お腹、空いた
サクヤの家は、ラグナの外れにあった。
「着いたで」
そう言ってサクヤが指差した先にあったのは、小さな木造の家だった。
「思ったより普通だな」
ペプシルが呟く。
「何やその感想」
「もっとボロいかと思ってた」
「失礼やな!?」
サクヤは鍵を取り出し、慣れた手つきで扉を開けた。
ぎい、と木の軋む音。
「ほら入れ」
中へ足を踏み入れたオサリアは思わず目を丸くした。
「わぁ……」
家の中は意外なほど整頓されていた。
壁際には狩猟用の弓や槍。
棚には瓶詰めの薬草。
暖炉の脇には薪が綺麗に積まれている。
「ちゃんとしてる」
「何やその反応」
「もっと散らかってるかと」
「オマエらオレのこと何やと思っとんねん」
サクヤは不満そうに頬を膨らませた。
「お?」
イリアスが棚の方を見て何かを見つける。
棚の上には、動物や風景の絵が描かれた色紙が並べられていた。
「なになに」
オサリアが近付く。
森の鹿。
山頂から見た朝日。
風車の並ぶラグナの街並み。
どれも驚くほど上手かった。
「誰が描いたの?」
何気なく尋ねる。
「オレや」
「え?」
全員が固まった。
「……お前が?」
ペプシルが眉をひそめる。
「何やその反応」
「いや」
イリアスは絵とサクヤを見比べる。
「描けるんだな」
「描けるわ」
「意外」
「失礼やなぁ!?」
ヨザキは一枚の風景画を手に取る。
山々の輪郭。
木々の生え方。
川の流れ。
光の当たり方。
細部まで丁寧に描かれていた。
「……観察眼が鋭いな」
「まぁな」
少しだけ得意そうな顔。
「山入ること多いし」
サクヤは肩を竦める。
「覚えときたい景色とかあるやろ」
「へぇ」
オサリアは改めて絵を見つめる。
「ラグナ好きなんだね」
「ん?」
サクヤはきょとんとする。
「だってラグナばっかり描いてる」
山。
森。
川。
風車。
確かに描かれているのはラグナの景色ばかりだった。
「……まあ、生まれ育った場所やしな」
少しだけ照れくさそうに頭を掻く。
その返事はどこか誇らしげだった。
しばらく絵を眺めていたオサリアだったが、不意にぐぅ、と小さな音が鳴る。
「あ」
全員の視線が集まった。
オサリアの顔が赤くなる。
「……お腹、空いた」
「せやろな」
サクヤは苦笑した。
「朝から山入って、その後ずっと歩いとったんやし」
「言われてみれば俺も腹減ったな」
イリアスが背伸びをする。
「で?」
ペプシルが腕を組む。
「結局飯はあるのか」
「あるにはあるけど…」
サクヤは大袈裟にため息を着く。
「五人分て…出費が嵩むわ」
サクヤは頭を抱えた。
「ガインのおっちゃんもや」
天井を見上げる。
「『村長命令じゃ』の一言で人ん家に四人も押し込みよって……」
「良い村長だ」
ヨザキが言う。
「オマエらにとっちゃそうかもな!」
サクヤは本日何度目か分からないため息を吐いた。
「しゃあない」
そう言いながら台所へ向かう。
「飯くらい作ったる」
「お」
「ただし」
サクヤが振り返る。
「文句言うたヤツから追い出すで」
そう言って、台所へ入っていった。
その言葉から三十分後。
「できたで」
机に鍋が置かれた。
全員が固まる。
「……」
「ほぉ……」
「……」
鍋の中には緑色のスープがあった。
いや。
緑というか。
紫というか。
場所によっては黒い。
薬草と何かの肉が大量に浮いている。
ミントのような香りが鼻をついた。
味の想像は出来ない。正直、見た目はかなり怪しい。
「サクヤ」
ペプシルが真顔で聞く。
「何や」
「これ食い物か?」
「なんちゅー失礼なこと言いよる!」
サクヤは人数分のお椀を机に並べながら怒っている。
「毒じゃなくて?」
「毒やったらオレ死んどるがな!」
イリアスは完全におちょくっている。
ヨザキは鍋を覗き込んでいた。
「薬草と山菜、それから燻製肉か」
「お」
「栄養バランスは悪くないね」
