帰るべき場所へ
翌朝。
まだ空が薄暗いうちに、ペプシルは目を覚ました。
窓の外では鳥が鳴いている。
ラグナの朝は静かだった。
「……」
ベッドから身体を起こす。
胸の奥が少し重かった。
「起きとるか?」
扉の向こうからサクヤの声がした。
「ああ」
返事をすると、すぐに扉が開く。
「ほな飯や」
居間では既に全員揃っていた。
ヨザキは何かの調合を、イリアスは銃の手入れをしている。
オサリアはスープを前に手を合わせていた。
「…いただきます!」
いつも通りの光景。
だが今日は誰も無駄話をしなかった。
各々食事を終えると、ペプシルは立ち上がった。
「行くぞ」
短い言葉。
全員が頷く。
家を出れば、朝の冷たい空気が頬を撫でた。
村の入口にはガイン村長が立っていた。
「見送りか?」
ペプシルが言う。
ガインは苦笑した。
「年寄りは心配性でな」
老人は一行を見渡す。
そして深く頭を下げた。
「頼んだ」
それだけだった。
ペプシルは何も言わない。
代わりに四人と前を向く。
その先に見えるのは北の山。
木々が空を覆い隠す暗い森。
まるで何かを隠しているかのようだった。
ペプシルが歩き出す。
その後を追うように全員が動いた。
誰も帰ってこなかった場所。
ラグナを蝕み続ける全ての始まりへ。
一行は静かに森の奥へ足を踏み入れる。
以前訪れた時と同じ道。
だが、感じ方は全く違った。
あの時は調査で、何が起きているのかを知るために来た。
今は違う。
原因を断つために来ている。
「……静かやな」
サクヤが呟く。
誰も返事をしない。
黒い結晶、巨大な魔物、行方不明者……そして子供達。
全てが頭の中で繋がっていた。
ペプシルは剣の柄を握る。
「前来た時より静かじゃねぇか」
イリアスが周囲を見回す。
まるで、森そのものが息を潜めているようだった。
「近いのかもしれないね」
ヨザキが静かに言う。
「元凶に」
誰も否定しなかった。
一行は歩みを止めない。
木々の奥――黒い結晶が見つかった場所へ。
やがて。
見覚えのある景色が現れた。
「……ここやな」
サクヤが足を止める。
巨木のようにそびえ立つ、黒い結晶。
以前発見した巨大な結晶群だった。
だが。
「増えてる……?」
ヨザキが眉をひそめた。
確かに、前に見た時よりも明らかに範囲が広い。
地面を這う根のような結晶はさらに伸び、
周囲の木々を侵食するように絡み付いている。
枯れた草木も増えていた。
「こんな短期間でか?」
イリアスが顔をしかめる。
「普通じゃないね」
ヨザキは結晶へ近付き、慎重に観察する。
その時だった。
「……待って」
オサリアが小さく声を上げた。
全員の視線が向く。
オサリアは地面を見つめていた。
黒い結晶の根元。
そこに何かが埋もれている。
「これ……」
しゃがみ込み、土を払う。
現れたのは古びた革袋だった。
ペプシルが拾い上げる。
中身は空。
だが。
「名前がある」
袋の内側、消えかけた文字が刻まれていた。
『ダン』
サクヤの顔色が変わる。
「……知っとる」
低い声だった。
「行方不明になった猟師や」
その場の空気が凍り付く。
ヨザキは静かに周囲を見回した。
「やはりここだ」
全てが繋がっている。
そして――
〈ゴゴ……〉
微かな振動が足元を伝った。
全員が顔を上げる。
森の奥――さらに深い闇の向こう。
何かが動いた。
今まで感じていた圧迫感が、一気に濃くなる。
サクヤが槍を握る。
イリアスが銃を構える。
ペプシルは剣を抜いた。
ヨザキは静かに呟く。
「どうやら、向こうから出迎えてくれるらしい」
眼鏡の奥の瞳が細くなった。
〈ゴゴゴ……〉
振動が強くなる。
黒い結晶が微かに震えた。
「来る」
ヨザキが杖を構える。
森の奥。
一本。
二本。
三本。
木がメキメキと音を立て、へし折れながら倒れていく。
