灯が消える時
翌日。
窓から差し込む陽射しで目が覚めた。
「……んん」
オサリアは大きく伸びをする。
むくりと起き上がり、辺りを見回す。
布団は自分の分しか残っていなかった。
「……?」
オサリアは首を傾げた。
「どっか行っちゃったのかな」
オサリアは布団を片付けようとすると、教卓の前で椅子に座るペプシルの姿が目に入った。
「あ、いるじゃん!ペプシルおはよう!」
「ん」
短く返事を返す。どうやら本を読んでいるらしい。
布団を畳みながらオサリアは「何読んでるのー?」と問いかける。
「セレスティア地誌」
「買ったの?」
「教室の本棚にあった」
「面白い?」
「まあ」
ペプシルは相変わらず本から目を離さない。
ページを捲る手は止まっていなかった。
オサリアは畳んだ布団を教室の隅へ寄せる。
時計を見ると、もう既にお昼を回っていた。
「イリアスとヨザキさんは?」
「ヨザキは朝から急用らしい。イリアスは知らん」
「そっかー」
オサリアは、後ろに寄せてある机の一つから椅子を取り出して座る。
時を刻む音。
流れる水の音。
時折ぱら、と頁を捲る音。
静かな時間が流れる。
.
.
.
オサリアは突然立ち上がり、ペプシルの隣に椅子を持っていく。
「何だよ」
「暇なんだもん」
「どっか遊びに行けばいいだろ」
「迷子探す羽目になるけどいいの?」
「……」
ペプシルは顔を顰める。
「…隣に人が居ると気になんだよ」
そう言いつつも、無理に突き放したり離れようとはしなかった。
オサリアは座り、ぼーっと地誌を見ている。
しばらく沈黙。
ページを捲る音だけが響く。
その時だった。
〈ガチャ〉
玄関の扉が開く音がした。
「ただいまー」
「イリアス!」
イリアスは紙袋をぶら下げながら教室へ入ってきた。
「おう。起きてたか」
「もうお昼だしね」
そしてその後ろから、もう一人。
「……疲れた」
ヨザキだった。
「おかえり!」
オサリアが手を振る。
だがヨザキの顔を見るなり、ペプシルが眉をひそめる。
「んだその顔」
「学府」
ヨザキはため息をつきながら、椅子へ腰掛けた。
眼鏡を外し、目頭を揉む。
本気で疲れている。
「何かあったの?」
オサリアが首を傾げる。
ヨザキは数秒黙ったあと、鞄の中を探る。
鞄から出てきたのは、レヴァリア学府の紋章が押されている一通の封書。
「……面倒な依頼を押し付けられた」
「押し付けられたって言うなよ」
「事実だ」
ヨザキは深くため息を吐いた。
「君達にも関係がある話だよ」
「関係がある?」
ペプシルは持っていた本を机に置き、腕を組んだ。
ヨザキは封筒から数枚の資料を取り出す。
机の上へ広げると、そこには地図と報告書が挟まれていた。
「病院で見せた黒い結晶、覚えているね」
「ああ」
ペプシルが頷く。
ヨザキは地図を指でなぞった。
「見てくれ」
ペプシルが覗き込む。
五回、時を刻む音が響いた後に。
「……魔物被害地域か」
「正解」
ヨザキは別の紙を重ねた。
「こっちが結晶の発見地点」
オサリアも身を乗り出す。
「あれ?」
「ほぉー…被ってんな」
イリアスが興味深そうに見る。
地図上の印は、魔物被害地域と重なっていた。
「学府も同じ結論らしい」
ヨザキは資料を机へ置いた。
「黒い結晶と魔物被害には何か関係がある可能性が高い」
「だから調べろってか」
「そういうこと」
ヨザキは心底嫌そうな顔をした。
「で、現地調査隊を作るらしい」
「へえ」
「そして何故か僕が選ばれた」
「ご愁傷様」
ペプシルが即答した。
「押し付けられたんだよ」
「だろうな」
「断れなかったの?」
オサリアが聞く。
「断れたなら今こんな顔してない」
もっともだった。
ヨザキは深くため息を吐く。
本日何度目か分からない。
「調査地点はほぼ全部魔物被害地域」
「危険だな」
「だから護衛を付けろと言われた」
「学府が出してくれんだろ?」
イリアスが聞く。
ヨザキは無言になった。
嫌な沈黙。
「……まさか」
「予算がない」
「終わってんな」
ヨザキは遠い目をしている。
「天下のレヴァリアだろ」
イリアスが呆れる。
「昔はね」
ヨザキは肩を竦めた。
「今は上に払う金で精一杯さ」
「また増えたのか?」
「増えた」
「終わってんな」
二回目だった。
ヨザキは諦めたように机へ突っ伏す。
「研究費も削られる。人も足りない。護衛も自分で探せ」
「それで?」
ペプシルが促す。
ヨザキはゆっくり顔を上げた。
そして観念したように口を開く。
「君達に同行してもらいたい」
教室が静かになる。
オサリアがぱちぱちと瞬きをした。
「えっと」
