夢見る結晶
イリアスとヨザキを落描きました。
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騎士団の施設へ戻る頃には、街の喧騒はさらに大きくなっていた。
怒号や悲鳴、駆ける足音。
空気そのものが不安一色に染まっている。
施設の前では騎士達が慌ただしく出入りし、普段の落ち着いた様子は見る影もない。
「何が起きてるの……?」
オサリアが息を切らしながら呟く。
その時だった。
「おい!!」
聞き慣れた大声が響く。
振り返れば、施設の入口でグランヴィアが大きく手を振っていた。
その表情には、いつもの余裕がない。
「無事だったか!!」
「グランヴィア!」
オサリアが駆け寄る。
その後ろには、自身の武器を背負ったペプシルとサクヤ、
そしていつの間に戻っていたのかイリアスの姿もあった。
誰一人として笑っていない。
重苦しい沈黙。
空気が張り詰めていた。
「……何があった?」
ヨザキの問いに答えたのはイリアスだった。
珍しく、軽口のない声。
「結晶が出た」
短い言葉。
だが。
その続きが、全員の呼吸を止めた。
「――人間の身体からな」
空気が凍る。
オサリアの喉が鳴った。
昨日まで魔物だけだった。
結晶は、人を侵さないと思っていた。
なのに。
「被害者は今分かってる時点で四人」
ペプシルが静かに続ける。
「全員、鉱山で結晶によって怪我したヤツらだ」
その言葉に、全員の顔色が変わった。
脳裏に、あの暗い坑道で怪しく輝いていた巨大な結晶の姿がよみがえる。
足を貫かれた者。
腕を切った者。
血を流しながら、それでも作業を続けていた人々。
――あの場にいたのは、自分達も同じだ。
「……ま、待って」
震える声が漏れる。
「それって……」
最後まで言葉にならなかった。
オサリアの小さな肩が、目に見えて小刻みに震え始める。
イリアスが重い息を吐く。
「現時点で発生条件は不明」
「結晶に触れたのか、傷を負ったのか、魔力が原因なのかも分かっちゃいねぇ」
珍しく、その声には余裕がない。
サクヤが無意識に木槍を握り締める。
「……オレらも、可能性あるっちゅうことか」
どろりとした沈黙が落ちる。
その時だった。
施設の奥から、耳をつんざく悲鳴が響いた。
『うああぁぁぁぁっ!!』
全員が弾かれたように顔を上げる。
続けて、壁の向こうから騎士達の怒号が重なった。
『近づくな!!』
『結晶が広がっている!!』
空気が凍りつく。
ヨザキの紫の瞳が、刃のように鋭く細まった。
「――行くよ」
次の瞬間には、全員が走り出していた。
騎士達の怒号が飛び交う廊下を駆ける。
石床を打つ足音。
誰かの泣き声。
消毒薬の匂い。
昨日まで休息の場だった騎士団施設は、
まるで戦場のような混乱に包まれていた。
「どこだ!?」
グランヴィアが叫ぶ。
前を走る騎士が振り返る余裕もなく答える。
「医務室だ!!」
一同は嫌な予感が胸を締め付ける。
医務室。
昨日、自分達が手当てを受けた場所。
怪我人達が運び込まれていた場所。
――まさか。
医務室に着く。扉は開いていた。
開かれた医務室で見た光景に、誰もが言葉を失った。
「……っ」
ベッドの上。
横たわる男の腕。
……その皮膚を内側から突き破るように、
禍々しい黒い結晶が生えていた。
鉱山で見つかったものと同じ、濁った闇のような黒。
まるで肉の代わりに鉱石が育っているようで、
結晶は肉体の拍動に合わせて、
微かに、生き物のように明滅している。
「痛い……熱い、痛い……っ!」
男が狂ったようにベッドの上でのたうち回る。
だが、周囲を取り囲む騎士達は近寄ることすらできない。
何がきっかけで自分も『それ』に侵されるか分からないのだ。
「下がるんだ!!」
「不用意に触るな! 隔離しろ!!」
飛び交う騎士の怒号。
術を失い、青ざめた顔で立ち尽くす医師達。