「やろ?」
「見た目は凄いけど」
「一言多いわ!」
サクヤが即座に突っ込む。忙しそうだ。
オサリアはというと、既にスプーンを手に取っていた。
「いただきます!」
「待っ――」
誰かが止めるより早く口へ運ぶ。
数秒。
ぱっと顔が明るくなった。
「おいしい!」
全員が固まった。
「え?」
「ホントか?」
「うん!」
オサリアは勢いよく頷く。
「すごくおいしい!苦いかなーって思ったけど、全然そんな事ないよ!」
その言葉を聞いて、半信半疑でイリアスも口へ運ぶ。
「……おぉ」
思わず声が漏れた。
「うまいな」
「やろ?」
サクヤが得意げに胸を張る。
続くようにペプシルも恐る恐る口を付けた。
「……悔しい」
「何がや」
「普通に美味い」
サクヤは大笑いした。
「見た目で判断したらあかんで!」
家の中にやたら豪快な笑い声が響く。
尻尾を高く上げ、満足そうだ。
暖炉の火がぱちりと弾けた。
外では夜風に揺らされ、風車がゆっくりと回っている。
「ごちそうさまー!」
オサリアが満足そうに両手を合わせる。
「お粗末さん」
サクヤは食器を集め始めた。
その横で、イリアスは布を取り出していた。
「何してるの?」
オサリアが首を傾げる。
「いつもの手入れ」
イリアスはペプシルの大剣を手元へ引き寄せる。
レンチで軽い調整をした後、刃を丁寧に磨き始めた。
「…はえー、その大剣、そんな見た目やったんか」
戻ってきたサクヤが、興味深そうに大剣を見ている。
磨かれた刀身は暖炉の火を反射し、鈍く輝いていた。
「えらいごっつい大剣やなあ思っとったけど、鞘に入っとったでよく見れやんかったんよ」
サクヤは屈み込むようにして眺める。
「中々イカしとる」
「そうか…?」
ペプシルは首を傾げた。
「作ったヤツのこだわりを感じるわ」
イリアスが小さく笑った。
「センスあるな、オオカミくん」
「せやろ?」
二人は妙なところで意気投合する。
ペプシルは少し嫌そうな顔をした。
「勝手に盛り上がるな」
「ちなみにこれ何回くらい振ったん?」
「覚えてねぇよ」
「折れたことは?」
「無い」
「へぇ……」
サクヤの目がきらきらしている。
まるで珍しい獣でも見つけた子供のようだった。
「触るなよ」
ペプシルが釘を刺す。
「触らん触らん」
そう言いながら既に手は柄に触れていた。
「触ってんじゃねえか」
「ちょっとだけや」
「離せ」
ペプシルはギロリとサクヤを睨む。
「ケチやなぁ」
そんな会話を背に、ヨザキは手帳や資料とにらめっこしていた。
イリアスのメンテナンスが終われば、五人は自然と眠る準備をし始めた。
「狭いな」
「文句あるなら外で寝や」
「熊が出るぞ」
「それは嫌だ」
そんなやり取りの後。
小さな家に五人分の寝床を作る余裕など無く、
その夜は全員、暖炉の前で雑魚寝することになった。
翌朝。
「起きろぉぉぉ!!」
耳元で爆音が炸裂した。
「うわぁっ!?」
オサリアは飛び起きる。
勢い余って隣で寝ていたペプシルの額に頭突きをかましてしまった。
「いっ……!?」
「ご、ごめん!」
ペプシルは最悪な目覚めだ。
その隣ではイリアスも目を擦っていた。
「朝から元気だな……」
「起きろ朝や!」
サクヤは既に着替えを済ませている。
窓から差し込む朝日を背に、やたら元気そうだった。
「ラグナの朝は早いんや!」
「早過ぎるだろ……」
ペプシルは額を押さえながら起き上がる。
暖炉の火は既に消えていた。
代わりに家の中には香ばしい匂いが漂っている。
オサリアの鼻がぴくりと動いた。
「む?」
机の上には木皿が並んでいた。
焼いたパンと果物。
それから、昨日のスープを温め直したもの。
「朝ごはん!」
オサリアの目が輝いた。
「食うやろ?」
「食べる!」
即答だった。
「いっぱい食え」
サクヤは椅子に腰掛ける。
「腹減っとる時に考え事してもロクな結論出ぇへん」
