夕暮れの安らぎ、宵の不穏
施設を出れば、外はすっかり夕方だった。
西へ傾いた陽が、石畳を赤く染めている。
グランヴィアは手馴れた様子で果物屋に行き、
リンゴやみかん、ぶどうなど色々な果物を買って来た。
「結構買うんだな」
ペプシルはフルーツで山盛りになった籠を見る。
「ああ、いつでもその時欲しい果物が食べれるようにな」
「優しいね」
オサリアは微笑ましそうにグランヴィアを見ていた。
市場を抜けると、賑やかな中心街から離れるからか徐々に人通りも減っていく。
鍛冶屋の音も聞こえなくなった。
代わりに風の音が耳へ届く。
しばらく歩けば、一軒の家が見えてきた。
それは街外れに建っていた。
裕福ではない、ごく普通の小さな家。
庭には花が植えられ、
窓も丁寧に磨かれている。
家族皆で大切にしている家だった。
「意外やな」
サクヤがぽつりと呟く。
「何がだ?」
「もっとデカい家住んでると思ってた」
オサリアも頷いた。
グランヴィアは闘技場でも有名人だ。
騎士団からの信頼も厚い。
だから、もっと立派な家を想像していた。
「広過ぎても寂しくなるだろ」
「どういうことだい?」
「お互いの生活音が聞こえるくらいで丁度いいってことだ」
ヨザキは顎に手を当て不思議そうにしている。
彼にとっては静かな環境の方が嬉しいからだろう。
「グランヴィアは声うるさいで隔離した方がええ」
「おい!!いつでも賑やかな家になれるんだぞ!!
良いことだろ!!!」
「ははっ、確かにこれ毎日は鬱陶しいかもなぁ」
イリアスは苦笑しながら片手で耳を塞いでいた。
グランヴィアは玄関の前で立ち止まり、
フルーツの籠を持ち直す。
そして。
「ソラ!!」
扉を開ける。
「帰ったぞォォォォォ!!」
家中に声が響いた。
「うるせぇ…」
ペプシルが呟く。
「病人おるんやろ」
サクヤも眉をひそめた。
その時。
「おかえり、兄さん」
驚くほど穏やかで、静かな声。
グランヴィアの表情が柔らかくなる。
「ただいま」
その声は、闘技場で見せる豪快なものとはまるで違っていた。
「来てくれ」
グランヴィアは廊下を進み、奥の部屋へ向かう。
ペプシル達も後に続いた。
家の中には薬草の匂いが漂っている。
一番奥の部屋、開かれた扉の向こう。
窓から差し込む夕日。
そして。
黒く長い髪の少女がベッドへ腰掛けていた。
年齢は十代前半に見える。
細い指先は白く、窓から差し込む夕日を受けても血色がほとんど見えない。
それでも瞳だけは不思議なほど穏やかだった。
「……」
オサリアは思わず足を止める。
少女はペプシル達の姿を目に映した後、静かに微笑んだ。
「初めまして」
柔らかな声だった。
「ソラ・ゴートと申します」
そう言って、ベッドの上から丁寧に頭を下げた。
オサリアは、花のような笑顔を咲かせる。
「うち、オサリア!よろしくね!」
「イリアスだ」
「ペプシル」
「サクヤや!」
「ヨザキです」
オサリアに続くように、四人も挨拶を返した。
「結晶の調査をしている人達なんだ。
で、コイツが俺のライバル!」
グランヴィアは意気揚々とサクヤの肩を組む。
「やめえや!」とサクヤは引き剥がそうとしている。
「ふふ、兄さんがお友達を連れて来るなんて久しぶりです」
ソラは微笑ましそうに眺めていた。
「友達ではない」
ヨザキが即答する。
「何故だ!!」
「知り合ってまだ一週間も経っとらんがな」
サクヤも肩を竦める。
「でも同じ釜の飯は食ったよな」
イリアスが苦笑した。
「え?友達でしょ?」
オサリアはさも当たり前かのように言った。
「そうだよな!!」
グランヴィアは満足そうだ。
「兄さんらしいね」
ソラはくすくすと笑う。
その言葉にグランヴィアは少し照れ臭そうに頭を掻いた。
「…ほら!果物だ!」
グランヴィアは持っていた籠を机へ置き、
照れを誤魔化すように果物ナイフで林檎の皮を剥き始める。
「今日はなんでもあるぞ!!」
「…ありがとう」
ソラは嬉しそうに目を細めた。
…だが、話しているこの数分の間でも、
ソラは時々苦悶の表情を浮かべている。
誰がどう見たって、辛そうなのには変わりない。
「体調、大丈夫?」
オサリアはベッドの傍へ近付いた。
ソラは少しだけ考える。