室内は、阿鼻叫喚の混乱の極みにあった。
「……なんだよ、これ」
グランヴィアが、掠れた声で呟く。
彼の顔から、すうっと血の気が引いていくのをオサリアは見逃さなかった。
誰も答えられない。
知っている者が誰もいない。
未知の災害。未知の病。未知の結晶。
「拘束帯を持って来い!!」
「鎮静魔法を!!」
「駄目です! 効きません!!」
医務室内は阿鼻叫喚だ。
黒い結晶は、まるで生きているかのように男の腕を侵食していく。
皮膚が裂ける。
肉が押し上げられる。
そのたびに男の絶叫が響いた。
「痛い……!! 助けてくれ!!」
オサリアは思わず口元を押さえた。
見ていられない。
なのに、目を逸らせない。
昨日まで笑っていた人が。
生きていた人が。
目の前で、人ではない何かに変わっていく。
男の悲鳴が絶えず響く。
「……っ」
オサリアが一歩前へ出る。
無意識だった。
考えるより先に身体が動いていた。
助けなきゃ。
苦しんでる人がいる。
治せるかもしれない。
その一心だった。
暖かな魔力が指先に集まり始める。
だが。
ぱしっと、誰かに腕を掴まれた。
「――やめろ」
低い声。
掴んだ手の主は、ペプシルだった。
青い瞳が鋭く細められている。
「ペプシル……?」
「何する気だ」
「ち、治療……」
オサリアの声は震えていた。
助けたい。
ただ、それだけだった。
ペプシルは掴む手へ僅かに力が入る。
「結晶が生える条件が分かってない」
低く。
抑え込むような声だった。
「治癒魔法で何か起きたらどうする」
オサリアが息を呑む。
「でも、うち……」
「駄目だ」
強い言葉だった。
オサリアは目を見開く。
ペプシルが、こんな言い方をするのは珍しい。
青い瞳が真っ直ぐオサリアを見ていた。
怒っているわけではない。
ただ――
「お前に何かあったらどうする」
その声は小さく、けれど誰よりも強く震えていた。
「……っ」
オサリアの喉が詰まる。
ペプシルは視線を逸らす。
まるで自分で口にした言葉を誤魔化すように。
「助けるのは大事だ」
「だけど、自分を犠牲にしていい理由にはならない」
その言葉で、オサリアは昨日の夜を思い出した。
『一人で抱えないことだ』
ヨザキの言葉。
そして今。
目の前には、自分を止めてくれる仲間がいる。
失わせないために。
オサリアはぎゅっと胸元を握った。
「……うん」
小さく頷く。
するとペプシルはようやく手を離した。
「分かればいい」
ぶっきらぼうにそう言って、視線を逸らす。
だが、男の苦痛が和らぐわけではない。
「……っ」
隣でサクヤが奥歯を噛み締める。
グランヴィアは拳を強く握りしめたまま動かない。
イリアスの表情も険しい。
そして。
ヨザキだけが、微動だにせず男を見つめていた。
紫の瞳が、結晶の明滅を静かに映している。
「――隊長!!」
一人の騎士が駆け込んでくる。
「隔離室の準備が整いました!!」
年嵩の騎士が低く頷く。
「運べ」
短い命令だった。
運ぶ。
つまり――誰かが近づかなければならない。
重苦しい沈黙が落ちる。
誰も動けない。
誰もが恐れていた。
触れたらどうなるのか。
近づけば感染するのか。
何も分からない。
だからこそ、怖い。
今の間にも、ベッドの男の変異は止まらない。
黒い結晶がパキパキと音を立てて男の肩口まで広がり、
男はついに白目を剥いて泡を吹き始めた。
医師たちが「早く隔離室へ運べ!」と叫ぶが、
恐怖した騎士たちは誰も動けない。
その時。
「……チッ、俺が行く」
と、グランヴィアが痺れを切らして前に出る。
「グランヴィア!?」
オサリアが目を見開く。
グランヴィアは振り返らない。
ただ真っ直ぐ男を見る。
「苦しんでる奴を放っとけるかよ」
騎士達がざわつく。
だが、その肩に手が置かれた。
「待て」
ヨザキだった。
静かな声。
けれど有無を言わせない響きがあった。
「感染条件が不明だ」
