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欲しかったもの

柔らかな風が頬を撫でた。

遠くで水の流れる音が聞こえる。

どこか落ち着く音だった。


「……ん」


重い瞼をゆっくり開く。


白い天井。


薬品の匂い。


見慣れない景色。


「……ここは」

身体を起こそうとして、頭がくらりと揺れた。


「無理をしない方がいい」

耳あたりのいい、優しい声。

窓際に置かれた椅子へ腰掛けながら、ヨザキが本を読んでいた。

「……ヨザキさん」


「おはよう」


静かに本を閉じる。


その顔を見た瞬間、地下水路の記憶が一気に蘇った。


崩れた石柱。

血に染まった石畳。

動かないペプシル。

壁際に倒れたイリアス。


「っ!」


勢いよく身体を起こす。


「ペプシルは!?」

「生きてる」

「イリアスは!?」

「生きてるよ」

オサリアは大きく息を吐く。


「……よかったぁ」


そのまま枕へ沈み込みそうになる。

ヨザキは小さく笑った。


「ちなみに君も生きてる」

「それは知ってる」

「そうかい」


窓の外では朝日が運河を照らしている。


きらきらと揺れる水面が見えた。


「……うち、どれくらい寝てたの?」

「三日」

「三日!?」

思わず大きい声が出る。

案の定、頭がぐらりと揺れた。


「だから無理をしない方がいいと言ったんだ」

「いや三日って!」

「魔力を使い切った上に、更に無理やり絞り出したんだ。当然だろう?」

ぐうの音も出ない。

オサリアはしゅんと肩を落とした。


「怒ってない……?」

「誰が?」

「みんな。……ヨザキさんも」


ヨザキは少しだけ考える。

 

「僕は怒る資格がないかな」

「?」

「君が倒れるまで頼っていた側だからね。二人も、怒ってはいないと思うよ」

「ほんと?」

「呆れてはいるかもしれない。…特にイリアスは」

「なんで!?」

「治療する側が倒れるな、って」

「そっか……」

布団を頭まで被る。

そんな様子を見て、ヨザキは苦笑した。


「だが」

 

「君がいなければ全滅していた」


静かな声だった。

「だから少なくとも、感謝はされている」

「…僕からも。ありがとう」

ヨザキは頭を下げた。

 

「……」

オサリアは少しだけ目を伏せた。


地下広場の光景が蘇る。

 

血塗れの二人。

化け物。

恐怖。

震える手。


それでも、助けられたのなら。

…少しだけ救われる気がした。


その時だった。


〈コンコン〉


軽いノック音が響く。


「入りまーす」

聞き覚えのある声。

ガラガラ、と扉が開いた。


「お、起きてんじゃん」


イリアスだった。

片手を上げながら部屋へ入ってくる。


「イリアス!」

「よぉ、重症患者」

「そっちこそ!」

「俺はもう元気だ」


そう言いながら近くの椅子へ腰掛けた。

「身体は?」

「頭痛い」

「そりゃ三日寝てたからな」

イリアスは笑う。


「ペプシルは?」


その名前が出た瞬間、

イリアスとヨザキが僅かに視線を合わせた。

「ん?」

オサリアが首を傾げる。

「いや別に」

イリアスは咳払いした。

「多分その辺じゃね?」

「その辺?」

「その辺」

「雑だなぁ……」

オサリアは苦笑した。


窓の外では運河の水が静かに流れている。


しばらく他愛のない話が続いた。


塾の手伝いをした二人の話。

ヨザキが三日間ずっと病室へ顔を出していた話。

イリアスが暇潰しに魔導病院の設備を勝手に観察して、看護師に追い出されかけた話。

「追い出されてねぇよ」

「追い出されかけただろ」

「ちょっと裏側見せてくれって言っただけだ」

「病院だぞ」

「研究施設でもあるじゃん」

「だからダメなんだよ」

いつもの調子だ。

そのやり取りを聞いているうちに、オサリアの肩から少しずつ力が抜けていく。


本当に終わったんだ。


あの地下水路から、ちゃんと帰って来られたんだ。

そう思った時だった。


〈ガラッ〉


何の前触れもなく扉が開いた。


「――あ」


オサリアが顔を上げる。


入って来た人物も、一瞬だけ動きを止めた。


金髪。


青い瞳。


見慣れた仏頂面。


ペプシルだった。


部屋の空気が少しだけ固まる。


イリアスがニヤリと笑った。


「お、噂をすれば」

「してないでしょ」


ペプシルの視線はオサリアから逸らされている。

何故か手には紙袋を持っていた。


「ペプシル!」


オサリアがぱっと顔を明るくする。

その反応に、ペプシルは露骨に顔をしかめた。


「……うるせぇ」

「元気!?」

「見りゃ分かるだろ」

「怪我は!?」

「治った」

「よかったぁ……!」

オサリアが心底安心したように笑う。

 

