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奪われた日々

しばらくの間、誰も何も言わなかった。


聞こえるのは木々のざわめきと、子供達がパンや干し肉を食べる小さな音だけだった。


少年は目元を擦りながら黙々とパンを齧っている。

リナはそんな彼の隣へぴたりと座り込み、自分の果物を半分押し付けていた。

「いらん」

「たべる」

「いらんって」

「たべる」

押し問答だ。


「……ふふ」

思わずオサリアが笑う。


少し前まで張り詰めていた空気が、ようやく和らぎ始めていた。


子供達が食事を終えたのを見て、

ヨザキは静かに話しかける。

 

「…よければ、お話を聞かせてもらえるかな」

その一言で全員の視線が集まる。

少年の肩がぴくりと動いた。


「君たちの身に、なにがあったのか」

 

穏やかだった風が、ふっと止んだ気がした。


少年は握っていたパンへ視線を落とす。

子供達の表情も曇る。

先程までの温かい空気とは違う。


だが、避けては通れない話だった。


「……」


少年はしばらく答えなかった。


風が吹き、木々が音を立てて揺れる。


誰も急かさない。


やがて少年は、小さく息を吐いた。

 

「……半年前」


少年がぽつりと呟く。


「全部、半年前からだ」


オサリア達は黙って耳を傾ける。


「…村へ降りてくる魔物が増えたんだ」

「畑が荒らされた」

「家畜もやられた」

「山の中も危なくなった」

「…みんな困ってた」

 

それはラグナ全体の話だった。


少年は俯きながら続ける。

 

「それなのに、税金だけは変わらなかった」


ペプシルの眉が僅かに動く。


「払えない家が増えた。…うちもそうだった」


静かな声だった。

感情を押し殺した声。


「父ちゃんも母ちゃんも必死だった」

「でも無理だった」

「食べるだけで精一杯だったから」

握っていたパンが、くしゃくしゃになっていく。

 

「そしたら役人が来たんだ。…魔物被害の原因を探せって」

「見つけたら免税してやるって」


「それって……」


オサリアが言葉を失う。


「魔物討伐を村人にやらせたのか」

 

イリアスが息を呑む。


「父ちゃん達は山に連れてかれて――」


沈黙。


「そのまま、帰ってこなかったんだ」

今度は少しだけ声が震えた。


「他の家も同じだった」

少年は後ろを見る。


リナ。


小さな子供達。


皆、俯いている。


「逃げようとした家族もいた」

「ラグナを出て、どこか遠くで暮らそうって」


少年は唇を噛む。


「でも捕まった」

 

「子供だけ残った」

子供達のひとりが、涙をこぼす。


「気付いたら」


少年は小屋を見る。


「みんな親がいなくなってた」


沈黙。


誰もすぐには言葉を返せなかった。


山の風だけが通り過ぎる。


「……村は?」


ぽつりと、ペプシルが口を開いた。

少年は顔を上げる。


「村?」

「誰も助けなかったのか」


少年はしばらく考える。

それから首を横に振った。


「違う」

意外な答えだった。


「助けようとしてくれた人はいた」

少年はサクヤを見る。


「サクヤ姉ちゃんもそうだし」

「ガイン村長も」

「他の大人達も」


静かな声。


「でも」


そこで言葉が止まる。


「みんな自分たちで精一杯だった」


少年は俯く。


「サクヤ姉ちゃんは時々食べ物持ってきてくれた」

「村長も、村の倉庫から少しだけ分けてくれたことがあった」

「でも勿論、毎日は無理だった」


拳が少し震える。


「だって村のみんなも困ってたから」

「畑や家畜を死守しなきゃいけない」

「税金も払わなきゃいけない」

「…あの人達にも、子供がいる」


静かな声だった。


恨んでいる訳ではない。

ただ事実を並べているだけだ。


「だから俺たちも最初は残ってた金で何とかしてた」

「家に残ってた保存食とか」

「売れそうな物とか」

「……でも無くなった」


風が吹く。


「そしたらリナが倒れた」


オサリアが顔を上げる。

リナは黙って俯いた。


「三日くらい、まともに食べてなかったから」

その場の空気が重くなる。


「その時」

少年は拳を握る。


「初めて盗んだ」


風が吹く。


誰も何も言わない。


少年は俯いたまま続けた。


「最初は果物ひとつだった」

「市場の端に置いてあったやつ」

「誰も見てなかったから」

 

声は小さい。

けれど、不思議とよく聞こえた。


「本当は怖かった」

「捕まると思った」

 

