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今だけは

グランヴィアとソラとサクヤを落描きました。

https://51583.mitemin.net/i1189987/

夜もすっかり更けていた。


帰り道。


グランヴィアは何も喋らなかった。


ペプシルも。

サクヤも。

イリアスも。

オサリアも。

誰も何も言わない。


ただ、石畳を踏む音だけが静かに続いていた。


診療所で何があったのか。

詳しく聞く者はいない。


グランヴィアの赤く腫れた目を見れば、十分だったからだ。


やがて、見慣れた家の灯りが見えた。

窓から漏れる暖かな橙色の光。


それを見た瞬間、グランヴィアの足が止まる。


帰りたかった場所。

何度も守ろうとした場所。


それなのに、今だけは扉を開けるのが怖かった。


もし。


全部夢だったら。


ソラがまた苦しんでいたら。


そんな考えが、胸を過る。


「……行け」


隣で、ペプシルが短く言った。

グランヴィアは黙ったまま頷く。


震える手で扉を開いた。


「兄さん?」


その声だけで、グランヴィアの目が見開かれた。

居間の椅子に座ったソラが、眠そうな目を擦りながら微笑んでいた。


頬には血色がある。

呼吸も穏やかだ。


苦しそうな素振りもない。


ただの、普通の少女だった。


「遅かったね」


その一言で。

グランヴィアの喉が詰まる。


何年も聞いてきた言葉。


なのに。


今だけは、全く違う意味を持っていた。


元気に待っていた。


妹が。


自分を。


何にも苦しまずに。ただ、待っていた。


「……ただいま」


掠れた声だった。

ソラは嬉しそうに笑う。


「おかえりなさい」


グランヴィアの目から涙が零れ落ちた。


隠せなかった。

隠す必要もなかった。


ソラは何も言わず。


ただ、自分の足で歩いて、兄の手をぎゅっと握った。


暖かい手。

ずっと願っていた温もりだった。




しばらくして。


ソラが眠った後、居間には六人だけが残っていた。

ランプの灯りが静かに揺れる。


誰も口を開かない。


その沈黙を破ったのは、ヨザキだった。


「……話さなきゃいけないことがある」


低い声。

空気が変わる。


ヨザキは少しだけ目を伏せた。


「花についてだ」


オサリアの肩が僅かに揺れる。


あの暗闇。

あの子供の声。


『花が咲いたら、僕はいなくなるの?』


忘れられるはずがなかった。


ヨザキは静かに続ける。


「図書館で、結晶に関係しそうなものを片っ端から調べた」

「ガルディアの禁書庫も、数冊覗いた」


ペプシルが眉をひそめる。

「禁書庫って……大丈夫なのか」

「閲覧権限のある魔術師だけに絞ってある。

 数冊程度なら僕は問題ない」

さらりと返す。

 

「見つけたのは、三千年に一度現れる”花”の伝承だ」


部屋の空気が張り詰める。


「それは世界の終わりと始まりを告げるものだと言われている」


サクヤが息を呑む。

イリアスが眉を寄せる。

ペプシルだけが黙って聞いていた。


ヨザキは鞄から二枚のメモを取り出した。

 

『三千年の巡り満つる時、一なる花、

冥き時の底より咲き出づ。而して其の開くや、

旧き世は塵となり、天地は再びらるるなり。』

 

『神の顕現に、無価の赦しなし。血には血を、命には命を。

これ天のことわりなり。

然れど世界は仮初かりそめの器に過ぎず、

時満ちれば悉く改められん。故に苦痛を拒むなかれ。

涙を厭ふなかれ。苦しみの門を越えし魂のみ、

新しき世の黎明を拝することを得ん』


ヨザキは小さく息を吐く。


「……禁書庫で見つけた文献だ」

「正直、最初はただの神話だと思ってた」


「でも――」


紫の瞳が、静かに細められる。


「結晶」

「花」

「誰かの声」


「一致しすぎている」


静寂が落ちた。


「……なんやコレ」

サクヤが怪訝そうにメモを覗き込む。


「世界の終わりだの、神だの……」

「物騒すぎるやろ」


イリアスが腕を組む。

「要するに何だ」

「その花ってのが咲くと、世界が滅ぶって話か?」


ヨザキは、すぐには頷かなかった。


そして。

ひどく苦い顔で、静かに答える。


「……分からない」


「ただ」


その声だけが、やけに重かった。


「もし文献が正しいなら」

「結晶化は病気でも、災害でもない」

「何かが――始まっている」


ランプの火が揺れる。


まるで何かを警告するように。


 