ペプシルは何か言おうとして。


やめた。


代わりに小さくため息を吐く。


「三日も寝やがって」


ぶっきらぼうな声だった。


オサリアは肩を縮める。


「ご、ごめ――」

「謝るな」


言葉が被った。

オサリアが目を瞬く。

ペプシルは窓の方を向いたまま続ける。


「お前が謝る話じゃねぇだろ」


「……でも」


「お前が居なかったら」


そこで言葉を切る。


青い瞳が少しだけ伏せられた。


「……俺もイリアスも死んでた」


病室が静かになる。

イリアスも何も言わない。

ヨザキは窓の外へ視線を向けていた。


「だから」


ペプシルは頭を掻く。

どうにも居心地が悪そうだった。


「その……」


珍しく言葉に詰まっている。

オサリアは黙って待った。


数秒。


いや、十秒近く。


やがてペプシルは観念したように紙袋を差し出した。


「これ」


「?」

オサリアは紙袋を受け取った。


中を覗き込む。


数秒。


ぱちりと目が見開かれた。


「え…お刺身……!」


薄切りにされた魚が綺麗に並べられていた。

表面には薄い青白い魔法膜が張られており、鮮度保持の術式が刻まれている。


市場で見た、水竜鱒だ。


ヨザキは目を瞬いた。

イリアスは予定調和というようにニヤけている。


「いや君、それ」

「うるせぇ」

「三日間ずっと外出していた理由はそれ?」

「うるせぇ」

「人気とは知らずにねぇ。毎日売り切れてたもんなぁ」

「黙れ」

「並んでたもんなぁ」

「殺すぞ」


オサリアは袋とペプシルを交互に見た。


そして。


「……うちのため?」

静かに聞く。


ペプシルは数秒黙った。


それから顔を逸らしたまま答える。


「お前、食いたそうだったから」


市場での一日。


魚串。


刺身屋の前。


そんな光景が頭をよぎる。


オサリアは少しだけ目を潤ませ――そして笑った。


「ありがとう」


その笑顔を見た瞬間。

ペプシルは露骨に嫌そうな顔をした。

「だからそういう顔すんな」

「どんな顔?」

「知らん」

「知らないの?」

「知らんって言ってるだろ」

イリアスがとうとう吹き出した。

ヨザキも肩を震わせている。

病室へ笑い声が広がる。

窓の外では運河が朝日に輝いていた。


 

「そうだ」


ヨザキが鞄から封筒を取り出した。


「君の分の依頼達成報酬」

「えっ」

オサリアが目を丸くする。

「忘れてた」

「忘れるなよ」

イリアスが呆れたように言った。


「二人にも伝えたが、今回の討伐依頼は特例扱いになった」

「特例?」

「想定より遥かに危険な個体だったからね。レヴァリアのお偉いさんがたが頭を下げに来たよ」

「報酬も上乗せされている」

ヨザキは肩を竦めた。

 

「それと」

ヨザキはもう一つ、小さな箱を取り出した。

中には黒い結晶が収められている。

地下水路で見たものと同じだ。

「例の魔物の残骸だ。調査班へ提出した」

ヨザキは結晶を見つめる。

「ただ、今のところ正体は不明らしい」

「過去の文献にも類似例すらない」

「先生でも分かんねぇのか」

イリアスが聞く。

「魔物は専門外だからね。基礎知識しか無いさ」

そう言いながらも、ヨザキの表情はどこか重かった。

「各地で魔物被害が増えている件とも関係している可能性がある」


病室が少し静かになる。

窓の外では運河の水が揺れていた。


「そういえば」


不意にオサリアが顔を上げる。


「ヨザキさん」

「ん?」

「なんで地下水路に来れたの?」

 