「そうだね」
ヨザキが眼鏡を掛けながら頷いた。
全員が席につく。
窓の外では風車がゆっくりと回り続けている。
穏やかな朝だった。
オサリアはパンを一口かじりながら、
昨日の事を考えていた。
親を失った子供達。
盗難騒ぎ。
そして、サクヤが時々食料を運んでいたという猟師小屋。
「……見つかるかな」
小さく呟く。
「おるやろ」
サクヤはあっさり言った。
「あいつら、あそこ好きやし。雨もしのげるしな」
パンを齧りながら話す。
だが、その言葉には妙な確信があった。
オサリアは少しだけ安心した。
「そっか」
「せや」
サクヤは立ち上がる。
「ほな飯食ったら行くで」
そう言って、サクヤは食べ終わった食器を流しに持っていく。
「あとパツキン、オマエ顔怖いで。せめて優しく接しろよ」
「誰がパツキンだ」
「オマエ以外におるか?」
ペプシルは露骨に顔をしかめた。
「……これが普通だ」
「不便やなあ」
サクヤは小馬鹿にするよう言った。
四人も食事を終える。
サクヤに食器を洗って貰っている間に身支度を済ませた。
「準備はいいかな」
全員が頷いた。
サクヤは大きな袋と槍を肩へ担ぐ。
「ほな行こか〜」
家を出ると、朝のラグナはまだ静かだった。
煙突からは白い煙が昇り、
山の風が木々を揺らしている。
住民達も仕事へ向かう時間らしい。
「ねえ、それ何が入ってるの?」
オサリアはサクヤが担いでいる袋を指さす。
「食いもんや」
「子供たちにあげるのか」
「せや。まあ余裕がある時だけになってまうけど」
サクヤは肩を竦める。
「無いよりマシやろ」
「場所は谷の向こう…だったっけか?」
イリアスが欠伸をしながら聞く。
「せや。そんなに遠くはない」
「昨日みたいな近道か?」
ペプシルが眉を顰めた。
「昨日よりマシや」
そう言って数十分、五人は山道を歩いていた。
「嘘つき」
オサリアが言う。
「近いやん」
「近いの基準がおかしい」
サクヤは気にしていない。
木々の間を抜け、
谷沿いの細い道を進む。
やがて。
「見えてきたで」
サクヤが立ち止まった。
前方。
崖の中腹に建つ古びた木造小屋。
壁は所々傷んでいるが、
雨風は十分凌げそうだった。
「あれが例の猟師小屋か」
ペプシルが呟く。
「誰かいるかな」
オサリアが小さく言った。
その時だった。
〈カタン〉
小屋の中から音がした。
全員が足を止める。
「いるな」
イリアスが声を潜める。
サクヤは一歩前へ出た。
「おーい」
返事は無い。
「オレや」
少しだけ優しい声だった。
「サクヤやで」
数秒。
沈黙。
そして。
小屋の窓から、小さな顔が覗いた。
年の頃は十歳前後。
痩せた少年だった。
目が合った瞬間、少年の顔色が変わる。
「っ!」
窓から姿が消える。
次の瞬間。
〈ガタガタガタッ!!〉
小屋の中が慌ただしくなった。
「待て待て待て!逃げんでええ!」
サクヤは慌てている。
入口が勢いよく開けば、複数の小さな影が飛び出して来た。
「うわっ!?」
オサリアが驚く。
たくさんの子供達だった。
四人、いや五人。
年齢はバラバラ。
一番小さい子は五歳くらいしかない。
「逃げた!」
イリアスが叫ぶ。
「追うか!?」
「バカ待て!」
ペプシルが制止する。
だが子供達は止まらない。
山道を必死に駆けていく。
まるで何かに怯えているようだった。
「……」
オサリアはその後ろ姿を見た。
痩せた背中。
擦り切れた服。
小さな肩。
そして。
最後尾を走る幼い少女が、石につまずいた。
「きゃっ!」
それを見たオサリアは、反射的に走り出していた。
「大丈夫!?」
少女がびくりと震える。
怯えた瞳。
まるで野生動物みたいだった。
「怪我してない?」
オサリアはしゃがみ込む。
少女は何も答えない。
ただ震えている。
オサリアは少しだけ困ったように笑った。
「うち、怒ってないよ」