「……はい、変わらずです」
そう言いながら微笑んだ。
その顔色はやはり良くない。
オサリアは胸の奥が少しだけざわつくのを感じた。
「お薬飲んだ?」
「はい」
ソラは素直に頷く。
ベッド横の棚には薬瓶が並んでいた。
数本どころではない。
大小様々な瓶が何本も置かれている。
ヨザキの視線が僅かにそこへ向く。
イリアスも同じだった。
だが二人とも何も言わない。
「ソラは偉いからな!ちゃんと飲んでるんだ!!」
グランヴィアはソラの頭を撫でる。
「……子供扱いしないで」
「ガッハッハ!!俺にとってはまだまだ可愛い子供だぞ!」
「…」
ソラはぷくーっと頬をふくらませた。
でも、撫でられている手を払い除ける様子は全く無い。
兄妹のやり取りに、自然と笑みがこぼれる。
その時。
ソラの視線がオサリアへ向いた。
「オサリアさん」
「ん?」
「とても優しそうな方ですね」
「えっ」
唐突な言葉に、オサリアは目をぱちくりさせた。
「そ、そうかな?」
「はい」
ソラは微笑む。
「なんとなく分かります」
オサリアは照れ臭そうに笑った。
だがその時。
ほんの一瞬だけ。
ソラの胸の奥から、微かな違和感を感じた。
魔力。
病気ではない。
呪いとも違う。
何か別の――説明のつかない感覚。
オサリアは思わず首を傾げる。
「……?」
オサリアの様子に違和感を覚えたのか、
「どうした?」ペプシルが尋ねた。
「ううん」
気のせいかもしれない。
そう思って笑って誤魔化した。
グランヴィアは剥き終えた林檎を皿へ並べた。
…お世辞にも綺麗とは言えない。
だが、愛情が籠っている事は確かに分かる。
「ほら、食べるか?」
その時。
ソラの肩が小さく震えた。
「…ソラ?」
「……っ、ごめんなさい」
ソラはこめかみを抑え始めた。
眉間に皺を寄せ、何かからじっと耐えるようにうずくまる。
果物ナイフが音を立てて落ちた。
「ソラ!!」
グランヴィアは、ソラの空いている方の手を握る。
その表情は一瞬で焦りに染まる。
「大丈夫か!?く、薬は!?飲んだか!?」
ソラは苦しそうに眉を寄せたまま、小さく頷いた。
「……飲んだ」
「なら何でだ……!」
グランヴィアは弾かれるように戸棚へ向かう。
慣れた手付きで、迷いなく薬瓶を取り出す。
「あっ」
オサリアは思わず声を漏らした。
薬瓶は一つじゃない。
二つ。
三つ。
四つ。
何個も机の上へ並べられる。
「兄さん……」
「いいから!」
グランヴィアは水差しからコップへ水を注いだ。
底に跳ね返り、コップの縁から水がこぼれ出る。
「先生は何て言ってた!?」
「発作が出たら追加を……」
「だろ!?」
まるで答え合わせでもするように頷く。
そして薬を手に取った。
ヨザキの視線が僅かに細くなる。
イリアスも何か言いかけて――やめた。
事情を知らない他人が、勝手に口を挟む物ではない。
「ほら」
グランヴィアは薬を差し出した。
ソラは少しだけ躊躇う。
だが最終的には受け取った。
躊躇いをも流し込むように、水は喉を通っていく。
「ゆっくり呼吸しろ」
グランヴィアは妹の背中を撫で続けた。
数分。
部屋に静かな時間が流れる。
やがて、ソラの呼吸は少しずつ落ち着いていった。
「……ごめんなさい」
ソラは五人の方を向いて、小さく呟いた。
「せっかく来てくださったのに」
「気にせんでええよ」
サクヤが笑う。
「体調悪いんやろ?」
「残念ながら……」
ソラは少しだけ申し訳なさそうに微笑んだ。
「でも、お話できて嬉しいです」
不安そうなオサリアの手を弱々しく握った。
「……!」
突然、ふらりとソラの身体が揺れる。
「ソラ?」
グランヴィアが肩を支える。
「……初めて、静……か………」
そう言った直後、こくり、と小さく頭が落ちた。
その数秒後に、すぅ、と規則正しい寝息が聞こえてきた。
「……寝たのか」
ペプシルがどこか安堵したように呟く。
どうやら薬が効いたらしい。
グランヴィアは少しだけ困ったように笑った。
「無理したんだろうな」
そっと髪を撫でる。
「人と話すの好きだって言ったろ」
「だから来客があると嬉しくてな」
「…」
オサリアは、寝落ちる直前のソラの言葉が妙に頭に残った。
(静か…?)