「でも」

少年は隣のリナを見る。


「リナが起きた時」

「果物見て『おいしそう』って笑ったんだ」


掠れた声だった。


「それで」


「……もういいやって思った」


イリアスは腕を組みながら、深く息を吐いた。


少年は続ける。


「一回やったら、次は少し楽だった」

「それで少しずつ」

「少しずつ」

「……気付いたら、戻れなくなってた」


沈黙。


誰も責めない。


責められるわけがない。


「……」

ペプシルは拳を握る。

 

盗みは悪いことだ。

そんなことは分かっている。


分かっているのに。


目の前の少年へ「お前が悪い」と言えるほど、何も知らなかった。


自分は思っていた以上に、何も世界を見ていなかった。


「……クソ」


小さく漏れた声。


自分でも何に対しての言葉なのか分からなかった。


税か。


役人か。


魔物か。


それとも。


こんな現実を今まで知らなかった自分自身か。

 

「……つまり」

「全部、あの魔物から始まったってことか」

ペプシルが低く呟く。

 

少年が顔を上げる。

 

ヨザキは静かに頷いた。

「少なくとも発端ではあるだろうね」

「魔物被害が増え、収穫が減り、生活が苦しくなる」

「段々と税が払えず、比例するように行方不明者が増えた」


眼鏡の奥の瞳が細まる。

 

「そして君達が残された」


淡々と並べられた言葉。

けれど重かった。

サクヤは腕を組む。


「……せやな」

珍しく冗談の無い声だった。


「村長も多分そう考えとる」


ペプシルは黙る。


最初はただの魔物調査だと思っていた。

必要であれば、ラグナで暴れている魔物を倒す。


それだけの話だと。


だが違った。


その魔物一匹のせいで村が苦しみ。

人が消え。

子供達が飢え。

盗みまで起きている。


「……」

オサリアはリナを見る。

 

もし魔物が居なければ。

もし半年前の出来事が無ければ。


この子は今も両親と暮らしていたのだろうか。


そんな考えが頭を過ぎった。


「……ねえ」

オサリアが小さく口を開く。


「その魔物、見たことあるの?」


少年は首を横に振った。

「…ない。でも」

その顔が少しだけ強張る。


「鳴き声は聞いた」


風が止んだ。

子供達の表情も固くなる。


「夜だった」


少年は北の山を見た。


「あっちから聞こえてきた」

「すげぇ遠かったのに、地面まで揺れた」


ペプシル達は顔を見合わせる。

サクヤも険しい顔になる。


「……やっぱり北か」


ぽつりと呟く。

ヨザキは静かに目を閉じた。


これで確定した。


魔物被害。

行方不明者。

そして子供達の証言。


全部が同じ場所を指している。


ヨザキはゆっくり目を開いた。


「どうやら」


静かな声。


「次に向かう場所は決まったみたいだね」


ペプシルは北の山を見上げた。


木々の向こう、誰も帰ってこなかった場所。

ラグナを蝕み続けている元凶。


青い瞳が細くなる。


「……ああ」

 

ペプシルの拳が固く握られた。


 

子供たちと別れ、夕暮れに染まった山道を下る。

 

行きと違い、誰も口を開かなかった。

木々の隙間から差し込む赤い光だけが、

細い山道を照らしている。


「……」

ペプシルは前を見たまま歩いていた。

頭の中では、先程の光景が何度も繰り返される。


「……クソ」

思わず漏れる。


隣を歩いていたイリアスがちらりと見る。

「まだ考えてんのか」

「考えねぇ方がおかしい」

イリアスは少しだけ苦笑する。

 

「まあな」

 

その後ろでオサリアが俯く。


「……なんで」


小さな声。


「なんで、あんなことしたんだろ」


誰に向けた言葉なのか、皆分かっていた。


税を払えない人々を危険な山へ向かわせた者。

帰って来ないと分かっていたのに、それを止めなかった者。


その問いに、誰も答えは出せない。


「前は、こんな酷いこと絶対に起こらなかったよ」


誰もすぐには答えなかった。

 

ヨザキは静かに目を伏せる。


「……かもしれないね」


それだけだった。



聖君レーネ・アストライアが生きていた頃。


街同士がここまで疑い合うことも、

新星騎士団が各地を監視することもなかった。


あの頃を知る者は、皆口を揃える。


――世界は、今より少しだけ優しかったと。


 

