29.岩宿の身辺捜査
鹿子木は筑波ホビークラブを出るとそのまま車をG製薬会社つくば研究所に向けたが、途中でこの日が土曜日であることに気付いた。仕方なく東署に戻り別の事件の捜査の手伝いを行なった。
週明けまで我慢し、ようやく月曜日の朝を迎え、勢い込んで研究所に向かった。
ここに入るのも随分と慣れてきて、ほとんど顔パスでいつもの会議室で佐藤総務課長を待った。
「毎週押し掛けてきて申し訳ありませんねえ」
鹿子木は会議室に現れた佐藤の顔を見るなりそう言った。
「いえいえ、お役目お疲れ様です。それで、今日は一体どんなことをすればよろしいのでしょうか?」
「何度もお手数をお掛けしますが、もう一度岩宿さんのパソコンを見せていただきたいのです。パスワードはこの前見せていただいた時、うまく解読できていますので、そう時間は掛からないと思います」
「はい、分かりました。ただ、岩宿副本部長は研究の中枢にいた方ですので、パソコンの中身もマル秘文書がかなりあるはずです。くどいようですが、外部に漏れないようご注意をお願い致します」
「勿論です。私が見たいのは薬の研究開発の情報ではないのです。岩宿さんが何故あのような危険な崖の上に行ったのか、理由が知りたいだけなのです」
「分かりました。現在、副本部長のパソコンは情報室の方で保管しています。また、事件か事故か分かっていない状況ですので、中身については消去したり、変更したりしないように言ってあります。部下にここに運んでもらいますから、少々お待ちください」
そう言うと佐藤は会議室から出て行った。
暫くすると、髪の長い若い女性社員が会議室に入ってきた。持ってきたパソコンをテーブルの上に置き、近くのコンセントに繋いで電源をオンにしてから鹿子木の方を向いて言った。
「どうぞ、お使いください。立ち上げて中身が読めるように致しましょうか? パスワードは情報室から聞いてきておりますので」
「ああ、それは有難い。是非お願いします」
先ず、書類フォルダーの名前から調べてみた。あの崖に行くことを連想させるようなタイトルが付けられているフォルダーは見当たらなかった。目ぼしい書類フォルダーの中にあった文書も一応開いてみた。文書のタイトルも超難解なものばかりで内容はほとんど理解できそうもなかったが、崖の上に引っ張り出される原因となるような文書は見つからなかった。
鹿子木は女性社員の方を向いて声を掛けた。
「あのー、電子メールを見たいのですが、見えるように操作していただけませんか?」
「パスワードで保護されていると思いますが、岩宿副本部長が使われていたパスワードをご存知ですか?」
「はい、前回の捜査の時、電子メールも簡単に調べました。その時、解読していますので大丈夫です」
女性社員は手慣れた操作であっという間に電子メール画面にしてくれた。鹿子木がパスワードを打ち込むと受信一覧が標示された。
「有難う。ここまでくれば、私一人でも何とかなりそうです。どうぞ職場に帰っていただいて構いませんよ」
「あのー、実は課長からパソコンの捜査が終わるまでは私もここにいるようにと言われておりますので……。お邪魔は致しませんから、お願いします」
「あはっ、そうですよね。マル秘情報満載のパソコンですものね。分かりました。しっかりと見張っていてください」
鹿子木は笑いながらそう言った。
受信メールの最新のものから吟味し始めたが、メールの中身も挨拶部分を除けば、意味不明にしか思えない内容ばかりであり、少なくとも岩宿があの崖の上に行く必要性を感じられるものは最初の数十通のメールにはなかった。見張り役の女性社員は本当に退屈そうで目には涙が少し出ていた。きっと欠伸をかみ殺していたに違いなかった。全部のメールを読み進めるのは無理そうだと感じたものの、このまま引き下がるのも悔しいと思った鹿子木が電子メールの受信一覧を眺めていると、前後のメールのタイトルと少しだけ趣の異なるものが一つだけあるのに気が付いた。
そのタイトルは『世界初のメカニズムによるアルツハイマー治療薬にご興味のある方へ』となっていて、日付は二〇一五年七月七日であった。他のメールは『プロジェクトABC検討会の開催について』などのように研究開発に関連した具体的なタイトルがほとんどで、こんな売り込みメールのようなタイトルは全く見られなかった。それ以降の日付に売り込みメールの続きがあるかどうか調べてみたが、それらしいメールは見つからなかった。
「岩宿はこのメールを無視したのかなあ……」
鹿子木は気になったので、その売り込みメールの発信アドレスとタイトル等の情報を手帳にメモしてから、待ちくたびれていた女性社員にパソコンを返し、佐藤の机まで行って礼を言ってから研究所を出た。
研究所を後にした鹿子木は岩宿の家に向かい、奥さんに面会を申し出た。
およそ一時間後、鹿子木は元気一杯の表情で岩宿家から帰っていった。