ベッドで眠るソラを見る。
本当はもっと話したかったのかもしれない。
もっと外の話を聞きたかったのかもしれない。
「……ごめんね」
思わず呟く。
「うちら、大人数だったし」
「せやな」
サクヤも苦笑した。
「流石に負担やったかもな」
「まあ五人も押し掛けたらなぁ…」
イリアスも肩を竦める。
グランヴィアは眠る妹の肩まで毛布を掛け直した。
その手付きは驚くほど優しかった。
部屋には静かな寝息だけが残る。
「……もう行こうか」
ヨザキが小さく言った。
全員が頷けば、一行はソラを起こさないように部屋を出る。
出る直前、グランヴィアは振り返り、眠る妹を見る。
そして安心したように微笑んだ。
「なあ皆、良ければまた来てやってくれ」
優しい声だった。
「もちろん!」
「今度はお土産も持ってくる!」
オサリアが即答するのを聞いて、
グランヴィアは少しだけ笑った。
「…ありがとう」
廊下へ出れば、
黄金色のカーテンが窓から差し込んでいた。
グランヴィアは玄関の鍵を閉める。
「さて、施設へ戻るか」
一行は再び街道を歩き始めた。
しばらくは誰も口を開かない。
それぞれ思うことがあったが、
最初に沈黙を破ったのはペプシルだった。
「なあ、グランヴィア」
グランヴィアは前を向いたまま「ん?」と言葉を返す。
「ソラの病気って何なんだ?」
一瞬の間。
グランヴィアの足が少し遅くなる。
「……分からない」
イリアスが眉をひそめる。
「色んな医者をあたった。皆、精神病かもしれないとは言っていたが、明確な原因は分かってない」
全員が顔を見合わせる。
「昔からなん?」
サクヤが聞いた。
「……恐らく、産まれた時からだ」
グランヴィアは少しだけ目を細めた。
「産まれた時、ソラは泣かなかった。何も不調はなくて、産まれたてで疲れてるんだと助産師は言った」
「でもある日、ソラは一人で何かと会話してた。
そのことをソラに聞いてみたら、
『知らない誰かの声が聴こえる』って。
ずっと辛くて悲しそうだから、励ましてる、って」
「声…」
オサリアはソラに握られた自分の手を見つめる。
「ああ…最初は何かの話に影響されたんだと思ってた」
「でも違った」
その声はどこか後悔が滲んでいる気がした。
「ソラは段々とやつれていって、眠る時間が増えた」
「眠っている間だけは自分だけの世界に浸れるからってな」
イリアスの表情が曇る。
「厄介だな」
「だろ?」
グランヴィアは笑う。
だが目は笑っていなかった。
「検査しても原因不明」
「呪いでもない」
「毒でもない」
「病気の名前すら分からない」
オサリアは黙って聞いていた。
ソラの苦しそうな顔が頭に浮かぶ。
「先生が見つかったのは七年くらい前だ」
グランヴィアの声色が少し明るくなる。
「その先生だけは治療法を知ってるらしい」
ヨザキの視線が僅かに動いた。
「知ってるらしい?」
「ああ」
グランヴィアは頷く。
「珍しい、名前もつけられてない病気だからな」
「表に出せないくらいの優秀な専門家じゃないと分からないらしい」
「だから薬を飲んでる。飲まないと発作が酷くなるんだと」
「表に出せないってなんで?」
オサリアは首を傾げた。
「名前を出すだけで患者が殺到するんだとよ」
「今は偽名を使ってるらしい」
「……」
ヨザキは表情一つ変えず、何も言わない。
「治る見込みはあるん?」
サクヤが聞く。
「ある」
グランヴィアの声には迷いがなかった。
「俺には難しい話はあんま分かんねえ」
「でも、きっと大丈夫だ。先生がそう言ってくれてんだ」
オサリアは胸の奥が少しだけ重くなる。
先生が言った。
先生が言った。
……さっきから全部それだ。
「時間は掛かるらしいけどな」
グランヴィアは笑った。
「だから稼がないといけねぇ」
「薬代も診察代も馬鹿にならねぇし」
ペプシルが腕を組む。
「だから闘技場か」
「ああ。騎士団としての魔物討伐もな」
グランヴィアは当たり前のように答えた。
「金ならいくらでも稼ぐ」
「それでソラが治るなら安いもんだ」
その言葉は一切の迷いがなかった。
施設に戻った時には、日は沈みきっていた。
ヨザキとグランヴィアは騎士団の一人と何か会話した後、全員分の部屋の鍵を貰ってきた。
施設に常設されている寝室を貸して貰えるようだ。
「今日は休もう。色々あったからね」
ヨザキはそう言って、鍵を手渡す。
久々のベッドに、サクヤやイリアスは心を躍らせているようだった。
晩飯を済ませ、各自休息を取ることになった。
夜。
窓の外では虫の声が聞こえる。
オサリアはベッドの上でぼんやりと天井を見ていた。
眠れない。
目を閉じれば崩落の光景が浮かぶ。
ありえない速度で生えてきた結晶。
落石と結晶に飲み込まれた洞窟。
そして――自分から広がった黒い影。
「……」
胸の前で手を握る。
あの時、確かに自身から''闇''が溢れた。
闇魔法は危険なもの。それは自分含め共通認識だ。
だからこそ、自身の地は隔離されている。
もし彼らが――ペプシル達がノクス過激派だったら?