ヨザキはゆっくりと口を開く。

 

「……サンクチュアリ」


ヨザキが静かに呟く。


その名を知らない者はいなかった。

 

国の中央に存在する、神聖不可侵の聖域。

けれどその実態を知る者は、ほとんどいなかった。


「外部への情報統制が厳しい場所だ」


ヨザキは低く告げる。


「何をしている街なのか、誰が暮らしているのか。

 公表されている情報は驚くほど少ない」


グランヴィアが眉を寄せる。


「ただの宗教施設じゃないのか」

「表向きはね」


ヨザキの声が僅かに沈む。


「でも、昔から妙な噂がある」

「特別な力を持つ者が集められている、とか」

「人体実験をしている、とか」


「あくまで噂だ」


ヨザキが少しだけ言い淀む。


「……ただ一つ、気になることがある」


全員の視線が集まる。


「禁書庫には閲覧権限が設定されている」


イリアスが眉を上げた。


「まあ、禁書なら普通だろ」


ヨザキは首を横に振る。


「普通じゃない」


静かな声だった。


「僕の権限で閲覧できない資料があった」


空気が変わる。


イリアスが目を瞬かせた。


「なんでだよ?」

「学府お達しで調査依頼されるぐらいだ。

 相当な権限はあんだろうよ」

 

ヨザキは静かに首を横に振った。


「閲覧制限の管理者名が残っていた」


彼の声が更に重くなる。


「――アストラ中央管理局」


沈黙。


ペプシルの目が細くなる。


アストラ。

現皇帝プルーが統治する国家。

軍事と情報の全てを握る巨大国家。


「なんで他の街の禁書庫を、アストラが管理しとるん…」


サクヤが低く呟く。


ヨザキは答えない。

答えられない。


それ自体が答えだった。


「……制限されていた文献のタイトルは、大半が黒塗り

だった。だけど、辛うじて読み取れた単語がいくつかある」

 

ヨザキは目を細める。

 

「『花』。……他には、おそらく『魂』や『神』にまつわる単語だ」

 

ランプの火が揺れる。


誰も口を開かない。

 

「……今まで、僕は『結晶化』という現象の枠だけで調べていた。だから見つからなかったんだ」


ヨザキはゆっくりと続ける。

 

「だけど、ソラちゃんが言った『花』という言葉……

 あれが引っかかった。

 調べる資料の視点を変えて、ようやくこの制限された記録にたどり着いたんだ」

 

「そして、その資料の最終閲覧記録」


短い沈黙。


「閲覧権限所有者――プルー」


部屋の空気が凍った。

 

ヨザキはそこで言葉を切る。


珍しく。

本当に珍しく、彼は迷っていた。


紫の瞳が僅かに伏せられる。


その表情を見て、オサリアは息を呑んだ。


怖がっている。

誰よりも冷静な彼が。


初めて、はっきりと。


「もしプルーが、この記録を読んでいるなら――」




「――アストラは、既に知っている」



 

部屋から音が消えた。


何を。


とは誰も聞かなかった。


聞けなかった。


答えが、あまりにも恐ろしい気がしたからだ。




誰も言葉を発せなかった。


ランプの火が、小さく揺れる。


窓の外では、夜風が木々を鳴らしていた。


重苦しい沈黙。


最初に口を開いたのは、サクヤだった。


「……つまり」


珍しく、その声には迷いがあった。


「アストラは、結晶化の理由を知っとるかもしれんってことか?」


ヨザキは少しだけ目を伏せる。

 

「可能性は高い」

 

