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48.供述

 江曽島は竜神峡からつくば東署に戻るまでの間、ずっと黙りこくっていた。車に乗り込んだ直後、佐藤は江曽島にいろいろと質問していたが、全く返答が得られなかったので諦めたようだった。鹿子木は署に戻ったら尋問をどのように行うかということを考えながらほぼ運転に集中していた。洋介はこの状況では鹿子木の尋問に任せるしかなさそうだと感じ、口を開くことはなかった。


 その日の夜、つくば東署の取調室で鹿子木は江曽島の前に座っていた。

「江曽島さん、少しは落ち着きましたか?」

「はい、まあ、何とか」

「訊きたいことは山ほどあるけど、先ずは本当にあなたが岩宿さんを転落させたのですね?」

「私が直接手を出してあんな図体のでかい岩宿を突き落とした訳ではありませんけど」

「どういう意味ですか?」

「岩宿は太陽光に目が眩み、バランスを崩して崖の上から転落していったのです」

「岩宿さんは何故目が眩んだんですか? あなたが岩宿さんの目が眩むように仕向けたのではないのですか?」

「まあ、そういうことですけどね」


「それでは、順を追って話してもらいましょうか。先ず岩宿さんを誘き出す方法としてクイズを二問出しましたね」

「岩宿は有名大学出身者に非常に強い対抗意識があったのです。とにかく何に関してでも彼らに勝てば、それで自己満足させられたみたいです。仕事に関することは勿論のこと、クイズや頓智、それから、ダジャレでさえ、岩宿にとっては彼らに対する勝負事になり得たのです。異常とも言える執着心で取り組むので、それを利用したのです」

「なるほど。でもあの問題はかなり難問だったと思いますけど、岩宿さんには解けると思ったのですか?」

「あの男は何が何でも問題を解いてやってくるという確信がありました。世界初のメカニズムによるアルツハイマー治療薬という良い餌を撒くことができたので」

「何故問題を二つ用意したのですか? 一つ目の問題に食いついて来たらそれで良かったのではないのですか?」

「岩宿という男は、()されれば焦らされる程、目的物が欲しくなる性格だったからです。本当に欲しい物に集中するあまり、他の事が見えなくなり、判断力も著しく落ちることが分かっていたからです」

「そうですか。それでは犯行当日の江曽島さんの行動を全て話してください」

 江曽島は頷くと、暫くの間沈黙した。どこを見ているのか分からないような表情の中で、瞳だけがクルクルと凄い速さで動いていた。こういう状況が何をもたらすかよく知っている鹿子木はじっと我慢して待った。

 随分と長い沈黙を破り、ようやく江曽島の供述が始まった。鹿子木には途中で質問を行う余裕さえ与えられないくらい江曽島は自分の世界に入って喋り始めた。



 犯行の前日、つまり二〇一五年七月二十四日の金曜日、午後から休暇を取った江曽島靖は事件現場となる白い崖の上と下とを下見した後、筑波山麓を車で走り回り、できるだけ平らな面を持つ黒っぽい岩石を探した。ようやく一人で何とか運べる程度の重さのものを二つ見つけ、用意しておいた一輪車に乗せて車まで運び、ラゲージルームに積み込んだ。その後、事件現場となる場所からそれ程遠くない所まで戻り、切通しになっている道の傍に車を停め、スコップでポロポロしている白い小さな石をバケツに入れた。


 翌日の七月二十五日の土曜日の朝、江曽島は車であの白い崖目指して車を走らせ、傾斜がきつく曲がりくねった舗装もされていない山道を走り、平坦で少し開けた場所に辿り着いた。

 滅多に他の車は通らないとはいえ、万が一のことを考えて、邪魔にならないように道端の草むらに駐車し、持参したサンドイッチをコーヒーで流し込み、暫くの間目を瞑ってこれから行なう自分の行動を思い描き始めた。暫くして自分で描いたイメージに満足したのか、黒っぽい服装に黒い帽子を被って白いマスクを着けた姿の江曽島はラゲージルームから黒っぽい岩石二つを下し、一輪車に載せて崖の上まで運んだ。他の部分よりも若干低くなっている場所を見つけ、一つは平らな面を上にして崖の際ぎりぎりに置き、もう一つはその内側に並べて置いた。次に、崖の際に置いた岩石を横にずらし、崖の際からこの岩石の半分くらいの幅にある白い花崗岩を少しずつ岩石採取用ハンマーでたたき割って大きな凹みを作った。