……そんなはず、ない。そんなはずは。
…じゃあもし、自身の闇が暴走してしまったら?
彼らを傷つけてしまったら?
「………嫌だなぁ……」
小さく呟く。
誰にも聞かれていないはずなのに、
声は自然と小さくなった。
何かが込み上げるのを誤魔化すように、
オサリアは部屋を抜け出した。
廊下はしんと静まり返っていた。
ランプの明かりと、窓から差し込む月明かりだけが揺れている。
水でも飲もう。
そう思って歩き出した時だった。
「寝れないのかい」
声がした。
「ひゃっ!?」
思わず飛び上がる。
廊下の先。
窓際の椅子にヨザキが座っていた。
なにやら古びた本を開いている。
「よ、ヨザキさん……」
「そんなに驚くことなのかい?」
「誰も居ないと思ったから……」
胸を押さえる。
心臓が飛び出るかと思った。
ヨザキは小さく息を吐く。
「オサリアちゃんは本当に騒がしいね」
「はは……」
少しだけ沈黙が流れる。
窓の外では風が木々を揺らしていた。
「……怖かったかい」
不意にヨザキが言った。
オサリアは顔を上げる。
「え?」
「今日の鉱山だよ」
静かな声だった。
責めるような響きはない。
ただ確認するような声。
オサリアは少し考えてから呟く。
「……うん」
怖かった。
本当に。
また誰かが死ぬかもしれないと思った。
ペプシルが。
みんなが。
「そうかい」
ヨザキはそれ以上聞かなかった。
慰めも、励ましもしない。ただ真っ直ぐ受け取るだけ。
不思議と、その方が話しやすかった。
「ヨザキさんは?」
「怖かったよ」
即答だった。
オサリアは目を丸くする。
「えっ」
「意外かい」
「ちょっと」
「失礼だね」
珍しくヨザキは小さく笑った。
「……人間、誰しも万能じゃないからね」
「ああなる未来を僕が先に見れていたのなら、近づかないことだって出来たのに」
ヨザキはどこか諦めた表情で言った。
「…今までは、ヨザキさん一人で抱えてたかもだけどさ」
オサリアは床の木目をぼんやりと見つめる。
「……大丈夫だよ。だって、皆が居るもん」
「最悪な未来だったとしても、きっと大丈夫」
まるで、自分にも言い聞かせるようにオサリアは言った。
風に揺れる木々を見つめる。
「……そうだといい」
ヨザキは開いていた本を、静かに閉じた。
再び静寂。
だが今度は居心地が悪くない。
オサリアは窓の外を見る。
夜空には星が瞬いていた。
「……ソラちゃん」
ぽつりと呟く。
「心配だね」
ヨザキの表情が少しだけ変わる。
「そうだね」
短い返事。
「…治るといいなぁ」
「……そうだね」
その返事は、妙に遅かった。
ヨザキは小さく息を吐く。
「……そろそろ寝なさい」
オサリアは不服そうに唇をとんがらせる。
「子供扱いしてる?」
「してない」
「絶対してる」
「してないよ」
平行線な押し問答。
少しだけ、二人の間に笑いが生まれた。
しばらくすれば、「また明日」と言って、
オサリアはあくびをしなから部屋へ戻って行った。
少女の背中を見送る。
ヨザキはしばらく席を立たなかった。
月明かりの差し込む窓辺。
静かに閉じた本へ視線を落とす。
「……大丈夫、ね」
小さく呟く。
――その時だった。
〈ズキン〉
視界が揺れた。
「っ……!」
目の奥が焼けるように痛む。
持っていた本が手から滑り落ち、
バサリと派手な音を立てる。
それを拾う余裕はない。
――来る。
強制的に引きずり込まれる感覚。
眩しい。
白い、知らない場所。
血。
誰かの泣き声。
黒い何か。
そして――
『ごめん』
『――ありがとう』
聞き覚えのある少女の声。
ヨザキの呼吸が止まる。
(……まさか)
次の瞬間、視界が戻る。
荒い呼吸だけが廊下に響いていた。




