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その瞳は何を映す

化け物は悲鳴を上げながら数歩後退した。


〈ギィィィッ!!〉


その足元へ、幾重もの魔法陣が青白い光を放って展開される。

地下広場の床一面へ広がり、瞬く間に巨大な障壁を形成した。


〈ドォンッ!!〉


黒い腕が叩きつけられる。

障壁が激しく震え、衝撃が足元から伝わった。


だが破れない。


化け物は苛立つように再び腕を振り下ろした。

 

〈ドゴォッ!!〉

 

「長くは持たない!!」


ヨザキの声がした。

 

肩で息をしている。

額には汗を滲ませており、昨日のような余裕はどこにも無い。

ヨザキは化け物から目を離さないまま叫んだ。


「今のうちに二人を回復して!!」


オサリアは反応できない。


耳鳴りがする。視界が揺れる。


「全員死ぬぞ!!」


強い声。


その声でようやく意識が戻る。


「っ……!」


床を見る。


血。


ペプシル。


イリアス。


二人とも動かない。


「早く!!」


障壁へ新たな亀裂が走った。


〈バキッ〉


化け物の腕が振るわれるたび、白銀の光が削られていく。

 

「……あ」


震える足で走る。

最初に辿り着いたのはペプシルだった。


右腕はありえない方向に曲がり、脇腹はえぐれ今もそこから血が止まらない。

どう見ても重傷だ。

微かに胸を上下している。


「ペプシル……!」


両手を重ねる。


「お願い……」


強く、強く手を握る。

それに応えるように、眩しい光が溢れ傷口がゆっくり塞がっていく。


砕けていた皮膚、曲がった骨、裂けた肉、流れていた血。

少しずつ、元の状態に戻っていく。


「お願い……お願い……!」


光はさらに強くなる。


 

――ペプシルの指先が僅かに動いた。


次の瞬間。


「げほっ……!」


血混じりの咳。

青い瞳が薄く開いた。


「……ペプシル!!」

 

ペプシルは焦点の合わない視線で周囲を見渡す。

「……オサリア」


「よかった……!」


オサリアはその場へ崩れ落ちそうになる。

そのまま治癒を続け、傷が目立たない程度にまで回復していく。


〈ドゴォンッ!!〉


安心したのもつかの間、障壁が大きく揺れた。

ヨザキが歯を食いしばる。

 

「まだだ…っ!!」


〈バキバキッ!!〉


白銀の壁には無数の亀裂。

向こう側では化け物が狂ったように暴れている。


「イリアスも!!」


その声に弾かれるように、オサリアはイリアスの方へ走り出す。

「イリアス……!」

オサリアは膝をついた。

イリアスは壁際に崩れ落ちていた。

足元にかけて血で濡れており、呼吸は浅く顔色も悪い。

 

再び両手を重ねれば、突き刺さった破片が押し出され、内出血で変色していた肌が元の色へ戻っていく。

だが、さっきより治りが遅い。

 

光を流すたびに指先から感覚が消えていく。

視界の端が黒く滲む。

胸が苦しい。

 

「早く……」


光が強くなる。


――イリアスの指先がぴくりと動く。


「っ……げほっ……」

小さく咳き込む。

オサリアの顔がぱっと明るくなった。

「イリアス!」

さらに光を流し込む。


薄く目が開く。

 

「……いってぇ」

「よかったぁ……!」


オサリアは泣きそうな顔で笑う。

イリアスは顔をしかめながら身体を起こした。


ペプシルも剣を支えに立ち上がる。

まだ足元はふらついている。


「……戦えるか」


誰へ向けた言葉でもなかった。


「無理だろ」


イリアスが即答した。


「俺は今起きたばっかだぞ」

「俺もだ」

「じゃあ聞くなよ」


こんな状況だというのに。

いつものやり取りだった。

 

二人とも生きている。

ちゃんと喋っている。

 