 その上に、ずらしておいた黒っぽい岩石を戻すとかなり不安定な状態になった。作ったばかりの白い花崗岩の凹みの部分と黒っぽい岩石との隙間に、採取しておいたポロポロしている白い小さな石を手で固めて何本かを筒状に入れて支えにすると、少し揺らしたくらいでは安定しているように見えた。


 江曽島は細工した岩石の崖側に、持ってきたオレンジと白の縞模様のロードコーンをそっと立ててから崖下に降りて行った。ロードコーンを立てた所の真下からある程度の距離をおいた所にやや大き目の鏡を立て、太陽の位置をよく観察しながら随分長い間、角度の調整をしていた。ようやく納得したのか、崖の上に戻り、ロードコーンを外し、持ってきたそれほど長くない棒の先に茶封筒を取り付けたものを、崖際の黒っぽい岩石の下に崖から空間に突き出すようにセットした。

 黒っぽい二つの岩石を置いた崖際から内側に数メートル歩き、改めて仕掛けの出来上がり具合を確かめた。崖上のそれ程広くはない平らな部分はほとんどが白い岩石でできているため、その上に置かれた二つの黒っぽい岩石はよく目立った。


 江曽島は一度自分の車まで戻り、もう一度目を瞑った。腕時計が午後二時を指したのを確認した後、矢印を取り付けたロードコーンをいくつかと矢印が描かれた布とを一輪車に載せて、駐車場所から崖上の黒っぽい岩石の上まで運んだ。初めてこの場所に来た人でも目的の黒い岩石を置いた場所まで辿り着けるように矢印を取り付けたロードコーンを配置した。崖の際から遠い方の黒っぽい岩石の上には白い布に大きな朱色の矢印が描かれたものを広げ、四隅に小さな石をいくつか置いて風に飛ばされないようにした。

 車に再び戻ると、一輪車を車に積み、更に高い場所まで運転して人目に付き難い場所に駐車させた。車の中で時間を潰した後、持ってきた服装に着替え、白髪のカツラを付けてから白い帽子を被り、サングラスと白い髭を付けた。更に、白い手袋を嵌め、予め準備してきたアルカロイドの濃縮液を右手にしっかりと付着させた。


 午後四時少し前、まだ強い太陽光を浴びながら岩宿明は二問目で指定された場所を必死に探していた。自分の車で強引に坂道を上っていくと、矢印が付けてあるオレンジと白の縞模様のロードコーンに気付いた。車を停めて辺りを見回すと駐車スペースがあったので、そこに車を寄せ、急いで矢印の場所に行った。時計を気にしながら示されている方向を見ると、そこにも同じようにロードコーンの上に取り付けられた矢印が見えた。その先にもロードコーンがいくつかあり、それらの矢印に従って歩いていくと、広くはないが木が生えていない白い岩石でできた平らな場所に着いた。辺りを見回すと、少し離れた所に白い布に大きな矢印が描かれたものが黒っぽい岩石の上に置かれているのが見えた。

「どうやら指定場所はあそこのようだな。ここは恐らく真壁石が露頭した場所のようだし、少し先は崖になっている。それであの問題では『白壁の上』と書かれていた訳だ。俺の頭も相変わらず冴えているな」

 岩宿はニヤニヤしながらそう呟くとその矢印の先に目をやった。岩の先には同じような黒っぽい岩石が見えたが、その先には青い空しか見えなかった。


 突然、濃紺のトレーニングウエアを着こみ、長い白髪に白い帽子とサングラスと白いマスクを付けた白髭の老人のような風貌の男が木立の中から現れた。岩宿が警戒しつつ凝視すると、その怪しげな老人風の男は奇妙な声でこう告げた。

「おめでとう。難問二つを見事に解き明かし、一番乗りの希望者としてこの場所に辿り着いたようじゃな」

 老人風の男は静かに岩宿に近づき、白い手袋をしたまま握手を求めて右手を差し出した。岩宿は相手の勢いに乗せられて右手で男の手を握り返した。手を放した途端、老人風の男はいきなり岩宿の頬の上近くを触った。

