38.洋介の実家
翌日の午前中、小野村愛は授業が午後からだったので、大学に行く前に洋介の実家に寄った。
「こんにちは。小父様も伯母様もお元気にされておられましたか?」
庭仕事をしていた洋介の父芳雄が愛に気付いて微笑みながら応えた。
「やあ、愛ちゃん。久しぶりだねえ。おおい、母さん。愛ちゃんが来てくれたよ」
芳雄の大声で、家の中で仕事をしていた初子が嬉しそうに顔を出した。
「あら、愛ちゃん。いらっしゃい。今、お茶を淹れるところだったのよ。一緒に飲みましょう。上ってらっしゃいな」
初子の一声で愛と芳雄は勝手口から上がり、大きなテーブルが置いてあるダイニングルームの椅子に座った。
「愛ちゃんが一人でここに来てくれる時は大概心配事がある時なんだが、今日も洋介絡みの心配事なのかな?」
芳雄の言葉が図星だったので、愛はただ微笑んだ。
「やはり、そうだったんだね。この間、新たな事件に首を突っ込んだようで、研究者を紹介してくれって頼まれたんだよ。だから、こんなことになるのではないかって心配していた所だったんだ」
「はい、多分その件です。八月末に鹿子木さんが来られて洋介さんに依頼したようです」
二人の会話を黙って聞いていた初子が口を挟んだ。
「洋介も事件なんか追いかけていないで、愛ちゃんのことを追いかけた方が良いのにねえ。あんまり放っておくと、愛ちゃんが誰か他の人の所に行ってしまうかもしれないのに。本当に洋介ったら、しょうがない子なんだから」
初子はいつもの決まり事をいつものように言った。
「愛ちゃん、今度の事件は一体どんな様子なんだね。教えてくれないかな?」
「はい、もちろんです。お二人にご相談に来たのですから。私、洋介さんのお体とあのクラブのことが心配で仕方がないのです」
愛は、自分の知っている限りについて二人に話した。
「まだ、殺人事件だとは決まってないようなことに、何故洋介は首を突っ込んだりするのでしょうかね。本当に困った子ですこと」
初子が直ぐに直感的な印象を述べた。芳雄はいつもように慎重に対応した。
「愛ちゃん、いろいろと心配してくれて本当に有難う。午後にでもホビークラブの方に行って、それとなく洋介に話をしてみます。洋介のことだから、事件が完全に解決しないとクラブの経営の方に心が向かないだろうね。私のできることは事件の早期解決に向けての助言くらいしかないけどね」
「有難うございます。よろしくお願いします」
愛は幾分心が軽くなったのか、元気な声を出して大学に向かっていった。
その日の昼過ぎ、洋介が筑波ホビークラブの受付で考え込んでいると、芳雄が静かに入ってきた。
「あれっ、父さん。珍しいですね、クラブの方に顔を出すなんて」
「うん、偶には来ても良いだろう。洋介は何か考え事をしている様子だったね」
「ああ、そう見えた? この間父さんに志村先生を紹介してもらった件のことを考えていたんです」
「あの真面目な鹿子木さんからの依頼だと断るわけにもいかないものな」
芳雄は少し皮肉っぽく言った。
「そうなんですよね。でも、今回の事件はなかなか難しくてね。いつもはもう少し閃きがあるんだけど、今回はあまり閃かないのです」
そう言ってから洋介は今回の事件のその後の詳細を芳雄に話した。芳雄は洋介が全部話し終わるまでは、ただただ黙って質問もせずに聞いていた。話が終わってからもしばらくの間沈黙していた。それほど長い時間ではなかったが、洋介には非常に長い沈黙に思われた。洋介も父に合わせて押し黙ったままにしていたが、ようやく芳雄が口を開いた。
「洋介や鹿子木さんが困っているのは、目星を付けていた何人かの容疑者が犯人であるという確証が得られず、次の展開をどうしようか迷っているということだな」
「そうです、本当に困っているのです」
「私の長い研究者人生の中にも、何人か岩宿さんみたいな生き方をしていた人間がいたのを思い出したよ」
「ふーん、そうなんだ。岩宿さんみたいな人って、他にもいるんだね」
「あのタイプの人間は、最後の最後まで他人から信用されるようになることができないようだね。自分の思うように動いてくれる人は、最初のうちは可愛がって、あたかも信頼しきっているように振舞っているんだが、自分自身にとって邪魔な存在だと感じるようになると、必ず切り捨ててしまう。そんなことの繰り返しだね。だから、そのうち周囲の人たちから信用されなくなって、心と心の繋がりは無くなってしまうんだね。最後は地位を利用して命令するか脅すようなことで相手を動かすしかなくなってしまう。人間社会で最後までそんな生き方を続けていける人は滅多にいないと思うよ」
「それじゃ、どうなるんですか、そんな人は?」
「足を引っ張る人たちが出てきて、どこかの段階で失敗してしまう。一度窮地に立つと、もう誰も助けてくれないどころか、さらに突き落とされてしまうのが関の山というところだね」
「まあ、それまでの行動から考えると、仕方ないですね」
「そうだね。それでね、洋介の話を聞いていて一つ気付いたことがあるんだよ。岩宿さんという人に目を掛けてもらっていた研究者は何人かいたようだけど、それらの人たちは岩宿さんが亡くなる直前まで一度も岩宿さんに裏切られることなく目を掛け続けてもらっていたのだろうか、と思ったんだよ。どこかの時点で酷い扱いを受けているような気がするな」
「なるほどね。そうすると、周囲の人たちから岩宿さんに特別可愛がってもらっていたと思われている人について、ごく最近はどんな扱いをされていたかを調査した方が良いということですね」
「現時点では洋介たちがピックアップしてない人たちの中にもそんな扱いを受けた人がいるかもしれないから、じっくりと調べた方が良いだろうね」
「有難う、父さん。直ぐに捜査してみるよ」
それまでドローンとしていた洋介の目はキラキラ輝きだし、やる気が満ちてくるのが自分でも分かるほどになっていた。芳雄はそんな洋介を嬉しそうに見ながら、帰途に就いた。