その瞬間。


〈ギギギッ……!!〉


白銀の障壁が大きく軋む。

三人が同時に振り返った。


ヨザキの足元の魔法陣が激しく明滅している。


「…時間は稼いだろ……!」


障壁全体へ蜘蛛の巣のような亀裂が広がった。

向こう側では化け物が狂ったように腕を叩きつけ続けている。


〈ドゴォンッ!!〉


〈ドゴォンッ!!〉


〈グアアアァァァッ!!!〉


衝撃の度に広場が揺れ、天井から砂と瓦礫が落ちてくる。

化け物は激怒しており、咆哮を何度もあげていた。


〈ピキッ〉


何かが砕ける音が響く。

ヨザキの表情が変わった。


「下がれ!!」


次の瞬間、


〈パキーンッ!!〉


砕け散った光の破片が宙を舞う。

その向こうで、化け物がゆっくりと顔を上げた。


〈ギィィィィィ……〉


裂けた口から漏れる不快な音。


まるで笑っているようだった。


「…でぇ?こっからどうすんだい、”ヨザキ先生”」

イリアスは手早く銃をリロードする。

「…さあね。僕も初めて見る魔物だから」

ヨザキは苦い顔をした。

「おいおい、先生が分かんねえなら誰が分かるんだよ」

「知らないものは知らないさ」


〈ギィィィィ……〉


化け物が一歩踏み出す。

ズルリ、と黒い腕が石畳を削った。


四人は自然と構える。

ヨザキはじっと、何かを確かめるように化け物を見る。


「……」


裂けた口、黒い結晶、脈打つ瘴気。

そして――化け物の視線。

視線と呼べるものかすら分からない。


だがそれは、最初から変わっていなかった。


〈ギィ……〉


化け物の首が不自然な角度で捻じれた。

黒い裂け目のような口がゆっくり開く。


その先にいたのは――オサリアだ。


ヨザキは眼鏡を押し上げた。

「オサリアちゃんを追っている」


沈黙。


オサリアの肩が僅かに震える。


「多分偶然じゃない。僕達は……邪魔なだけだ」

ヨザキは断言した。

 

〈ギィィィィィ……〉


化け物が嬉しそうに口を震わせる。

また一歩、踏み出す度に空間が揺れる。

 

「……はぁ?なんでだよ」

イリアスが顔をしかめた。

「知らない」

ヨザキは首を振る。

「だが一つだけ分かる」

 

「…こいつはオサリアちゃんの何かに反応してる」


沈黙。


オサリアは唇を噛む。

自分のせいで皆が傷付いていると知ってしまった。

 

「……なら」


オサリアが小さく呟いた。

三人の視線が集まる。


「うちが逃げる」


「は?」


イリアスが眉をひそめた。

オサリアは化け物から目を離さない。


「うちのせいだと思うんだ」

震える手を握り締める。


「だったら、うちが囮になれば――」

「却下だ」


ペプシルだった。


「まだ最後まで言ってない」

「却下」

「だから――」

「おい前!!」

 

イリアスの怒号と同時に。

 

化け物は腕をオサリアめがけて振り下ろす。

 

〈ドゴォッ!!!〉


黒い腕と剣が激突した。


「ぐっ……!」


ペプシルの足が地面を滑る。

まだ治りきっていない身体だ。

真正面から受け止められるはずがない。

それでも退かない。


「お前を狙ってる?」


黒い腕を押し返す。


「だから囮になる?」


さらに力を込める。


「んなの――却下だっつってんだろ!!」


〈ガキィィンッ!!〉


火花が散った。

化け物の腕が僅かに弾かれる。


〈パキャッ〉


音がした。


「……ん?」

イリアスが目を細めた。


砕けた結晶の隙間。

ほんの一瞬だけ、その奥で赤黒い何かが脈打った。


――心臓のように。


「ペプシル!!」

イリアスが叫ぶ。

「右腕だ!!」

「あぁ!?」

「結晶の下に何かある!」

 

化け物は腕を引き戻し、黒い結晶が再び右腕を覆い隠した。


「見えねぇ!」

「今の絶対見た!」

イリアスは銃を構える。


「核だ!」


ヨザキの表情が変わった。

「魔力コアか……!」


〈ギィィィィィッ!!〉


化け物が激しく咆哮する。


「そりゃあ、硬いわけだ」

紫色の瞳が細まる。


「結晶は鎧だ!それをさっきのように剥がしてコアを露出させなきゃいけない!」


化け物はオサリアめがけて一直線に突進する。

「…っ」

力を振り絞り、ふらつく身体を動かして避ける。

「攻撃方法を変えてきたな」

「腕を守るためなんだろ」

ヨザキは続けた。

「通常の魔物と同じ、コアを破壊すれば生命活動は終わるはずだ!」

「簡単に言うな…!」

ペプシルは腕に斬りかかる。


「イリアス!!」

「分かってる!!」


銃口が跳ね上がる。


〈バンッ!!〉


火花が散る。


だが、化け物は反射的に腕を引いた。

弾丸は黒い結晶を削っただけだ。


「まだ見えねぇ!!」

「なら――見せてやる!!」

ペプシルが地面を蹴った。

爆ぜるような踏み込みで、一直線に懐へ飛び込む。


〈ギィィィッ!!〉


黒い腕が振り下ろされる。


速い。


だが、ペプシルは止まらない。


身体を捻る。


紙一重。


頬を裂く風圧だけが通り過ぎた。


「らぁぁぁっ!!」


剣閃。


〈ガキィィンッ!!〉


黒い結晶が砕け散る。

だが足りない。


浅い。


化け物が咆哮する。


反対の腕が唸りを上げて迫った。


「ペプシル!!」


オサリアの悲鳴。


避けられる。


だが避ければ届かない。


――ペプシルは踏み込んだ。


〈ドゴォッ!!〉


凄まじい衝撃が肩を打つ。


骨が軋む。


肺から空気が押し出され、視界が一瞬白く弾ける。

 

