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47.失踪

 翌日の月曜日、二〇一五年十一月九日、昼少し前にG製薬会社つくば研究所の佐藤総務課長からつくば東署の鹿子木に電話が入った。

「鹿子木さんですか。実は弊社の江曽島靖が遺書めいた文書を自分のパソコンに残して失踪したようなのです。彼を助けてください」

「えっ、江曽島が失踪した! 事情を簡潔に話してください」

「いつもと同じように朝九時頃出社した江曽島は、他の人たちの噂話により片桐博光が出頭したことを初めて知ったようなのです。その後、何を言っても上の空の返事しか返ってこなくなり、ずっと自分のパソコンに何かをインプットしていたそうです。十時半くらいまでは自分の机の前にいたことは同じ室の研究員が確認しているのですが、十時四十五分頃には研究室から姿が見えなくなっていたということです。パソコンが開いたままになっていたため、その研究員も気にしていなかったそうですが、たまたま江曽島の傍に設置してある電話が鳴り、受話器を取ろうとして江曽島のパソコンに触ってしまったのです。すると、画面が明るくなり、直前に江曽島が打ち込んだと思われる文書が読めるようになったのです」


「その文書の内容を早く教えてください」

「はい。要するに、岩宿副本部長を崖から転落させたのは片桐ではなく、自分である。岩宿さんと同じような死に方で罪を償うつもりだ、という内容でした」

「『岩宿と同じような死に方』ですって。どこか高い所から飛び降りるつもりだな。佐藤課長には場所の心当たりはありませんか?」

「……、いやー、私には全く思い付きません」

「分かりました。江曽島に飛び込ませないためにも緊急手配して身柄確保しなければなりませんが、場所が分からなければ、動きようがありません。とりあえず、神尾さんを車に乗せてそちらに行きます。佐藤課長、我々がそちらに着くまでに江曽島が飛び降りそうな場所について社員の皆さんから情報を集めておいてください」


 鹿子木は直ぐに洋介に電話すると、筑波ホビークラブに直行した。鹿子木の車が到着したのを見て飛び出してきた洋介に向かって鹿子木は大声で叫んだ。

「神尾さん、とにかく急いで車に乗ってください。走りながら状況をご説明しますから」

 慌てて洋介が車に乗ると、G製薬会社つくば研究所に向かった。

「神尾さん。先ほど簡単にお話ししましたように、江曽島が失踪したのです。どこか高い所から飛び降りるつもりのようですが、場所が特定できないのです。とにかくG製薬会社つくば研究所に行きます。それから、これが江曽島の顔写真です。神尾さんは江曽島と会ったことはなかったですよね?」

「はい。会っていません。鹿子木さん、フグ毒事件の時の樺戸大輔さんの二の舞を踏んではいけません。何としても江曽島さんを探し出さなければ」

 洋介は強張った顔を鹿子木の方に向けて真剣な眼差しでそう言った。車を駐車場に入れると、そこには既に佐藤が待ち構えていて、車が停車しないうちに運転席の窓に近づき、鹿子木に声を掛けた。

「鹿子木さん、江曽島と親しい人たち数人に訊いてみたのですが、誰にも彼が飛び降りそうな場所の見当は付かないそうです。江曽島は東京下町で生まれ育ったそうで、故郷と言える所は特にないんだそうです。本当に困りました」

 佐藤の言葉を聞いていた洋介が、何かを思い付いたように大きな声で言った。

「鹿子木さん、片桐さんなら知っているかもしれません。直ぐにつくば東署に電話してみてください」

「はい。そうしてみます」


 鹿子木は電話口に出た片桐にいきなり一番知りたいことを質問した。

「江曽島が飛び降り自殺するとしたら、どこからやるか分かりますか?」

 突然とんでもない質問を受け、酷く動揺した様子の片桐ではあったが、ほんの少しの間必死の形相で自分の記憶を物凄い速度で検索した。

「あっ、そう言えば、江曽島君は竜神峡の紅葉がとても気に入っていて、よく私に話してくれていました。今はちょうど紅葉がきれいな時期ですから、可能性はあると思います」

「有難う。他の場所を思い付いたら、直ぐに傍にいる刑事に言って、私に電話で知らせてください」

 そう言うと、鹿子木は佐藤にも車に乗ってもらい、竜神峡目指して走り出した。


 竜神峡とは、茨城県奥久慈自然公園の中にある、竜神川の浸食でできた常陸太田(ひたちおおた)市の渓谷である。竜神ダム湖の上に架けられた全長三七五メートルの歩行者用吊橋、竜神大吊橋から眺めると、黄、赤、緑の色の塊が複雑に絡み合う紅葉が楽しめる素晴らしい場所であり、毎年十一月には『紅葉まつり』が開催される。

