37.混迷
「その顔じゃ、一致しなかったようだな?」
「その通りでしたよ。二人とも全く異なっていました。鹿子木さんがあんなに自信満々で言われていたから、てっきり一致するものと思っていました。だから、私も科捜研の担当者にかなり強引に頼んでいたのですよ。その担当者の上司からは散々嫌味を言われてしまいました。『これからはつくば東署の特急依頼は後回しにしようかな』なんて」
「いやー、本当に申し訳ない。しかし、おかしいな……。そんなはずはないんだがなあ……」
鹿子木は鑑識担当者へ謝ることより、出てきたDNA型鑑定の結果が自分が予想していたものと異なっていたことの方で頭の中が一杯になっていた。そんな鹿子木の態度に呆れ顔になった鑑識担当者は、結果が記載されている書類を鹿子木のデスクの上に大きな音を立てて強く叩き付けるように置いて無言で帰っていった。
鹿子木は大分長い時間考え込んでいたが、突然自分のデスクの上の電話の番号を押し始めた。
「あっ、春田さんですか? 鹿子木です。お世話になっております。今少しの時間、よろしいですか?」
鹿子木は再び東京H警察署の刑事、春田徹に電話を掛けた。
「先日の件の続きでしょう?」
春田には鹿子木の気持ちが見抜かれていた。
「実はその通りなんですよ。先日お話したG製薬会社の帯織裕一郎の件なんですが、春田さんに調べていただいた後、私もこっちであのパチンコ屋でのアリバイを調べてみたんですけど、誰も帯織がいたということを覚えていないんです」
鹿子木は今回の事件のその後の展開について簡単に説明した。
「それでね、春田さんにお願いしたいんですけど、帯織から口腔内細胞を任意で提出してもらうようにしていただけないでしょうか?」
「鹿子木さんからのご依頼ですから、私も何とかしてあげたいのですが、DNA型鑑定の材料を出させるのでしょう? 現状では相手をうまく説得できるかどうか、ちょっと自信がありませんな。でもまあ、とにかく一回やってみましょう」
それから一週間後の夜遅く、鹿子木は筑波ホビークラブの受付の中の椅子に座っていた。この日は何故か愛がまだ帰宅しておらず、鹿子木の好みよりかなり濃いめのコーヒーを淹れてきてくれた。
「愛ちゃん、いつも済みませんねー。それにしても今日はこんな遅くなったのに、まだここにいてくれたんですね」
「ここ数日、洋介さんは考え事ばかりしていて、全く頼りにならないのです。もしかしたら今晩鹿子木さんがここにいらっしゃるかもしれないと思って、いつもより遅くまで残っていたのですわ」
「いやー、私の行動はすっかり読まれてしまっていますね。でも本当に有難うございます。感謝しています」
「どういたしまして。そんな口だけの感謝より、早く事件を解決して洋介さんが本来の業務に集中できるようにしていただきたいものですわ」
「はい、仰せの通りです」
そう応じて鹿子木は目が覚めるようなコーヒーを一口飲んだ。そこに焦点が合ってないような目つきで髪の毛もボサボサのままの洋介が現われた。
「神尾さん、お忙しい所にお邪魔しまして申し訳ありません」
鹿子木が済まなそうな顔をして挨拶すると、愛がクスクス笑った後で言った。
「洋介さんは鹿子木さんが持ち込んだ難問を解くことに専念されておられますので、本当にお忙しいのです。このクラブのお仕事などとてもできる状態にはないのですよね」
「愛ちゃん、本当に申し訳ありません。でも、私は事件が解決できないと他の事が頭の中に入っていかなくなってしまうのです。もうちょっと我慢してください」
「いつもの事ですもの、私や源三郎小父様にとってはほとんど日常になっていますわ」
二人の会話を聞いていた鹿子木が、黙っていられなくなって口を開いた。
「愛ちゃん、私からももう一度お礼を言います。ですから、どうか神尾さんを責めないでください」
「はいはい、責めたりはしていませんわ。ただ洋介さんのお体が心配なだけなのです」
洋介と鹿子木が揃って頭を下げたので、愛のフラストレーションはいくらか解消されたようで、源三郎と一緒に帰宅していった。
「さて、そろそろ本題に入りましょうか。この間の電話では、太田哲也さんと安田順一さんのDNA型は手袋に残されていた細胞のDNA型と一致しなかったのでしたね。その後また鹿子木さんのお考えとは異なる結果が出てしまったのですか?」
「嫌ですねえ、何で神尾さんには私の頭の中が手に取るように分かるのですか?」
「何で、って言われても……。鹿子木さんが一途だからとお答えするしかないですよ。だって、鹿子木さんは困った時しかこのクラブに来ないでしょう。ここの会員としてクラブの設備を使っている鹿子木さんを私は見たことが一度もないんですから」
「あははは、そう言われてみれば、その通りでした」
「それじゃ、鹿子木さんにとってあまり嬉しくない情報とやらをお聞きしましょうか」
「それなんですがね、私が怪しいと思っていた人間が皆、DNA型鑑定で『シロ』となってしまったんですよ」
鹿子木は、太田哲也と安田順一のDNA型鑑定の経緯をもう一度簡単に述べた。
「それで、ちょっと困ってしまったものですから、東京H署の春田刑事に電話を掛けましてね、G製薬会社本社にいる帯織裕一郎から口腔内細胞を任意で提出してもらったんですよ。帯織が主張していたパチンコ屋でのアリバイが証明されていないものですからね」
「そうしたら、帯織さんもDNA型鑑定で一致しなかったということですね」
「その通りです。つまり、完全に手詰まり状態になってしまったんですよ」
「本当にそうですねえ。私もいろいろな可能性について考えてみてはいるんですけど、今の所何も閃いてこないのです。申し訳ありません」
「いえいえ、謝らなければならないのはこっちの方なんですから」
「鹿子木さん、少し時間をいただけますか? もう一度最初から考え直してみますから」
「はい、是非お願いします」
鹿子木は頭を下げると重たい足を引きずるようにして筑波ホビークラブを後にした。