やがて、巨大な影が姿を現した。
「……ッ」
オサリアが息を呑む。
以前遭遇した、熊のような魔物だった。
黒い外殻。
異様に肥大化した四肢。
だが――
何かがおかしい。
「待て……」
サクヤが眉をひそめる。
熊の身体中から黒い結晶が突き出していた。
肩。
背中。
首。
肉を裂きながら生えた結晶が全身を覆っている。
〈グォォ……〉
苦しげな唸り声。
怒りではない、まるで痛みに耐えているようだった。
「結晶に侵食されてる……?」
ヨザキの顔色が変わる。
熊はペプシル達を見ていなかった。
赤黒く濁った瞳は、そのさらに奥――森の深部へ向けられている。
まるで――
「……怖がってる?」
オサリアが呟く。
その時だった。
地面が微かに震えた。
足元の土に亀裂が走る。
その隙間から、黒い光が勢いよく漏れ出した。
「……何だ?」
ヨザキが眉をひそめる。
次の瞬間。
〈ギャアアアアアアッ!!〉
熊が絶叫した。
同時に地面が大きく隆起する。
「下がれ!!」
ヨザキの叫びと同時に全員が飛び退いた。
直後。
〈ゴバァァッ!!〉
無数の黒い結晶が地面を突き破って噴き上がる。
熊の腹を。
胸を。
首を。
容赦なく貫いた。
鮮血が飛び散り、巨体が痙攣する。
そして崩れ落ちた。
「なっ……」
イリアスが言葉を失う。
あれほどの化け物が、一瞬で殺された。
森が静まり返る。
誰も動けない。
〈パキッ〉
小さな音が響く。
全員の視線が向く。
黒い結晶の一部が砕けていた。
さらに。
〈パキ、パキッ〉
あちこちの結晶に亀裂が走る。
何かが中で動いている。
ゆっくりと。
這い出るように。
やがて現れたのは――人影だった。
いや。…人だったものだ。
「……嘘だろ」
ペプシルが呟く。
猟師服を着た男だった。
片腕は黒い結晶へ変わり果て、
顔の半分も侵食されている。
サクヤの表情が凍り付く。
「……ダン」
掠れた声だった。
行方不明になった猟師。
革袋の持ち主。
間違いなかった。
しかし終わりではない。
結晶の向こう。
また一人、さらに奥にも一人。
次々と人影が姿を現していく。
全員が結晶に侵食されていた。
それでも動いていた。
ゆっくりと、苦しむように、何かを求めるように。
「……そんな」
オサリアが息を呑む。
帰ってこなかった人々。
皆ここにいた。
……何か別の存在へ変えられながら。
サクヤの槍を握る手が震える。
「……居なくなったヤツらや」
その時だった。
森全体が震える。
〈ゴゴゴゴゴ……〉
全員が顔を上げる。
結晶の森の最奥。
巨大な黒い結晶樹がそびえ立っていた。
あれは――生きている。
脈打っていた。
心臓のように。
ドクン、ドクンと、鼓動のたびに地面が震える。
結晶が脈動する。
森全体が呼吸していた。
「……あれが」
ヨザキが目を見開く。
結晶樹の中央には巨大な核。
そこから伸びた無数の結晶が木へ、地面へ。
森全体へと繋がっていた。
まるで山そのものの神経。
そして樹には深い裂け目が刻まれている。
その裂け目が、ゆっくりと開く。
笑ったように見えた。
「……ッ!!」
オサリアは、レヴァリアで見たあの化け物を思い出した。
「あの時と……一緒……」
本能が理解していた。
あれは見てはいけないものだと。
〈ドクン〉
結晶の樹は脈打つ。
同時に、周囲の異形達が一斉にこちらを向いた。
赤い瞳が妖しく灯る。
森の闇が目覚めたようだった。
「総員戦闘!!」
ヨザキが叫ぶ。
ペプシルは剣を抜く。
イリアスが銃を構える。
オサリアは祈るように両手を握り締めた。
そしてサクヤは槍を構えた。
炎のように赤い瞳が、真っ直ぐ最奥の怪物を捉える。
ようやく見つけた。
ラグナを蝕み続けた、全ての元凶を。
〈ドクン〉
結晶樹が大きく脈打つ。
その瞬間だった。