「君が倒れたら、ソラちゃんはどうする」
その一言で、グランヴィアの身体が止まる。
強く握られた拳が、僅かに震えた。
「……っ」
返す言葉がない。
長い沈黙の末。
騎士達が防護用の厚手の布と革手袋を身につけ、慎重に男を担架へ移し始めた。
「お前達……」
「グランヴィアが街の為、妹の為に一生懸命動いてくれてるのは皆分かってる」
騎士の一人が声をあげる。
「妹にはお前しか居ないんだろ。
――だから、ここは俺たちの仕事だ」
その声は、ひどく震えていた。
けれど、ガルディアの騎士としての確かな誇り。
そして、グランヴィアへの敬意があった。
騎士たちは慎重に、かつ迅速に男を担架へ移し始める。
擦れる革の音と、遠ざかっていく男の悲鳴。
やがて激しい嵐が去った後のように、医務室に残されたのは、耳が痛くなるほどの重苦しい静寂だけだった。
誰も口を開かない。
誰もが理解してしまったのだ。
これは事故じゃない。
災害だ。
それも。
誰も知らない、新しい災害。
やがて、施設の奥から騎士が現れる。
「調査協力者の皆様」
疲弊した顔で深く頭を下げた。
「至急、会議室へお集まりください」
「状況の共有を行います」
誰一人、断る者はいなかった。
誰もが薄々理解し始めていた。
昨日までの世界は、もう戻らないのかもしれないと。
会議室へ向かう道中、誰も口を開かなかった。
重い沈黙だけが一行の間に落ちる。
廊下では騎士や医師達が慌ただしく走り回り、
次々と指示が飛び交っている。
「負傷者の名簿を確認しろ!!」
「鉱山作業員の健康状態を洗い出せ!!」
「街の出入口を封鎖するんだ!!」
いつも活気に満ちていたガルディアの騎士団は、
今や見えない敵との戦いに追われていた。
オサリアは無意識に自分の腕を撫でる。
傷はない。
けれど。
もし、自分の身体の内側でも同じことが起きていたら。
そう考えた瞬間、指先が冷たくなった。
「……大丈夫か」
不意に低い声がした。
隣を見る。
ペプシルだった。
先程までの強い口調は消え、
少しだけ気まずそうに視線を逸らしている。
「酷い顔してんな」
オサリアは慌てて笑おうとした。
「だ、大丈夫だよ」
だが、上手く笑えない。
自分でも分かるくらい顔が引き攣っていた。
ペプシルは小さく息を吐く。
「無理して笑うな」
短い言葉だった。
「……ありがと」
小さく呟く。
ペプシルは「別に」とだけ返し、前を向いた。
前方を歩くヨザキが、何も言わずにその様子を見ていた。
そして、静かに目を伏せる。
まるで何かを考え込むように。
やがて、一行は会議室へ辿り着いた。
重厚な扉の前には、武装した騎士が二人立っている。
その表情は固い。
扉の向こうからは、既に複数人の話し声が聞こえていた。
「入ってくれ」
騎士が扉を開く。
中には騎士団幹部と思しき人物達と、白衣姿の医師達が集まっていた。
机の上には地図。
負傷者名簿。
そして――黒い結晶の欠片。
空気が重い。
誰もが疲弊し、焦燥を隠し切れていなかった。
席へ着くなり、一人の老騎士が口を開く。
「状況を説明する」
低く、掠れた声だった。
「現時点で確認された結晶化患者は四名」
「全員、昨日の鉱山崩落に巻き込まれた者達だ」
部屋が静まり返る。
老騎士は震える指で報告書をめくった。
「共通点は一つ」
「――全員が結晶による負傷を受けている」
グランヴィアの表情が険しくなる。
いつも余裕を崩さないイリアスの翡翠の瞳も、
僅かに揺れた。
一歩違えば、あそこにいたのが自分達だった可能性もある。その事実が、一行の背筋に冷たい刃を突きつけていた。
老騎士は続ける。
「感染性は不明、治療法は存在しない」
「結晶の増殖速度も不明だ」
絶望的な報告だった。
誰も言葉を発せない。
すると、部屋の隅で黙っていたヨザキが、
静かに口を開いた。
「……確認したい」
全員の視線が集まる。
紫の瞳は静かだった。