「ああ、びっくりしたじゃろう。今、蜂が飛んで来たんじゃ。刺されたら大変じゃからな」

 いつになく相手のペースに嵌まり込んだ岩宿は頷いたが、目が痒いような気がして思わず右手で目の周りを擦った。

「あの二つの黒い岩の前に吊るしてある茶封筒の中にあんたが欲しがっているものが入っているんじゃ」

 崖に近い方の黒っぽい岩石の下から青い空に突き出すように茶封筒が棒の先に吊るされていた。


「何であんな所に大事な封筒を吊るしているんだね?」

 岩宿は相当不審に思ったらしく、老人風の男に訊いた。

「簡単な理由じゃ。ここに来た人の本気さを確認しているだけなんじゃ。嫌であれば即刻帰ってよし。私は次にここに来た人にあの封筒を渡すだけじゃから。ところで、指定した金は持ってきたかな?」

「いや、今は持ってない。個人で払う額としては大金だし、振り込みさせてもらおうと思っていた」

「そうか……。まあ、いいじゃろう。こういうこともあるかと思い、あの封筒の中の書類にはまだ最重要の構造式は書いてないんじゃ。あれを持ち帰り、検討してくれ。それで薬としてものになりそうだと思ったら、明日こちらから指定する通りに金を払ってくれ。そうすれば、肝心要の構造式をあんたに渡すようにする。もし、この提案がダメだと判断したら、書類はそのまま誰にも見せずに焼却してもらわなければならないが、いいかな?」

 岩宿は頷くと、その老人風の男が指差した茶封筒が吊るされている場所に向かって進んだ。あと一歩か二歩進めば封筒に手が届く所まで進んだが、岩宿はそこで立ち止まった。そこは切り立った崖の先端部であり、危険を感じた岩宿は一瞬躊躇した。額からは冷や汗が流れてきた。目の周りが痒い感じがして再び右手で擦った。

「この新規メカニズムのアルツハイマー病治療薬を世の中に送り出せれば、俺は間違いなく研究開発部門のトップとして君臨できるんだ。何が何でも掴み取ってやる」

 岩宿には強い意欲があった。


 アルツハイマー病に用いることができる薬物はいくつか販売されていたが、まだ真の意味での治療薬は世の中に薬として出ておらず、病気の進行を遅らせることができる薬物しか存在していなかった。世界中で血眼になって新たな治療薬探しが行われていたが、人間を対象として薬の効果や安全性をクリアできた薬物はまだ世の中に送り出されていなかった。この分野で薬の研究開発に携わっている人間にとっては、新たなメカニズムで確実に治療効果が認められ、長期間の投与でも副作用が見られない新規薬物は喉から手が出る程欲しいものであった。

 岩宿が初めてこの情報に接した時、少しは興味を惹かれたものの、それ程信用した訳ではなかった。最初は遊び半分でクイズ番組にでも参加するような気持でいたのであったが、第一問目の問題を見事に解き明かし、最初の情報を入手して中身を読んだ時、『もしかしたら、本物の情報かもしれない』と思ったのであった。岩宿が最近情報収集していたアルツハイマー病治療薬に望まれる要件を満たす可能性を秘めた構造を持っているように書かれていたためであった。


 そんな期待の新薬の情報が、あとほんの少しで自分のものになるところに存在していた。岩宿は勇気を振り絞ってまずは手前にある黒っぽい岩石の上に乗った。それから崖際にあるもう一つの黒っぽい岩石の上に乗ろうとしていた。老人風の男も岩宿と着かず離れずの位置をキープして岩宿の動向を見守っていた。崖際の岩石は岩宿が乗ると少しぐらついた。それにもめげず岩宿は手を伸ばして茶封筒を掴もうとした。

 もう一歩前に進み、その貴重なお宝を手にしようと屈んだ瞬間、岩宿の目を鋭い眩しさが貫いた。

 岩宿の足元の不安定になっていた岩は、岩宿の不規則な動きに触発され大きく揺らいだ。落ちそうになった岩宿は思わず直ぐ近くに立っていた老人風の男の手を掴もうとした。思い切り強くその手を握ったつもりであった。

 しかし、次の瞬間、白い手袋だけしか握ることができず、大きな声と共に岩宿の体は崖下に転落していった。白い手袋は空中で手から離れ岩宿の体とは別の方向に落ちていった。不幸なことは重なるものである。岩宿の頭は鋭角に尖っていた崖下の岩の角に落ち、そのまま意識を失った。頭が当たった岩は鮮やかな赤く粘度のある液体で覆われた。