結晶に侵食された人影達がゆっくりと前へ出た。
まるで命令を受けたかのように。
「……」
誰も動けない。
ダンがいる。
その隣にも。
さらに奥にも。
見覚えのある顔が並んでいた。
サクヤの顔から血の気が引いていく。
「……マルクのおっちゃん」
小さな声だった。
畑仕事の帰りによく果物をくれた男。
「……トーマ兄ちゃん」
山で狩りを教えてくれた若い猟師。
「……なんでや」
声が震える。
みんなみんな、サクヤは知っていた。
全員、帰ってこなかった人達だった。
九人。
行方不明になった者達が、そこにいた。
サクヤの呼びかけに、誰も返事をしない。
赤い瞳だけが、こちらを見つめている。
「サクヤ!」
ヨザキが叫ぶ。
次の瞬間。
結晶の人影が跳び上がった。
人間ではあり得ない速度。
サクヤは反射的に槍を振るう。
〈ガキィン!!〉
激しい衝撃。
結晶化した腕が槍を受け止める。
「ッ!」
サクヤが目を見開く。
迷った。
一瞬だけ。
その一瞬を逃さなかった。
横から別の結晶人が迫る。
「危ねぇ!!」
ペプシルが剣を振り抜いた。
〈ズバァッ!!〉
結晶人の身体が吹き飛ぶ。
……だが倒れない。
地面を転がりながら、再び立ち上がる。
「まーた……」
イリアスが顔を引きつらせる。
「面倒そうだなぁ?」
〈パンッ!!〉
銃声が響く。
結晶の肩が砕け散る。
それでも止まらない。
まるで痛みを知らない人形だった。
「胸だ!」
ヨザキが叫ぶ。
「胸の核を狙え!」
全員の視線が結晶人の胸元へ向く。
黒い結晶。
心臓の位置で脈打っている。
「了解!」
イリアスが即座に照準を合わせる。
〈パンッ!!〉
銃弾が核を撃ち抜く。
異形の身体が崩れ落ちた。
今度は動かない。
ヨザキは杖を高らかに振りかざす。
「風よ!」
足元に魔法陣が広がった。
「薙ぎ払え!!」
〈ブワッ!!〉
突風が吹き荒れる。
迫っていた結晶人達が体勢を崩した。
「今だ!」
しかし。
〈ドクン〉
森全体が脈打った。
全員が顔を上げる。
結晶樹だ。
巨大な黒い結晶樹が心臓のように脈動している。
〈ドクン〉
〈ドクン〉
鼓動のたびに地面が震える。
そして。
倒れた結晶人の胸元。
砕けたはずの核へ、地面から細い結晶が伸びていく。
「……は?」
イリアスが呟く。
次の瞬間。
〈パキッ〉
核が再生した。
倒れていた異形が再び立ち上がる。
「なっ……!」
オサリアが息を呑む。
ヨザキの顔色が変わった。
「待て……」
ヨザキの視線は結晶樹を追う。
倒れた結晶人へ伸びる結晶。
その先は地面の下を通り、樹へ繋がっている。
ヨザキは目を見開いた。
「……そういうことか」
「何かわかったのか?」
イリアスが叫ぶ。
「結晶人は樹から魔力供給を受けている」
眼鏡を押し上げる。
「樹を止めれば全て止まる」
巨大な結晶樹。
山そのものと繋がった樹が、裂けた口をゆっくりと開く。
まるで、全てを見下ろして笑っているかのように。
「っ!」
オサリアは気づいてしまった。
――あの樹は、自分を見ている。
次の瞬間だった。
〈ドクン〉
結晶樹が大きく脈打つ。
「散れ!!」
ヨザキが叫ぶ。
直後。
〈ゴバァッ!!〉
地面が爆ぜた。
オサリアがいた場所から無数の黒い結晶が突き出す。
「きゃっ!?」
間一髪。
ペプシルがオサリアの腕を掴み、強引に引き寄せる。
結晶の槍が空を貫いた。
「オサリアが狙われてる!」
イリアスが銃を構える。
〈パンッ!!〉
銃弾が結晶樹へ飛ぶ。
だが――届く前に結晶の壁が生まれた。
〈ガキィン!!〉
弾丸が弾かれる。
「チッ!」
その瞬間。
「オラァ!!」
今度はサクヤが動いた。
地面を蹴り、樹へ一直線。
風のような速度で結晶樹へ迫る。
だが、槍先は僅かに鈍っていた。
〈ガァン!!〉
凄まじい衝撃。
