めるように。
カンナと呼ばれた少女も泣いていた。
「急に居なくなるもんだから…!!」
「ご、ごめぇぇぇん!!」
「手紙もないし!!」
「旅してたのぉ!!」
「知ってるぞぉ!! 街中大騒ぎだったんだからなぁ!!」
ぎゅうっと抱き締め合う二人。
あまりにも普通の再会だった。
ペプシル達は呆然と立ち尽くす。
サクヤがぽつりと呟く。
「……普通やな」
「普通だな」
イリアスも同意した。
もっとこう。
闇の街らしい何かを想像していた。
禍々しい儀式とか。
不気味な歓迎とか。
だが今ここにあるのは、近所の幼馴染の再会だった。
「……闇の街って、もっと怖ぇ場所かと思ってたんだが」
グランヴィアが困惑した顔で頭を掻く。
その言葉に、カンナがきょとんと瞬きをした。
「怖い?」
不思議そうな顔だった。
心底意味が分からない、という顔。
「何故だ?」
その問いに。
今度は全員が黙る。
どうして。
そう教わってきたからだ。
闇属性は穢れ。
夜の民は危険。
ノクスは忌避すべき地。
誰も疑わなかった。
当たり前のように信じていた。
「……ああ、そうか」
カンナは少しだけ寂しそうに笑った。
「外の街の人は、みんなそう言うのか」
その言葉は、どこか慣れているように見えた。
誰もが口を閉ざしてしまう。
カンナはそんな様子を気にせずに、改めて六人を見渡した。
ペプシル。
イリアス。
ヨザキ。
サクヤ。
グランヴィア。
最後に、オサリアを見る。
「……オサリア」
カンナの声が震えていた。
「友達…ッ、できたんだなぁ!」
ぱあっと、心底嬉しそうに顔を輝かせた。
その一言に、オサリアの目が丸くなる。
友達。
ただ、それだけの言葉。
けれど。
何故だろう。
オサリアの瞳に、また涙が滲んだ。
「……うん」
小さく頷く。
「できたの」
誇らしそうに。
嬉しそうに。
まるで宝物を見せる子供みたいに。
オサリアは振り返った。
「この人はペプシル! ぶっきらぼうだけど優しい人!」
「余計な説明すんな」
即座に返ってきた言葉に、オサリアがえへへと笑う。
「こっちはサクヤ! 強くて頼れるお姉ちゃん!」
「へへん、まあな!」
「イリアスは物知りで面白くて、道徳心がない!」
「おい!!」
「ヨザキは優しくて賢くて、みんなのまとめ役!」
「……ありがとう、と言っておくよ」
「グランヴィアはね!」
そこまで言って。
オサリアは、にぱっと笑った。
「最高にかっこいいお兄さんだよ!」
グランヴィアの目が丸くなる。
数秒遅れて。
顔が真っ赤になった。
「なっ……!?」
慌てて顔を背ける。
耳まで赤い。
サクヤが吹き出した。
「ははっ! 世界一やて!」
「似合ってんじゃねえか!」
「うるせぇ!!」
賑やかな声が夜へ溶ける。
カンナはその様子を見て、嬉しそうに目を細めた。
本当に、嬉しそうに。
「そっかぁ」
ぽつり、と呟く。
「オサリア、幸せそうだなぁ」
その言葉に。
オサリアが目を瞬かせた。
幸せ。
その言葉は、あまりにも自然だった。
まるで疑う余地もないみたいに。
そして。
カンナは改めて六人へ向き直る。
深々と頭を下げた。
「ありがとう」
突然の礼に、全員が目を見開く。
カンナは顔を上げる。
その水色の瞳は、少しだけ潤んでいた。
「オサリアは、ノクスのみんなの宝物なんだ」
夜風が吹く。
蒼い草花が静かに揺れた。
「だから、生きて帰ってきてくれて嬉しい」
その一言で、オサリアの目からまた涙が零れ落ちる。
生きて帰ってきてくれて。
その言葉を、この街は当たり前みたいに口にするのだ。
忌み嫌われた子でもない。
穢れでもない。
宝物。
そう呼んでくれる人達がいる。
ペプシルは黙って空を見上げた。
サクヤは目を細める。
グランヴィアは拳を握る。
誰も知らなかった。
この少女が、どれほど愛されて育ったのかを。
その時だった。
カンナの表情が、ふっと曇る。
「……でも」
どこか困ったように、そして少しだけ焦ったように。
「長老様たち、多分すごく怒ってるぞ」
オサリアの身体が、ぴたりと固まった。
「……え?」
嫌な沈黙。
カンナは目を逸らす。
「あの後、黙ってノクスを飛び出したって知れてさ」
「…………」
「里中ひっくり返るくらい大騒ぎだった」
「…………」
「皆で三日くらい捜索隊出してた」
「…………」
オサリアの顔から、さっと血の気が引いた。
ペプシル達が、ゆっくり視線を向ける。
オサリアは冷や汗を流しながら、ぎこちなく笑った。
「あ、あはは……」
乾いた笑い。
次の瞬間。
遠くの森から――