少女の瞳が揺れる。
その時。
遠くから少年の声が響いた。
「そいつから離れろ!」
声のした方を見れば、
逃げたはずの子供達が立ち止まっていた。
その中心で、一番年上らしい少年がこちらを睨んでいる。
拳を握り締め、今にも飛び掛かってきそうな目で。
「……お前ら、誰だよ」
少年が低く言った。
張り詰めた空気の間を、山の風が吹く。
どうやら話し合いは、
思ったより簡単にはいかなそうだった。
後ろでは他の子供達も身を寄せ合うように固まっている。
オサリアはゆっくり立ち上がった。
「えっと……」
何と言えばいいのか分からない。
するとサクヤが頭を掻いた。
「そんな警戒せんでもええやろ」
「サクヤ姉ちゃん、そいつら誰」
少年の声は硬い。
「んー……」
サクヤは耳をピクピク動かしながら、少し考えた。
「よそ者」
「雑…」
イリアスが即座に突っ込む。
「事実やろ」
「間違っちゃいねぇけどな」
ペプシルまで頷いた。
少年は全く笑わない。
視線はずっとオサリア達へ向けられている。
その様子を見て、ヨザキが一歩前へ出た。
「怪しい者ではないよ」
「怪しい奴ほどそう言う」
即答だった。
イリアスが吹き出す。
「賢いな坊主」
「笑い事じゃない」
少年は拳を握る。
「帰れよ」
怒っている。
でもそれ以上に――守ろうとしている。
この子は、自分より小さい子達を。
オサリアはゆっくりと両手を上げた。
「本当に怒ってないよ」
少年は睨み返す。
「嘘だ」
即答だった。
「財布盗まれたんだろ」
オサリアの動きが止まる。
「……知ってるんだ」
「……だから」
少年は唇を噛む。
「だから来たんだろ」
その言葉に、オサリアは少しだけ困った顔になった。
確かに間違いではない。
財布は盗まれたし、盗難騒ぎを調べている。
ここへ来た理由の一つでもある。
目の前の少年が自身の財布について知ってる事実が、
悲しくも証拠になり得てしまう。
けれど。
「それだけじゃないよ」
少年は何も答えない。
信じていない顔だった。
当然だ、とオサリアは思った。
「なあ」
不意に、ペプシルが後ろから声をかける。
少年の眉がぴくりと動く。
「警戒するのは勝手だ。でも逃げ回るなら話は進まねぇ」
少年は睨み返す。
「進まなくていい」
「そうか」
ペプシルはあっさり頷いた。
「じゃあ帰るか」
全員が固まった。
「は?」
イリアスが変な声を出す。
「おい」
「聞く気が無い相手に無理やり聞いても意味ねぇだろ」
ペプシルは踵を返した。
本当に帰りそうだった。
「ちょ、ちょっと!」
オサリアが慌てる。
だがその時。
「……待てよ」
少年が声を上げた。
ペプシルは振り返らない。
「何だ」
少年の声には戸惑いが混じっていた。
「何で、そんなあっさり帰るんだよ」
ペプシルは肩越しに答える。
「話は進まなくていいんだろ?」
少年は言葉に詰まった。
「…俺達は別にお前ら捕まえに来た訳じゃねぇ」
静かな声だった。
「勝手にしろ。ずっとそのままで良いならな」
ペプシルは、そのまま背を向けたまま歩き出す。
いつもより歩みは遅かった。
沈黙。
オサリアは静かに、自身の目の前の少女を見つめる。
膝を擦りむいており、皮膚が剥けて血が滲み出ていた。
「…」
彼女はそっと抱きしめるように、少女を暖かい光で包んだ。
「え……」
少女が目を丸くした。
淡い光に包まれた傷は、少しずつ塞がっていく。
痛みも消えていくのだろう。
少女は何度も自分の膝を見つめた。
「もう大丈夫だよ」
オサリアはにこりと笑う。
サクヤはそれを黙って見ていた。
「あ……」
少女は戸惑ったようにオサリアを見上げる。
そして、恐る恐る彼女の服の裾をぎゅっと掴んだ。
「……お姉ちゃん」
小さな声。
「どうしたの?」
「っ、あのね」
「お腹……空いた」
少女のか細い声が、ぽつりと、雨のように落ちた。