「護衛兼雑用兼戦力兼非常時対応要員」
「詰め込み過ぎだろ」
イリアスが笑う。
「否定できない」
ヨザキは真顔だった。
「もちろん報酬は出る」
「いくらだ」
「そこは交渉中」
「決まってねえのかよ」
イリアスは再び呆れる。
「僕だって好きでこんな話をしている訳じゃないんだが」
「調査期間は?」
「未定」
「終わって――」
「もういいって」
ヨザキは痺れを切らしたのかイリアスの言葉を遮った。
イリアスはとうとう腹を抱えて笑い始めた。
「…はははっ!」
「笑うな」
「だってよぉ!――っいっへえ!!!」
ヨザキはイリアスの頬を抓る。
気にせずヨザキは地図を指差した。
そのままする…と指先が移動する。
「調査地点はラグナ、ガルディア、あとは小さな村を転々」
ペプシルの目が僅かに細くなる。
「……なるほどな」
「君らも、ずっとここに居る訳には行かないだろう?」
「七日で旅の方針決めるってつったけど、もう一日しかねえもんな」
イリアスは赤くなった頬をさすっている。
運河の水音。
時計の針。
開け放たれた窓から吹き込む風。
やけに周りの音が耳に入ってきた。
「……で?」
ヨザキが聞く。
「受けるのかい?」
ペプシルは地図へ視線を落とした。
「元々そのつもりだった」
短く答える。
「アストラから逃げるだけじゃ限界がある」
青い瞳が地図をなぞる。
「…世界の状況は知っときたい。放っといて俺達だけ安全圏に逃げるってのも気分が悪ぃ」
ヨザキが僅かに目を細めた。
「勇者らしい事を言うじゃないか」
「うぜぇ」
ペプシルは鬱陶しそうな目で睨んだ。
「で、お前は」
視線がイリアスへ向く。
「乗るのか」
「聞くまでもねぇだろ」
イリアスは笑った。
「面白そうじゃん」
「それだけか」
「そんだけ」
即答だった。
「最後」
ペプシルはオサリアに視線を移した。
「……んー」
オサリアは俯き、手を組んで指を転ばしている。
「珍しいな、嬢ちゃんなら我先に行く!って言うと思ったんだが」
イリアスが首を傾げた。
オサリアは指先を見つめ、小さく笑った。
「……ちょっとだけ考えてた」
「何をだ」
ペプシルが聞く。
オサリアは少しだけ言葉を探した。
「うちが居るとさ。…またみんな危ない目に遭うのかなって」
教室に、水の音がやけに響く。
「あの化け物」
「うちだけ追いかけてたでしょ」
段々と、声が震える。
「だから」
そこで言葉を切る。
「もし次も同じだったら――」
「だったら何だ」
ペプシルが遮った。
オサリアが顔を上げる。
青い瞳が真っ直ぐこちらを見ていた。
「今更だろ」
短い言葉だった。
「え?」
「お前は俺らの傷を治す役目があんだろ」
オサリアが瞬きをする。
「お前が勝手に離れるとか言っても却下だ」
聞き覚えのある言葉だった。
イリアスが吹き出す。
「あー、それ前も聞いたな」
「うるせぇ」
ペプシルは顔をしかめた。
「僕も同意見かな」
「ヨザキさんまで…」
ヨザキは小さく肩を竦める。
「オサリアちゃんを狙う魔物がまた現れたとして、一人になった君は何か出来るのかい?」
オサリアは言葉に詰まった。
「それは……」
答えられない。
自分は化け物を前に足が竦んだ。
一人では何も出来なかった。
「優しさだけで解決する問題じゃない」
「一人で抱え込んでも状況は良くならないよ」
紫色の瞳がオサリアに真っ直ぐ向けられた。
「それに、君が関係してるなら、尚更調査の為に必要な鍵だ」
ペプシルは、丸めた地図でオサリアの頭をポン、と叩く。
「余計なこと考えんな」
ぶっきらぼうな声。
「行くなら来い」
オサリアは目を瞬く。
「……いいの?」
「嫌なら最初から聞いてねぇ」
数秒。
オサリアは三人を見た。
困ったように笑うヨザキ。
楽しそうなイリアス。
相変わらず不機嫌そうなペプシル。
その顔を見ているうちに――
胸の奥に引っ掛かっていた何かが、少しだけ軽くなった気がした。
「……じゃあ」
オサリアは笑う。
今度は迷いなく。
「うちも行く!」
オサリアはいつもの眩しい笑顔で答えた。
「決まりだな」
イリアスが笑った。
その答えを聞いて、ヨザキは小さく息を吐いた。
「……じゃあ」
眼鏡を掛け直す。
「改めて依頼しよう」
紫色の瞳が三人を見る。
「僕と一緒に世界を回ってくれ」
「…ああ」
窓の外では運河が陽光を反射して輝いていた。
「…そういや、塾はどーすんだよ」
イリアスは机の上に座って問いかけた。
「暫くは休講かな。副講師を呼べるほどの金はないし」
ヨザキはせっせと旅支度の準備をしている。
本を数冊、筆記用具やノート、簡易的な実験道具のような物など色々なものを詰め込んでいた。