砕れたのは結晶の一部だけだった。
「硬っ……!」
サクヤが舌打ちする。
その足元から。
結晶が生えた。
「ッ!」
咄嗟に飛び退く。
ほんの一瞬遅れていたら脚を貫かれていた。
結晶人達も動き始める。
前方に四体。
右に二体。
左に三体。
逃げ場を塞ぐように広がっていく。
ペプシルの身体が前へ飛び出した。
「サクヤ!」
叫ぶ。
「迷うな!」
結晶人の一撃を大剣で受け止める。
火花が散った。
「今は助ける方が先だろうが!」
サクヤの瞳が揺れる。
結晶人が再び飛び掛かる。
「っ!」
反応が遅れた。
結晶化した爪が肩を掠める。
鮮血が舞った。
「ッ……!!」
「サクヤ!」
オサリアが両手を合わせる。
傷口が温かい光に包まれる。
裂けた皮膚がゆっくりと塞がっていく。
「気を付けて……!」
震える声だった。
サクヤは一瞬だけ目を見開く。
「……ありがとさん」
サクヤは槍を握り直した。
震えていた手が、少しだけ止まる。
目の前にいるのはトーマだった。
山で狩りを教えてくれた兄貴分。
笑いながら頭を叩かれたこともあった。
けれど。
今の彼は違う。
赤い瞳でこちらを睨み、
胸には黒い核が脈打っている。
「……すまん」
小さく呟く。
誰にも聞こえないほど小さな声。
そして――槍を構えた。
「もう休め」
地面を蹴る。
そして今度こそ、槍を迷いなく突き刺した。
〈ズバァッ!!〉
槍先が黒い核を貫く。
〈パキィンッ!!〉
胸元の結晶が砕け散り、トーマの身体が大きく揺れる。
赤い瞳から光が消えた。
「……」
ゆっくりと膝をつく。
そして――倒れた。
サクヤは、ただその姿を見つめていた。
だが。
〈ドクン〉
結晶樹が脈打つ。
「ッ!」
トーマの胸元。
砕けたはずの核へ向かって、地面から細い結晶が伸びていく。
「サクヤ! 離れろ!!」
ヨザキが叫んだ。
サクヤは反射的に飛び退く。
次の瞬間。
〈パキッ〉
砕けた核が再び形を取り戻す。
倒れていたトーマの身体が痙攣した。
ゆっくりと。
本当にゆっくりと。
トーマは再び立ち上がった。
赤い瞳が再び灯る。
「……クソが」
サクヤが歯を食いしばった。
「人間を、駒みたいに扱いよって」
視線の先。
巨大な結晶樹が不気味に脈打っている。
〈ドクン〉
〈ドクン〉
まるで勝利を確信しているように。
その時。
「オサリア!!」
イリアスの叫び。
オサリアは反射的に振り返る。
そこにいたのは――ダンだった。
結晶化した腕を振り上げ、一直線に迫ってくる。
「うわっ――!」
咄嗟に後退る。
だが足がもつれる。
眼前まで迫る、振り下ろされた結晶の腕。
その瞬間。
〈ゴォッ!!〉
横から突風が吹き抜けた。
ダンの身体が大きく弾き飛ばされる。
「下がれ!」
ヨザキだった。
杖の先に青白い魔法陣が浮かんでいる。
「オサリア、僕の後ろへ!」
「う、うん!」
オサリアは慌てて駆け寄る。
だが。
〈ドクン〉
結晶樹が脈打った。
嫌な予感。
ヨザキの顔色が変わる。
「まずい――!」
地面が隆起する。
ヨザキとオサリアの足元。
黒い結晶が槍のように噴き上がった。
「ッ!」
間一髪で飛び退く。
だが避け切れない。
結晶が頬を掠めた。
赤い血が散る。
「ヨザキさん!」
オサリアが叫ぶ。
その瞬間だった。
絶好のチャンスと言わんばかりに、
三体の結晶人が同時に飛び掛かる。
完全に死角。
「チィッ!」
ヨザキは杖を構える。
だが間に合わない。
そう思った瞬間。
〈パンッ!〉
〈パンッ!!〉
〈パンッ!!!〉
三連続の銃声。
結晶人達の核が次々と砕け散った。
「前だけ見てろ、参謀」
イリアスが新しい弾を装填する。
「後ろは見といてやる」
ヨザキが小さく息を吐いた。
「助かるよ」
だが。
〈ドクン〉
まただ。
結晶樹が脈打つ。
砕けた核へ結晶が伸び始める。