それでも。


退かない。


「邪魔……だッ!!」


剣を振るう。

肩から嫌な音がした。

それでも剣を握る手は離さない。


一閃。


二閃。


三閃。


怒涛の連撃。

黒い破片が嵐のように舞った。


結晶が剥がれ、砕け、弾け飛ぶ。


結晶の奥。


ドクン。


心臓のように脈動する赤黒いそれが、初めて外気へ晒された。


〈ギィィィッ……!?〉


初めて、化け物が苦痛の声を上げる。


脈打つ塊。

生々しく蠢く核。


「イリアスッ!!!」


咆哮が地下広場を震わせる。


だがイリアスは既に照準を合わせていた。


呼吸を止める。


揺れる標的ターゲット


そんなものは関係ない。


狙う場所は一つ。


「――チェックメイトだ」


〈バァンッ!!!!〉


弾丸が一直線に駆け抜けた。


化け物が反応する。


腕を戻す。


だが――遅い。


弾丸は赤黒いコアへ吸い込まれた。


一瞬。


世界が静止する。


そして――


〈ギィ――――〉

 

〈パキッ〉


小さな音。

それが始まりだった。


〈パキパキパキパキッ!!〉


コアに刻まれた亀裂は、全身へ広がる。


黒い結晶。


棘。


腕。


胴体。


全てが崩れていく。


化け物は信じられないというように自らの腕を見た。


〈ギ……〉


その声すら崩れ落ちる。

黒い破片が雪のように舞った。


〈ギィィィィィィィィィィィッッッ!!!!〉


最後の絶叫。


地下広場が激しく震える。


次の瞬間。


〈ドォォォォォンッ!!!〉


化け物の身体が内側から砕け散った。


衝撃波が吹き荒れる。

粉塵が舞い、黒い結晶が雨のように降り注いだ。


誰も動けない。


轟音だけが残る。


やがて。


静寂。


――ぽたり。


天井から落ちた雫が石畳を叩いた。


ペプシルは剣を地面へ突き立て、肩で荒く息を吐いた。


「……倒したか」

剣へ体重を預ける。

イリアスは銃を下ろした。

「……みたい、だな」


オサリアは、何も言わずにふらりと前へ踏み出した。


足に力が入らない。

  視界が揺れる

それでも

ペプシルの元へ向かう。


「おい」

ペプシルが眉をひそめた。

オサリアは震える手を持ち上げる。

両手を重ね、淡い光が滲む。

「もういい」

光がゆっくりと、ペプシルを包み込む。

「オサリア」

 

琥珀色の虚ろな目でただ祈る。


弱々しい光は、傷付いた肩を撫でるように流れ込み、砕けかけていた骨を繋ぎ、裂けた筋肉をゆっくりと修復していく。


ぽたり。


赤い雫が石畳へ落ちた。


ぽたり。


また一滴。


オサリアの鼻から流れた血だった。


「聞いてんのか」

 

ペプシルは、パシッ、とオサリアの手首をつかみ離させる。


「……?」


オサリアの身体がふらりと傾く。


「おい!」


ペプシルが咄嗟に肩を掴んだ。


力が入っていない。

まるで糸が切れた人形だった。

 

「オサリア!」

首筋に手を当てる。

微かに脈打つのを確認した。


「…魔力が尽きたんだ」


ヨザキが歩み寄る。

崩れた結晶を踏む音だけが静かに響いた。

「その状態で無理やり魔法を使えば、当然オーバーヒートする」

「身体が限界を迎えただけさ」


ヨザキはしゃがみ込み、オサリアの瞼を軽く持ち上げた。


「本来ならもっと早く倒れててもおかしくなかった」


「……」


ペプシルの視線がオサリアへ落ちる。


血の気の失せた顔。鼻血。

後回しにしていた自身の傷。


それでも最後まで回復魔法を止めなかった。


「馬鹿だな」


小さく吐き捨てる。


オサリアは何も言わない。


既に眠るように意識を失っていた。


「……帰るぞ」

静かになった地下水路で、やけに声が響いた。

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