 老人風の男は急いで崖下の平らな場所に降りて行った。岩宿が転落した所まで走り寄り、書類が入った封筒と棒などを回収してから岩宿の状態をしっかりと観察した。岩宿の死を確信して頷くと、そこからやや離れた場所まで走って行った。急に犬の吠える声が聞こえた。その声はどんどん大きくなってきた。慌てた男は回収して帰るつもりであった鏡を踏んでしまった。仕方なく、壊れた鏡を放置したまま崖上に戻り、黒っぽい岩石二つも持ち帰るのを諦め、それ以外の崖上にセットした仕掛けを回収し、必死になって停めておいた自分の車まで走った。



 鹿子木の前には事件の詳細を長時間に渡り供述した江曽島が疲れたような姿で座っていた。

「犯行の状況はよく分かりました。ところで、手袋に付着させたアルカロイド液はどうやって入手したのですか?」

「トロパン系アルカロイドは途轍もなく危険な物質とは言えないので、結構身近に生えている植物から抽出できるのです。私が使ったのは、チョウセンアサガオです。私も一応化学を専攻していたので、簡単なアルカロイドの抽出くらいはできますから」

「そうですか。もう一つ教えてほしいんですが、アルカロイドが付着した手で岩宿さんの目を擦らせるために、手鏡みたいな物は持って行かなかったのですかね?」

「もちろん、持って行きました。蜂の話で上手くいかなかったら、次は手鏡でやろうと思っていました。崖下にセットした鏡の角度がうまく合わなかった場合も手鏡を使うつもりでした。そのために、いつも岩宿が太陽を背負うような位置に私は立っていたんです」

「よく分かりました。次は何故岩宿副本部長を転落させようと思ったかを話していただきましょうかね」


「岩宿のような自己中心的な人間は組織のリーダーになってはいけない人だったからです。私は組織を本来の姿に戻したかっただけです」

「我々のような普通の社会人にも理解できるように説明してもらえませんか?」

「岩宿という男は部下たちが必死でようやく解き明かした成果を全て自分の成果として上層部に報告し、自分だけが出世していったのです。自分の言う事を聞いて成果を上げ、その成果を岩宿のものとしても文句を言わない人には厚く処遇し、少しでも文句を言おうものなら直ぐに研究現場から飛ばしてしまうのです。本当に酷い奴ですよ、岩宿は」

「江曽島さん、あなたが尊敬していた片桐さんが酷い目に遭ったのを見て今回の犯行を実行しようと思ったのですか?」

「まあ、確かに片桐さんの異動は、今回のことを実行に移そうとするきっかけにはなりました。でも、それ以前から、安田順一さん、帯織裕一郎さん、夜須健司さん、太田哲也さんたちに対する仕打ちをしっかりと見たり聞いたりしてきましたから、岩宿が研究開発本部長になる前には必ず実行しようと考えていました」


「でも、江曽島さんは岩宿副本部長には目を掛けてもらっていた状況だったと思っています。自分ではまだそれ程酷い目に遭ったわけではないのに、何故犯行を行なってしまったのですかね?」

「次は自分の番だ、という強い脅迫感をずっと持っていたからです。少し客観的に見た場合、この次に岩宿から酷い扱いをうけるのは間違いなくこの私だと思えたから、先手を打ったのです」

「百歩譲って、江曽島さんの言われるような状況が正しかったとしても、今回のような行動を取る以外に、方法はなかったのですか? 例えば、会社の上層部に相談するとか……」

「いや、そんなことをしても無駄ですよ。大体、会社の上の人たちがやるべき仕事をきちんとやらないから、岩宿みたいな人間がのさばってしまうのです。実際にアイデアを思い付いたり、実験でそれを証明したりした研究者をきちんと評価できる人が上にいれば、素晴らしい組織風土ができあがっていくと思うのです。本当に残念なことなのですけど、この研究所や会社の上層部にそういう人物がいなかったから、自分がああいうことをやらざるを得なかったのです。彼らもある意味では岩宿と同じ部類の人間なのだと思います。真面目な研究者たちはいつになっても報われないのです。こういうことはあってはならないことなのです」

「江曽島さん、あなたが指摘されたことは、別にあなたの会社や研究所に限ったことではないように思いますけどねえ」

 鹿子木はそれ以上の言葉が見つけられず、この日の尋問を終えた。


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