その場の空気が僅かに止まった。

 

イリアスの視線がヨザキへ向く。

ペプシルも黙ったまま聞いている。


「……ああ」


ヨザキは小さく息を吐いた。

眼鏡の位置を直し、観念したように話し始めた。


「僕には…」


カチ、カチと、病室の時計の音だけが響く。


「未来視がある」



「……は?」


最初に声を出したのはペプシルだった。


「未来視?」

「未来視」

ヨザキはあっさり頷く。

イリアスは意外そうに眉を上げた後、真剣な眼差しでヨザキを見る。

 

「たまに…未来が見えるんだ」

「たまにって」

ペプシルが眉をひそめる。

 

「そんな適当な説明あるか?」

「実際そうなんだから仕方ないだろう」

ヨザキは肩を竦めた。

 

「見たい時に見られる訳じゃない。予兆も曖昧だし、見える内容も断片的だ。何が起こるか、自身で推測しなければならない」

「じゃあ地下水路の件も?」

オサリアが聞くと、ヨザキは頷いた。

 

「君達が出掛けた日の夕方だ」

紫色の瞳が少し伏せられる。

 

「血だけが見えた」


病室が静かになる。


「誰の血かも分からない。場所も分からない。ただ血が見えた」

「それで俺達の所に来たのか」

ペプシルが腕を組む。

 

「…来ない方が後悔しそうだったからね」

「外れてたなら、僕はこっそり帰ってたさ」

ヨザキは苦笑した。


「結果的には正解だったみたいだけど」


「……」

ペプシルは何も言わない。

地下水路で砕け散った障壁を思い出したのだろう。

疑う理由はなかった。


「ちなみに」


イリアスが横から口を挟む。


「こいつの未来視、今んとこ外れたとこ見たことねぇ」

「やめてくれ」

ヨザキは露骨に嫌そうな顔をした。

 

「でも当たるんでしょ?」

オサリアが聞く。

 

ヨザキは少しだけ黙る。

それから窓の外へ視線を向けた。


「……当たるから嫌なんだよ」

その声だけが、少し重かった。


病室に沈黙が落ちる。


窓の外では運河の水が静かに揺れていた。


「……すごいね」

ぽつりと、オサリアが呟く。

 

ヨザキは目を瞬く。

「そうかい?」

「うん」

オサリアは素直に頷いた。

「だって、うちやペプシル達は、そのヨザキさんの未来視のおかげで助かったんだよ」


沈黙。


ヨザキは少しだけ目を伏せた。


「……そう単純な話じゃないさ」

「そうかなぁ」

オサリアは首を傾げる。

 