断言ではない。

けれど、否定もしなかった。


イリアスが低く唸る。


「じゃあ何だ」

「皇帝は国民が苦しんでるのを放置してるってのか?」


「……分からない」


ヨザキは静かに首を横に振る。


「止められない理由もあるかもしれない」

「逆に、意図的に進めている可能性だってある」


誰も返事をしなかった。

答えがない。

情報が足りない。


その時。


「……サンクチュアリに行けば」


小さな声が響いた。


オサリアだった。


皆の視線が集まる。


「分かるのかな」


不安そうな声。


「あの子のこと」

「結晶のこと」

「花のこと」

「……全部」


ヨザキは静かに頷いた。


「少なくとも、今ある情報よりも分かることがあるだろう」


再び沈黙が落ちる。


重い空気だった。


世界が滅ぶかもしれない。

皇帝が何かを知っているかもしれない。

 

そんな話を聞かされて、すぐに答えが出るはずもなかった。


最初に目を閉じたのはペプシルだった。


「……行くしかねぇな」

 

短い言葉だった。


けれど、その声音に迷いはない。


サクヤが目を瞬かせる。


「即決やな」

「他に手がねぇ」

ペプシルは淡々と答える。


「結晶が広がってる以上、放っときゃ死人が増える」

「サンクチュアリに答えがあるなら、行くしかねぇだろ」


誰も反論しない。


できなかった。


現状、それ以外の道が見えない。


イリアスが腕を組む。


「問題は、どうやって行くかだな」

「行き方すら分からねぇんだろ?」


ヨザキは静かに頷く。


「おそらく、普通には辿り着けない」

「だからこそ、プルーが情報を独占している」


低い声だった。


ランプの火が揺れる。


皇帝。


この世界で最も権力を持つ男。


その名が、やけに重く響いた。


その時だった。


「……悪ぃ」


低い声が落ちる。


全員が顔を上げた。


グランヴィアだった。

彼は俯いたまま、拳を握っていた。


「俺は……行けねぇ」


空気が止まる。


オサリアが目を見開く。


「グランヴィア……」


ただ、静かに続ける。


「ソラは、やっと苦しまなくなった」

「今日だって、初めて心から笑ったんだ」


声が震える。


「両親はほとんど海外で、家にいない」

「俺は十三年、あいつを一人にしてきた」

「金を稼ぐためだ」

「治療のためだ」

「そう、自分に言い聞かせてた」


ぎり、と拳が鳴る。


「でも、本当は違う」

「俺が弱かっただけだ」

「もっと傍にいてやれたはずなんだ」


誰も何も言えなかった。

グランヴィアは眠る妹の部屋を見る。


ようやく救えた。


ようやく、苦しみから解放された。


なら。


今度こそ、兄として傍にいてやりたい。

そう思うのは当然だった。


「……だから俺は、ここに残る」


ランプの火が揺れた。


誰も止めない。

グランヴィアの意思を汲む。


その時。


小さく扉が軋む音がした。


全員が振り返る。

そこには、寝間着姿のソラが立っていた。


「……兄さん」


グランヴィアの顔から血の気が引く。


「ソラ!? 起きて――」

「聞こえちゃった」


ソラは少し困ったように笑う。


そして。

静かに兄を見上げた。


「行ってきて」


世界が止まった。


グランヴィアの目が見開かれる。


「……何、言ってんだ」


掠れた声だった。

ソラは少し眠そうな目を擦りながら、小さく笑う。


「聞こえちゃったの」

申し訳なさそうに。

けれど、その表情は穏やかだった。


昨日のような苦しそうな顔じゃない。

怯えた顔でもない。


ただ、優しい顔だった。


「サンクチュアリに行くんでしょう?」


グランヴィアは言葉を失う。


違う。

そうじゃない。

そう言いたかった。


けれど、声にならなかった。


ソラはゆっくり兄の前まで歩く。


その足取りは軽い。

十三年間、一度も見たことがないほど軽かった。


「兄さん」


小さな手が、グランヴィアの拳に触れる。


固く握り締められた拳だった。


血が滲みそうなほど強く。

ソラは、その拳をそっと包む。


「私ね」


静かな声。


「今日、初めて怖くないの」


グランヴィアの肩が震えた。


「頭の中が静かで」

「苦しくなくて」

「息がしやすくて」


少し照れくさそうに笑う。


「生きてるって、こういうことなんだなって思った」


その一言が。


誰よりも兄の胸を抉った。

グランヴィアは唇を噛む。

泣く資格なんてないと思った。


苦しんでいたのは妹だ。


自分じゃない。


なのに。


涙が止まらなかった。

 