「あと机の上座るな」
「へいへい」
オサリアとペプシルは、ヨザキの頼みで教室の掃除をしている。
黒板を拭く音。
机を動かす音。
畳まれた三人分のローブ。
開け放たれた窓からは涼しい風が吹き込んでくる。
「子供達、寂しがるんじゃねぇのか」
ペプシルが机を運びながら聞いた。
「どうだろうね。挨拶ぐらいはしておきたかったけど、生憎そんな余裕も無さそうだからな…」
そう言って、ヨザキは教卓から一枚の紙を取り出し、ペンを握って何かを書き始めた。
十秒程経ったあと、テープを紙の角に付けて教室の外に貼りだした。
『しばらく休講します。
宿題は各自やること。
帰ったら確認します。
ヨザキ』
「短っ」
イリアスが即座に突っ込んだ。
「必要な事は書いてあるだろう」
ヨザキは肩を竦めた。
「伝われば十分さ」
そう言いながらも、紙の端には小さく一文だけ付け足されていた。
『身体に気を付けて』
誰にも気付かれないような、小さな文字だ。
窓の外では、陽光を浴びた運河が、彼らの往く先を照らすようにきらきらと輝いていた。
ヨザキはバッグを肩にかける。
数秒、自身の教室を見渡した後、
静かに電気を消した。
教室を出ると、レヴァリアの空は茜色に染まっていた。
運河を渡る風が少し冷たい。
魔法灯が一つ、また一つと灯り始める。
「今日出るんだね」
オサリアが空を見上げた。
「現地調査は一日でも早い方がいいらしいからね」
ヨザキは肩に掛けた鞄の位置を直す。
「学府から急かされてるし」
「便利屋扱いされてんなぁ」
「酷いもんだよね」
四人は運河沿いの道を歩く。
夕食時だからだろう。
通りには買い物帰りの住民や、屋台から漂う香ばしい匂いが溢れていた。
「おじさん、それ二本!」
「まだ食うのか」
「次いつ来れるか分かんないでしょ!」
オサリアは魚串を頬張りながら満足そうに歩いている。
「嬢ちゃんは平常運転だな」
「緊張とかしないのかい?」
「するよ?」
そう言いながら二本目を食べようとしていた。
説得力は無かった。
やがて運河を抜ける。
街外れへ向かうにつれ、見慣れた景色も少しずつ疎らになっていく。
ヨザキはふと足を止めた。
振り返る。
夕焼けに染まるレヴァリア。
街を照らすように光る時計塔。
ゴンドラが流れる運河に映る灯り。
遠く聞こえる子供達の声。
見慣れた街。
生まれてから毎日のように歩いた景色だ。
「……」
数秒だけ眺める。
そして静かに前を向いた。
「行こうか」
誰も何も言わない。
ただ、三人がヨザキの隣へ並ぶ。
四人は再び歩き出した。
街外れの広場には、大きな定期馬車が停まっていた。
荷物を積み込む御者や旅人達の姿。
荷車を引く馬の鼻息。
出発前のざわめき。
その光景を見て、ヨザキが深くため息を吐いた。
「本当は飛空艇が良かったんだけどね」
「移動手段があるだけ良い。むさ苦しい地下よりはマシだ」
「それには同意だ」
イリアスは素直に頷いた。
オサリアは既に馬へ近付いている。
「おおー……」
「やめろ」
ペプシルが即座に首根っこを掴んだ。
「まだ何もしてない!」
「する顔だった」
「馬には安易に近づいちゃダメだよ。指くらいなら普通に持っていかれる」
ひょえ、と跳ねるように後退るオサリア。
「ほら、乗るぞ」
ペプシルが馬車へ向かう。
御者が人数を確認し、荷物を受け取った。
預ける際に、ペプシルだけは御者に不審な目で見られていたがどうにか耐えたようだ。
木製の扉を開く。
車内には既に数人の旅人が座っていた。
「おおー……」
オサリアはきょろきょろと辺りを見回した。
「完全にお上りさんだな」
「迷惑掛けるなよ」
「掛けないよ!」
オサリアは空いている窓際の席へ飛び込んだ。
「うわ、ふかふか!」
手で押したり撫でたりして、触り心地を確かめている。
「普通の座席だろ」
ペプシルは向かい側へ腰を下ろす。
イリアスは荷物棚へ鞄を放り込み、その隣へ。
ヨザキも最後に腰を下ろした。
木の軋む音がする。
車外では御者が最終確認をしているらしい。
やがて――
〈ガタン〉
車体が僅かに揺れた。
「お?」
オサリアが窓へ張り付く。
御者の声と馬の嘶きを合図に、車輪がゆっくり回り始める。
レヴァリアの街並みが少しずつ後ろへ流れていく。
「出たねぇ……」
オサリアが窓の外を眺めながら呟く。
「なんか、わくわくする」
その横顔は、宝探しへ向かう子どものように輝いていた。
「ラグナでは何が食べられるんだろ?」
「草じゃね?」
「安直すぎるよ…」
「木の実だろ」
「オーガニックだぁ」