「クソッ、キリがねぇよ!」
イリアスが舌打ちする。
その時。
前方で轟音が響いた。
〈ガァァン!!〉
サクヤの槍が結晶人を吹き飛ばす。
続けざまにもう一体。
さらにもう一体。
だが倒しても倒しても立ち上がる。
「ええ加減にせぇや!!」
怒号。
サクヤは槍を振り回しながら叫ぶ。
「死んだんなら休ませたれや!!」
その声は結晶人達ではなく。
結晶樹へ向けられていた。
〈ドクン〉
樹が脈打つ。
まるで嘲笑うように。
「おい、どうする!?」
ペプシルが叫ぶ。
ヨザキは結晶樹を睨む。
そして――オサリアを見る。
「……誘き出す」
「は?」
イリアスが素っ頓狂な声を上げた。
「誰を?」
「決まってる」
ヨザキは静かに言う。
「樹の意識をだ」
〈ドクン〉
結晶樹が脈打つ。
まるで会話を聞いているように。
ヨザキは確信した。
「オサリア」
「なに……?」
「君を囮にする」
空気が凍った。
真っ先に反応したのはペプシルだった。
「ふざけんな」
低い声。
「別の方法探せ」
「時間がない!」
ヨザキも譲らない。
「このままじゃ全員消耗して終わる!」
「だからって――」
「聞いて」
今度はオサリアだった。
小さな声。
全員が黙る。
ヨザキは説明する。
「樹はオサリアを優先して狙う」
「つまり」
「他を無視する」
サクヤがハッとする。
「隙ができるんか」
「そう」
ヨザキは頷く。
「僕とイリアスで援護する」
「サクヤは突破口を作る」
「ペプシル」
青い瞳を見る。
「君が本体を破壊する」
沈黙。
数秒。
ペプシルは舌打ちした。
「……気に入らねぇ」
「だろうね」
「けど他にねぇんだろ」
ヨザキは答えない。
それが答えだった。
オサリアが小さく息を吸う。
怖い。
当然だ。
足も震えている。
けれど、ずっと守られてばかりだった。
レヴァリアでも。
ラグナでも。
今も。
――だから。
「やる」
全員が振り返る。
オサリアは笑おうとして。
少し失敗した。
「うちも仲間だもん」
〈ドクン〉
結晶樹が脈打つ。
まるでその決意を聞きつけたように、
赤い瞳が、
裂けた口が、
ゆっくりとオサリアへ向く。
ペプシルは剣を握り直した。
「……死ぬなよ」
オサリアが目を瞬く。
「え?」
「死ぬなって言った」
ぶっきらぼうな声。
だが青い瞳は真っ直ぐだった。
「助けに戻る手間を増やすな」
「……だから最後まで走れ」
オサリアは少しだけ笑った。
「うん」
「ほな、行くで!」
サクヤが槍を構える。
「三十秒や!」
「充分だ」
ヨザキが答える。
「イリアス!」
「はいよ!」
〈ドクン〉
結晶樹が脈打つ。
次の瞬間、オサリアが駆け出した。
裂けた口が開いたと同時に、無数の結晶がオサリアを追う。
まるで獲物を追う蛇の群れだった。
「来る!」
オサリアが叫ぶ。
後ろから黒い槍が噴き出した。
〈パンッ!!〉
イリアスの銃弾。
結晶が砕ける。
〈ゴォォッ!!〉
ヨザキの風で軌道が逸れる。
だが、結晶樹は完全にオサリアだけを見ていた。
結晶人ですら動きを止め始める。
赤い瞳が揃ってオサリアを追う。
「今や!!」
サクヤが叫ぶ。
槍を振り抜く。
結晶人が吹き飛ぶ。
道が開く。
ペプシルが走った。
一直線に、迷いなく。
巨大な結晶樹へ。
〈ドクン〉
その時。
結晶樹の意識が初めてオサリアから逸れた。
向けられた先は――ペプシル。
「気付いたか」
ペプシルが笑う。
〈ドクン!!〉
鼓動が乱れる。
結晶の壁が生まれ、地面から槍が噴き出す。
結晶人が群がる。
全てがペプシルを止めようとしていた。
「邪魔だァ!!」
剣が唸る。
結晶人を吹き飛ばし、そのまま前へ。
〈パンッ!!〉
銃声。
「前だけ見ろ!!」
イリアスの叫び。
結晶人の核が砕け散る。
〈ゴォォォッ!!〉
暴風が吹き荒れる。
ヨザキの魔法。