「もう……明日、目腫れちゃうよ」

ソラは優しく笑う。

 

「兄さんもさ、自分のために生きて」

 

自分のため。


十三年間。


一度も考えたことのない言葉だった。


戦って。


稼いで。


守って。


それだけだった。


兄であることだけが、自分の人生だった。


「私はもう大丈夫」

「だから――行ってきて」


静かな夜だった。


けれど、その言葉だけが。

誰よりも強く響いた。


グランヴィアは何も答えられない。


ただ。


ただ、妹の手を握り返すことしかできなかった。


ランプの灯りが静かに揺れる。


その光の中で。


初めて。

兄は、自分の人生を見つめていた。


 

しばらく、誰も動かなかった。


静かな夜だった。

聞こえるのは、ランプの火が揺れる小さな音だけ。

グランヴィアは俯いたまま、妹の手を握っている。


暖かい。


ずっと欲しかった温もりだった。


なのに。

どうしてこんなにも胸が苦しいのか、分からなかった。


「……兄さん」


ソラが小さく笑う。


「泣きすぎ」


掠れた笑い声が漏れた。


「うるせぇよ……」


鼻声だった。

格好悪いと思った。

けれど、もう隠す気力もなかった。


その時だった。


〈――ぐぅ〉


小さな音が部屋に響いた。


全員が止まる。


沈黙。

 

ペプシルはオサリアの方を見る。

 

「うちじゃないよ!!」

オサリアは慌てて首を振る。

 

その隣で、ソラの顔がみるみる赤くなった。


「えっと……」


一瞬の静寂の後。


「……ぷっ」


最初に吹き出したのはサクヤだった。


「なんやねん! 空気ぶち壊しやん!」

「うぅ……なんか、お腹すいたから……」

ソラが恥ずかしそうに俯く。


イリアスが肩を竦めた。

「まあ、まともに食ってないんだろ。そりゃ腹も減る」

 

「病み上がりにしては元気そうで何よりだ」

ペプシルが短く言った。


元気。


その言葉に、グランヴィアの目が僅かに見開かれる。

妹に向けて、元気と使える日が来るなんて想像したこともなかった。


ソラは少しだけ笑った。


「……お祝い、したいな」

「お祝い?」


オサリアが目を瞬かせる。


ソラは頷いた。


「今日が、一番嬉しい日だから」


その言葉に。


グランヴィアはまた泣きそうになって、慌てて顔を逸らした。

サクヤが肘で脇をつつく。


「ほら、また泣くで」

「うるせぇ……」

掠れた声だった。


けれど。


今度の涙は、きっと悲しいものじゃなかった。


「よっしゃ!」

サクヤが勢いよく立ち上がる。


「ソラ復活記念パーティや!」

「急だな」

イリアスが呆れたように言う。


「食材はあるのかい?」

「兄さん、いつもいっぱい買ってきてくれてるよ」

ソラが答える。


その言葉に、グランヴィアは少しだけ目を逸らした。


癖だった。


いつお腹を空かせてもいいように。

食べたいものを食べられるように。

冷蔵庫を空にしない癖。


もう、必要ないのかもしれない。


「料理する!」

オサリアが元気よく手を挙げる。


「……お前、火は使うなよ」

ペプシルが真顔で言う。


「なんで?!」

「玉ねぎの皮まともに剥けないヤツに任せられない」

「別に食べられたでしょ!」

「や、でもヨザキの台所泡だらけにしてたしなぁ…」

「イリアスまで!」

 

思わず笑い声が零れた。

誰のものだったのか分からない。


ただ。


気づけば、部屋には笑顔があった。


グランヴィアも。


ソラも。


皆が笑っていた。


料理の匂いが広がる。

鍋が鳴る。

他愛ない会話が飛び交う。


何度夢見ても叶わなかった光景だったはずのもの。

 

きっと。

 

十三年間で、一番賑やかな夜だった。

 



窓の外では、今も結晶化の騒ぎが広がっている。

病に苦しむ人がいる。

世界は静かに軋み始めている。


何一つ終わっていない。


けれど。


今、この家だけは違った。


暖かな灯り。

笑い声。

食卓を囲む七人。

 

今だけは。

 

世界で一番、幸せな場所だった。

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