 竜神大吊橋はダム湖面から百メートル程の高さにあり、バンジージャンプも行える場所なので、江曽島が飛び降りる可能性は十分にあった。


 車はだらだら坂を上りきって竜神大吊橋の袂にある駐車場に到着した。車を停める前から沢山駐車してある車のナンバーをチェックしていた佐藤が大声を出した。

「あっ、あそこに江曽島の車があった!」

「佐藤さんは江曽島さんの車のナンバーをご存知なんですか?」

 驚いた洋介が訊いた。

「はい。これでも私は総務課長です。社員の通勤用車両の管理も私の任務のうちの一つなんです。江曽島が失踪した後、番号を調べておきました」

「それは良かった。江曽島がここに来ていることに間違いはないですね。鹿子木さん、手分けして探しましょう」

「はい、佐藤課長もお願いしますね」

 そう言うと、鹿子木は僅かに空いていた駐車スペースを見つけ、急いで車を入れた。月曜日だと言うのに紅葉のベストシーズンであったため、駐車場や大吊橋の上は大変な混雑ぶりであった。

「先ず、飛び降りることができそうな場所から探しましょう。大吊橋の上は人が溢れているので、とにかく三人で最初に調べましょう」

 車から飛び降りるように外に出ながら洋介は叫んだ。

「佐藤課長、あなたが江曽島のことを一番知っているんだから、よろしく頼みますよ」

 鹿子木は大声で言った。

「はい、分かっています」

 既に大吊橋の方向に走り出していた佐藤は観光客の顔を必死の形相で見ながら答えた。


 十分が経過した。まだ江曽島の姿は確認できていなかった。三人の顔には焦りの色が見え始めた。橋を渡り切った所で自然に三人が集合するような形になった。

「困りました。江曽島の姿は見えませんね」

 佐藤は引きつったような声を出した。

「少なくともこの大吊橋の上には江曽島さんはいませんね。ここから湖面に降りる道があります。佐藤課長、私と一緒に探してください。私は江曽島さんの実物を見たことがないので、自信がありませんから。鹿子木さんは橋の反対側の飛び込めそうな場所を探してください。お願いします」

 洋介の要請に,他に打つ手が浮かばない二人は素直に従った。


 V字形の渓谷を百メートルも下る道である。少し下っては折り返すつづら折りの細い登山道のような傾斜を下りながら他の人の顔を確認して進むので、かなり危ない歩き方であった。もう何人の知らない人の顔をじろじろと見たであろうか。流石の洋介も目に異様な疲れを感じた。佐藤は本当に心細くなったのであろう、涙目になりながら洋介に言った。

「神尾さん、下の湖の捜索をお願いした方が良いのではないのですか」

「何を言っているのですか。可能性がある限り江曽島さんが飛び降りる前に身柄を確保するという強い気持ちを持ってください。今が非常に大事な時間なのですから」

 洋介は自分自身にも向けて励ましの言葉を発した。


 橋の袂から湖面までの半分くらい下った所は少し広くなっていて、立ち止まって美しい景色が見られるようになっていた。更に下っていける道から最も離れた所に一人の男が(うずくま)っているのに洋介は気付いた。既に下りかけていた佐藤の腕を掴み、洋介は小声で訊いた。

「佐藤課長、あそこにいる人は江曽島さんじゃありませんか?」

「ええっ、どこですか?」

「ほら、あそこの隅で蹲っている人ですよ。もし江曽島さんだったら、腕を掴むまで声を掛けないでください」

「えーと……、あっ、江曽島に間違いありません」

 二人は普通の観光客が湖面の向こう側に広がる美しい紅葉に見とれているようにして、洋介が右側から、佐藤は左側から江曽島に近付いた。二人が同時に江曽島の腕を掴んでから、佐藤が声を掛けた。

「江曽島君、早まらないで」

「もう大丈夫ですよ」

 洋介も相手を興奮させないために静かにかつ力強く言った。

 一瞬、驚いた表情を見せて立ち上がった江曽島ではあったが、直ぐに自分の置かれている状況が分かったらしく、安心したような目付きになった。

「一緒につくばに帰りましょう」

 洋介の言葉に小さく頷いた江曽島には抵抗する様子は全く見られなかった。洋介は江曽島を掴んだ手を離さずに片手で鹿子木に電話した。

「ああ、鹿子木さんですか。江曽島さんを無事見つけることができました。これから上に登り、大吊橋を渡ってそちら側に行きますから、鹿子木さんは橋の袂で待っていてください」

 橋の上で刑事である鹿子木の顔を見た時、江曽島に気持ちの変化が生じるのを恐れた洋介の判断であった。


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