「だって、見えてなかったら来なかったでしょ?」

「…それは……」

「だったら助けてくれたじゃん」


あまりにも真っ直ぐな言葉だった。

ヨザキは返事に困る。


未来視で救えなかった人間もいる。


見えてしまった未来もある。


変えられなかった結末もある。


だが、目の前の少女はそんな事を知らない。

ただ自分達が助かった事実だけを見ていた。


「……ありがとう」


オサリアが笑う。

いつものような大きな声ではない。

ただ、心から嬉しそうな声だった。


「うちは、ヨザキさんが来てくれて嬉しかったよ」

ヨザキは目を瞬く。

「……ほらな、そういう奴だって言ったろ」

イリアスはどこか嬉しそうな表情を浮かべ、ヨザキの肩に手を乗せる。


ヨザキは小さく息を吐く。


そして苦笑した。


「……君は本当に、調子が狂うね」

それでもどこか、嬉しそうに笑った。




翌日。


オサリアの体調は驚くほど回復していた。


「若いってすごいですねぇ……」

診察を終えた看護師が半ば呆れたように呟く。

「もう大丈夫なの?」

「安静にしていればね。ただし無理は禁物です」

そう言いながらも、看護師の表情はどこか苦笑混じりだった。

三日間眠り続けていた少女が、一日で病院中を歩き回れるほど回復しているのだから無理もない。

「退院許可も出ています」

「やった!」

オサリアは思わず両手を上げた。

「ただし」

看護師が人差し指を立てる。

「しばらくは無茶をしないこと」

「はーい!」

返事だけは元気だった。こりゃ聞かないやつだと看護師も半ば諦めていた。


病院の玄関を出る。


柔らかな風が運河を渡ってきた。


太陽の光を受けて、水面がきらきらと輝いている。


「外だぁ……!」

オサリアは大きく伸びをした。

身体の奥に残っていた重さも、ほとんど消えている。


「元気そうで何よりだな」

イリアスが肩を竦める。

「昨日まで重症患者だったとは思えねぇ」

「うち、強いからね!」

「治療する側が言うな」

ペプシルが即座に突っ込んだ。

「でもほんとに大丈夫そうだね」

ヨザキも少し安心したように笑う。


四人は運河沿いの道を歩き始めた。


朝のレヴァリアは穏やかだった。


行き交うゴンドラ。

石橋を渡る学生達。

魔法器を抱えた研究者達。


水の音が街全体へ静かに響いている。


「そういやヨザキ」

イリアスが欠伸を噛み殺しながら聞く。

「今日は授業あんの?」

「あるよ」

「休みにしなかったのか」

「何故?」

「いや、重症患者迎えに来てたし」

ヨザキは不思議そうな顔をした。

「迎えなんて一時間も掛からないだろう?」

「真面目だなぁ……」

「生活が掛かってるからね」

そんな話をしているうちに、見慣れた塾の建物が見えてきた。

運河沿いに建つ石造りの建物。

開け放たれた窓。

中から子供達の声が聞こえてくる。


「――あっ!」

窓際にいた子供がこちらへ気付く。

「先生帰ってきた!!」

その一声で教室が爆発した。

わっと子供達が飛び出してくる。

 

「銃の先生!今日は何の銃見せてくれるのー!?」

真っ先にイリアスへ群がる子供達。

「先生!この前のやつもう一回見たい!」

「爆発するやつ!?」

「爆発はしねぇよ!」

「したじゃん!」

「事故だ事故!」

イリアスが笑いながら子供達の頭を撫でる。

 

その横では、

「こわいせんせー…」

と小さな女の子が恐る恐るペプシルの服を引っ張っていた。

「……誰が怖い先生だ」

「だって顔こわいもん」

「……」

周囲の子供達がくすくす笑う。

「宿題……」

女の子がおずおずとノートを差し出す。

ペプシルはため息をつき、面倒そうな顔のまま受け取るとさらさらと採点していく。

間違っていたところは解き方まで書いてくれていた。

「わあ!」

「ありがとう!」

女の子は嬉しそうに駆けていく。

ペプシルは眉間を押さえた。

「何で俺が教師みたいな事を……」

「向いてるんじゃね?」

イリアスが笑う。

「向いてねぇ」

即答だった。


「ねえねえ、お姉さんだれー?」

数人の子供はオサリアの方に来た。

「うちはオサリア!」

「オサリア!オサリアせんせーだねー!」

「先生!?」

オサリアがぱちりと目を瞬く。

「うち、先生なの!?」

「せんせー!」

「せんせー!!」

子供達が口々に呼ぶ。

「えへへ……」

オサリアは嬉しそうに頬を緩めた。


「コイツにゃセンセイはムリだろうよ」

イリアスは人差し指を曲げ、コンコンと軽くオサリアの頭を小突く。

「教えれんのは食べ物の知識ぐらいじゃね?」

「失礼だな〜!うちはイリアスには無い道徳心を教えてあげれるもーん!」

「言うようになったじゃねえか」

イリアスは思わず吹き出した。


暫くして、ヨザキはパン、と手を鳴らす。

「はい、皆そろそろ席に着いてね。先生は増えたけど、授業は僕が受け持ってるんだからね」

子供達が「は〜い」と返事をすれば、各々席に着き始めた。


先程までの騒がしさが嘘のように、教室はすぐに静けさを取り戻す。


ヨザキは教壇へ立った。

黒板へ流れるように文字を書き込みながら授業を始める。

その様子を、三人は教室の後ろから眺めていた。


「……やりづらい」


ぽつりと漏れたヨザキの呟きに、イリアスが吹き出した。

「ペプシル、やけに真剣に聞いてるね」

「知識は使わねえと忘れるからな。いい機会だ」

「忘れる知識は普段使わねえってことだろ?」

「ふとした時に役立つんだよ」

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