ペプシルは唇を噛む。


たったひとつの魔物。アストラの圧。

そのせいで村が苦しみ、人が消え、子供達が飢えた。


「……気に入らねぇな」


ぽつりと漏れる。


「何がだ?」


ペプシルは前を向いたまま答えた。


「全部だ」


短い言葉。だが、それだけで十分だった。


沈みかけた夕日が木々の間から差し込み、長い影を地面へ落としている。


やがて。


「見えたで」

 

先頭を歩いていたサクヤが顎をしゃくる。


木々の隙間から、ラグナ村の灯りが見えた。

夕食の支度をしているのだろう。

煙突から細い煙が上がっている。

昨日までなら安心する光景だった。


けれど今は違う。


「……」


ペプシルは黙ったまま村を見つめる。

あの灯りの下で暮らす人々もまた、必死に生きている。


同じ村なのに。

同じ国なのに。


まるで別々の世界だった。


村へ入ると、畑仕事を終えた村人達がちらほら見え始める。


「お、サクヤちゃん」

「おう」

「今日は追われてないんだな」

「ハハッ、幸いにもな」


村人が笑う。

サクヤも軽く手を振り返した。


「……?」

村人は首を傾げる。

 

「何かあったんか?」

問い掛ける声。

サクヤは少しだけ視線を逸らした。


「……後で村長んとこ行く」

それだけだった。


村人の顔から笑みが消える。

 

「そうか」

それ以上は聞かなかった。

 


やがて村の中央。


ガイン村長の家の前まで辿り着く。

サクヤが鍵のかかってない扉を開ける。

 

すると。

 

「戻ったか」

中から聞き慣れた声がした。


ガイン村長だった。

そして一行の顔を見るなり、僅かに眉をひそめた。


「……何か分かったようじゃな」

誰もすぐには答えない。


重い沈黙。

ガインはその空気だけで察したらしい。


「話を聞こう。…全てな」

静かな声だった。


ヨザキがこれまでの話を伝える。


子供達のこと。

盗難の理由。

そして北の山の魔物。


全て聞き終えた後。


ガインは長い沈黙を落とした。


「……そうか」

老人は目を閉じ、拳を強く握る。


重い沈黙。


やがてガインはゆっくり振り返る。


その顔は老け込んで見えた。


「……すまんかった」


誰に向けた謝罪なのか。

 

この場にいない者達へか。


それとも――

 

守れなかった子供達へか。


「村長」


サクヤが口を開く。


ガインは首を横に振った。


「……そうじゃな。後悔を話す時ではない」

 

老人の目が鋭くなる。


「北の山。お主らも同じ結論に至ったんじゃろう」

ヨザキが頷く。


「恐らく、全ての発端です」


ガインは静かに息を吐いた。


「ならば頼む」


その言葉に全員が顔を上げる。


「真実を確かめてきてくれ」

「そして――」


老人は一度言葉を切った。


窓の外。

村の灯りを見つめる。


「もし、本当にあの山に元凶がおるのなら」


ゆっくりと視線を戻した。


「終わらせてくれ」


ペプシルは黙って聞いていた。


そして。


「言われなくても」


短く答える。


青い瞳が真っ直ぐガインを見据えた。


「終わらせる」

「もう誰も死なせねぇ」

 

ガインは小さく笑った。

それは、今日初めて見せた笑顔だった。



ガインの家を出る頃には、すっかり日が落ちていた。


夜のラグナは静かだった。


家々の窓から漏れる灯り。

どこかの家から漂う夕食の匂い。

子供の笑い声。


いつもと変わらない村の夜。


けれどペプシルには、その光景が少し違って見えた。


「……」


子供達の顔が頭を離れない。


あの小屋で身を寄せ合っていた子供達も、本当なら今頃は家族と食卓を囲んでいたはずだった。


「行くのは明日の朝やな」

サクヤがぽつりと呟く。


ヨザキが頷く。


「夜の山は危険だからね」

「異論はねぇ」

イリアスが肩を竦めた。


「今日は休んで万全で行こうや」

 

誰も反対しなかった。


ラグナを蝕み続ける元凶。

子供達から全てを奪った存在。


ペプシルは夜空を見上げた。

 

雲の切れ間から、僅かに月が覗いている。


「待ってろ」

小さく呟く。


誰に向けた言葉か、自分でも分からなかった。

魔物か、山で消えた人々か。


それとも――。


「明日で終わりだ」

 

青い瞳が静かに細められる。


北の山が、闇の向こうに黒く佇んでいた。

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