群がる異形達が押し流される。
「十秒稼ぐ!」
「それ以上は無理だ!」
〈ガァァァン!!!〉
轟音。
横から飛び込んだサクヤの槍が、巨大な結晶壁に叩き込まれる。
亀裂。
さらに一撃。
〈バキィィン!!!〉
壁が砕け散った。
「行けぇぇぇ!!」
ペプシルは迷わない。
砕けた壁を突き抜ける。
そして――巨大な結晶樹の根元まで辿り着く。
そこには赤黒い核があった。
心臓のように脈打つ巨大な結晶。
〈ドクン〉
〈ドクン〉
〈ドクン〉
近くで見るほど醜悪だった。
見ているだけで吐き気がする。
だが。
ペプシルは剣を構えた。
「お前が元凶か」
〈ドクン〉
核が言葉を返すように脈打つ。
ペプシルは鼻で笑った。
「随分好き勝手やってくれたみたいだな」
その瞬間。
森全体が震えた。
〈ゴゴゴゴゴゴゴ……!!〉
九人全員の結晶人達が起き上がり、一斉に振り向く。
地面が裂ける。
黒い槍が噴き出す。
全てが。
全てが。
ペプシルを止めるためだけに動いていた。
〈ドクンッ〉
鼓動が乱れる。
〈ドクンッ〉
〈ドクンッ〉
まるで怯えているように。
だが、もう遅い。
ペプシルは剣を振り上げる。
青い瞳が核を射抜いた。
「終わりだ」
そして――
剣を振り下ろした。
〈ガァァァァァン!!!〉
凄まじい衝撃。
核へ叩き込まれた刃が火花を散らす。
だが。
「ッ……!」
砕けない。
核の表面に亀裂が走っただけだった。
〈ドクン〉
核が脈打つ。
同時に。
地面から無数の結晶が噴き出した。
ペプシルを串刺しにしようと迫る。
「ペプシル!!」
オサリアの悲鳴。
だが。
〈ゴォォォッ!!〉
暴風。
ヨザキの魔法だった。
結晶の軌道が逸れる。
「もう一撃だ!!」
ヨザキが叫ぶ。
ペプシルは歯を食いしばった。
腕が痺れる。
大剣が悲鳴を上げている。
それでも――
「返してもらうぞ…ッ」
剣を握る。
「ラグナのヤツらをォッ!!!」
全身の力を込める。
その時だった。
大剣が光る。
歯車と排気筒の隙間から漏れ出る、青白い光。
まるで、彼の想いに応えるように。
〈ドクンッ!!〉
核が激しく脈打つ。
恐怖するように。
逃げるように。
「今さら遅ぇ」
ペプシルは踏み込んだ。
「消えろォォォォォッ!!」
〈ズバァァァァァァァッ!!!〉
閃光。
轟音。
衝撃。
核が真っ二つに裂けた。
一瞬。
森から音が消える。
〈パキッ〉
小さな音。
〈パキパキパキパキッ〉
巨大な結晶樹に亀裂が走る。
幹へ。
枝へ。
地面を覆う根へ。
森中の黒い結晶へ。
〈ギィィィィィィィッ―――!!!〉
悲鳴。
それは樹の声だったのかもしれない。
そして。
〈バァァァァァン!!!〉
巨大な結晶樹が内側から崩壊する。
黒い破片が空へ舞い上がる。
夜空の星屑のように。
〈ドサッ〉
ペプシルが膝をつく。
荒い呼吸。
視界が揺れる。
その時。
「……あ」
サクヤが呟いた。
振り返る。
結晶人達。
ダン、マルク、トーマ――
九人全員の身体を覆っていた黒い結晶が崩れ始めていた。
赤い瞳の光が消える。
そして。
ほんの一瞬だけ。
人間の顔に戻った。
トーマがサクヤを見る。
昔と同じ笑顔で。
「……大き…なった…」
掠れた声。
本当に小さな声。
サクヤの目が見開かれる。
「トーマ兄ちゃん……。…皆で酒…飲みたかったわあ……」
だが。
もう時間はなかった。
身体が光に包まれる。
ダンが笑う。
マルクが頷く。
誰も恨んでいない。
誰も苦しんでいない。
ただ、
帰るべき場所へ帰るだけだった。
「……ありがとう」
最後の言葉。
光は風に溶けるように、空へ消えていく。
サクヤはその場に立ち尽くす。
涙が零れていた。
けれど。
今度は前を向いていた。
ラグナを蝕んでいた災厄は終わった。
ようやく。
本当に。
終わったのだ。