だが、その奥には鋭い光が宿っている。
「結晶化した患者に現れた症状は?」
医師が震える声で答えた。
「それぞれ発症した症状はバラバラです」
「発熱、幻覚、痛覚の異常……」
「あとは――恐怖心の欠如」
その瞬間。
ヨザキの目が僅かに見開かれた。
ほんの一瞬だけ。誰にも気づかれないほどの、小さな変化。
会議室の空気が、ぴんと張り詰める。
「幻覚が酷い患者は、『神が私を呼んでいる』『もうすぐ生まれ変わる』『俺たちは汚れてしまった』などと、意味の分からない妄言を繰り返していました」
医師の震える声が会議室に落ちる。
誰も言葉を発さなかった。
意味が分からない。
だが――どこか、薄気味悪かった。
「生まれ変わる……?」
オサリアが小さく呟く。
老騎士が苦々しく顔を歪めながら、報告書へ目を落とす。
「他にも似た発言が確認されている。――『花が咲く』『救いが来る』『苦しみは終わる』、とな」
ぞわり、と。
背筋を冷たいものが走った。まるで誰かが同じ夢でも見ているかのような言葉だった。
ヨザキの指先が、机の下で僅かに止まる。
本当に、それだけだった。
だがオサリアは気づいた。
ほんの一瞬、彼の紫の瞳が揺れたことに。
「……ヨザキさん?」
思わず名前を呼ぶ。
「大丈夫?」
ヨザキは静かに瞬きをした。
そして、いつもの落ち着いた表情へ戻る。
「いや」
短く答える。
「気になるだけだよ」
穏やかな声。
けれど、その横顔は僅かに青白かった。
まるで、聞きたくなかった言葉を聞いてしまったかのように。
イリアスが腕を組む。
「全員幻覚を見るってのは妙だな」
「偶然とは考えにくい。結晶の症状なんだろ」
ペプシルが低く呟く。
老騎士は重々しく頷いた。
「現在、鉱山は完全封鎖した」
「結晶に接触した者は全員経過観察だ」
その言葉に、会議室の空気がさらに重く沈んだ。
ここにいる自分達も含まれている。
オサリアは無意識に、自分の腕を抱いた。
冷たい。
まるで身体の奥に、見えない何かが潜んでいるような気がした。
沈黙が落ちる。
自分も感染しているかもしれない。
その事実だけで、喉が乾いた。
その時だった。
〈――バンッ!!〉
会議室の扉が乱暴に叩かれる。
血相を変えた若い騎士が飛び込んできた。
「隊長!!」
息を切らしながら叫ぶ。
「隔離患者が――!」
その顔は青ざめていた。
嫌な予感が走る。
「何があった!」
老騎士が立ち上がる。
若い騎士は震える唇を動かした。
「さっきまで暴れていた患者が……急に大人しくなりました」
一瞬。
その場の誰もが安堵しかける。
だが。
「笑ってるんです」
空気が凍った。
「……何?」
グランヴィアが目を見開く。
若い騎士は震えながら続ける。
「……痛みは代償だった、って」
「もう、怖くないって……笑いながら、ずっと」
「神様が迎えに来るって、言ってるんです……!」
オサリアの背筋に、氷水を流し込まれたような戦慄が走る。
…それは回復じゃない。
何かが、人間としての何かが決定的に壊れてしまったんだ。
ヨザキの指先が、ぎり、と机の下で握られる。
ガタッ、と椅子が鳴る。
「グランヴィア?」
イリアスが目を見開く。
グランヴィアは立ち上がり、俯いている。
その顔からは、いつもの豪快な笑みが消えている。
ただ一人の兄の顔だった。
「ソラ……ソラが心配なんだ」
掠れた声だった。
誰よりも冷静であろうとしていた男が、
初めて隠しきれない焦りを見せる。
老騎士も苦い顔をした。
当然だ。
もし結晶が負傷者に発症するなら。
もし自分が――感染させてしまっていたなら。
長年病に伏せるソラの身体が、
どこまで耐えられるのか分からない。
「――行こう」
ヨザキが静かに立ち上がった。
衣擦れの音すら、今の会議室では明瞭に響く。
「確認だけでもするべきだ」
六人はそれ以上言葉を発さず、
グランヴィアの家へと向かった。




