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36.疑わしき人物

 丸一日間、次の手を考えてみた鹿子木であったが、太田のDNA型鑑定以外の捜査を思い付くことができなかったため、翌朝、G製薬会社つくば研究所の始業時間である九時ちょうどに守衛所で面会を申し出た。毎回案内される小さな会議室に入り、しばらく待っていると忙しそうに小走りで佐藤総務課長が入ってきた。

「お待たせ致しました。随分と朝早くにいらっしゃいましたね。どのようなご用件でしょうか?」

 流石に始業時の何かと仕事が立て込む時間に現れた鹿子木はあまり歓迎されてはいなかった。

「こんな朝早くから申し訳ありません。岩宿さんの件で、早く確認しておかなければならないことができたものですから」

「そうですか。それはどんなことでしょうか?」

「先ず、太田哲也さんに会わせていただきたいのです」

「太田ですか……。まだ出社していないと思いますが、少しお待ちください」

 そう言うと、佐藤は会議室内の電話で誰かと話をした。


「申し訳ありません。当研究所ではフレックスタイム制度を採用しておりまして、朝は自分の裁量で、ある程度出社時間を選べるようになっております。本日の太田の出社予定時間は十時になっているそうです。今、研究室の人間に連絡しておきましたから、太田が出社したら直ぐにこちらに来てもらいます。暫くお待ちいただけないでしょうか?」

「ああ、勿論、待たせていただきます。こちらが突然押し掛けてきたのですから、当然です。どうか気にしないでください」

 佐藤は頭を下げると忙しそうに出て行った。

 暫くすると、先日世話になった女性社員がお茶を淹れて運んで来てくれた。鹿子木に与えられたこの待ち時間は無駄だとは思えなかった。これからこの研究所で鹿子木が行わなければならない事柄を手帳にメモした。自分で描いているストーリー通りに物事が展開するような気がしてワクワクした。


 鹿子木が自分勝手な展開を楽しんでいると、突然会議室のドアがノックされた。腕時計を見ると、十時二分過ぎであった。現実に戻った鹿子木が返事をすると、太田哲也が心配そうな顔で鹿子木の表情を窺うようにして入ってきた。

「ああ、太田さん、朝早くから押し掛けてきて申し訳ありません。太田さんにご協力いただきたいことができましたのでやってきました」

「はい、私にできることでしたら、何でも致しますが、少し説明していただけないでしょうか?」

「それはそうですよね。実は、ある所から今回の事件と関係あるかもしれない細胞片が見つかりました。その細胞片は幸いなことにDNA型鑑定が何とかできるくらいの量がありまして、今、鑑識で鑑定しているところなんです」

「はあ、そうなんですか……。それで私は何をすればよろしいのでしょうか?」

「我々としては、岩宿さんの関係者の方々のDNA型と照合して、今回の件とは無関係であることを証明しておきたいと考えているわけです。もちろん、太田さんのことを疑っているわけではありませんが、ここでそれを証明しておくのが良いのではないかと思うのです」

「具体的には私は何をするのでしょうか?」

「なに、やっていただくことはごく簡単なことです。綿棒で口腔内細胞を採取して提供していただければ十分です」

「私が疑われていると考えると、恐ろしくなります。仕方がありません。提供致します」


 鹿子木は嬉しそうにバッグの中から取り出したシールされた透明の袋の上の部分を開け、自分の指で大事な部分を触れないように十分注意しながら綿棒を一本取り出し、哲也の目の前に差し出してから採取方法を説明した。

「先ず、口を大きく開けてください。そして、綿棒の端を指で掴み、頬の内側辺りを数回強めに擦っていただきたいのです」

「分かりました」

 そう言うと、哲也は右手で綿棒を掴み、何回も口腔内を擦った。

「ああ、もう十分でしょう。その綿棒をそのままこの袋に入れてください」

 哲也が言われた通りに綿棒を入れたのを確認した鹿子木は、また同じことをするように催促した。合計二本の綿棒がしっかりと袋の中に収まったのを確認してから、慎重に袋の口を押し付けて閉じ、自分のバッグにしまい込んだ。

「口腔内細胞を採取していただいた綿棒を二本、比較用検体としていただきました。朝のお忙しい時間にお手間を取らせてしまって申し訳ありませんでした」

 かなり不機嫌な表情の哲也は、それでも鹿子木の言葉に軽く会釈して会議室を出ていった。ドアの閉まる音が聞こえてから、鹿子木は思わず拳を握りしめた。


 続いて、鹿子木は会議室の電話で佐藤課長を呼んだ。鹿子木にとっては、この日ここに来た目的は既に達成されていたように思えたが、洋介に言われたこともあって、できるだけ多くの可能性について検証できるようにしておこうと思っていた。佐藤が電話口に出ると、鹿子木は安田順一を呼んでくれるよう依頼した。

 安田は直ぐに会議室に来た。

「まだ、私に用事があるのでしょうか? もう何もお話しすることはないと思うのですがね」

 安田は不服そうにそう言った。

「いや、本当にお手数をお掛けして申し訳ありません。一応すべての可能性を調べるのが警察の仕事なものですから、ご理解ください」

 鹿子木は哲也にしたのとほぼ同じ説明をした。

「ああ、分かりました。私の口の中の細胞を提供すればいいんですね」

 そう言うと、何の迷いもなく頬の内側を擦った綿棒二本を鹿子木に渡した。鹿子木はそれを袋に入れて封をしてから安田に礼を言った。


 鹿子木はつくば東署に戻ると鑑識係に直行した。幸いなことにあの手袋の分析を依頼した係官が中にいた。

「あっ、鹿子木さん。ちょうど良い所に来られましたね。今、先日依頼されたDNA型鑑定の結果が科捜研から届きましたよ。前科がある人間のデータベースと照合してくれたのですが、一致していた人はいなかったそうです」

「それは有難う。それでね、これら二人分の口腔内細胞が次の鑑定資料なんだ。その結果が出れば殺人事件として捜査できると思うんだよ。是非、超特急でDNA型鑑定してもらえるように科捜研に頼んでくれないかな」

「ええー、さらに二検体も追加ですか。科捜研は本当に忙しいんですよ。今回の分析も前から懇意にしてもらっている係官に無理やり頼んでやってもらったというのに……」

「まあ、そんな固いことを言わずに何とかしてくれないかな。よろしく頼むよ」

「まったく、鹿子木さんという人は他人の苦労も知らないで要求ばかりしてくるんだから……」

 鹿子木はぺこりと頭を下げると、二つの口腔内細胞が入った袋を係官の手の中にねじ込んでから微笑みを浮かべて鑑識係を出た。

 それからDNA型鑑定の結果が出るまでの数日間は鹿子木にとって期待と不安とが入り混じった複雑な気持ちであったが、期待の方が不安よりも勝っていたので、ほぼ浮き浮き状態で過ごした。


 翌週の水曜日の昼過ぎ、鑑識係の担当者から、DNA型鑑定の結果が出たので報告しに鹿子木の所に来るとの電話が入った。

 係官が来るのを待ち遠しく思っていた鹿子木であったが、やってきた担当者の顔色を見た途端、表情が曇ってしまった。


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