〈ゴオォォォォン!!〉
重く巨大な鐘の音が響いた。
夜の街に、警鐘が鳴る。
カンナの顔が引き攣った。
「あっ」
オサリアの顔が真っ青になる。
その鐘を、彼女はよく知っていた。
迷子の子供を探す鐘でも。
魔物の警報でもない。
もっと単純な。
もっと恐ろしい。
透き通るような鐘の音が、夜空へ響き渡る。
一度。
二度。
三度。
その音を聞いた瞬間。
オサリアの顔から更に血の気が引いた。
「……やばい」
小さな声だった。
今まで見たことがないほど青ざめている。
サクヤが首を傾げる。
「なんや?」
オサリアは震える唇で答えた。
「長老会議の招集鐘……」
嫌な予感しかしない。
カンナが遠い目をした。
「しかも最高緊急だな」
「最高緊急?」
ヨザキは首を傾げる。
「国境封鎖とか、大災害とか、人が行方不明になった時しか鳴らない」
全員の視線が、一斉にオサリアへ向いた。
オサリアが、すっと目を逸らす。
「…………」
「…………」
「…………うちかも」
沈黙。
数秒後。
「お前かーーーい!!」
サクヤのツッコミが、夜の街に響いた。
その直後だった。
遠くの森の向こうから、無数の青い灯りがこちらへ近付いてくる。
一つや二つじゃない。
十。
二十。
いや――百は超えている。
オサリアの顔が引き攣った。
「……迎え、来たみたい」
夜の民たちは、宝物の帰還を迎えに来ていた。
青い灯りは、静かな夜の草原を流れるように近付いてくる。
ざわざわと、誰かの話し声が聞こえる。
けれど不思議と、怒号ではなかった。
どこか焦ったような。
どこか安堵したような。
そんな人の声。
オサリアは青ざめた顔のまま、一歩後ずさる。
「う、うわぁ……」
本気で怯えていた。
先程まで騎士団に追われていた時とは別の意味で。
サクヤが目を細める。
「……なんや。オサリア、ほんまに愛されとるんやな?」
「い、いや違う!」
オサリアはぶんぶんと首を振った。
「これ絶対怒られるやつ!!」
「愛されてるから怒られるんじゃないのかい?」
ヨザキが静かに返す。
ぐっ、とオサリアが言葉に詰まった。
反論できない。
その様子を見て、グランヴィアが思わず吹き出す。
「ふはっ…お前でも本気で怒られることあんだな?」
「あるよぉ!!いっぱいあるよぉ!!」
涙目で叫ぶ。
その時だった。
先頭の灯りが、ふっと立ち止まる。
月光の下、黒い外套を纏った老人が姿を現した。
白い長髪。
深い皺。
けれど、その瞳だけは夜空のように澄んでいる。
老人の後ろには、大勢のノクスの民。
子供も、大人も、老人も。
誰もが息を呑んで、一人の少女を見ていた。
オサリアの肩が震える。
「……長老様」
小さな声だった。
時が止まったような感覚。
誰の声ももう聞こえない。風だけが吹く。
そして。
長老はゆっくりと前へ出た。
一歩。
また一歩。
オサリアの前まで来る。
少女はぎゅっと目を瞑った。
怒られる。
叱られる。
見捨てられる。
そんな不安が胸を埋める。
――ぽすっ。
大きな手が、オサリアの頭に置かれた。
「…………無事で、良かった」
穏やかな声だった。
ただ、それだけ。
たったそれだけだった。
オサリアの目が見開く。
長老の手は震えていた。
よく見れば、その目尻は少し赤い。
「毎日、祈っておった」
低い声だった。
「空を見上げて」
「星を見上げて」
「お前が、生きておるようにな」
ぽろり。
オサリアの瞳から涙が零れる。
もう、止まらなかった。
「っ……ごめ、なさい……っ」
しゃくり上げる。
「勝手に出てって……ごめんなさい……っ」
長老は静かに頷いた。
そして。
少しだけ厳しい顔になった。
「うむ」
一拍置いて。
「説教は三日三晩じゃな」
オサリアの顔が凍った。
「えっ」
周囲の民も満場一致で頷く。
「当然だな」
「心配したからなぁ」
「俺は五日でも良いと思うぞ」
「駄目です、オサリアはちゃんと寝かせます」
口々に飛ぶ声。
全員、本気だった。
愛情百パーセントの説教だった。
オサリアの顔から血の気が引く。
「ま、待って!? 長老様!? 三日って何!? 三日って!?」
「安心せい」
長老は優しく微笑む。
「交代制じゃ」
「減ってないよぉぉぉぉぉ!!」
夜の街に悲鳴が響いた。
その様子を見ていたペプシルは、ふっと目を細める。
勇者として追われた自分。
闇として恐れられたはずの少女。
けれど、この街では違った。
ここには。
確かに帰る場所があった。
永久の夜を抱く幽世。
そこは、闇を抱いた者たちの居場所だった。




